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2014年1月 4日 (土)

ココロの声

本日(2014/01/04)産経新聞朝刊で、ひじょうに興味を引く記事に出会った。24面『コトバってすごいね・3』「林耕司さん(63)の物語」。林さんは言語聴覚士で、現在は、長野医療生専門学校で言語聴覚士を養成する授業を担当。言語聴覚士というのは、これは私も無知だったが、脳梗塞や事故における脳の損傷で発症する失語症(現在の患者数は全国で30~50万人)の治療にあたる専門医療士のことをいう。いわゆるrehabilitation の指導医療なのだが、林さんは、「長野失語症友の会」を立ち上げ、ここでは患者自らが定期的に演劇を披露している、とある。
記事におけるある具体例を示す。「かなと思うの」としか発語出来ない女性が在る。名前、住所、など、何をどう訊かれても「かなと思うの」と答える。もちろん痴呆ではナイ。記事から察するに、脳の言語分野(運動脳)と知覚精神が壊死しているか欠損しているかしているのだ。つまり感情(伝えたい[思い])は胸の内のあるのだ。ココロに声を持ちながら、その表出がまったく言語表現出来ないでいるのだ。林さんはこれを「言葉が裂ける」と表現している。私たちの表現でいえば、知覚精神と心的精神の断裂ということになる。何故そうなったのかは、記事からは読み取る情報はナイし、私自身によくワカラナイ。ただ、この「かなと思うの」の患者さんは、リハビリは拒否したが、林さんが、何気なくお茶会に誘ったとき、他の参加者に交じって、「かなと思うの」と、ただそれだけを口にしながらも、楽しそうに笑顔をみせた。ここで、林さんは「そうか」とひざを打つ。記事どおりに記せば「女性が『かなと思うの』にどんな思いを込めているのか想像をめぐらせ、気持ちの中に入り込む。患者さんはだれもが『胸の内側にある声を聞いてほしい』と願っている。相手の真意をくみ取るのは、相手が誰であっても同じこと」と、患者のココロの声に耳を傾ける。そこで、演劇という表現方法を思いつくのだが、記事では、この狭間が書かれていないので、何故、演劇かは読み取れない。ただ「患者の一つ一つの言葉や、言葉にならない言葉にも耳を澄まし、体から出る言葉の源泉に漬かっていかなければ」と、林さんは決意する。演劇の舞台に立つのは、もちろん失語症の患者さんたちだ。その患者さんたちが、ままならないコトバをたどたどしく発し、「無残な姿だったかも知れないけど、できたことを誇りに思う」と語るとき、演劇の言語表現は、日常のそれとはチガウが、言語自体がまったくチガウということではナイことを思う。戯曲言語は多く心的表出をせりふの表現に変容させたものだ。その伝からいうと、失語症の療法としては逆に適切なのかも知れない。「言語の限界がそのひとの世界限界である」(前期)とぬかしたウィトゲンシュタインは、後期に『言語ゲーム』を提唱するが、私が何度も述べたように、ウィトゲンシュタイン言語学は、言語をあくまで「使用価値」としてしか解釈していないので、演劇の言語が「交換価値」を要することにさいして、そこに踏み込むことが出来ない。ここでいう交換価値とは、喫茶店で「ホット」といえば「ホットコーヒー」が注文されたことになって、それが運ばれて来る、などという交換とはまったくチガウ。演劇の言語でそれをするならば、客がテーブルに座って一万円札を出そうが、千円札を出そうが、五百円玉を出そうが、店主は「ホット」を出すのか、「アイス」を出すのか、あるいは「パフェ」を出すのか、すぐさま判断して、テーブルに注文の品を運ぶことに値する。そこに決め事やルールがあるのか、ナイのかは、ワカラナイ。観ている客席のものは、あれ、何故、と思うだろうが、その説明が舞台上で一切されなくてもカマワナイ。客が「かなと思うの」とひとこといえば、店主は、それで「ホット」か「アイス」か「パフェ」かを決める。理由は、なくてイイ。そういったものの説明がなくても、観客を納得させられる戯曲というものが書けるように、奮闘努力せよ、若き劇作家の諸君。
-「おはよう」の一言をいうために何度も何度も練習を重ね、うまく言えたときはうれしさのあまり涙を流す それが患者の姿だ。(中略)本当に伝えたい言葉は、表面的ではなく、胸の内側から湧き上がるもの。-(後略)と、記事にはある。
「ホン(戯曲)に書いてあるせりふをただ語ればイイというのではナイ」などという演出家の、知ったふうないいぐさなど信用するな。書いたほう(劇作家)からいわせてもらえば「ホン(戯曲)に書いてあるせりふをただ語ればイイ」ようになるまで練習、稽古に努めるのが役者というものなのだ。
ともかくは、この林さんの仕事、今後も踏み込んで追跡してみるつもりだ。

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