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2014年10月14日 (火)

イスラム国建国史

北アメリカ大陸に最初に住んだ人々はアジア系のモンゴロイドである。彼ら先住民は氷河期であったおよそ3万年前から1万年前にかけて、凍結したベーリング海などを渡ってシベリアからアラスカを経由して広大な南北アメリカ大陸各地に分散していった。こうした人々インディアンは母系社会による独自の文化を育んだが、統一したアイデンティティは発生せず、部族国家を形成する形で分散した。
なお10世紀末頃ノルマン人の航海士レイフ・エリクソン率いる船団が北米へ達しアメリカ大陸を「発見」した。現在では、カナダのニューファンドランド島で彼らの定住地跡であるランス・オ・メドーが発見され世界遺産に登録されるなど、彼らの存在は認知されることとなったが、当時彼らが新大陸に達したという情報はヨーロッパ諸国ではあまり知られておらず、そのまま領有もしなかったためアメリカ大陸の「白人初の発見者」とはされず、クリストファー・コロンブスほどの正当な評価を受けていないのが現状である。
近世まで北米には中南米に匹敵する先住民族文明が存在しないとされていたが、近年発掘が進み、8世紀から16世紀頃まで続いたとされるミシシッピ文化の存在が、マウンド(土塁)群と呼ばれる墳墓遺跡によって確認された。そのうちもっとも大規模なものはイリノイ州セントルイス郊外のカホキアと呼ばれる大遺跡で、最盛期で1万人に達したとされている。この超巨大遺跡は、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録された。
いわゆる「大航海時代」、イタリア人クリストファー・コロンブスはスペイン女王の承諾を受け、大西洋周りによるアジア発見を志したが、1492年に西インド諸島に到達した。これに引き続き、英国人ジョン・カボットが北米大陸の東海岸を探検し英国がこれを領有(ニューイングランド植民地)、フランス人ジャック・カルティエがセントローレンス川を遡ってこれをフランスが領有化(カナダ植民地)するなど、西欧人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、[先住民族に対する領土略奪と虐殺]がはじまった。コロンブスの上陸を記念する「コロンブス・デー」は、先住民族虐殺の象徴日として毎年、全米で先住民族たちが抗議行動を決行する日でもある。
宗教的には、当初の移民はカトリックであったが、16世紀に欧州でプロテスタント出現と宗教改革、続いて宗教戦争が起こると、ピューリタン(清教徒)による1620のメイフラワー号移民をきっかけとして、新天地を求めたプロテスタントが相次いで入植した。彼らは先発のカトリックや[先住民族と敵対しながら勢力を伸ばし]、1620年の移民は現在でもアメリカのプロテスタントの間で偉業として称えられている。しかし、[先住民族たちからは民族虐殺の始まりとして「ピルグリム・ファーザーズの感謝祭」には、大規模な抗議が行われている]。
西欧人は植民地で砂糖、コーヒー、綿花、タバコなどの農作物を農園で作り出したが、労働者の不足に悩まされた。西欧人は[先住民族を奴隷化し、またこれと同じ時期にアフリカ大陸の大西洋沿岸にも進出し、現地のアフリカ諸部族の黒人有力者から黒人を買い取り、南北アメリカ大陸を相手に奴隷貿易を始めた]。それと交換に進んだ火器や、当時進出していたインド産の木綿をアフリカ諸国の黒人有力者に売った。ただ、誤解が多くあるが、植民地時代の奴隷需要はカリブ海地域および中南米が圧倒的であり、北米への奴隷輸出は多くない。18世紀はもっぱらサウスカロライナ州を中心に、先住民族奴隷の売買が盛んであった。奴隷制度によって維持されるアメリカ南部の広大なプランテーション農業が盛んになったのは、19世紀に入ってからである。
17世紀から18世紀にかけて、英仏がヨーロッパにおいて戦争をするたびに、英国からの植民団が建設したニューイングランド植民地と、フランスからの植民団が建設したカナダとが対立し、植民地でも戦争が起こった。この一連の北米植民地戦争は1700年のスペイン継承戦争によって端を発し、英国が勝利する1763年まで続き、この戦争中に英国は次々とフランス・スペインの植民地を獲得、また南部に広がるスペイン植民地への奴隷専売権を得た。こうして英国は北米大陸の大西洋沿岸をほぼ全て手中に収め、イギリス海上帝国、つまり大英帝国の礎を築き上げた。[先住民族たちは英仏どちらにつくかを選択させられ、代理戦争を引き受けさせられた。そしてどちらが勝っても彼らの領土は没収され、部族は散り散りにさせられた]。
北米東海岸を一手に握った英国は、[先住民族を駆逐して領土を拡大した]。この段階で13州の植民地を建設し、州によっては白人の人口が先住民族を上回る地域が生まれた。
ジェファーソンは1778年にデラウェア州でデラウェア族と「インディアン条約」を初めて結び、以後、[合衆国はインディアンから武力を背景に領土を購入し、彼らを保留地へ追いやるという政策を推し進めていく]。インディアン(先住民族)には土地を売り買いする文化は無かったので、これが理解されたとは言い難く、数々の「インディアン戦争」に結びついた。[そして必ずその結果はインディアン(先住民族)の領土のさらなる縮小となった]。
これが、(20××年現在)『イスラム国』と称される建国の歴史だ。
以上『Wikipedia』から殆ど丸写ししてみた。

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