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2013年12月25日 (水)

釈迦は正しいか

釈迦の本名は、パーリ語ではゴータマ・シッダッタ、サンスクリット語では ガウタマ・シッダールタだが、どっちの言語も私には学問がナイので、単に釈迦族の王子としての釈迦と記す。本名の意味は「目的を成就した者」。伝説によると、そう親から命名されるまで、生まれてから五日間眠っていたそうだ。伝説にのっとっていえば、生まれてすぐに七歩歩いて、かの有名な「天上天下唯我独尊」と宣言したそうだが、この「天上天下唯我独尊」については、異説がある。問題は「我」をどう解釈するかだけなのだが、釈迦が自身のことをそう称しての「我」なのか、「我」は「私」、この「私」を普遍的に扱って「自己」「個人」と解し、固有の「私」こそ尊いとする説だ。ここから、日本国憲法のように国民主権という概念も導けるし、ひとの命はみな平等に尊いという理屈も導ける。もちろん、実存主義や現象学も導ける。どっちにせよ、伝説だから、あまり問題ではナイ。
釈迦は頭脳明晰かつ厭世的な子供で、十二歳のとき、カビラ城の外の農地で行なわれた五穀豊穣の祈願祭(「田起こし」の祭事)で、冬眠から目覚めた小さな虫を、鳥が飛んできて銜えて去った(つまりは弱肉強食なのだが)のをみて、「地獄」と呟いたそうだが、これも伝説。ただし、七歳のときに、ヴェーサミッタ師のもとに勉学に出向かせたとき、すでに、釈迦の学識は、天文学や数学などにおいても、師匠以上に備わっていて、何も教えることはなかったといわれる。
とにかく、出家したがって親(王様とお妃・・・産みの母親はすぐに死んでいるから、その妹)は困ったようだ。釈迦の思想の根源にある(と思われる)「四苦八苦」は、それ自体が釈迦の悟りというものではナイ。このへんは、誤解されている部分が多い気がする。「四苦八苦」はあくまで釈迦の出家の決意、覚悟の糸口になったもので、仏伝にある「四門出遊」がそれにあたる。「四門出遊」とは、カビラ城にある四つの門から順次、王に勧められて遊楽(まあ、ピクニックのようなもんですな)したとき、えーと、何でそんなことを王がさせたのかというと、これも釈迦が出家に拘っていたことに因があるのだが、つまり、ちょっと息抜きをさせようとしたらしい。ところが、釈迦はまず東の門から出たときに、いまにも死にそうに衰えた老人の姿をみる。(と、これは、釈迦解脱のさいに登場する梵天の化身だとされている)ここで、釈迦は「老い」の姿を観る、というか、梵天からみせられたということになる。もちろん、遊楽どころではナイ。そのまま釈迦は城に引き返した。次は南の門。同様に梵天の化身のやつれた「病人」を観る。直帰。次は西の門。梵天今度は「死人」となって横たわっている。直帰。最後に北の門。ここでは、梵天はいきいきとした沙門の姿をみせる。沙門とは、婆羅門以外の出家修行者だ。こうなるともう直帰どころではナイ。すぐにでも出家。
だから、釈迦の思想の最も根底にある「四苦八苦」は、自らの体験なのだが、梵天による誘いということになる。もちろん、梵天は、釈迦の厭世、憂鬱、煩悶が何であるかを釈迦に具体的に示してみせただけなのだが。ただし、四苦八苦の「苦」とは、仏教においては、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味するらしい。と、坊さんだったか、佛教大学だかの学生にに聞いたんだけどね。ここから、山岸会の創始者、山岸巳代蔵は、独自の思想(というか、思考法というか、解釈を導き出すのだけども、ここではそれについては割愛)。
ともかく、その四苦八苦を具体的にいえば、根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、つまり根本的な四つの思うがままにならないこととして、それに加えて、「愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること」「怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと」「求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと」「五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと」の四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ。のだが、さてと、つづく。だ。

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