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2014年12月21日 (日)

演劇の賞味期限・『非常怪談』を観て

2014/12/20劇団ジャブジャブサーキット公演、於・三重県文化会館小ホール、18:00。
16年ぶりの再演だと、パンフにある。初演は名古屋の共同スタジオで観ている。この劇団を初体験したのは1995年の『まんどらごら異聞』で、評論家の安住女史の「観てみて頂戴」で、観て、観劇後、作・演出のはせひろいち氏をつかまえて、なんだかいろいろと(初めて会ったにしては)褒めまくった記憶がある。『非常怪談』は『高野の七福神』(2001)とよくマチガエテしまうのだが、どっちもqualityの高い内容だった記憶がある。(私の好みとしては『高野の七福神』のほうが好きだったように記憶している)。
作者のはせさんは、ほんらいなら、とっくに岸田でも何でも、大きな賞を受賞していても不思議ではナイのだが、如何せん、この劇団の芝居は戯曲の段階では「読む劇」としては凝りすぎのきらいがあって、はせさんのペンタッチが(ドラマツルグが)伝わりにくい。演じられる舞台は、エンターティンメントの優れものなんだけど。
で、今回の再演。
この芝居を初めて観るひとのうち、よく芝居をご覧になる観客においては、さほどのインパクトはなかったはずだ。それは、作者、演出、役者のせいではナイ。16年という歳月は、この手の芝居を量産したから、そのうちの一つ程度にしか観られなかったと思う。これがpioneerなんだけど、優れた作品だから、そういうふうに演劇情況(業界)に影響を与えても仕方ない。
たとえば、具体的に一ついうと、恋沼友美(岡本理沙)が、高尾達郎(はしぐち しん)にお茶と灰皿を出すシーン。ふつうの演劇(新劇とか)ならば、役者は客席に背を向けない。お茶も灰皿も、テーブルの向こう側からテーブルに置く。16年前は、この位相は斬新だった。それは、映画でいうと堤幸彦さんの映像カット、トリミングに似ていて、ほんらいはタブーだった撮り方を用いることによるみごとな効果だ。しかし、いまどきは、こっちがアタリマエになってしまった。
もう一類の、あまり芝居を観ることはナイ観客にとっては、ふつうにオモシロイ作品だったと思う。ふつうにというのは、他のものと比較することが出来ないからだ。
しかし、ふつうなのだ。初演ではふつうでなかったものが、ふつうなのだ。この二つの発見は意外にタイセツなことかも知れない。
こと、演劇というものにおいては、「過去の作品が現在、どれだけ通用するだろうか」というバクチは打たないほうがイイと、それは私の方針であり、戦略であり、信条だ。シェイクスピアやチェーホフの戯曲が歳月を経ても通用しているのは、解釈や演出や役者がその時々において変えられているからだ。さらに、死人に口なしで、どう翻訳しようと、サンプリングしようと、著作権料が要らない。(どうやったって他人の褌、であるのに、ありがたがって、日本の猿たちがやるんだ。とはいえ、華のん企画の山崎清介さんがやってる『子供のためのシェイクスピア』は例外だけどな。軽やかで楽しい。たぶん、リアルタイムのシェイクスピアの舞台ってのは、ほんとうは、そんなふうに庶民に愛されたんだろう) 
さて、私は残念ながらフラット(flatを副詞的に使うとして)な観客ではナイので、それに招待扱いで無料で観せてもらったに、いいたいことだけいって恐縮なのだが、(全てを観ているワケではナイが)ここんところのはせさんの作品を観ると、シェイクスピアの『シンベリン』を観ているような気がする。「自己模倣」的な作品というんだろうか。
オリジナルにこだわるのも悪くはナイと思うが、『亡者からの手紙』(2006/愛知県芸術劇場演劇フェスティバル参加、原作:日陰丈吉)のような優れた作品もあるのだから、先達の遺産を盗掘して、それを素材に料理するってのを観てみたいというのが、これはフラットな観客として、はせファンとしての希望だ。

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