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2015年9月28日 (月)

悲しき劇作家⑬

/神々がシーシュポスに科した刑罰は、休みなく岩を転がして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。/
/無益で希望のない労働ほど怖ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。シーシュポスは、岩がたちまちのうちに、はるか下の方の世界へところがり落ちて行くのをじっと見つめる。その下の方の世界から、ふたたび岩を頂上まで押し上げてこなければならなぬのだ。かれはふたたび平原へと降りてゆく。/
/こうやって麓へと戻ってゆくあいだ、この休止のあいだのシーシュポスこそ、ぼくの関心をそそる。岩とこれほど間近に取り組んで苦しんだ顔は、もはやそれ自体が石である!いわばちょっと息をついているこの時間、かれの不幸と同じく、確実に繰り返し舞い戻ってくるこの時間、これは意識の張り詰めた時間だ。かれが山頂をはなれ、神々の洞穴のほうへと、すこしずつ降(くだ)ってゆくこのときの、どの瞬間においても、かれは自分の運命よりたち勝っている。かれは、かれを苦しめるあの岩よりも強いのだ。/頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに十分たりるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。このとき、途方もない言葉が響きわたるのだ、「これほどおびただしい試練をうけようと、私の高齢と私の魂の偉大さは、私にこう判断させる、すべてよし」と。/(『シーシュポスの神話』・カミュ)
劇作家は、高校生(十六歳)のとき、この先、自分が生きて行けそうな道など何処にもナイと、ガッコを卒業したら自死する気でいた。ところで、若いというのは可愛い無知ですナ。アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』に出逢って、『ペスト』を読んで、リウー(ベルナール・リウー、『ペスト』の主人公に該る。医師)はなんてカッコエエねんと、自死を家出に変更することに決めた。積極的逃避や。
/あきらめるというと絶望かと思うんですけども、そうじゃなくて、「まあ、いい」と言う「いい」は、「どうでもいい」のではなくて、「良しとしよう」の「良し」なんです。/人生は短し、夜は長し/ひとときの合縁奇縁を喜んで、千の夜を万に味わうが勝ち/「とかく永い浮世に短い命なる事ならばずい分遊んだが徳さ」/今の大人は、真面目に命を削って遊ぶことを知らない。/考えざる者、遊ぶべからず。/とかく、酒と女は褒めるべし。批評すべからず愉しむべし。/もてようと思ったら、やせ我慢しなくちゃ(笑)/医者にはなるべく近づかない。ポックリ逝くためには心臓は弱いほうがいい。一方、頭はなるべく使って鍛えておく。/体にいいことはしない。それから体に悪いもの、とくにアルコールは積極的に取るようにしています。/去年できたことが今年できないという自分を受け入れたい。老いを積極的に認めたいです。/なかには、かしこく、りっぱに、歳をとるひとも少しはいるのだろう。ちっとも、羨ましくはないけれど。/生きているヒトは、自覚のあるなしにかかわらず、みんなビョーキの容れ物だ。/(『憩う言葉』『粋に暮らす言葉』・杉浦日向子)
一度、白水社の関連で対談しました。日向子さんも、まだブレイク直前でしたから、駆け出しの劇作家と対談なんてしている余裕があったんでしょう。江戸の話をたくさん聞きましたが、資料、学問、というより、ご自分の住んでる町の話をされているようでした。とても可愛いひとでした。「手を出しちゃダメですよ」と、きつく編集者にいわれました。

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