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2015年11月

2015年11月27日 (金)

Words of the nincompoop ⑬

半月くらいの開店休業で、だからといって本日より新台入れ替え、開店というワケでもナイ。私がブログを更新しないときは、たいていが闘病と思ってもらってマチガイはナイ。
老化によってうつ病のほうも変容しているようで、どうも一進一退、良くなったかなと楽観すると、本日は晩飯が食えそうにナイ。ここ数日眠り方が変だなと感じていたが、とにかくふつうに生活しているのに、その「ふつう」をするのに常態の数倍エネルギーが必要らしく、痩せるというより、窶(やつ)れるといったふうで、かなり食っても、消耗が激しいので、食えなくなるのは困るなと要心していたが、食欲というより、食べる気力が減衰している。適当に惣菜を見繕って、ともかく熱量の補給をしなければ、本日はえらく寒い。こういう急激な気温の変化が、身に沁みて堪えるのが老化というものだろう。

2015年11月11日 (水)

Words of the nincompoop ⑫

○うつ病(双極性障害)への対症。もちろん、私の場合だから参考になるかどうかはワカラナイ。何しろ、固有性が強い疾病だから。
○まず、「うつ病それ自体で死ぬことはナイ」。これは呪文のようにでも唱えたほうがイイ。
○次に「症状のあるときに考えたことの、悪い考えは100%誤謬だ」。これは生還すればワカル。
○「とにかく、消耗が激しいので、食えるもの、食いたいものがあって、食えそうなら、何でも食う」。私はともかくなんでもお茶漬け、湯漬けで食います。食いやすいから。
○「肉が食えそうなら肉を、牛乳が飲めそうなら牛乳を」牛乳のコップ一杯は、栄養点滴500㏄に相当する。肉は赤身を食いやすい調理で。体力勝負ってこともあるんだから。
○誰になんといわれようとも、休みたい格好になればイイ。丸まっても、腹這いでも、みかけはどうでもイイ。
○寝る、横になるほうが苦しいことが多いのも、この疾病の特徴だから、最も楽なことをしていたほうがイイ。私なんか、書き仕事スルこともあります。熱中してると、しんどさを忘れられるから。しかし、まあ、もって30分だなあ。
○「外に出るナっ」。魔が差すことがある。ふいに、自動車の前に飛び出したくなる。高いところに昇るな。「飛び下りたら終わる」、この誘惑は怖い。たとえ、二階でもだ。西洋では「うつ病になったら、二階の窓を開けてはいけない」という箴言もある。
○泣けそうなら、泣いたほうがイイ。叫びたかったら叫んだほうがイイ。とにかく、カラダは何かを外に出したがっている。
○のたうち回ればイイ。床を蹴り、壁を叩いて。ただし、家人にはひとこといっておいたほうがイイ。怖がられる。
○私の知人は、障子を破壊するといってました。
○とかく医師はクスリを勧める。しかし、そのクスリについては医師とケンカしてでも、徹底的に服用については納得出来るまで説明させること。(たいてい、これで、医師のほうから診察拒否、出入り禁止になるという例は数多あるが、それは、医師がバカなだけなのだ)
○ぬるい湯に長く入浴するという説もあるが、私は少々熱めの湯で短時間(10~15分程度)の半身浴を勧める。汗が出てきたら、そこでup。長湯は禁物。とにかく何か出したがってるんだから。(水を飲んでからのほうがイイ)
○水分はとったほうがイイ。小便の回数を増やせる。少し楽になる。
○「路頭に迷っている」感じがあれば、すぐに、知人に連絡して、くだらん話をすること。追い詰められると、そんな感じになる。しかし、少しバカ話につきあってもらうと、多少は気が晴れる。
○希死念慮は、経験さへつめば、切り抜けられる。死にたいと思うだけなんだから。実際に死ぬことはナイと、いい聞かせる。
○自殺念慮は100%誤った考えなのだが、抗うのは、難しい。これも、すぐに誰かに連絡して、助けてもらったほうがイイ。電話だけでもイイ。ひとりでは、どうしようもナイんだから。私は、一度、近隣の神社に自殺しに出かけた。しかし、電話しましたよ。一緒に仕事した者に「オレ、死んでもイイかな」って。相手はキツク制止しないでくれたのが良かった。「また一緒に仕事したいよ」といってくれて、泣いたネ。
○「孤独」だとか、「ココロが傷ついた」とか、他人のそういうコトバが戯言に聞こえるようになってくれば、ずいぶん、強くなった証拠だと思いなさい。うつ病に耐えている自分を威張りなさい。褒めなさい。そのうち死んでやるが、いまはヤメておこう、と思いなさい。                                
○何も出来なくなったときは、何もしなくてイイ。ボンヤリしてればイイ。何も考えられないはずだから、何も考えなくてイイ。「生ゴミになっちゃった」と思っていれば、それでイイ。
○治ることはナイけど、また、楽になるときが来る。ひたすら、そう信じること。楽にならなきゃ、このまま死ぬのは損なだけ。そう思うこと。
○「何で私が、こんな目に」と、思うな。現在、日本においてうつ病患者は120万人、世界においては、1500万人といわれている。

