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2014年10月

2014年10月29日 (水)

杖と自転車の町

仕事場を嫁の住居、大阪市東淀川区に移転して、必要なものだけ持ち込んで、とりあえずそこで生活はしている。老齢年金を前倒ししたが、この低額なマンション(という名称の住居)の家賃に相当するだけで、40年支払い続けた年金というものが、その程度の見返りしかナイのかと思うと、そりゃあ、年金なんて払うより、二十歳になったら、なんらかの金融機関で、上手く銭を転がして還暦後の食い扶持に充てるほうが利口に決まっている気がして、とても、いまの若いひとに年金を払うことなど薦める気はしない。母親の場合は月額で15万円で、ここから介護保険やらなんやら差し引かれるのだが、持ち家で、かつ固定資産税など知れたものなので、共同体での義理(冠婚葬祭et cetera)はけっこう負担になる支出だが、相互扶助をその銭で買ってると思えば、それなりの交換価値はアルというものだ。(とはいえ、そういう共同体は、母の代で終わりだろうけど)。 大阪での暮らしとはいえど、この下町はまさにdowntownで、例えれば「杖と自転車」、つまり老人と自転車が溢れている。商店街を歩けば、右を向いても左を観ても、「鍼灸院」に「接骨院」「整体」「マッサージ」関係の店が途切れることはなく、パチンコ屋が五店はあり、ともかく自転車自転車自転車。危ねえったらありゃしない。ナニガというと、おっとと老人にでもぶつかったひには賠償責任で、これは自動車と同じ、いつ1億円近くを裁判所から支払い命令を受ける羽目になるやも知れないので、ともかく自転車保険(盗難保険ではナイ)には入った。タイプは夫婦型で、年間5940円。つまり、月額になおせば一人250円で、賠償事故の補償が1億円までだから、入っていて、けして損はナイ。こっちが怪我や入院をすることよりも(それは400万円と安いのだが)、実際に小学生が六十歳の女性とぶつかって、運悪く倒れた拍子に脳挫傷。裁判所から9700万円の支払い命令を受けた事例があるのだから、人生がぶっ飛んでしまう。 台湾にちょっと仕事で大学に呼ばれて行ったときは、町中をまるでゴキブリのようにスクーターが走っていた。バイクはもう日本では売れないらしく、その代わりに海外で売り上げが伸びているのだそうだ。 この町は、ほんとうに杖と自転車だ。家屋の格差は大きく、文字通り敷居の低い入り口の家屋が甍を並並べているかと思えば、スラムとしか思えないアパート。かと思えば、近代的な新築の家屋に、お屋敷のような家まである。独居老人はウロウロしたり、公園にぼんやりしたり、どこの誰だかワカラヌどうしで、病気自慢をしているし、(悪)賢い方は生活保護を受けているのだが、結婚しないで、世帯を別にして、つまり二重に受給していらっしゃって、外車に乗ってらっしゃる。最近は鬱病が増えてきたので、あちこちに神経科や心療内科の医院が雨後の竹の子、こないだまで内科だったところも、そういうふうに看板に書き足しているので、そこはそれ、詐病でもって何軒かの医院を回って、向精神薬をたんまり貰って、それを西成に流して売って稼いでらっしゃる方もある。 こういう[場]は、私のようなものにとっては、生き易い。アーケードの中にはテキ屋も露店を出してるくらいだから、これで、賭場でもあれば、若い時に暮らしていた大須観音界隈と変わらない。肉は肉屋で買い(やっぱり味がまったくチガウ)。魚は魚屋で(これまた鮮度と種類と値段がチガウ・・・安いんだ)、豆腐は豆腐屋で買って(毎日豆乳飲んでます、そこで。コップ一杯70円)、これで、仕事があればいうことナシなんだけど、私や嫁のような舞台関係のものには、仕事は少なく、嫁なんかは労働基準法もへったくれもなく、低賃金に長時間労働だ。それでも、何の罪もナイのに、いきなり火山灰に埋もれて死ぬよりゃマシ(ナンマンダブツ)。戦争で難民になるよりゃマシよ。だから、「国境なき医師団」にはおかしな宗教に寄進したり、けったいな高価なお守りを買うよりもイイと思って貧者の一灯だけは続けている。

