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2013年11月11日 (月)

ロスト・クライマックス

トーマス・マンの『魔の山』では、主人公のハンスが山林をぬって滑降するスキーのシーンが後半近くのクライマックスだったと思う。カミュの『ペスト』では、医師のリウー、タルー、グランたちだったと思うが、地中海だった(と思うが)襲いくるペストという不条理と闘い(反抗し)ながらも、そこで泳ぐひとときは、海の色まで鮮明で、そこだけが、清潔に澄み渡っていて、これもある意味ではクライマックスと呼んで相応しいのではナイだろうか。それらをクライマックスと呼ぶならば、太宰治のクライマックスを『HUMAN LOST』と指摘しても、コンパスの狂いではナイ。パビナール中毒で、精神病院に入院させられた、本来的人間(human)の、かくなるまでの文学的クライマックスは、そうあるものではナイ。
「なし、なし、かくまで深き、なし、なし、」で始まる入院中の日記模様は、「この五、六年、きみたち千人、私はひとり」「罰」「死ねと教えし君の眼わすれず」と続き「妻をののしる文」は、歯を食いしばって読まねばならぬ。そうして「私営脳病院のトリック」は、厭味ではなく、ある覚悟を迫り、やや長文はここに転写出来ぬが、短きコトバ、アフォリズムは、ナイフの如き切れ味をみせる。「私の辞書に軽視の文字なかった」「十二、三歳の少女の話を、まじめに聞ける人、ひとりまえの男というべし」「晩秋騒夜、われ完璧の敗北を自覚した」「一銭を笑い、一銭に殴られたに過ぎぬ」≪言わんか、「死屍に鞭打つ」。言わんか、「窮鳥を圧殺す」。≫「私が悪いのです。私こそ、すみません、を言えぬ男。私のアクが、そのまま素直に私へ又はねかえって来ただけのことです」
今日、私は、月例の診察に名古屋に行き、ついでの仕事で取材インタビューを受けた。相手は気心知れた旧知の記者だったので、おそらくは、彼との談話にしか登場しないだろう、「対幻想」の在り方からみた『寿歌Ⅳ』のゲサクとキョウコや、さらに、キビシイところでは、全編せりふのストレートさは何故なのかね、などと訊かれた。ただ、彼には、最後に用いた『パッペルベルの「カノン」』の意味づけがワカラナカッタらしく、どうも、変竹林な思いもした。まあ、それはいつものことなんだけども。いってみれば、新聞記者らしいなあと、そういうことだ。
とはいえ、今日は、殆ど分刻みで、鬱、鬱、ふつう、鬱、ふつう、の心的状況で、何か、とても、いいたかったことをいいわすれたような、胸のつかえというのが残った。アルコールはやめて、頼んだ『ひつまぶし御膳』の鰻が、生焼けで、生臭かったこともあるかも知れない。けれど、よくよく思い出してみると、それはちゃんと述べたようだ。
そこから、どういうワケか、殆ど十分前の記憶が曖昧になり、新幹線が何処に走っているのかを、一生懸命思い出していたりしているうちに、私は、飛行機に乗っているのだという勘違いに突然陥って、こんなに低空を飛んだら落ちるのではないかと、それが怖かった。座席シートにはベルトが無く、おかしな飛行機だなあと思っては、落ちるのが怖かった。
それでも、京都に着いて母親に電話して先に寝るようにいうと、少し安堵した。それから書き出しに用いた、マンの『魔の山』、カミュの『ペスト』の小説のシーンがイメージとしてやってきて、太宰の『HUMAN LOST』を思い出して、きちんとブログに書いてクール・ダウンしないと、嫁から電話があったら、オカシナことをいいそうで不安だった。ブログを書いている途中で嫁から電話があったが、「あなたはちっともオカシクないよ」といわれて、「十二、三歳の少女の話を、まじめに聞ける人、ひとりまえの男というべし」というコトバが太宰のにあったことを、また思い出した。ちょっと鬱のクライマックスだったんだと思う。

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