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2014年10月12日 (日)

鬱分(憤)を晴らす

鬱病(その疾病名称を「両極性障害」といおうがですな)、この宿痾に関しては、それが「再発」するという概念(或いは認識)は、ナイと思ったほうがイイ。その点に関しては、35年前に私を診察した精神科医の「あなたの病気は治るということはありません。良くなったり悪くなったりするだけです。何故ならこの病気は、あなたの25年の人生がつくった病気だからです」という診断が最も正しい。 数年前に独り暮らしを始めた頃から、「再発」というワケではなく、「鬱」は分刻みで出現するようになった。もちろん、日常的にずっとそういうふうではナイが、出るときは、まさに分刻みで出る。ゆんべは、『DOWMA』がマチネだったので、と、小堀くんや林が観劇したので、そのアトの飲み会に出席したのだが、こいつが出て、やたらと普段は飲まないビールを飲み、それでも、苦虫を噛みつぶしたような顔しか出来なくて、隣に座った林を無意味に緊張させてしまった。すまんな、林。

帰ってから、嫁と囲碁の続きを打ち、芝居のことは払拭ということで、だったが、そのアト、懸案のラストシーンに対する嫁の観客としての不満に対して応えることで、ほぼ1時間を費やした。で、まあ、嫁観客、納得には至ったのだが、そんでもって、もう一局打つか、と提案すると、嫁はもう、脳髄に余裕がナイとのことで、逆にさらにまだ囲碁が打てる私の脳髄の稼働力というか、思考の分散のバランスに呆れられた。芝居は芝居、囲碁は囲碁という脳髄のカテゴライズが出来るのには、嫁は未だ経験学資が不足しているんだろう。

嫁は私の勧めで『ドグラ・マグラ』は読了している。たいへん面白かったようだ。従って「母性」というものに「狂気」ならぬ「侠気」を持たせた終わらせ方(これは劇作家の、くるみざわしんの指摘だけれど)は、本歌とはだいぶチガウので、不満が出るのも無理からぬ。嫁はそのアト『黒死館・・・』に挑んだけど、こいつは嫁の趣味には遠く、じゃあってんで『虚無への供物』ということにして、こいつはベスト・ワンになったようだ。(アタリマエといえばアタリマエなのだけれど)。とはいえ、『DOWMA』のような戯曲を書いてしまう私のリテラシーには、撃沈されたようで、私の脳髄にちょっとcomplexを持ったようだが、如何せん、嫁はまだ33歳手前だ。33歳といえば、私がまだ二度目の人生を始めていない年齢だ。この頃、私は年間10曲近い戯曲を書いている。なんだか旺盛な創作意欲のように思われるだろうが、家庭というものから逃げるのには、それしか方法がなかったからに過ぎない。

さて、鬱分(憤)だ。ブログ程度のものならいけるのだが、「書きもの」に手をつける意欲、気力がナイ。といって、何も出来ないということではナイので(料理や洗濯をする気にはなる)、鬱病に陥ってはいないのだが、まあ、border lineというところか。今度本格的に鬱病に入ったら、ちょっと自信がナイ。クラモチくんの享年呪縛から解放されたのが、逆に、もういいや、になるかも知れない。そこで、一応「来年の夏も城崎温泉の蛍を観に行きましょう」と、嫁に約束の布石は打っておいた。

ごまくん(ごまのはえ)が、仕事がナイからってんで、小説を書いて小堀くんに預けたそうで、これはケッコウ面白いらしい。へーえ、ごまくんも仕事がナイのか(といって妻君に稼ぎがあるから食う心配はナイのだが)、と、劇作家(も、小説家)も銭になる仕事のナイご時世を憂う。しょうがねえな。さて、昼飯の食材でも買いにいこうっと。

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