2014年10月24日 (金)

オールナイトニッポンGOLD

あの懐かしいテーマミュージックのラジオ番組だが、大阪に仕事場を移してから、けっこう聞いているのだ。毎晩ではナイけど。いわゆるパーソナリティを選択してるもんで。そんで、月曜日のバカリズムと水曜日の、小島慶子&ミッツ・マングローブは、前者はナンダか高校生の頃にもどったヨウナ気分で、後者は、さすがプロという感覚で好みなんだ。こないだの小島慶子&ミッツ・マングローブのゲストは松任谷正隆さんだったが、小島&ミッツの松任谷さんに対する質問の突っ込みが鋭くて、tension(正確な意味で用いている。曰く、緊張感)高かったなあ。
しっかし、何といってもゆんべの「ゆず」の代打で登場の華原朋美、朋ちゃん四十歳はエガッタなあ。私は朋ちゃんファンなんだけど、ファンというよりシンパなんだけどね。どうしてもこういうひと、好きなのよ。好きといっても、女性としてストライクゾーンに入って来るひとではナイんですがね。歌、殆ど知らねえ(いやまったく)。けど、上手いなあってことくらいはワカル。
こういうひと、というのは、安吾の『堕落論』を地で生きてきたよなひと。朋ちゃん、薬物依存やら、スキャンダル、なんやらかんやら、いろいろあって、で、再帰一回失敗して、ようよう「復活」。他には加護亜依とかね、頑張れと思うね。矢口はまだ小物やね(不倫、浮気くらいがなんやねん。「いろいろ試したけど、やっぱ、あなたのチンチンのほうが良かった」と、夫に謝ったら、そんでええねん。・・・まあ、他人事ですので私も書けますが)。
ゆんべの2時間は、「なんでも喋っちゃう」てなことで、喋りまくりでしたわ。「ペットショップでバイトして、時給700円の賃金を月末に手にした時は、これが働くということなんだと思いました」「『極妻』大好き。私も、かたせ梨乃さんみたいにオッパイ握りしめられたいと思って、ネットでいろいろオッパイを大きくする方法探したの。何回もあのシーンみながら(世良公則が撃たれて死んでいくシーン。このシーンで彼はかたせ梨乃の乳房を握りしめる。なんとこのシーン7分もある)自分でもオッパイ握った」「いいことばかりしててもダメよ。ラーメン続けて食べる日があってもイイ。ようするに、イイコトと悪いことのパランス感覚よ」「やっぱりね、健康であることが最もタイセツ」と、真っ当なのだ。
取り澄ました「人生訓」より、『堕落論』を現実に生きたもののコトバなのだ。地獄を観たものが地獄を語っても意味も価値もナイ。そこから爪を剥がして血を流しても、這い上がって来たものの、気負わない真っ当なコトバがよろしいのだ。
西条八十は『唄を忘れたカナリヤ』・・(η唄を忘れた金糸雀(かなりやは)・・も書いたが、村田英雄の『王将』や『芸者ワルツ』も作詞しているのだ。(いきなりなんやねんといわれそうだが、ワカランなりに、ふとそういう思いが去来した)
でと、笑ったなあ。朋ちゃん、いいよ「赤パンツ」で。また、代打で喋って欲しいネ。

2014年10月14日 (火)

