私想的生活-08
シミュラークルというシロモノは、ほんとうは存在しない。それが元ネタのナイ模造品、贋物だからというのではナイ。『恋愛的演劇論』は〈現実と虚構〉についての論考だから、そっちを読んで頂ければ、すぐにその理由はワカル。だから、ここでは述べない。
シミュラークルを拡張してみると、擬似的なものにテンプレートてなのがある。/テンプレート(template)は、文書などのコンピュータデータを作成する上で雛形となるデータ/
/具象的なテンプレートは、それ自体文書であり、数箇所の修正または空白への書き込みで目的の文書となる。元の意味は建築物の梁受けで、そこから、鋳型のように働くさまざまなものを意味するように派生した/と、「ウィキペディア」にはあるが、要するに「型紙」あるいは「クリシェ(活字印刷の場合に頻繁に出てくる組型)から、定型的文章をこういう」。ルーチンワークなんかをするときには便利なシロモノだ。
落語などの語り芸において、その主要な(あるいは頻繁な脇役)登場人物(たとえば、ご隠居とか、クマとか与太郎とか、キーコとか、大店の旦那とか、宿屋の女中・・・et cetera)をいちいち創りだしていたら、おそろしく面倒になる。こういうとき、テンプレートを何枚かファイルしていると、それを取り出して、ちょっと書き込みするだけでイイ。多くの落語家は、この方法でやってる。
情報や知識、教養にしても、テンプレートを脳の中にファイルしておけば、そこからサンプリングして組み合わせていけば、戯曲の一曲くらい書けなくもナイ。昨今のコミックスなんかは、ほんとうにテンプレートへの書き込みだけ、てのばかりだ。たいていの大元は、山田風太郎さんの創作の中に存在している。つまり亜流でしかナイ。(時折、それとは逸脱して『女子攻兵』みたいな〈キチガイよろし〉の作品もあるが)。帯などに「アニメ化決定」とある場合、それはまったく逆で、最初からアニメ化出来るかどうかを吟味した上で、出来そうなのを雑誌で先行掲載しているだけだ。非情なことに、コミック雑誌は売れない。単行本が赤字にならず、アニメに出来ると、やっとマンガ家の懐も潤う。最近のマンガ家がペンなど使わず、パソコンで描くのは、そのほうがのちのちアニメにしやすいからだ。しかしながら、「実写決定」となると、要するに昨今のproducerはマンガしか読んでいないという証明にしか過ぎない。かつての文学映画は観るに堪えた。小津映画など、リアルタイムの当初では「芸術映画」だなどと思って鑑賞した庶民は誰もいない。あれはあれで、娯楽映画の一分野(小津落語てふうにいわれた)だったのだ。
ハリウッドですら、絶対ヒットの映画しかやんなくなった。『スターウォーズ・フォースの覚醒剤』(一字余分)などはそのいい例だ。映画興行は、洋画が多いという感触、雰囲気はあるが、ほんとうはその三倍程度は邦画が封切られているのだ。すぐ終わるけど。DVDに「劇場公開」と書き込むためだけの興行だから。(さて、もう一回くらいやるか)
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