Words of the nincompoop ⑪

○私のこのブログ『北村 想のネオ・ポビュリズム』でも、幾度か書いたことがある。重複でもかまわない。統計というものは、調査の方法によっていくらでも調整が可能だということは、かなり前からいわれてきていることだ。たとえば「月夜には殺人事件が多い」ということから、月の光は人間を狂わせる、てな、ルナチック・ムーン伝説もその一つだ。そういうレジェンドは、まだロマンチックな部類で、さて、日本の年間自殺者の数だが、毎年の自殺者の数が決まったように3万数千人になるのは、理由が(というか根拠が)ある。これは、あくまで認定自殺が3万数千人だということで、それ以外に、毎年の不審死がおよそ14万人前後存在する。以前も書いたがWHOでは不審死の半数を自殺としている。とすると、日本の場合約半数の7万人は自殺と判断される。
これを推定自殺という。よって、先の認定自殺3万数千人と推定自殺7万人を合わせた約10万人が、実質的な自殺者数というのが〈警察署・警視庁・警察庁〉の認識だ。
○なんでこんなオカシなことになっているのかも、以前書いたが、認定自殺というのは、鑑定医が解剖などをして自殺だと認定した人数で、不審死の14万人を検死するだけの鑑定医の数が足りない。単純に理由は、これだけなのだ。とにかく、鑑定医の数が足りなくて、実際に鑑定出来た自殺者の数が3万人チョイというだけの話なのだ。
そうすると、鑑定医が増えれば認定自殺者数は増え、もし減るようなことになれば、当然の如く認定自殺者数は、減ることになる。統計というものは、こんなもんだ。
○認定自殺と推定自殺を合わせたうち、3割はうつ病(双極性障害)の自殺という、これも正しい統計なのかどうか、とにかく、検死されていないのだから、「おそらくそうだろう」という微分方程式で考えるしかナイのだが、交通事故死者数が3000人を超えたという(警察庁のホームページ)発表から比して、その10倍の数のひとがうつ病で自殺していることになる。大阪などでは、自転車の取り締まりまで厳しくなって、一通通行違反でも違反キップてなことになってるらしいが、警官増やすより、「まともな医師(精神科医)」を増やすべきだということは、一目瞭然。「まともな医師」というのは、「看板心療科」ではナイ、ほんとうの「精神・神経科」の中における「まともな医師」ということだ。医師にピン、キリがあるのは、まあどの稼業においても仕方ないことだが、向精神薬には、副作用があって、私のように40年選手になると、まずもって目がダメになる。私の原稿が速いのは、書ける時間が短いので、加速度つけて書いてるからだけなんだヨ。三カ月に一度、眼科検診、年に一度は視野検査をしているが、そういうところで、未だに異常値が出たことはナイ。視力も数年同じ。しかし、視力検査というものは、たとえば30分ほどCマークをみせられて、左右上下をいうワケではナイ。ほんの数秒だ。それくらいならチャンとみえる。ところが、書き仕事となると、現状、30分に一回は数分の休憩をとって、それでも2時間までが限度だ。演出をやめたのは、1時間が限度で、それ以上は役者がハッキリみえなくなるからだ。もちろん、台本だって読めなくなる。
○痛み(うつ病に〈痛み〉があることは殆ど・・・医師だって・・知られていない。私の場合は両手首と指関節の疼痛と鈍痛。痛む部位はひとによってチガッテ、頭痛のひともいれば、腰痛のひともいる)や、吐き気、息苦しさ、ダルさ、目眩、二日酔いや悪酔いに似た気分の悪さ、微熱、不整脈、痙攣、〈抗鬱剤による副作用の苦しさ〉、これだけセットに、さらに、希死念慮(死にたいという気持ち)と自殺念慮(死なねばならないという気持ち)をお付けして、たったの、ひとりの命。通信販売じゃあるまいし。
○「うつ病はココロの風邪」、大嘘、インチキ。「闘わないで従病(しょうびょう・・疾病と折り合いをつけること)でいきましょう」、出来ることならやってみろっ。
闘いますよ。闘病っていうじゃナイか。争いはしません。勝てませんから。ベルナール・リウーにでもなったつもりで。シーシュポスにでもなったつもりで。
しかし、自殺者を責めません。死なないほうがどうかしてるんだから。

2015年11月 9日 (月)