イスラム国建国史

北アメリカ大陸に最初に住んだ人々はアジア系のモンゴロイドである。彼ら先住民は氷河期であったおよそ3万年前から1万年前にかけて、凍結したベーリング海などを渡ってシベリアからアラスカを経由して広大な南北アメリカ大陸各地に分散していった。こうした人々インディアンは母系社会による独自の文化を育んだが、統一したアイデンティティは発生せず、部族国家を形成する形で分散した。
なお10世紀末頃ノルマン人の航海士レイフ・エリクソン率いる船団が北米へ達しアメリカ大陸を「発見」した。現在では、カナダのニューファンドランド島で彼らの定住地跡であるランス・オ・メドーが発見され世界遺産に登録されるなど、彼らの存在は認知されることとなったが、当時彼らが新大陸に達したという情報はヨーロッパ諸国ではあまり知られておらず、そのまま領有もしなかったためアメリカ大陸の「白人初の発見者」とはされず、クリストファー・コロンブスほどの正当な評価を受けていないのが現状である。
近世まで北米には中南米に匹敵する先住民族文明が存在しないとされていたが、近年発掘が進み、8世紀から16世紀頃まで続いたとされるミシシッピ文化の存在が、マウンド(土塁)群と呼ばれる墳墓遺跡によって確認された。そのうちもっとも大規模なものはイリノイ州セントルイス郊外のカホキアと呼ばれる大遺跡で、最盛期で1万人に達したとされている。この超巨大遺跡は、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録された。
いわゆる「大航海時代」、イタリア人クリストファー・コロンブスはスペイン女王の承諾を受け、大西洋周りによるアジア発見を志したが、1492年に西インド諸島に到達した。これに引き続き、英国人ジョン・カボットが北米大陸の東海岸を探検し英国がこれを領有(ニューイングランド植民地)、フランス人ジャック・カルティエがセントローレンス川を遡ってこれをフランスが領有化(カナダ植民地)するなど、西欧人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、[先住民族に対する領土略奪と虐殺]がはじまった。コロンブスの上陸を記念する「コロンブス・デー」は、先住民族虐殺の象徴日として毎年、全米で先住民族たちが抗議行動を決行する日でもある。
宗教的には、当初の移民はカトリックであったが、16世紀に欧州でプロテスタント出現と宗教改革、続いて宗教戦争が起こると、ピューリタン(清教徒)による1620のメイフラワー号移民をきっかけとして、新天地を求めたプロテスタントが相次いで入植した。彼らは先発のカトリックや[先住民族と敵対しながら勢力を伸ばし]、1620年の移民は現在でもアメリカのプロテスタントの間で偉業として称えられている。しかし、[先住民族たちからは民族虐殺の始まりとして「ピルグリム・ファーザーズの感謝祭」には、大規模な抗議が行われている]。
西欧人は植民地で砂糖、コーヒー、綿花、タバコなどの農作物を農園で作り出したが、労働者の不足に悩まされた。西欧人は[先住民族を奴隷化し、またこれと同じ時期にアフリカ大陸の大西洋沿岸にも進出し、現地のアフリカ諸部族の黒人有力者から黒人を買い取り、南北アメリカ大陸を相手に奴隷貿易を始めた]。それと交換に進んだ火器や、当時進出していたインド産の木綿をアフリカ諸国の黒人有力者に売った。ただ、誤解が多くあるが、植民地時代の奴隷需要はカリブ海地域および中南米が圧倒的であり、北米への奴隷輸出は多くない。18世紀はもっぱらサウスカロライナ州を中心に、先住民族奴隷の売買が盛んであった。奴隷制度によって維持されるアメリカ南部の広大なプランテーション農業が盛んになったのは、19世紀に入ってからである。
17世紀から18世紀にかけて、英仏がヨーロッパにおいて戦争をするたびに、英国からの植民団が建設したニューイングランド植民地と、フランスからの植民団が建設したカナダとが対立し、植民地でも戦争が起こった。この一連の北米植民地戦争は1700年のスペイン継承戦争によって端を発し、英国が勝利する1763年まで続き、この戦争中に英国は次々とフランス・スペインの植民地を獲得、また南部に広がるスペイン植民地への奴隷専売権を得た。こうして英国は北米大陸の大西洋沿岸をほぼ全て手中に収め、イギリス海上帝国、つまり大英帝国の礎を築き上げた。[先住民族たちは英仏どちらにつくかを選択させられ、代理戦争を引き受けさせられた。そしてどちらが勝っても彼らの領土は没収され、部族は散り散りにさせられた]。
北米東海岸を一手に握った英国は、[先住民族を駆逐して領土を拡大した]。この段階で13州の植民地を建設し、州によっては白人の人口が先住民族を上回る地域が生まれた。
ジェファーソンは1778年にデラウェア州でデラウェア族と「インディアン条約」を初めて結び、以後、[合衆国はインディアンから武力を背景に領土を購入し、彼らを保留地へ追いやるという政策を推し進めていく]。インディアン(先住民族)には土地を売り買いする文化は無かったので、これが理解されたとは言い難く、数々の「インディアン戦争」に結びついた。[そして必ずその結果はインディアン(先住民族)の領土のさらなる縮小となった]。
これが、(20××年現在)『イスラム国』と称される建国の歴史だ。
以上『Wikipedia』から殆ど丸写ししてみた。

