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2014年1月 5日 (日)

年頭所感みたいなぁ、もん

昨年、鬱症状態においてなお無理に仕事をしたこともあって、その反動の身体症状は、熾烈に年末に現れた。抗鬱剤を増やしてはいたが、それでも防ぎきれぬありさまで、丁度、紅白歌合戦を観ているさなか、両腕が痺れでだるくなり始め、こりゃあ、ヤバイと二階の仕事場で、もん取りうった。その日の朝も、同様に5時半に目覚めてから約一時間半の症状に悶えていたのだが、夜は、二階の仕事場でドタバタと音がするので、嫁が異変を察して上がってきた。で、背中をさすったり、叩いたり、揉んだりしてくれたが、接触は、触れること自体が身体症状をさらに呼び込むことになるので、これは辞退した。嫁の観察によると(嫁の洞察眼は、かなり鋭敏なのだが)、私の様相(容態)は、「私が私から抜け出そうと必死になってもがいている」ようにみえたという。「幽体離脱しようとしているみたいだった」とも述べている。その苦しみが背中の部分にあるように思えたので、そこを叩いたと解説した。これをmetaphorで「そこから羽根でも生えるんじゃないかと思った」という。
最初に精神科医の診察を受けたとき、あらゆる検査をして何の異常もなかった結果を受けて、その医師は鬱病(というコトバは当時まだなかったが)と判断して、抗鬱剤を投与してくれたので、1年間苦しんだ症状は、一挙に落ち着いたが、医師は「あなたの病気は治りません。良くなったり悪くなったりするだけです」と告げた。「つまり、あたの病気は、あなたの25年間がつくりあげたものだからです」というコメントを寄せて。
私が、故人になっても父親を赦すことが出来ないのは、幼少時の暴力(いまでいう虐待)が、少なからず、私の鬱病と関係しているという確執による。片目がみえなくなるまで顔が腫れ上がり、それでも泣かずに憮然としている私に、父親は自身の右手をみせて「お前を殴ったために右手がこんなに腫れてしまった。今度からは角材を使う」と、宣言して、後、角材で殴られるようになってからは、私は、まさか殺されることはナイだろうけれど、この父親の行為は、私に身体的にも精神的にも将来、大きな打撃、損傷、痕跡となるだろうとだけは予測した。高校を卒業して、すぐさま名古屋に逃げたのは、そういった理由に因る。鬱病(双極性障害)の要因のすべてをそこに求めるという愚考はナイが、私の妄執は、その父親の血(遺伝子)が私に在るという、消し難い嫌悪感となって残余している。
こういうことは、もうブログに何度も書いたことなのだが、相変わらずだという意味合いで再々記しておく。身体症状で、のたうちまわっているときは、「こりゃあ、自殺もするわなぁ。しかし、これで死ぬのは癪にさわる。どうにでもなれ」と、なるようにまかせている。他にすべがナイのだ。ただ、私も還暦を過ぎて、体力的な我慢というものに限界も感じ始めた。去年、無理をした分、今回は苦悶が長引いてしまったが、これを反省して、本年の所感は「急ぐな、そうして、疲れるないようにゆっくり前をみて歩け」ということにした。とはいえ、退屈を最も嫌う性質ゆえ、守れるかどうか、はなはだ自信はナイ。

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