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2014年4月12日 (土)

小悟

私には「嫁」が在り「母親」が在り、「私」が在る。と、そう想っていた。
しかし、そんなふうに自分と他者とを「分けて想う」ことは妄想だった。
「嫁の中に母親が在り」「母親の中に嫁が在り」「私の中に嫁と母親が在る」。
分けて考えることは必要だが、いくら分けても、ほんとうは「一つ」なのだ。
嫁の言行、母親の言行、私の言行、これらに苦慮したり、喜んだり、されど、これらは、「一時的な現象」にしか過ぎない。これを仏のコトバで「空」という。『般若心経』における「空」の意味がイチバン私を悩ませたが、(つまりなぜ「無」ではナイのか)「空」とは、「一時的な現象」をいうと、識るに至った。
たとえをいえば「何も無い空間が在る」ということだ。空間は在るのだが、空間には何も無いのだ。それを、一時的な現象はあるが、それらは「空」に過ぎない。という。
すなわち、すべては一時的な(そのものの)現象に過ぎない。この「そのもの」を『般若心経』では「色」と称する。従って「色即是空、空即是色」。
『般若心経』もまた「書かれたもの」に過ぎぬ。といって、「書かれたもの」自体を単なる文字として否定しても、「書かれてあること」をココロすることは否定出来ない。
何も彼も、分けて考えることは可能だし、必要なのだが、それに「疎外」されることを「苦」というのだな。何も彼も一時的に成り立ちはする。それを「縁」という。されど、それは不変に固定的なものではナイ。
「尋ねず求めず」「棄てず取らず」、そういうつもりでいたが、まだまだ未熟な修行者だった。ナア。

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