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2015年9月 1日 (火)

悲しき劇作家①

食えば血となり肉となる。そういう食い物はたいてい貨幣としか交換出来ぬ。貨幣は労働と交換することによってしか(これもたいていは)得られない。ところで、「肉となる」のは身体的にワカル。腹が減って、食って、満腹。栄養になったろう。体重も増加したろう。筋肉が増えた、けど脂肪も増えた。疲れがとれた。みな身体的なものだ。だから、再度働ける。すなわち食う(消費する)ことによって、私たちは私たちを「生産」していることになる。
ところで「血となる」の「血」だが、脳はどれだけ血液を使うのか。これは脳内の酸素量から計って、普通全血液の20%。全身の1/5の「血」は脳によって使われて(消費されて)いる。ということは、より脳を使う作業に従事しているものは、より多くの「血」を脳で消費していることになる。脳とてカラダの中に在る臓器と思えば、脳に筋肉や脂肪はつかないが(チガウ悪玉がついて脳梗塞になることはありますがネ)、疲労はする。デスクワークといえどピンキリで、数字の操作だけやってりゃイイもの(たとえば公共ホールの小役人の仕事はそれだけど)から、無から有を創り出す「創作」の仕事とではだいぶんに、チガウ。デスクワークでなくとも、考えながら作業しなければならない肉体労働もまた、脳の血液を多く消費する。予算内で如何にしてその芝居に適した舞台を造るか。これには頭を使う、といって頭で釘を打つワケではナイので「脳」を使う。もっと具体的にいえば「考える」。いちがいに、机に座っての労働者が精神(思考)労働をしていて、現場仕事の労働者が肉体(機械的)労働をしているという見かけだけの認識と判断は、大きな錯誤になる。貨幣取得は労働との交換が主だが(財産で食ってるとか、亡者の掠りをとっている、上前をハネている、上納金を納めさせている、布施、寄付とやらを懐に入れている、といった族は別)労働の何と交換されているのかというと、労働者の費やした時間と能力と経費を以て創り出された生産物の交換価値、との交換、と、面倒臭くいえばそうなる。ただし、昨今はパラレルに労働が出来るようになったことや、便利な道具(パソコンだってスマホだって道具だ)の発展から、労働時間の多寡はあまり問題にされない。
ところで、こと「表現」という創作活動においては、たとえば偉いセンセイが墨で、エイッとばかりに書かれた一文字(数秒)が数百万の貨幣と交換されることもあれば、小説家や劇作家が、何カ月もかけて書いた作品がボツになって(つまり交換不可)しまうことも多々ある。(やっと劇作家というコトバが出てきたぞ)
私は伊丹で劇作家養成の塾を持っているが、ここでは実利(劇作家の経済)から劇の思想まで、さまざまなレクチャーとワークがなされる。また、それは本道ではナイにせよ、数多の劇作家の罵倒もなされる。もちろん感情論ではなく、どこがどうアカンのか、論理的になされるから始末が悪い。ので、門外不出になっている。
そういうことも多少は踏まえながら(多少です。多くはこれも門外不出やからな)、劇作家の仕事が如何に「悲しい」「不幸な」労働であるかを、いつものようにハッタリと虚構を交えながら(交えるだけて嘘はナイ)、「勝ったもん勝ち」「売れたもん勝ち」の、このアベノミクスとかいうお好み焼きの世相の中に、一席(一石に非ず)を設えて(だから投じるに非ず)みようと魂胆した。こういう魂胆をアン魂胆という。アンインストールのアンだ。ともかくデトックスのように棄ててしまいたい思いの魂胆だ。

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