幕間(まくあい)の狂言
釈迦の悟りともいえる「デタラメ」を「シュレーディンガーの猫」から繙くつもりが、選択をマチガッタかと、反省しているところで(狙いは正確だったのだけど、もちっとワカリやすいのにすれば良かったという意味だ)、着地点はワカッテいるのだが、「シュレーディンガーの猫」を(というか、それにまつわるさまざまな誤謬を)解き明かしていかねばならないことになってしまったのが、ブログのしばらくのブランクの理由の一つだ。他にも、鬱病症状による弊害やら、他の仕事に追われてというのもあるにはあるのだが。ともかく、この「猫」をどうするか。やっぱりキチンとやっておこう、と、そう考えたので、釈迦からかなり迂回することになるが、ネットで展開されている「シュレーディンガーの猫」の論壇も、ひでえのになると、量子力学を信じているいるものは、狂人か「トンデモの類」てなのもあるゆえ、ともかく、今一度、自分が学習しきた量子力学について、確認をしなおす作業にはいることにした。
よって、少々、のんびりと、お待ちねがいたい。これだけは述べておくが、ニールス・ボーアの見識は正しい。むろん、釈迦の悟りの「デタラメ」も、虚構の物語としては、正鵠を射ていることにブレはナイ。
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