2014年10月12日 (日)

鬱分(憤)を晴らす

鬱病(その疾病名称を「両極性障害」といおうがですな)、この宿痾に関しては、それが「再発」するという概念(或いは認識)は、ナイと思ったほうがイイ。その点に関しては、35年前に私を診察した精神科医の「あなたの病気は治るということはありません。良くなったり悪くなったりするだけです。何故ならこの病気は、あなたの25年の人生がつくった病気だからです」という診断が最も正しい。 数年前に独り暮らしを始めた頃から、「再発」というワケではなく、「鬱」は分刻みで出現するようになった。もちろん、日常的にずっとそういうふうではナイが、出るときは、まさに分刻みで出る。ゆんべは、『DOWMA』がマチネだったので、と、小堀くんや林が観劇したので、そのアトの飲み会に出席したのだが、こいつが出て、やたらと普段は飲まないビールを飲み、それでも、苦虫を噛みつぶしたような顔しか出来なくて、隣に座った林を無意味に緊張させてしまった。すまんな、林。

帰ってから、嫁と囲碁の続きを打ち、芝居のことは払拭ということで、だったが、そのアト、懸案のラストシーンに対する嫁の観客としての不満に対して応えることで、ほぼ1時間を費やした。で、まあ、嫁観客、納得には至ったのだが、そんでもって、もう一局打つか、と提案すると、嫁はもう、脳髄に余裕がナイとのことで、逆にさらにまだ囲碁が打てる私の脳髄の稼働力というか、思考の分散のバランスに呆れられた。芝居は芝居、囲碁は囲碁という脳髄のカテゴライズが出来るのには、嫁は未だ経験学資が不足しているんだろう。

嫁は私の勧めで『ドグラ・マグラ』は読了している。たいへん面白かったようだ。従って「母性」というものに「狂気」ならぬ「侠気」を持たせた終わらせ方(これは劇作家の、くるみざわしんの指摘だけれど)は、本歌とはだいぶチガウので、不満が出るのも無理からぬ。嫁はそのアト『黒死館・・・』に挑んだけど、こいつは嫁の趣味には遠く、じゃあってんで『虚無への供物』ということにして、こいつはベスト・ワンになったようだ。(アタリマエといえばアタリマエなのだけれど)。とはいえ、『DOWMA』のような戯曲を書いてしまう私のリテラシーには、撃沈されたようで、私の脳髄にちょっとcomplexを持ったようだが、如何せん、嫁はまだ33歳手前だ。33歳といえば、私がまだ二度目の人生を始めていない年齢だ。この頃、私は年間10曲近い戯曲を書いている。なんだか旺盛な創作意欲のように思われるだろうが、家庭というものから逃げるのには、それしか方法がなかったからに過ぎない。

