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2015年4月21日 (火)

And in the End⑧

古代インド人の宇宙観は「混沌(chaos)」だった。この宇宙の捉え方は、古代ギリシャの宇宙観「秩序(cosmos)」の正反対だ。(いまふうのコトバでいうなら真逆だが、これはほんとうは「まさか」と読むのが正しい)。インド人は宇宙は「混沌」でイイと思っていた。釈迦に閃いた「デタラメ」とはちょっと、いやかなりチガウ。釈迦の「デタラメ」は前述したが、繰り返すと「宇宙は混沌を常としている。しかし、静止、停止しているのではナイ。たえずゆらいで動いている。それが縁というものだ。その縁が運動の結果として、ある秩序を現象させる。それは偶然にではあるが、偶然ではナイ。いわば必然的に偶然なのだ。それはあくまで現象であるから、また消えてなくなるものだ。(これはおそらく〈空〉の思想に関連づけられる)。ほんとうは、そのように宇宙は存在する」という、「混沌(カオス)」から〈空〉へと、宇宙の姿を「デタラメから生じる秩序という現象の生滅の繰り返し」と、したのだから、やはりずいぶんチガウ。
いわゆる梵天勘請を請けて釈迦を説法行にうごかしたのは、〈利他〉だった。ここで、多くのもの(仏教学者、文献学者などの専門家、仏教者・・とくに教条仏教者などの僧職の人々から修行中の学僧まで)は錯誤してしまう。釈迦が〈利他〉それ自体を目的にして説法活動を始めたと、釈迦の説法活動、行脚を倫理的な営為としてカテゴライズしてしまうのだが、ほんとうはそうではナイ。たしかに〈利他〉という人々の行ないが、釈迦のmotivationだったことはマチガイナイのだが、また、その逆の〈自利・利己〉に対してにしても同じ思いだったことも、単に、metaとParaのチガイなのだが、それはこれからアトの釈迦の初転法輪においてよくワカルはずだ。
釈迦は、かつての仲間の五人の修行僧とカーシー国で出会った。そこはインド最古の宗教都市だったから、この出会いは至極当然だったろうと、さちや老師も述べている。この都市の郊外、鹿野苑(ろくやおん)で、釈迦の「転法輪」は幕をきって落とす。
岩本老師の文献(『仏教入門』)では、先に五人の仲間たちのほうが一緒にいて、釈迦を目にし、「あの堕落者をからかってやろう」と近寄ってきたとあるが、それはそれで、作者(岩本老師のことではナイ。のちの経典作者のことだ)が違えばどんなふうにも書ける。ただ、さすがに修行を積んだ者たちだ。釈迦の物腰、表情、そのコトバ使いには圧倒される何かを感じたようだ。もちろん、釈迦に前述した弁論術があったのかも知れない。
ここで、岩本老師の文献では釈迦はその「悟り」を披露したことになっているが、私はさちや老師の説のほう、「悟りに到る方法を伝授した」に賛意する(『律蔵』の『マハーヴャッガ』にはそう記されてあるのをさちや老師はエビデンスとしている)。
釈迦は、まず手にしたサリー(魔法使いの少女ではナイ)を五人の前に差し出した。サリーの名はサンスクリットの(śāṭī、シャーティー)に由来し、「細長い布」を意味する。インドの織機、機織り産業は古くから有名だ。ここで、五人の修行僧は首を傾げる。釈迦はそのサリーの織物については何の説明、解釈、御託も述べない。数々の仏典によると、ここで、例の「四、八、十二」が説法されたとあるが、まず、釈迦は『サンユータ・ニカーヤ』(『増一阿含経』)から話に入ったのが順序だろう。『サンユータ・ニカーヤ』には釈迦が沙門ガゥタマだったときの修行の日々のことが記されてある。で、「四、八、十二」だが、私自身は『四諦』はなるほどと思うが、「八、十二」は、それほど重視してはいない。どうも、後の経典作者がありがたそうに書いたのではないかというふうにさへ思っている。

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