杖と自転車の町
仕事場を嫁の住居、大阪市東淀川区に移転して、必要なものだけ持ち込んで、とりあえずそこで生活はしている。老齢年金を前倒ししたが、この低額なマンション(という名称の住居)の家賃に相当するだけで、40年支払い続けた年金というものが、その程度の見返りしかナイのかと思うと、そりゃあ、年金なんて払うより、二十歳になったら、なんらかの金融機関で、上手く銭を転がして還暦後の食い扶持に充てるほうが利口に決まっている気がして、とても、いまの若いひとに年金を払うことなど薦める気はしない。母親の場合は月額で15万円で、ここから介護保険やらなんやら差し引かれるのだが、持ち家で、かつ固定資産税など知れたものなので、共同体での義理(冠婚葬祭et cetera)はけっこう負担になる支出だが、相互扶助をその銭で買ってると思えば、それなりの交換価値はアルというものだ。(とはいえ、そういう共同体は、母の代で終わりだろうけど)。 大阪での暮らしとはいえど、この下町はまさにdowntownで、例えれば「杖と自転車」、つまり老人と自転車が溢れている。商店街を歩けば、右を向いても左を観ても、「鍼灸院」に「接骨院」「整体」「マッサージ」関係の店が途切れることはなく、パチンコ屋が五店はあり、ともかく自転車自転車自転車。危ねえったらありゃしない。ナニガというと、おっとと老人にでもぶつかったひには賠償責任で、これは自動車と同じ、いつ1億円近くを裁判所から支払い命令を受ける羽目になるやも知れないので、ともかく自転車保険(盗難保険ではナイ)には入った。タイプは夫婦型で、年間5940円。つまり、月額になおせば一人250円で、賠償事故の補償が1億円までだから、入っていて、けして損はナイ。こっちが怪我や入院をすることよりも(それは400万円と安いのだが)、実際に小学生が六十歳の女性とぶつかって、運悪く倒れた拍子に脳挫傷。裁判所から9700万円の支払い命令を受けた事例があるのだから、人生がぶっ飛んでしまう。 台湾にちょっと仕事で大学に呼ばれて行ったときは、町中をまるでゴキブリのようにスクーターが走っていた。バイクはもう日本では売れないらしく、その代わりに海外で売り上げが伸びているのだそうだ。 この町は、ほんとうに杖と自転車だ。家屋の格差は大きく、文字通り敷居の低い入り口の家屋が甍を並並べているかと思えば、スラムとしか思えないアパート。かと思えば、近代的な新築の家屋に、お屋敷のような家まである。独居老人はウロウロしたり、公園にぼんやりしたり、どこの誰だかワカラヌどうしで、病気自慢をしているし、(悪)賢い方は生活保護を受けているのだが、結婚しないで、世帯を別にして、つまり二重に受給していらっしゃって、外車に乗ってらっしゃる。最近は鬱病が増えてきたので、あちこちに神経科や心療内科の医院が雨後の竹の子、こないだまで内科だったところも、そういうふうに看板に書き足しているので、そこはそれ、詐病でもって何軒かの医院を回って、向精神薬をたんまり貰って、それを西成に流して売って稼いでらっしゃる方もある。 こういう[場]は、私のようなものにとっては、生き易い。アーケードの中にはテキ屋も露店を出してるくらいだから、これで、賭場でもあれば、若い時に暮らしていた大須観音界隈と変わらない。肉は肉屋で買い(やっぱり味がまったくチガウ)。魚は魚屋で(これまた鮮度と種類と値段がチガウ・・・安いんだ)、豆腐は豆腐屋で買って(毎日豆乳飲んでます、そこで。コップ一杯70円)、これで、仕事があればいうことナシなんだけど、私や嫁のような舞台関係のものには、仕事は少なく、嫁なんかは労働基準法もへったくれもなく、低賃金に長時間労働だ。それでも、何の罪もナイのに、いきなり火山灰に埋もれて死ぬよりゃマシ(ナンマンダブツ)。戦争で難民になるよりゃマシよ。だから、「国境なき医師団」にはおかしな宗教に寄進したり、けったいな高価なお守りを買うよりもイイと思って貧者の一灯だけは続けている。
« オールナイトニッポンGOLD | トップページ | サンデー モーニング »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- nostalgic narrative 33(2024.09.20)
- nostalgic narrative 27(2024.06.19)
- nostalgic narrative 26 (2024.06.09)
- nostalgic narrative 21(2024.05.12)
- nostalgic narrative 18(2024.04.11)