さて、鬱分(憤)だ。ブログ程度のものならいけるのだが、「書きもの」に手をつける意欲、気力がナイ。といって、何も出来ないということではナイので(料理や洗濯をする気にはなる)、鬱病に陥ってはいないのだが、まあ、border lineというところか。今度本格的に鬱病に入ったら、ちょっと自信がナイ。クラモチくんの享年呪縛から解放されたのが、逆に、もういいや、になるかも知れない。そこで、一応「来年の夏も城崎温泉の蛍を観に行きましょう」と、嫁に約束の布石は打っておいた。

ごまくん(ごまのはえ)が、仕事がナイからってんで、小説を書いて小堀くんに預けたそうで、これはケッコウ面白いらしい。へーえ、ごまくんも仕事がナイのか(といって妻君に稼ぎがあるから食う心配はナイのだが)、と、劇作家(も、小説家)も銭になる仕事のナイご時世を憂う。しょうがねえな。さて、昼飯の食材でも買いにいこうっと。

2014年10月10日 (金)

『ドグラ・マグラ』をドグラ・マグラで

本日から、アイホールにて、『DOWMA~二人の女優による「ドグラ・マグラ」~』公演(■原作/夢野久作『ドグラ・マグラ』■作/北村想■演出/空ノ驛舎■出演/船戸香里、津久間泉)本日は初日で、19:30分開演。
チケット売れ行き状況、200枚までもう少し。つまり、空席多し。
昨日、ゲネプロを観る。脚色はされているが(つうか、オレがやったんだけど)ちゃんと『ドグラ・マグラ』になっちょる。「なるほど、『ドグラ・マグラ』とはこういうミステリだったのか」ということが、よくワカル。というか、「つまるところ、こんだけのことね」なのだが、さらにいえば、女優二人はちゃんと『ドグラ・マグラ』をやってるんだなあ。というか、さらにいえば、この芝居は夢野久作どんの『ドグラ・マグラ』をドグラ・マグラふうに解説してくれているのだ(って、オレが書いたんだけど)から、『ドグラ・マグラ』が『DOWMA』によって、ドグラ・マグラふうにドグラ・マグラしながら、本編(本歌)を解説しつつ、『DOWMA』というヒネリの利いたミステリになっちょるということだ(オレがそういうふうに書いたんですけどネ)。
女優二人、よくもまあ、テキストを読むことから始めて、私の演劇論と格闘し、2時間近い尺の厖大なせりふを叩き込んで咀嚼し、演じたもんだと、ゲネを観終わって、つうか、ラスト・シーンで涙うるうるしてしまったどす。
書いたオレもオレだが(これは天才とかキチガイの仕事ではなく、ほんとうに煉瓦を積むような作業だった)、演じた女優も、演出も、同様の仕事をしたのだと思う。ねぎらいの(私、野菜のネギはキライですが、それとは関係なく)コトバもかけたくなるわ。
観客が200人でもイイ。(ことはナイけど、そうしみじみ・・・蜆(しじみ)は好きです・・・するわ)。
女優、さすがに疲労困憊してたな。けど、それでも、ちゃんと演じてたな。アホやなあ。アホな渡世ですわ。
ちょっと観に来たってよ。台風、来てるけど、直撃されて避難勧告出ても、アイホールにいれば安心でっせ。観ないアホうに観るアホう、同じアホなら、観に来たって。
fight!って、中島みゆきでも歌いたくなりますわ。

2014年10月 8日 (水)

