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2013年10月 8日 (火)

感想『少女仮面』桃園会10/05・アイホール

なるほど時代は変わった。世相が変わった。演劇は「情況の子」だ。社会情況が変容するからには、演劇もまた変容を余儀なくされる。
当日Aプロ、Bプロ、両方を招待(つまりタダ)で観劇させて頂いた。主にAプロに主眼をおいて、感想を述べてみる。
唐さんの影響を受けて演劇を始めた世代のひとりである私にとっては、状況劇場のインパクトはあまりに大きく、また、いまとなっては強いnostalgieとなっているので、これを払拭するのに少々時間を費やした。とはいえ、次第に桃園会、深津演出に入っていくことが出来た。それだけでも、この舞台はたいしたもんだと思う。少女(貝)に森川万里をキャスティングしたのは、大きな成果だろう。彼女はコメディアンヌの素質があるからナ。老婆の隈本晃俊もパンフに25歳とあったが、ちょっと末恐ろしいくらいの出来だ。つまり、赤テント当時の役者の演技は「自分を笑う」ということにあったからだ。これは唐さんのホンの本質からきている。鯱張った世間に対して「フザケテみせる」というスタンスだったのだ。ところが、いまは芝居よりも世間のほうがフザケているから、芝居で役者がいくら「自分を笑おう」と、観客は「ここは、笑っていいのだろうか。何か深遠な意味でもあるのだろうか」と、逆に悩んでしまうのだ。私の観た赤テントは、いつも観客の笑いの渦だった。さらに「この世で最も恐ろしいものは、少女フレンドを抱えた老婆だ」という唐さん特有の警句も、いまの世間ではアタリマエになって通用しない。と、すると、芝居にとっていま、最も難しいことは、この世相、世間に対して「如何にフザケるか」なのかも知れない。それは、表層的ではナイ、時流にものらない、大真面目な「せっぱつまった哀切さ」と「のっぴきならない狂気」とを同時に持たねばならないような気がする。
私は、せりふを聞きながら、いまなお私自身の戯曲のベースに唐さんのゆらぎがたゆとうているのをあたたかく感じた。相対化したはずなのになあ、と苦笑した。
いまひとり、特筆しておきたいのは、「水道飲みの男」の橋本健司だ。この役者だけは、私が観た赤テントの役者の肉体を未だに持っていたように思えた。そこからやって来たのではないかと錯覚したくらいだ。「なんでもナイ男が恐ろしい」のだ。あのpotential energie はタイセツにすべきだろう。
時代も世相も変わった。最も変わったのは、従って観客だということになる。商店街のはずれに立てられた赤いテントの中で、ごろりとなりながら、笑い転げたあの観客は何処へ消えたのか。消えたのは、なにも「肉体」だけではナイのだ。

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