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2015年9月 2日 (水)

悲しき劇作家②

まるで自分が自分を軟禁でもしているかのように、one-room のマンションに閉じこもって仕事から生活から、なんやらかんやらやっていると、ふと、自身の精神の危機を自覚する(それに気付く)ことがある。ちょいと贅沢して、one-room といえど12帖、systemkitchen、バス、トイレ別のところにいて、(も一つオマケはclosetが広い)バブル期の建築物だろう。鉄筋ではなくて、鉄骨だ。かなりしっかりした結構というべきだろう。ドアもベニヤのようなやわではなくて、マホガニーだ。これで、共益費、保証人代行費コミで¥53000/月、最寄りの地下鉄まで歩いて10分、名古屋駅前行きのバス停まで2分。地勢学的には、なんて大袈裟にいわずに住環境としてはあまり文句のつけどころはナイ。ただし、都会の一人住まいだ。隣人を愛そうにも、隣人が何者なのか、表札すら出ていないのでワカラナイ。(ちなみに、オレんところだけです、表札出してんのは。宅配さんや郵便屋さんが困らないように、北村想の名義でも出してるから)。かつてフォーク・シンガー泉谷しげるさんが歌った。η多くのことを知るよりも、隣のことが知りたい~。まったくそのとおり。で、全景が見渡せるところにて、バルコニーの洗濯物を観察しながら、住人のことを憶測している。
で、と。そんなところにいても、時折、精神的鬱屈感覚に襲われる。治療は簡単だ。外に出ればイイ。とはいえ、蔵書80万冊を誇る「ら」書店なんぞに行くと、本の圧力というのに気押されて、息苦しくなるだけなので、近所の大型コンビニ(小さなスーパー)、要するにピアゴとサークルKの合体タイプ小売り店、の、オープンカフェふう休憩所に出向く。最近までは蚊でタイヘンだったが、少し涼しくなってからは、広い芝生があるので、赤蜻蛉の群れが観られるようになった。ここで、いま流行りの炒れたて120円コーヒーを飲みつつ風に拭かれて座っていると、「風ってのは、〈時間〉が実体化したもんかねえ」などと、のんびり考えることも出来る。
12帖とはいえ、本棚を置くと狭くなるので、蔵書は実家に全部置いてきた。CDは持ってきたけど。書いているものの必要に応じて取り替えるという寸法。なのに、本てのは増えるんだなあ。どうしても「ウィキペディア」では間に合わない資料も必要になってくるし、コミックスは年に一回蔵ざらえするけど、いやあ、溜まる。これが貯まるならいいんだけど。ちなみに、門外不出の一つを披瀝すると、塾生には、「ウィキペディア」は、せめて作品が銭になるようになってから使えとmission する。「ウィキペディア」に罪はナイ。しかし、ビギナー、或いは自称劇作家は、事典や辞書を使ったほうがイイ。「ウィキペディア」を使うならリンク(むかしふうにいえば、ネットサーフィン)すべし。事典や辞書には、調べるモノ以外に、横っちょにいろいろと情報がある。「ほーっ、こんな言葉があるのか」「へーえ、こんなモノがいるのか」と、そこで、ちょっとだけ利口になれる。こういう些細な努力を怠ると、些細なマチガイを犯すことになる。「けんけんがくがく」といってしまったり、「とんでもございません」といってしまったり。前者は「喧々囂々」で「侃々諤々」と混じってる。ただの騒がしい状況と、議論沸騰の状況とではかなりチガウ。後者は「とんでもない」で一語の形容詞だから、二つに割ることは出来ない。
こんなことに神経質になって、六十三年、未だに現役で、筆一本(塾を除けば)でやってる劇作家は、別役実センセイと、オレくらいだろう。別役センセイは、いま体調を崩してらっしゃるので、ああ、オレもそのうち加齢とともに書けなくなるんだろうなあ、と、また鬱屈が始まる。かくして時間と空間は〈鬱屈〉だけを運んでくるのだ。

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