命日

今日、10/08、クラモチくんの命日。倉持和弘、享年六十二歳。
やっと、ここに追いついた。ここまで生き果(おお)せること、が、最高綱領だった日々は終わった。どんなにキツイ鬱病期も、希死念慮に耐え、自殺念慮に抗い、この日まで生き抜くこと、それが、固有の課題だった。どのみち他人事なので、他者からみれば、どうでもイイことだが、私にとっては一つの意地だった。
従って、もうイイのだ。
これから死のうが生きようが、もうイイのだ。極論すれば「もう死んでイイのだ」。
ところで、世間はなかなかそんなに甘くなく、簡単に「では、サヨウナラ」といわせてはもらえない。やりたい仕事、やらねばならない仕事は、なんとかやり遂げたので、仕事に対して「未練」というものはナイが、依頼されて(先方の都合上)、残されてある仕事が幾つかあったり、結果の出ない仕事があったり、いうなればこれは「時間の問題」にしか過ぎないのだが、これらがすべてカタづいて仕舞うまでは生き残ってなければならない。
私財(経済的)余命19ヶ月。
これだけの期間は働かなくても食ってはいけるのだが、仕事しか生きる方法を他に知らない私にとっては、仕事のナイ日々は「魔の退屈」で「死にそうだ」。とはいえ、仕事が舞い込んでも、もう「やる気」というのがナイというのがほんとうのところで、雑記、エッセーの類くらいなら、暇つぶしというのになるのだが、大きな書き仕事はもう厭いた。と、いうか、「暖簾に腕押し」という徒労感しか、多かれ少なかれ「鬱病」という宿痾の器の中に在る私にとっては報酬がナイ。
てなことをいいながら、「仕事してえな」「仕事ナイかな」という、渇望は去ることがナイ。酒びたりの日々てのが願望だが、アル中になれるほどアルコールに強くナイので、寝酒を飲むのが精一杯。それでも若い頃から毎夜飲み続けたおかげで、医者から「脂肪肝ですから、うまく付き合っていくように」と休肝日を勧められても、若い身空ならいざ知らず、この年齢になって、この先何も目的などナイ私には、聞く耳がナイ。

と、そんなところなんだよ、クラモチくん。
あの厖大な数の書籍を売り払い、癌の闘病から死まで、生涯の後半を一生活者、家庭人にならんと努めた貴君が羨ましくもあり、また、哀しくもあり、とてもヤクザな渡世の私にはマネ出来ないことでもある。
出来れば、生活に埋没してしまいたいが、如何せん、その生活というものが私は苦手ときているので、なるたけ迷惑をかけぬように、重い病気だけはせぬように生きてはいこうと願っているが、先のことなど何もワカラナイし、みとおしもなく、Que sera sera.
さて、朝飯をつくって、今日も今日を始める。

2014年10月 4日 (土)

