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2015年3月 8日 (日)

釈迦の思想について①

仏教(つまり、仏の教え)というのではなく、釈迦、そのひとの思想を考えてみる。
のっけからだが、結論めいた命題をひとつ。
「釈迦は観念(の動き)を合理的に捉えている。観念と世界(世界観)、物、との一致。釈迦の思想はここに尽きる。従って、そうでない経典(経)は偽物(偽経、儀典)とカテゴライズしてイイ」
キリスト教には、聖書(Bible,The book)しか教典(聖典)はナイが、仏教には、教典(いわゆるお経ヨ)が、ものすご~く多い。「経」とは梵語の[スートラ]の漢訳で、元来は「糸」を示す。どうして「糸」なのかというと、「糸のように簡潔明瞭、必要最低限のコトバ」が、本来の意味するところだからだ。つまり、ほんとうはワカリヤスイはずなのだ。
ここで、おおまかな分類を素人ながらしておくと、
○律蔵-僧伽(僧団)規則・道徳・生活様相などをまとめたもの
○経蔵-釈迦の説いたとされる教えをまとめたもの
○論蔵-上記の注釈、解釈などを集めたもの
という「三蔵」からなる。(『西遊記』の三蔵法師の名はこからきている)。それらは殆ど、「我は、釈迦から、こう聞いた」(これが如是我聞で、太宰治が最晩年に書いたあれのタイトルはここからとられている)つまり「経」は「釈迦の口説」なのだ。釈迦自身が書き残したものではナイ。(これは当時の筆記具の事情に因る)。
もっとも、『9マイルは遠すぎる』や『○曜日ラビは・・・』シリーズで有名なミステリ作家、ハリィー・ケメルマン(このひとはユダヤ教です)は、キリスト教の聖書は、イエスの辻説法の寄せ集めだから、福音書に矛盾が多いのはそのためだ、てなことをいいつつキリスト教(聖書)批判をしているのだが、辻説法の聞き書きに如是我聞、まあ、似たようなもんですワ。
仏典は、大きく原始仏典と大乗仏典にわかれる。
原始仏典にはパーリ五部および漢訳の阿含経典群があり、その一部は釈尊の言葉を比較的忠実に伝えているといわれる。(代表的な経典としては、般若経、維摩経、涅槃経、華厳経、法華三部経、浄土三部経、金剛頂経など)。大乗仏典は西暦紀元前後以降、大乗仏教教団によってサンスクリット語で編纂されたもので、歴史上の釈尊の説ではないとする説もあり、これを抽象化された非人間的存在としてのブッダの説、すなわち仏説であるとしている。般若経典群、法華経、華厳経その他がこれに含まれる。(『ウィキペディア』は便利だな。何度も書きますが、私、ちゃんと、財団には毎月、銭を支払っている)。
確かに、べつに彼の檀家集団を批判するつもりはナイが、法華経なんかは、大パノラマだもんなあ。
日本においては、浄土真宗の開祖、親鸞著作の『教行信証』、語録の『歎異抄』のほうがお経より有名で、曹洞宗の道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』なんかは、ちと難しい。(原書ではとても読めないので、訳書で読んだ限りですけど)。難しいといえば、禅宗(臨済宗)の『無門関』も、それなりに面倒な書だ(オモシロイんだけどネ。悟りに小悟と大悟があったりして、なんでや、と思うねん)。
ついでだから、お経には、どんなことが書いてあるのか、有名なものだけだが、覗いてみよう。(つづく)

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