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2014年10月 8日 (水)

命日

今日、10/08、クラモチくんの命日。倉持和弘、享年六十二歳。
やっと、ここに追いついた。ここまで生き果(おお)せること、が、最高綱領だった日々は終わった。どんなにキツイ鬱病期も、希死念慮に耐え、自殺念慮に抗い、この日まで生き抜くこと、それが、固有の課題だった。どのみち他人事なので、他者からみれば、どうでもイイことだが、私にとっては一つの意地だった。
従って、もうイイのだ。
これから死のうが生きようが、もうイイのだ。極論すれば「もう死んでイイのだ」。
ところで、世間はなかなかそんなに甘くなく、簡単に「では、サヨウナラ」といわせてはもらえない。やりたい仕事、やらねばならない仕事は、なんとかやり遂げたので、仕事に対して「未練」というものはナイが、依頼されて(先方の都合上)、残されてある仕事が幾つかあったり、結果の出ない仕事があったり、いうなればこれは「時間の問題」にしか過ぎないのだが、これらがすべてカタづいて仕舞うまでは生き残ってなければならない。
私財(経済的)余命19ヶ月。
これだけの期間は働かなくても食ってはいけるのだが、仕事しか生きる方法を他に知らない私にとっては、仕事のナイ日々は「魔の退屈」で「死にそうだ」。とはいえ、仕事が舞い込んでも、もう「やる気」というのがナイというのがほんとうのところで、雑記、エッセーの類くらいなら、暇つぶしというのになるのだが、大きな書き仕事はもう厭いた。と、いうか、「暖簾に腕押し」という徒労感しか、多かれ少なかれ「鬱病」という宿痾の器の中に在る私にとっては報酬がナイ。
てなことをいいながら、「仕事してえな」「仕事ナイかな」という、渇望は去ることがナイ。酒びたりの日々てのが願望だが、アル中になれるほどアルコールに強くナイので、寝酒を飲むのが精一杯。それでも若い頃から毎夜飲み続けたおかげで、医者から「脂肪肝ですから、うまく付き合っていくように」と休肝日を勧められても、若い身空ならいざ知らず、この年齢になって、この先何も目的などナイ私には、聞く耳がナイ。

と、そんなところなんだよ、クラモチくん。
あの厖大な数の書籍を売り払い、癌の闘病から死まで、生涯の後半を一生活者、家庭人にならんと努めた貴君が羨ましくもあり、また、哀しくもあり、とてもヤクザな渡世の私にはマネ出来ないことでもある。
出来れば、生活に埋没してしまいたいが、如何せん、その生活というものが私は苦手ときているので、なるたけ迷惑をかけぬように、重い病気だけはせぬように生きてはいこうと願っているが、先のことなど何もワカラナイし、みとおしもなく、Que sera sera.
さて、朝飯をつくって、今日も今日を始める。

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