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2014年11月 3日 (月)

観客そのアンビバレント

大阪に仕事場を移したので、というのが理由のすべてではナイのだが、観劇の回数が増ええてきた。(とはいえ、ほんの年に数回程度)。こちらの知己や、元塾生の舞台などを観るからだ。東京からもお誘いは幾つもあるが、交通費だけで3万円では、19ヶ月の経済余命の私としては、命をそのぶん削るワケで躊躇、断念せざるを得ない。「銭の切れ目が命の切れ目」なのだが、経済余命19ヶ月を二ヶ月維持しているのは、仕事がナイとはいえ、不労所得(著作権使用料・印税)も塵山で、バカにならないということだ。
観劇回数増加の要因のひとつに、嫁の仕事が舞台の裏方(その労働環境の劣悪さは、私が十代の頃、同様の仕事をしていたときと殆ど変わらない。名古屋で舞台監督で食ってるのは1~2名。タレントで食ってるのは一人。タレントのギャラがこれまた、私が十代の頃から殆ど上がっていない。ベテラン・・年はとったというだけですが・・が、ギャラの安い仕事をするので、若手はそれ以上のギャラを要求出来ないというワケだ。私は自身のホン代を下げないので・・そんなことをすれば、若手や中堅も、それ以上銭を要求出来なくなる・・けっきょく、私は高いということになり、仕事は来ない。だから仕事先は東京が殆どということになる)だというのも挙げられる。
劇団太陽族は、『それからの遠い国』で、本日北九州で大楽を向かえるが、観客はまばらだそうだ。その代わり、大ホールで上演中の『ジュリアス・シーザー』は大入り満員で、蜷川演出に『花子とアン』の石炭王を演じた俳優が出演では、仕方がない。たぶん、観客の幾分かは(ほんとうは多くはと書きたいが、それでは失礼なので)、シェイクスピアなんかには興味はなく、シーザーがユリウス・カエサル(古典ラテン語で Gaius Iulius Cæsarだが、英語読みをすればジュリアス・シーザーになる)ともいわれ、「賽は投げられた」(alea iacta est)、「来た、見た、勝った」(veni, vidi, vici) 、「ブルータス、お前もか (et tu, Brute?)」という名文句を残した(ほんとかどうかはワカラナイ)、ということにも興味はナイ。(ウィキペディアからの参照だが、私ゃウィキペディアには月々銭を払って活用してます)。
「世界の蜷川」と蜷川センセイが称されているのは日本でだけで、実際、外国の演劇業界で蜷川の名前を知っているひとは、そんなにいない。それよりも、韓国の小劇場演劇界で平田オリザの名前を知らないひとはいないということのほうが重要だ。(不肖、私のホンも韓国語に何曲か訳され上演されている。・・ロシアでは出版されている作品もあるのだが、印税が千円だということなので、丁重に頂戴しなかった。もちろん、英訳もされている、と威張っておく)
太陽族の公演の観客は「まばら」だけれども、だからといって、舞台のクオリティは落ちていないということは舞台監督の嫁から報されている。共催の買い取りだから、銭の心配はあまりナイのだが(あまりナイ、というのは、買い取り額はけして高くはナイだろうという憶測からだ。まあ、石炭王の俳優のギャラのほうが高いでしょうナ)。私も劇団時代、舞台に出演している役者の数のほうが、観客より多いということがあったが、その時、観客と対峙した熱き和気あいあいとした気分は、いまも胸に残っている。けして『ジュリアス・シーザー』の観客を貶めているワケではナイのだ。私たちは観客というものに、たいていいつもアンビバレントな関係を強いられているのはたしかなことだ。「観客よ汝を愛し、汝を憎む」というワケだ。「まばら」な観客を粗末にしない劇団はステキだ。ここでいいたいのはこのことだと思ってもらいたい。

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