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2015年9月 9日 (水)

悲しき劇作家⑤

なんだろうねえ、起きる、目覚めるといつも妙な感覚に苛まれる。恐怖感(に似ている。コワイからな)でも、そうでもナイ。孤独感(というのは持ったことがナイ。退屈ならワカルけど)、だからチガウんだなあ。今日もそうだったから、ともかくヤサから外に出て、赤蜻蛉みながら、考えた。それで、やっと行き着いたのが「喪失感」だ。じゃあ、何を。自分をか、とんでもない。自我はまだ崩壊してませんワ。そういう空間的なもんじゃナイんだが、と、思いつつも、そうねえ、空間も関係ありそうだなあ。と思案して、アイスコーヒー飲んで、赤蜻蛉みて、ふいに、ああそうか「空間」じゃナイんだったら「時間」だ。自分ではなく「自分史」という「時間」を喪失している。オレが、ここまで生きてきた史実というのがあるはずなんだけど、その実感が無い。とつぜん、ある時空にヒョイと現れたように目覚めるんだワ。確かに昨日もここにいた。ここで寝たからここで目覚めた。風景は寸分のチガイもナイ。けれども、記憶障害者のように、自分の過去に対する実感がナイ。まあ、過去というものは実体として存在するものではナイから、無くてもイイんですが、「思い出」とか、あるじゃナイか。それが消えるんだなあ。消えてるんだなあ。「俺たちに明日はない」てな映画があったけど、オレの場合は逆だ。「俺には昨日がナイ」みたいな気がする。そういう「喪失感」。記憶はあるんだ。昨日ナニ食ったかとか、六十三年生きてきて、なんだかいろいろあったなあとか。しかし、それは記憶であって、実感じゃナイ。そうでなくてもよかったし、そうでなかったかも知れないという、奇天烈な感覚。極めると「オレがいなくても宇宙はあるのか」という不快な諦念。未来に対する徒労。
たぶん、ハイデガーは『存在と時間』で、「存在とは何か」ではなく「時間とは何か」を主題にしたんだと思う。この時間に対して存在とは何なんだ、だ。そうなんだよなあ。ひとは、自分という、自己という存在を喪失するンじゃナイんだ。ナンダカわからんけど、時間を喪失するんだ。「色即是空 空即是色」てのは、あれだぜ。「空」という文字にごまかされちゃうけど、ありゃ、時間論だな。だって、仏法の三宝印「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」って、これすべて「時間論」だもんなあ。と、すると、そうかあ。この「喪失感」てのは、「空」の感覚か。「結べば庵、解けば野原」。まあ、そんなふうにふわふわと浮遊しているのも慣れればワリとイイものかも知れない。そう思っておくか。

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