演劇は徒労か、という問いかけ

劇団coda太陽族『それからの遠い国』(岩崎正裕・作、演出)2014/10/3(金)アイホール・19:30)は『ここからは遠い国』(1996年初演・第4回OMS戯曲賞大賞を受賞)の続編にあたる。前作は周知のようにオウム事件を題材にして、それを家族の「場」にまで引き付けた、日本演劇史上に残る名作戯曲だ。
今回の作品は、単純にその後の家族を描くのではなく、さまざまな要素を取り入れて、全体に力の入った、ある意味では作者の怒りの籠もった作品になった。前作と同様、チェーホフの作品(今作は『ワーニャ伯父さん』)が要所に用いられているが、今回はシェークスピアの『テンペスト』も登場する。さまざまな世情への作者自身の接近と憤懣などの要素が錯綜しているが、私なりにひとことでいってしまえば(乱暴な批評の仕方はお許し頂くとして)、これは『ワーニャ伯父さん』対『テンペスト』だというふうに読んで(観て)しまえば、それで納得がいく。
『ワーニャ伯父さん』は、チェーホフ四大戯曲最後の作品で、テーマとなるのは、主人公ワーニャの「絶望」から「希望」への道程だ。
「われわれのあと、百年、二百年後にこの世に生まれてくる人たち、われわれはその人たちのために営々努力して道を切り開いているわけだが、その人たちは、われわれのことを少しは思い出してくれるのだろうか」
これと同じ意味合いのせりふを、元オウム信者で主人公の長南義正(森本研典)に語らせていて、それをインテリ演劇者の川上(三田村啓示)が「いまの若者の70%はいまの世界、自分を幸福だと感じている」というふうに受けて答える。つまり改革や変革など、もう遠く忘却されているというワケだ。もちろん、義正はそれに憤慨する。ここは、劇作者がもっともペンに力をこめた、いわば「肝」だ。ただし、『ワーニャ伯父さん』対『テンペスト』という主題図式はこの対立をいうのではナイ。義正自身の持つ両面性で、『テンペスト』のプロスペローは、いうまでもなく世直し宗教活動だ。この時点でも、義正は元オウムに対して kampanija の立場に在る。主人公はワーニャとして、世間に絶望する者と、プロスペローの魔法に未練(未だに秘かな期待)を持つ ambivalent に引き裂かれている。半ばそれが自暴自棄として表出されざるを得ない義正自身を描くのではなく、それを、家族の醜悪な家督相続(争続)という情況設定(situation)に並行させながらの作者の筆致は、昨今の流行だけを追いかけているような腑抜けな「戯曲」や「演劇」に対して、粉骨砕身を以て示し、渾身の姿勢をうかがわせて、sympathy すら感ずる。もちろん、その心性は作者をして、対自的に「演劇は有効か」という問題すら突き付けることになる。
ここが、この作品のややもすると破点になって現れる。作者が信じて疑わない「演劇」を作者が、この作品でゆるぎないものとしておきたいという心情は、同業者としてワカラナイでナイ。とはいえ、『ワーニャ伯父さん』のあの有名なソーニャのせりふ、「仕方ないわ。生きていかなくちゃ。長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、つらかったことを神様に申し上げましょう。そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。おじさん、泣いてるのね。でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ」は、「暗転」シーンの前に園部カオリ(佐々木淳子)によって、『スローバラード』(忌野清志郎・RCサクセションの6枚目のシングル。1976年)に全て「劇的」に「置換」されているのだから(つまり、「演劇」はすでにこちらの側に在るとみていい)、このせりふを、日向智郎(米田嶺)によって、ラストシーンに用いるのは、(単純に)私の好むところではナイし、またこれが否定的に(超克として)用いられている(同時にスローバラードも流れている)のだとしたら、かなりの深読みが必要になる。単に前者の如く、演劇の有効性を確認、信頼しての構成だとしたら、ここだけはイタダケナイ。(だいたい、このせりふ、私はあんまりイイとは思わないし、好きではナイ)。
チェーホフは『三人姉妹』においても、素晴らしいラストシーンのせりふを用いている。それまでの淡々とした物語が一気にクライマックスするのだ。小説では『中二階のある家』のラストの一行、「ミシュス、君は今どこにいるのだ」は流行にすらなったほどだ。
しかしながら、これは私の趣向でしかナイのだが、四大戯曲のうち、『ワーニャ伯父さん』における、無神論者だったチェーホフの神への擦り寄りは、死や絶望に対する、ある答、あるいは問いかけにはチガイナイのだが、ここは、メーテルリンクのほうが、一枚も二枚も上手だろうと思える。(ちょっと芸がナイというのかなぁ)。
義正がプロスペローの魔法の杖をへし折るラストシーンは、森本研典のそこまでの演技の絶妙さによって、プロトタイプから救われているが、そのいきなりの潔さに、暗転の時空の「場」で、彼にどのような変容が生じたのか、これはスピンオフしてでも、ナニカ別の作品として書かれていいのではナイかと思うのは、ちと、アホな観客の無い物ねだり、余計に過ぎる要望だろうか。
とはいえ、私とはまったく劇作のベクトルはチガウが、久しぶりに意志のある、斬れば血が出る戯曲と、劇作者の孤軍奮闘がよく伝わってくる、いい舞台を観ることが出来た。(途中5~10分程、急に腹が痛くなってトイレに駆け込んだのだが、数発、大きな屁が出ただけで、鼻炎の薬の副作用で便秘だなと、ため息したが、それはあまり影響はナイと思う。途中一時退場スンマヘン)。

