釈迦の思想について③
「修行」というのは何なのだ。何のためにスルのだ。私がまだ若僧の頃、つまり仏教や宗教一般に対して、さほど興味もなかった頃、知り合った「修行中」のひとたちにもっとも訊いてみたかったのが、そのての質問だ。その頃、ナンダか山中の森深き寺で修行しているとかいう「修行中」のひとびとに対して、私が半ば反証のように抱いていたのが、ニンゲンが生きているのは、町やら村やら街やら、ともかく世間なんだから、そういう深山の寺という、隔絶された場所で得た技術だか、思念とか、方法が、この世間で如何ほどの役に立つのか、という疑念だ。
とりあえず、無作為に、修行について書かれてあるガイドラインのような文献にアタッテみて、その答えを羅列してみる。
○「修行は苦(仏教でいう苦とは思い通りにならないこと)からの解脱です」
○「解脱と悟り――。その瞬間、すべての苦は滅し、生と死の壁は破られ、あらゆる束縛から解放され魂は自由となる」
○「人と世の真実を見極めようとすることが、修行そのものである」
○「『どんなものにも波立たない落ち着いた心』と『つらいことに対する忍耐をつくること』。いつの時代でも、どこにおいてでも、人は修行といえばこの二つだけやればいいのです。もしも修行がしたければ、まあこの二つだけやってみてください、とお釈迦さまはおっしゃっているのです」
仏伝(仏教伝記文学)は「ジャータカ(日本語訳すると「本生・ほんじょう」)は釈迦入滅後、数百年を経て編纂されたものだが、要するに釈迦の過去世(かこぜ)、が記されている。文学だから、物語なので、実際の話ではナイのはアタリマエとして、ここで、釈迦はこの現世に生まれる以前に四阿僧祇功十万功の時間をかけて修行を積んだということになっている(出典・『日本人が知らないブッダの話』、アルボムッレ・スマナサーラ著、学研)。
阿僧祇(あそうぎ)とは漢字文化圏における数の単位の一つで、阿僧祇がいくつを示すかは時代や地域により異なり、また、現在でも人により解釈が分かれるのだが、日本では一般的に10の56乗を指す。和数の単位でみていくと、
一 ·十 ·百 ·千 ·万 ·億 ·兆 ·京 ·垓(秭)·穣 ·溝 ·澗 ·正 ·載 ·極 ·恒河沙 ·阿僧祇 ·那由他 ·不可思議 ·無量大数。
と、単位が並ぶ。ちなみにワカリヤスイのは恒河沙で、恒河というのは、ガンジス川のことだから「ガンジス川にある無数の砂」の数という意味だ。阿僧祇は、その上の数になる。
そこに前述した「功」がつくのだから、いちおう「無限」ではナイが、とてつもなく長い時間にはチガイナイ。それだけ修行して「どんなものにも波立たない落ち着いた心」と、「つらいことに対する忍耐をつくること」を得たのだとすると、逆ににいえば、「どんなものにも波立たない落ち着いた心」と、「つらいことに対する忍耐をつくる」には、それだけの時間がかかるということになる。ということは、論理的には、「どんなものにも波立たない落ち着いた心」と、「つらいことに対する忍耐をつくる」のは、衆生には無理だといってるのと同じだ。衆生には百年が精一杯だもんな。
「人と世の真実を見極めようとすることが、修行そのものである」のなら、私のような衆生が、いま、ここで(この一連のブログで)やっております。私の場合は「演劇の真実を見極めよう」として『恋愛的演劇論』を書いたが、三十年かかったワ。
で、いま「釈迦の思想について」をやってるのは、仏教関連の書籍を読んで、興味を持ったというからでは、けっして、ナイ(んだぞ)。理由は①のとりあえずの命題に示した。まさに阿僧祇の数ほど在る経典(と、皮肉っていうが)に書かれている(といわれる)釈迦の教義(思想)は、ほんとうにそうなのかという、この世間に生きて、世間を観て、の疑問に対峙するためだ。(そういうことをするほど、仕事がナイけど、時間は余生が数年あるからナ。ナンかやってナイと、退屈で死んでしまう。このまま、宿痾に倒れて死ぬのも癪だからナ)。
つまり、私は親鸞聖人の教義には驚いたし、一休禅師の生き方には共鳴するし、何よりも釈迦(シッダールタ、シッダッタ)のことが好きなのだ。旱(ひでり)で干からびた田畑を観て、「神を雨をふらせたまえ」と祈った、ふつうの釈迦が好きなのだ。「苦行なんかに意味ねえな」と、修行をやめた彼が好きなのだ。菩提樹の下で座し、ふとみあげた夜空に流れ星を観て、「ああ、そうか、なんだ、あれか」と悟った釈迦が。(つづく)
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