ソチ吹かば思ひおこせよ梅の花 主なしとて涙忘るな
ここで、梅の花というのは、中国のまともな人民の人々のことをメタファーで述べているといっていいでしょう。とすれば、主というのは、銀盤の乙女をいっているともいえますが、敢えて、共産主義どころか、いまでは、ファシズムと何処がチガウねんとでもいいたくなるような政治屋たちのことと解することも出来ます。つまり、国家なんぞ亡んでもイイのです。というか、マルクスは「国家権力の存在の必要性は唯一国家を消滅させるシステムのためにある」てなことをいうてますね。
で、ソチで何が吹いたのか。それに中国人民が、どうツィートして、涙したのか。もはや何の説明も不要であります。
日本人民も、彼女に四年後、また出てくれというのは、それは強欲にしか過ぎません。なぜなら金メダルとるまでやめるな、といってるのと同じだからです。
同じく韓国人民も、金メダルがロシアなんだから、審判の判定にたいしてブーイング(以上のことをやろうとしてますが政治屋は)はもういいじゃナイですか。あんなもの開催国にプレゼントしちゃいなさい。
まるで、「事実は劇画よりドラマチックである」でした。二人の少女が長年のライバルとしてしのぎをけずった、このドラマは、語り継がれるでありましょう。念のためにいっておきますが、ここでいう劇画は特定の、たとえば『ガラスの仮面』のような、稚拙な演劇マンガをいっているのではありません。
あたしゃ、誰だこのドラマを作・演出したヤツは、と、思わず声に出してしまうところでした。
天晴れでした。
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