色即是空、空即是色
『般若心経』は『大般若経』のいいとこどりなのだが、要するに「般若」とは「智慧」のことだから、それを「お経」にしたものだ。で、「お経」とはそも、ナンナノかというと、当初、釈迦の教えは口伝(くでん:口で伝え、文字に残さない)だった。これが後世、誰にでも読めるように文字になったものだ。従って、釈尊それ自体のコトバではナイ場合は多々ある。多々あるからお経も多々ある。
御託終り。
以前にもここに書いたことがあると思うが、『般若心経』において、色即是空、空即是色というコトバはパラ反復に該る。口語訳すると「物体、事象は、一時的な現象にしかすぎない、一時的な現象は、事象であり、物体だ」。
つまり実態として存在するものではナイが、現象としては存在する(して、消滅する)という意訳になる。その一時的な現象の生ずる要因は無明の持つ「妄想」だ。よって、そのようなものにココロを猿動させても真理からは遠のくだけだ。という理、法になる。
とはいえ、生ずるものは生ずるのだから、たとえ一時的な現象ではあっても、生物学的、物理学的には、散逸構造を持つ。つまり、コヒーレンスからコヒーレントへと自己生成する可能性は否めない。人間という生命体はこれを避けられない。
簡単にいう。「腹がたったら、怒ればイイのだ。怒鳴り散らせばイイのだ」。で、腹立ちも怒鳴り散らしも、一時的な現象だから、ネ。と、嘯けば、それでイイ。
ここで、マチガッテはイケナイのは「叱る」と「怒る」はチガウということだ。「叱る」には慎重にならねばならない。慎重にならねばならないが、これも一言でいう。
「自分に出来もしないことを鑑みず、ひとを叱るな」これ、「空」より生じた「色」即ち「妄想」「妄動」でしかナイ。
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