無料ブログはココログ
フォト

« 釈迦の思想について① | トップページ | 釈迦の思想について③ »

2015年3月15日 (日)

釈迦の思想について②

その前に、そも、「経典とは何のためにあるのか」という素朴な疑問を解きほぐすことからやってみよう。とはいえ、いっとくけど、私の論説は私論であって、何の普遍性も科学的実証もナイからね。けど、も、だ。打率3割くらいはあるんじゃナイかな。
経典というのは「教え」の書だ。つまり教科書だと考えてあながちハズレてはいない。では、何の教科書かというと一つには「修行のための指針」となる教科書だ(3割くらいは当たってるでしょ)。そうしてもう一つには、衆生に向けた仏教的倫理、道徳の教えだ。
ところが、キリスト教がさまざまな言語に訳されているのとはチガイ、またコーランが訳すことを禁じているのともチガイ、そも、パーリ語(最古の仏教文献は、釈迦の故郷であるマガダ地方の東部方言からパーリ語へ翻訳されたと推定されている。後に、観念的な議論を特徴とする大乗仏教が盛んになると専門性の低いとされたパーリ語は廃れ、教典の言語はサンスクリットに取って代わられることになる)原典は、仏教が中国に渡ったときに漢語に訳されるのだが、ここで、とんでもナイことが起こる。
たとえば、有名な「変成男子(へんじょうなんし)」は、女性は女性のままでは成仏(いくら修行しても仏にはなれない)てのがあるが、中国の経典の漢訳事業は2世紀後半から始まり、11世紀末までほぼ間断なく継続されたのだが、そこにおいては、簡単にいうと、
「龍の女の子が修行して、悟りを開くほんの数秒前の刹那、オチンチンが生えてきて、そしてすぐにオチンチンは引っ込んで、悟りを開く」というワケのワカランことが記されている。
なんでそんな面倒くさい工程を踏む必要があるかというと、中国の思想や 儒教に基づく男尊女卑を混ぜこぜにしてしまったからだ。この辺りはけっこう考慮に値するところだ。何故なら、日本の仏教の初めは、この中国仏教のお持ち帰りだからだ。
次に、では、「修行」というのは、何のためにするのかということも疑問符の中に入れることにする。このさい、その方法については必要以上問わない。演劇の身体訓練も各流派によってさまざまだからだ。
釈迦は仏陀となるのに、六十功年余の修行をしてからこの世に生まれたということになっている。もちろん、そんなことを釈迦自身が語ったことはナイ。一功年という単位は現在時間では計りようがナイ。これも中国の考え(寓話、例え話に近い)になるが一功年とは、一里四方(中国の一里は五百m・・現在、かつては百mだった)の方形の石があり、そこに天女が百年に一度舞い降りて来て、羽衣で石を撫でる。そうして、その石が擦り切れて無くなるまでの時間をいう。
そんな時間、いったい何処でどんな修行をしていたのかは、浅学の私には与り知らぬことだ。ただ、六十余功年といえども、これを光速と同等の速度で行なったのなら、時間としては0ということになる(光は時間を持たない。秒速30万㎞・・地球七周り半・・というのは、静止している者が観測した場合のことで、光そのものの時速をいうのではナイ)。仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏、弥勒菩薩は仏陀の次仏なることが約束された菩薩(修行者)だが、ゴータマ・シッダールタ(釈迦牟尼・釈迦・仏陀)の入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされているが、ほんならいま、何してはんのかというと、それまでは兜率天(とそつてん、そういう場所があるとされている)で修行(あるいは説法・・・誰にかは私は知らん)しているといわれる。
とはいえ、56億7千万年後となると、もう太陽系は消滅している。これは、どう算術されたのかとうと、弥勒の兜卒天での寿命が4000年、兜卒天の1日は地上の400年に匹敵するという説(あくまで説だから、何処の誰がいったのかは不明)から、下生(げしょう。神仏がこの世に現れること。いわゆる降臨ですわ)までに4000×400×12×30=5億7600万年かかるという計算に由来する。これが、後代になってどういうワケか5億7600万年が56億7000万年に入れ替わったらしい。この辺りの経緯も無学の私は与り知らぬ。(というか、そういうことには興味はナイ)
要するに「遠い遠い未来」と思っておけばイイのだろう。では、何故、弥勒菩薩による救済がそんなに遠いのか、どうして「今でしょっ」ではナイのか、それは、弥勒菩薩の都合と事情としかいい得ない。(だって、イエス・キリストにしても、「私はすぐに来る」と聖書の中でいうてんのやからな)。どうも私たちニンゲン(衆生)とは時間感覚が(というか時間概念が)チガウので、なんともいえない。
ところで、菩薩というのは未だ修行者だという呼称だが、遠い未来の下生の姿を先取りして弥勒如来、弥勒仏と呼ばれることもある。浄土宗系の『無量寿経』(『観無量寿経』ともいう。日本の浄土教の根本聖典の一つで、法然により『仏説無量寿経』(康僧鎧訳)、『仏説阿弥陀経』(鳩摩羅什訳)とともに「浄土三部経」と称されている)には、阿弥陀仏の本願を後世の苦悩の衆生に説き聞かせるようにと、釈迦牟尼仏から弥勒菩薩に付属(仏教語でいう、師が弟子に教えを授け、さらに後世に伝えるよう託すること)されている。この辺りについては、後述出来ると思う(思ってるだけだから、もちろんアテにしなくてイイ)。
この弥勒菩薩、仏典に登場するのはかなり早く、すでに『阿含経』(原始仏教の経典群に入る)に記述がみえる。この経典には、釈迦の言葉と呼ばれているものの中で、かの有名な「毒矢の例え」や、臨終(涅槃)のコトバ「自灯明・法灯明」などが収められている。これも後述出来る予定だ(あくまで予定だからネ)。
ただし、漢訳『阿含経』は一般に意訳も多く、明らかに原語にない言葉が挿入されている場合もあるらしい。このため、漢訳『阿含経』の信頼性はより低いものという説もある。この辺が、中国で訳されたことを考慮すべしと述べた所以だが、パーリ語文献が絶対とも言えない、という説もあるんだから、私たち衆生としては、右往左往するよりも、オカシイな、ヘンだなと、疑問を持ったところを追求していけば、それでイイと考える。(長くなったが、つづく)

« 釈迦の思想について① | トップページ | 釈迦の思想について③ »

仏教・宗教」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 釈迦の思想について②:

« 釈迦の思想について① | トップページ | 釈迦の思想について③ »