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2014年1月20日 (月)

現況③

役者が、「舞台初日に観客の前に立たされて、真っ白になっているような状況」になる原因はハッキリしている。観客の視線のせいだ。稽古のときは、演出家の視線しかナイし、練習のときは、自身の架空の視線しか存在しない。観客視線は固有のゆらぎ(波動)で、それが観客の数だけ役者に向けられるのだから、役者のコヒーレンス(自己組織化)は、その観客視線のゆらぎ(波動)の干渉によって、コヒーレント(波が重なった状態)な状況に置かれる。幾らなんでも、観客の固有の数だけの波を引き受けていられないので、私はこれを三角関数の絶対値として扱った。要するにsineθの角度として捉えただけだ。(『恋愛的演劇論』より)。ところで、コヒーレンスな波も、それ自体は変化する。これを密度行列で扱ったところで、『恋愛的演劇論』の最終章は終わったカタチになっている。そこからは量子力学の分野になるために、これを「序章」とした。
と、ワケのワカランような前置きだが、私がワカッテいればそれでいいのだ。書いたり喋ったりは、殆ど「独り言」の延長でしかナイからな。
鬱病の固有性の身体症状を扱うために、この「観客」という内界(ココロ・意識・精神)でも外界(身体)でもナイものを捜さねばならない。簡単にいえば「原因」だ。鬱病が結果であるのなら、因果関係は存在するのだから、私の固有性の身体症状にも、何か原因がなければならない。思考力のリテラシーの悪い脳を懸命に使いながら、よせばいいのに、鬱病の身体症状で苦しみながら、そいつをやったのは、苦しいという実態を前にして(ではなく身をもってだな)、考えるほうが、悲壮だけれどマトモな部分に行き着くかも知れないと思ったからだ。余談だが、嫁は私のこういう資質を「足し算ですむのに、関数を扱って同じ答を出そうとしている不器用さ」というのだが、たしかに、洞察力と勘のイイ嫁なら足し算でやっちまうだろう。私は、どうしても回り道をしてしまう。余談終り。
出来るだけ簡単にやっちまおうではナイか。つまりmechanism(図式)のようなものを提示してみればイイ。これまで35年余の経験から、(必ずしもというワケではナイが)身体症状で苦しいとき、血圧は正常なのに、脈拍だけが120以上になっていることが多い。つまりこれを単純に①交感神経の興奮、と記しておく。何故、交感神経が興奮するのか。②アドレナリンとノルアドレナリンの分泌に因る、と記しておく。ではなぜ、アドレナリンとノルアドレナリンが分泌(おそらくどちらかが過剰に)されるのか。抗鬱剤第四世代のSNRIはセロトニンとノルアドレナリンの分泌を促す。これで、鬱病の症状は軽くなるのだから、ノルアドレナリンのほうに注目することにする。アドレナリンの過剰分泌なら、ひとはしょっちゅうやってるからな。ノルアドレナリンは脳内で働き、いわゆる覚醒剤のような働きをする。気力を上げるのだ。オレは元気だと脳に思わせるのだ。なんのために、それが分泌されるか。もちろん身体が過労状態になってSOSを発するからだ。これは、身体の過労状態が脳へノルアドレナリンの分泌を要請しているということだ。つまり、気力で乗り切ろうという魂胆を身体はヤルのだ。そこで、脳はそれを受けてノルアドレナリンを分泌するのだが、出せば出すほど、ノルアドレナリンの量は少なくなる。鬱病患者は、この神経伝達物質のノルアドレナリンとセロトニンの分泌が少ないことは脳医学的にワカッテいる。そこで、セロトニンとノルアドレナリンが再取り込みされぬよう(ともかく流しっぱなしにする)クスリがSNRIだ。ところで、ノルアドレナリンは、過剰に分泌されるとこれまた鬱状態になることもワカッテいる。要するに脳の匙加減、クスリにもなれば毒にもなるということだ。身体が過労して、もっともっととノルアドレナリンを要求すると、姑息に活動は出来るが、そのアトがキビシイ。ノルアドレナリンは、過剰に出っぱなしとなる。すると、②によって、①が誘発されるということだ。②において、アドレナリンは外界(身体)もしくは内界(ココロ・意識・精神)がこれを制御することが出来るが、脳内だけで活動するノルアドレナリンの制御は脳にしか出来ない。その脳がすでに誤作動を続けている。何故かというと、身体が、その分泌を要請し続けているままになっているからだ。外界(身体)と内界(ココロ・意識・精神)はこれを制御することが出来ない。「もっと出せ」というコマンドは送れるのだが、「もういい」ということが出来ない。何故なら、すでにノルアドレナリンの分泌は、身体とタッグを組んで「自然過程」に突入しているからだ。なのに何故SNRIを抗鬱剤として使うのかというと、どんどん出てますから大丈夫ですよ、と、身体にこれを納得させるためとしかいいようはナイ。身体は状況をようやく察して、「自然過程」は終了する。ようするに身体に、もうノルアドレナリンは必要ないという状況を了解させるのが、鬱病治療の早道なのだ。それにはどうすればいいか。寝るか。寝ても鬱病は治らない。その症状はなくならない。身体が納得しないのだ。とはいえ、身体(外界)とココロ(内界)の過労を取り除かないことにはどうしようもナイ。そこで、役者は、コヒーレンスの波を、観客の波と干渉させて、つまり、観客をおのれのうちに取り込む(自己組織化するために、観客のゆらぎ(波)を使う)ことで、コヒーレントな干渉状態を創る。これは、自身の演技を観客に向けて一度通過させたものを、もう一度自身にもどすということだ。
私の固有の鬱病身体症状も、その身体の「休ませ方」さへワカレば、どうにかなる。ただ寝るだけではダメなのだ。アホみたいな答だが、休ませ方を模索するしかナイのだ。出来るだけ心身を興奮させずに、ある程度の興奮状態を創ってこれをcool down させるという方法をみつけ出すしかナイ。で、ナニやんの。それがワカレば、苦労も苦悶もせえへんわ。

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