2014年10月 3日 (金)

DOWMA

(dream・夢のDとM)(『ドクラ・マグラ』のDOとMA)(woman・女性のWMA)、ここらあたりを、いまふうにいうなら、サンプリング、リミックス(適宜選別して再度交ぜ合わせる)すると、タイトルの『DOWMA(ドーマ)』になる。10/10(金)から13日(月)まで、中村賢司の演出でアイホールで公演。
あの夢野久作の大長編奇天烈ミステリを、女優二人でやるのだから、そういうことを思いつくのも「キ」だが、じっさいにやっちまうのも「キ」で、正気の沙汰ではナイ。
日本三大奇書などといわれているが、夢野久作の『ドグラ・マグラ』はミステリの部分だけを取り出すと、単純に優れたミステリなのだ。ここに論文やら祭文やらが入り込んできて、読者はそこんところで、読むのを中断、中止、放棄してしまうというのが大半だが、単純に優れたミステリだから、女優二人でも上演することは可能なのだ。もちろん、演ずるほうにも演出にも、かなりの実力と努力(稽古)を要するのだが、中でもキャスティングは重要な要素になってくる。これがフナオさん(船戸香里)とツクマくん(津久間泉)だから、これ以上は望めない。理想の duet あるいは combination だと思う。
自分の書いた作品を、他者が演出する現場には、初回読み合わせ以外には顔を出さない主義なだが、主義なんざ、風邪を get しただけでころころ変わるもんだから、こないだ、ちょいと覗いてきた。1時間ばかりだったが、「ちゃんと、ドグラ・マグラしていた」のには、へーえ、やるねえ、と少々唸った。創意と工夫と煉瓦を積むような作業、試行錯誤。
いま、演劇、芝居は客が入らない。いま、客を入れているところも、せいぜいが2年もてばいいほうで、まったく先がみえない。
仕事場(東淀川区下新庄)の近所の商店街(down town)には五店もパチンコ屋があって、それでも満員盛況なのだが、要するに、それだけこの近所は年寄りが多いということだ。若いひとは、パチンコもあんまりやんないからなあ。いま、パチンコとテレビは年寄りの娯楽なのだ。
で、舞台は。
やりようによって、舞台(演劇)でもいくらでも商いは出来る(商業演劇のことをいっているのではナイ)というのが、彼の高取英(大阪府出身の劇作家、演出家、マンガ評論家、編集者。男性。 京都精華大学マンガ学部マンガプロデュースコース学科教授、月蝕歌劇団代表)の持論なのだが、で、彼はそういうふうな舞台を創っているのだが、そのやりようは、企業秘密ということで、ここでは書かない。
観客動員のカナメは、相変わらず出演者のチケット手売りに頼るところが大きい。宝塚のトップの入れ替わりが早いのも、ここに起因している。
で、『DOWMA(ドーマ)』は出演者が女優二人だから、どんなに頑張っても、合わせて100枚に届かない。届いたら、二人は、それこそスゴイ別の「俳優の仕事」をしていることになる。10/03現在、50枚前後らしい。
私のホンだって売れないからなあ。(だから、劇作家やめて、ミステリ作家に転向しようとしてんだけど、ミステリは競争が激しいしなあ)。六十二歳を過ぎて、筆一本の生活の現役で、下新庄の家賃四万五千円の嫁のアパートに住んでるというと、たいていの方が驚きになる。芦屋にでも住んでると思ってらしたか。
『ドグラ・マグラ』未読でも、充分、ミステリさせてるから、興味があれば、どうぞ。いいたいことは、それだけなんだけどね。渡世を嘆くには、年を取り過ぎたからなあ。

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