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2013年11月10日 (日)

memory・1

今頃になって認(したた)めるのでメモリーということになるが、台湾の淡江大学 日本語文学系の『螺子と振子』上演が、内田康老師の紹介とご足労をもって、実現したのが、5月のことだ。まだお礼の手紙も書いていないという非礼さなのだが、このあいだ、感謝状とともにポスターが送られてきた。ポスターに使われている、主人公を含めた風景の写真がステキだ。嫁は、同行をちょっと渋っていたが、というのも、この嫁は、新幹線のグリーンに乗せたときも、グリーンは初めてで、階級の差をみせつけられているようで、いややな、てな顔をしていたからな。とはいえ、カラダをおおうように毛布をかけてやると、衣服を脱ぎ始めたので、アカンで、ここでナニしたら犯罪やで、といいきかせて、パンツを穿かせたんやけどな。若いと何しよるかワカランわ。幸か不幸か台湾では、パンツを脱ぐ余裕もなく、日程がつまって忙しく、特上の弁当などが出るのだが、どうも私の口にはあわなくて、そんでもって学生街の屋台で、美味いおやきをみつけてきてくれて、このおやきが、最初に内田老師他と一緒に会食した飲茶の店の焼売などについで、美味かったので、二度も食った。私が、食べ物に閉口していたので、適当にみつくろって買ってきてくれたのだが、そういうところには気のつく嫁なのだ。ただし、日本の着物に着替えたとき、礼式どおり下着を穿かないでいたかどうかはさだかでナイ。
大学はリゾート地にあるので、そこの最高級のホテル・レストランで歓待されたが、こんな苦情をいうと叱られるだろうが、要するに、ヘルスセンターを彷彿とさせるところで、バイキング料理も日本に比すれば味は三流。しかし、屋台の食い物は、軒並み安くて美味かったなあ。あれに勝てる日本のテキ屋はいないと思う。
と、食い物のことばかりいっててはなんなので、というワケではないが、学生たちの日本語による芝居は、ちょっと感動的ですらあった。というのも、私たちは、演劇を上演するのにたいてい自国語でやるが(あたりまえだけど)、台湾の学生たちは、まず、日本語(しかも、戯曲のコトバ)と格闘しなくてはならない。これは、実にタイヘンなことだと思う。というのも、いつだったか、私も『寿歌』が英訳されたので、英語での上演を試みたが、どうしても異国語では、ココロの機微がワカラナイから断念したという苦い経験があるからだ。
だいたい、日本語の正確な表現が目的での日本語学なのだが、戯曲の表現、演技というものは、そういうものを逸脱したところに面白みがあるから、二重三重の苦労だったろうと思う。それが、ちゃんと出来ていたので、私は(ちょっと偉そうに)終演後、それを褒めたりしたワケだ。しかし、この営為は簡単に私たちもスルーしてはいけないことだと思う。
ヘルスセンターもどきでの会食では、別の大学で日本の演劇を研究されている金老師(老師といっても若いのよ。教師、先生のことは、中国語ではみな老師だからな)との演劇談義は貴重な経験だった。日本よりも、日本演劇は研究されているのだ。
国境をこえるのは音楽だけではナイのだ。コトバも、国境をこえていく。韓国や日本のバカ政治家どもが、旧世代の化石化した歴史感覚に悶着しているが、民衆は、それほど愚かではナイ。文化、表現は、すでに私たちの世代において、対等に語られている。慰安婦には慰安婦の人生があったろうが、私たちはそんなことに拘泥しない。それはそれ、私たちは私たち、誤解をおそれず、そういっておく。

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