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2013年8月 9日 (金)

マスク・THE・忍法帳-40

「簡単にいえば、そうじゃが、そんなことは信じられんじゃろ」
 陳は、嘲笑を浮かべて、平吉にいい返した。
「わしには毒は効かぬ」
「そうそう、それじゃ。そういうことも書いてあったな」
 陳は眉を顰めた。
「書いてあったというのは、何か毒のことについて、調べてきたのか」
 平吉は陳を観ようともしないで話しつづける。
「だから、ゆうたやないか。俺は泥棒だと。ゆんべ、残らず調べさせてもらったと。もちっと具体的にいうと、いままで俺の喋ったことは、あんさんの日記だか日誌だか、分厚いノートに書いてあったのを読ませてもろうたんよ」
 再び指の関節をポキッと鳴らしたのは、もちろん陳のほうである。
「きさま、ほんとうにわしの住居に忍び込んだというのか」
「そんなことは、不可能だ、と、たいていアトが続くんじゃろが、泥棒にかけては、二十面相に不可能はナイのよ」
「まさか、あの金庫を開けたと」
「~毒など存在しない~これはあんさんのノートに朱書してあった文句よ。それと、腐毒という毒についても、俺にはそれを使ってみると書いてあった」
 ここで、平吉は半身を起こした。
「あんさんは、今朝、いつもの時刻に目覚めると、新聞受けの中に俺が残した封筒を開けた。~ウメバヤシ デ マツ。二十~、そこでさっそく、準備にとりかかる。ところが俺のほうの準備はもう整っていてね」
「つまり、きさまは、昨晩、わしの家屋に忍び込み、隠し金庫を開け、わしの重要書類を読んで、いま、腐毒に対する処方を施しているというのだな」
「ああ、お察しの通りじゃ。それくらいは難なくやるのが、怪人二十面相だからな」
 陳はまだ半信半疑ではあったが、腐毒というのは、あまり知られていない毒である。それをこの男が知っているということは、と、まさかの文字が脳裏に過った。
「もし、それがほんとうのことだとして、たとえ、腐毒が通用せぬとしても、わしが用いる毒はそれだけではナイ」
 半ば、鎌をかけるつもりで陳はいってみた。
 平吉は、立ち上がった。それからポケットから何やら小箱を取り出すと、四間ばかり離れた陳の足下に、それを投げた。小箱は地面に落ちた勢いで蓋が開いて、中からチューブ絵の具が転がり出した。
「手妻のタネ、その二かな。あんさんの毒の貯蔵室に並べてあった瓶の中身は全部、ただの色水にすり替えた」
「きさま、そんなことが」
「そんなことをするのが、二十面相やと、いうたじゃろ」
 陳は今朝も毒を調合したばかりである。
「馬鹿な。だからといって、まさかこのわしが、単純な色水と毒とを間違えるほど耄碌していると思っているのか」
「そうは思うとらんよ。確かに、毒は色をとってみても、無色透明なものから、まさにこれが毒だといわんばかりの毒々しいものまでいろいろだからな。おまけにその臭いまで俺のような素人には判別出来んじゃろ。としたら、どうすればいい。あんさんを俺なみの素人にしてしまえばいい。まあ、あんさんほどの手練になれば、いちいち色を観たり、臭いを嗅いだりしなくても、どれが何の毒かは、ワカルんじゃろうが、熟練者ほど用意周到なものだということは、よおく、知っている。ところで、毒なら俺も使うことがある。刺客という仕事柄、あんさんも知ってるだろうが、番犬などの犬どもの嗅覚をマヒさせてしまう毒だ。とはいえ、そういう難しい毒を使うとそれを使ったことがあんさんにバレてしまう。だから、イチバン簡単便利な毒でない毒を使わせてもろうた。なんだと思う。唐辛子さ。唐辛子は犬にも効くんでね」
「唐辛子、だと」
 いったい唐辛子などというものを何に用いたのか。陳は、そのときおのれの脳の中で、まるでコンピュータのごとく、唐辛子なるものを用いて、手中の毒役を無効にするか、自分の毒に対する五感をマヒさせる手立てがあるかないか、演算した。
「なんなら、あんさんの仕込みの毒の小針でも、俺に投げてみるかい。素手で受け止めてみせるが」
 平吉は両の掌を広げて、全面に突き出した。
 こやつの自信は、まさか。と、陳はおのれの鈍色の疑心に、いささかひるんだ。と、このとき、陳の周囲に桃色の煙が炸裂音とともに噴出した。
「毒ガスっ」
 と、陳は声にするでもなく胸の内で叫んだが、それが唐辛子弾であることを判別するのにコンマ、1秒とかからなかった。
 たしかに陳の身体に毒は効かない。だが、唐辛子は毒ではナイ。しかも、いままさに、平吉の口から唐辛子に対しての講釈がなされた直後だ。
 何か意味があるのか、いったい昨夜、唐辛子で毒をどうしたというのだ。と、思う間、唐辛子の煙幕は、陳の粘膜を襲った。陳は、涙腺と咽喉に打撃を被った。涙と咳と嚔がアレルギー患者のそれのように襲ってきた。
 遮二無二、陳は、毒の小針を乱射した。周囲は煙で何もみえなかったが、平吉の気配のする辺りに向けて、小針を飛ばした。このうちただの一本でも掠れば、命はナイはずだ。もし、昨夜、毒をただの水に詰め替えられたのでナイとすれば。
 もう、おわかりだろうが、すでに陳は平吉の心理戦術に翻弄されていたのだ。平吉の話は金魚鉢から人魚を釣ったとでもいえばいいのだろうか、あり得るワケがナイ、が、あり得るかも知れないと考える人種にとってはあり得る話しだ。で、その釣り糸が唐辛子だといわれたとき、陳の脳髄の毒における公理系が、飛車を斜めに動かされるような、攻めにあったというべきか。
 毒のような正確無比に扱わねばならないシロモノは、1㎎の100分の1の単位までを考えなければならない。そういう緻密な薬物を扱う者の精神、もしくはそれで殺人を常に思惟する者の脳髄に対して、意味ありげで不可解な、不条理な禅問答のような講釈をふっかける。
 ここにおいて、二十面相平吉が、昨夜、陳の家屋に浸入したのかどうか、それすらも、陳にはもう判別が不能になっている。
 唐辛子弾の煙幕が薄れて、二つの影が対峙して立っているのがみえた。
 片方の男の喉に、鋭利に折られた梅の枝が突き刺さっているのが判明するのに、さほどの時間はかからなかった。男は、声を出すことも出来ず、ただ、片方の黒ずくめの若者を睨みながら、その場に膝をついた。
 平吉は簡便な風邪用のマスクをしていた。それから水中眼鏡(ゴーグル)をかけて。
「俺の話の何処からどこまでがほんとで、ウソか、あんさん、考えなすったろ。その答えを教えてもええが、聞いても地獄の閻魔さんに申し開きの足しにはならんよ」
 陳の喉に突きたった梅の枝の、一輪の梅が、腐毒で枯れた。と同時に前のめりに陳のカラダは倒れた。
 このとき、梅の花に舞い飛んでいた蜜蜂が一匹、平吉の首筋にとまっていたのを平吉は気づかなかった。蜜蜂は、尾針で平吉の首を刺すというほどでもなく、殆ど人体には感じない程度に引っ掻くようにして、飛び去った。まだ開いていた陳の目は、それを確かめると、微かに笑ったようにみえた。

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