(幕間)捕筆
酒井大阿闍梨が、まだ帰らずに日向ぼっこをしてらっしゃったので、一緒に私も日向ぼっこをしながら、「どうも失礼なことを書いてしまいました」というと、照れ笑いされた。そこで、千日行てのはどうでした、と訊ねたら、「あんまり楽しいもんじゃないな」と笑っておられた。「健さんはどんなひとでしたか」と訊いたら、「ステキな男だったな」と仰った。私は理路がナイと動けないところがあるのだが、大阿闍梨には、それがナイ。実にいいひとだなと思った。
「いまの世の中はどうですか」と気楽に訊ねたら、「嘘つきが多いな。政界や宗教界に、多いな」と、残念そうな顔をされた。何か、私にもコトバを下さいよとせがんだら、
「修行即是仏」と仰った。「修行とは」と不埒に質したら、「発心即菩薩」と仰って、消えるでもなく、在るでもなくなられた。
« (幕間)「人生の80%は錯覚である」 | トップページ | 百億の日常と千億の無常・・「釈迦の思想について」(改題) »
「仏教・宗教」カテゴリの記事
- アト千と一夜の晩飯 第四十夜 信仰について (2023.01.05)
- Sophism sonnet・69,8-12(2022.02.07)
- Sophism sonnet・69,7-5(2022.01.19)
- 港町memory 73(2020.01.06)
- 港町memory 72 (2020.01.05)
« (幕間)「人生の80%は錯覚である」 | トップページ | 百億の日常と千億の無常・・「釈迦の思想について」(改題) »