『うちやまつり』とはなにか④
死人に梔子の花。だから、なんだけど、『うちやまつり』受賞パーティーの日、私は作者(深津)に「教えろよ」と、訊いたのだ。タイトルの由来だ。「絶対、内緒ですよ」だったが、死人に梔子の花。そときの会話はおおよそ次のようなものだったと記憶している。
「ある地方ということにしておきましょう。ボク自身特定出来ないんです」
「その地方の方言、隠語、あるいは祭事か、ナンかか」
「いや、ええ、そのとおりです」
「あんまり、いいコトバじゃナイんやな」
「そうです。もう死語に近いらしいですから」
「それを偶然、知った、と」
「そうですね」
「女から聞いたな」
「はい、女性から聞きました」
「疑問符だったでしょ。たとえば、[うちや?]てなふうな」
「そんなふうでしたね」
「ラストシーンの佐藤さんの奥さんのせりふ、あれ、近いね」
/佐藤妻 寂しくなんかないのよ。それが人間やから、とか、そんなんやなくて、私達は何なの。一人、とかじゃなくてね。鈴木さん・・・私は何?/
つまり「うちって(うちらって)何なんや」みたいなことか。「そんなふうにところです。ちょっとシチュエーションとか、意味を変えてますけど。まあ、発想としては、そうですね」
とはいえ、深津篤史の『うちやまつり』は単なる自分さがしの物語ではナイ。その位相のコトバでいうなら「自分殺し」ということともいえる。
「とはなにか」という問いに対しては、評論家ではなく、同じ劇作家として自らの作劇で答え(もしくは、応え)るべきものだナ。そうすっか。と、威勢よく締めくくっておこうっと。
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