現況
鬱病という宿痾は目覚めるところから始まる。寝起きのしんどさから、この忌まわしいマラソンのスタートの号砲は鳴っている。鬱病(双極性障害といわれようと鬱病は鬱病だ)は、何度も書いたように憂鬱(melancholic)になる病ではナイ。苦しいのは、身体症状なのだ。マラソンの号砲と書いたが、そこから一日中、マラソンを走っているようなもので、休むことが許されない。走っていると疲れるのだが、鬱病はひとことでいえば「しんどいことに疲れてしまう」という疾病だ。
症状は固有のものだが、このあいだ、数日間滋賀の実家に一緒にいた嫁が大阪に仕事で戻ったので、(次の日から鳥取に仕事に出かけた)急激に環境が変化して、くるかなと予想はしていたが、けっこうキツイのがきた。これはもう母親を欺いてはいられそうにないので、晩飯の買い物だけをして帰ってくると、すまんが具合が悪いので、と二階の仕事場(兼、居室)に上がった。嫁に電話して、オレからはうまく説明出来ないが、母親が、私の急変に動揺していたようなので、よろしく電話で、うまくいっといてくれと頼んだ。で、嫁は、電話してくれたが、やはり、母親は心配していたらしく、嫁は、鬱病の症状について私との経験を語ったワケだが、母親は「ほんで、二階に上がって何をしとるんや」と質した。嫁は「もんどりうってる」と答えたらしいが、もんどりうつというのは、宙返りのことなので、ほんとうは、悶えてとか、のたうちまわってが正しい。しかし、メタファーとしては、たしかにもんどりうっても、いえないこともナイ。そういう病態なんだから。そこで母親は少々驚嘆して、「そういうとき、あんたはどうすんの」と嫁に訊いた。アタリマエの質問だ。嫁は「なんにもでけへんからみてるだけ」と答えた。その通りなんだから仕方がない。
夜、風さん(山田風太郎さん)の『人間臨終図鑑』をひょいと取り出して、読んでみた。私は、このホンが好きで、全部読んでいるのだが、ときどき、そうする。有名人の臨終の様子が書かれている。幾つか読んだが、声を出して笑ったのは、宮沢賢治に触れた部分。彼の臨終の様子が書かれていて、風さんの感想が最後にひとことある。「彼自身は自分の詩や童話の独自性や芸術性をかたく信じていたといわれるが、これはどんな三流詩人も同様に確信しているにちがいないから、特筆するには当たるまい」
そうだよなぁ。私は、いまでも、賢治のあまりポピュラーでナイ幾つかのものは、ヒジョーに面白いと思っているが、『銀河鉄道の夜』などは、「こいつ、下手なんじゃないかなぁ」とか、「とてもプロの書くものじねえな」と思いつつ、これくらいなら戯曲に出来るなあと、パブリをアテにして、何曲も書いたわ。おかげで、全集をみな読まねばならなかったけど。
私の身体症状の一つに、何か仕事をしたり、読んだり観たりすると、交感神経が一挙に興奮して、脈拍が120~130まで上がる。これがずううううっとつづく。だからマラソンだと比喩してみた。よって、なんにも出来ない。というか、より悪化すると、何をする気にもならない。性欲すらまったくなくなる。これを、私は自身の著作『恋愛的演劇論』で「自己が、自己と自己を認識しているだけの自己、に置かれる」と記した。環境世界との干渉が出来なくなる。舞台初日に観客の前に立たされた役者が、真っ白になっているような状況だと思えばイイ。クスリも効かないので、ただ、環界との交換の修復を待つしかナイ。
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