Words of the nincompoop ⑩

○『妻への家路』(チャン・イーモウ監督・コン・リー主演、2015、中国)は、日本の文芸童話を彷彿とさせる。あるいはある「寓話」「笑話」のように観ることが出来る。ある意味で、おそろしく淡々としたこの映画は、映像やストーリを観客にみせる作品ではナイ。ただ、純粋に俳優の〈演技〉というものをみせる。映画、演劇において、ほんとうに観るべき、みせるべきは、それなのだという監督の辿り着いた信念が胸に迫る。
ところで私が他に重要だと観たのは、本編ではなく特典映像の中の、チャン・イーモウ監督のインタビューにおける、次のコトバだ。
「文化大革命など知らなくてイイ。そんなものは、どんな国でも歴史の中で、一度や二度は必ずあるものだからだ」
 矮小化をおそれずにいえば、こんなふうにも用いることが可能だ。
「従軍慰安婦など、政治のカードにすべきではナイ。そんな存在は、どんな国でも歴史の中に、必ず存在する事柄でしかナイ」

2015年11月 8日 (日)

Words of the nincompoop ⑨

○うつ症状のキツイときは、いま、岩を山頂に向けて押し上げているときだと妄想することにしている。しかし、ほんとうに苦しいときは、この岩がビクとも動かなくなるときで、いくら押せど、微動だにせず、裸足(らそく)の足ばかりが、ズルズルと土に滑っているときだ。

○誰にだって、〈都合〉と〈事情〉というものがあるのだ。そうして残念なことに、私たちはその「誰にだって」の〈都合〉と〈事情〉を知ることが出来ない。将棋でも囲碁でも、相手が一手指すなり打つなりするまでは、こちらは動けぬ。〈待つ〉とは一つの修練であり、「後の先」もまたこの〈待つ〉修行から始まる。

○「私にワカラナイのは〈愛〉と〈孤独〉です」というと(よく、そういうシーンがあるのだが)、誰もが妙な顔をする。「独りで寂しいと思ったりしないの」と問われる。この、〈愛〉と〈孤独〉というのは、何やら生きることに於いて重要な事象らしいのだが、孤独というのは退屈とどうチガウのか、また「オレ、あんたを愛してるから、千円おくれ」といえば、千円もらえるのか。

○あるstand up comedian がブラック・ジョークで「自殺しようとしているものに、訊ねたね、何か欲しいものはナイのかって。そうしたら、幸せが欲しいかなって答えたよ」というのをやった。彼はその日で店を解雇になって、けっきょく、その夜遅く、自殺した。

2015年11月 5日 (木)

Words of the nincompoop ⑧

○往く道は精進にして、還る道は〈ただのぼんくら〉でありたい。
○よく生きて、ハッキリと死ねればイイと思う。いまの世間(浮世、社会)は、この何れも許してはくれないような気がする。
○世界情勢、こんなくだらないものはナイ。私たちはほんとのところを何一つ知らない。単に〈報道〉を情報として甘受するだけだ。
たとえば、南シナ海の人工島は、シュー・キンペーより前の、コ・キントウの時代にプランされていたものを軍が実行しているだけで、キンペーちゃんは、原則的にというか、後付けの口上をつくっては、すり抜けていくしかナイ。米中の軍事衝突など、起こるワケがナイ。挑発とか、勇気あるイージス艦の12海里航行とか、茶番なのだ。
世界情勢の基本の基本、とは、如何なる人間、民族、国家、も、食っていかねばならないと、これだけだ。(政治家からすれば〈食わせていかねば〉ならない)。核戦争や原発、災害よりも、日常的に〈食うこと〉のための争奪、これが最も重要な世界情勢の問題というものだ。
○「落語とはillusionである」と定義した立川談志家元の謂いに於いて、落語と私の演劇とは同じ表現世界平面だ。そんなつもりで、最近は書いている。

2015年11月 1日 (日)

Words of the nincompoop ⑦

○「孤独死」という名称は、病名(民間の呼称)でも疾病名称(医療用語)でもナイ。私くらいの年齢になると、月に一度の home doctor の定期診断で「どうですか調子は」と訊かれて「イイことはナイんですが、病気というワケでもなくて、老化が加速度的に進んでいるので、こんなもんじゃないかなと、思います。精神的には仕事で、とくに枯れた作品を書いているワケではナイので、肉体のほうとのギャップが面倒ですね」としか答えようがナイ。医師も「そうですよね」と苦笑いするだけだ。
さて、「孤独死」と「戦死」、あなたならどっちを選びますか。と、こんな質問は何の意味もナイ。いずれにせよ「死ぬときは独り」だ。
○安全な食べ物(食材)などというものは、100%無い。TPPでいろんな食材が入ってくるようになるだろうが、安全性の度合いがチガウだけだ。アレルギー人口が増えたので、まったく有機的自然な食材でも、ひとに由っては死につながる。身体が、食材に対する抵抗力を減衰したら、要するにそこまでだ。
○「健康のためには規則正しい生活がイチバンです」この呪文のような定番のクリシェは「毎日、毎日、判で捺したような、つまらん人生だったなあ」と、定年を迎えたサラリーマンの、ありそうな嘆きと抵触するのではナイだろうか。

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