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2014年9月13日 (土)

ようするに『百億の昼と千億の夜』

高校生の頃には、純文学(というジャンルが文学にあることも知らなかった)はそっちのけ、S.Fを読んだなあ。というのも、たいていの文学(世界の童話・・・アンデルセンとか、グリムにイソップ、立川文庫、中国古典、ホームズやルパンのミステリ、乱歩の少年ものから、シートン動物記に、偉いひとの伝記、クレオやら、トムソーヤ、聖書物語に、ギリシャ神話、日本文学童話・・・et cetera)は小学生の頃に読んでしまっていて、どちらかといえば、フィクションよりもノン・フィクションのほうが好みだったので、天文学や物理学、化学のホンのほうに惹かれていた。
それが、どういうワケか、S.Fになる。海外のものでは『幼年期の終わり』『宇宙船ヴィーグル号の冒険』『非Aの傀儡』『星を継ぐもの』(これはもちっとアトだったナ)、国内のものは、『東海道戦争』から筒井康隆さんの追っかけが始まり、小松左京さんは、着想はスゴイと思ったが、傾向が趣味にそぐわず。で、光瀬龍さんの『百億の昼と千億の夜』の衝撃で脳髄を熔解、精神を沸騰させられる。
ようするに私のS.Fは『百億の昼と千億の夜』に尽きている。
つうか、ね、読み終わったときは、自分の人生はこの小説とともに終わったとさへ思ったですワ。いまでもそんな気分は残存している。
同級生でもうひとり、これを読んでる者がいて、こやつは『SFマガジン』に連載のを読んでいて、ラストシーンが私が読んだ例の早川の新書判単行本とはチガウというので、慌ててそれを読ませてもらったが、ほんの少しの変更で、内容には何も影響はナイ。
のちに萩尾望都さんが、若干の脚色変更して漫画化しているが、もちろん、断然小説のほうがイイ。しかしながら、よくもまあ、アレを漫画化する気になったなあ、マンガにしたなあと敬服する。
で、どうしてこれを書こうと思ったのかは、まるでワカラン。年齢のせいか、昔のことを時折、憶い出すように(つまり懐かしむように)なったので、高校時代に思いを馳せてみたところ、ナンダか閃いてしまったと、それだけなんですがね。ようするに。

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