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2015年9月29日 (火)

悲しき劇作家⑭

「鶏頭牛歩」、ほんとうは「鶏口牛後」です。意味ですか、[大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよい]「むしろ鶏口となるも、牛後となるなかれ」の略です。出典は『史記』ですナ。「鶏頭牛歩」のほうは、劇作家が創ったコトバ。意味ですか。[牛のようにでイイ、ゆっくり、確かに前進せよ。鶏のように鶏冠(とさか)だけ立派でも、三歩進んで総て忘れるような者になるなかれ]ですナ。「身につける」のがほんとうの「学問」です。鶏冠だけでワカッタふうになっているのは学問ではありません。

ところで、劇作家は突然「ここで死ぬのはイヤだナ」という思いに襲われた。どうしてかな、名古屋こそは40年の我が故郷と信じていたのに。この疑念は瞬時に払拭された。「ああ、そうなのか。ここ(名古屋)には過去(むかし)が多すぎるんだ」。しかも時間としては変容してしまった青春の時代が影のように、かつて光だったものが総じて隠滅なものとなって、しかも、それは、「いま-ここに-いる-わたし」にとっては現在形として劇作家を包んでいるのだ。「そうか、それに囚われていたのか」。居心地のあまりよくなかったのはそのせいか。「ここにはもう、私の過去しかナイんだ。それが現在のように私を捉えていたんだな」。劇作家はやっと気がついた。これは「うつ病」の症状にある〈本質〉だ。すると、今度はこれも電撃のように劇作家の脳髄を過った。いわゆる、インシデンタルなインスパイアというヤツだ。
「引っ越そおっと」
で、来年早々、○○へ引っ越す決心をした。劇作家の過去(むかし)などナイところで、かつ劇作家の過去を空間的につないでいる場所へ。難しくいえば、そこは空間制が時間制として変容しているところだ。こういう inspiration は楽しい。悪いふうにいえば、うつ病の躁転移なのだが、そういうものは、長年の疾病の経験から、劇作家には controlすることが出来る。これを利用するに過ぎたことはナイ。人間、やっぱ、考えるべき。潜在的に常に思考をやめないのは、物書きとしての業でもあるが、徳でもある。
「山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」
この空也聖人の歌は、一読すると「ケ セラ セラ」の感もある。「ケ セラ セラ」はヒッチコック監督映画『知りすぎていた男』の主題歌で、主演女優で歌手でもあるドリス・デイ(Doris Day)が歌ったことで知られているが(この映画において歌詞の意味は〈なるようになる〉と字幕にある)、だが、ほんらいの意味は、違う映画『裸足の伯爵夫人』(ジョゼフ・L・マンキウィッツ監督・ハンフリー・ボガード、エヴァ・ガードナー)に登場する。この映画では、裸足が好きだったスペインのダンサーのマリア(エヴァ・ガードナー)が、ハリウッド女優となり、ついには伯爵夫人となるのだが、その貴族の家訓が「Que Será, Será」なのだ。(ここでの意味は〈起こるべきことは必ず起こる〉なのだが、字幕翻訳者は間違って、ヒッチコックのほうから引っ張ってきているために、かなり物語との違和感が生じるのは残念。「Que Será, Será」は「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味のスペイン語だとされることもあるが、実際はスペイン語の文としては非文法的であり、スペインで用いられた歴史もない)。ちなみに同監督は、姉妹編として、演劇(女優)の映画『イヴの総て』を撮っているが、こちらも有名。シークエンスを同じふうに撮っているのも、まったくそれを意識してのことだと思われる。
さて、本歌にもどって「橡殻」は「トチの実」のことで、積極的に読めば「山河に流れるトチの実でも、その身を捨てるべく思いにさへなれば、大海に浮かぶこととなる」になる。
空也聖人は仏教のひとだから、「その身を捨てる」は、キリスト教のように「犠牲」とか「供物」を意味しない。これは「諸法無我」のことだ。
というワケで、六十三歳の劇作家は「橡殻」となり、流れ流れていくのだった。
ηどこで生きても流れ者 どうせさすらい独り身の 明日は西やら東やら 今日のねぐらは風に聞け 可愛いあの娘の胸に聞け ああ、うんじゃら流れ者
「渡世とは、世渡りの術ではナイ。世界(カオスとコスモス)を渡ることをいう」
と、この辺で、躁転移を抑制しとかないとな。

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