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2013年8月16日 (金)

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・3)

武士たちは、俸禄米支給日に自ら浅草のお蔵に出頭し、蔵米を受取り、米問屋に売却した。ところが、いつの時代も代行業が起こってくる。それらの面倒な手続きを代行する業務を取り行ったのが札差と称されるものだ。資料によると、彼らは蔵米支給日が近づくと、得意先の旗本・御家人からそれぞれ手形を預かり、御蔵から米が渡されると、食用の米を除いて残りの米を当日の米相場で現金化し、手数料を差引いて、現金と米を各屋敷に届けていた。ところが、やがて蔵米の受け取りを代行するだけではなく、旗本や御家人に蔵米を抵当にして金を用立てるという金貸しを始めた。となると、金に困った武士は札差に次回支給される蔵米の受領・売却を依頼すると確約し借金をするようになった。これが返せればいいが、そうは、まさに問屋が卸さない。
さて、ここで、前回のあの等式にもどる。
      米一升=塩一升=着物一反
ここで、塩一升を海水から精製するのに、人件費が高騰したり、新しい製法を導入したりして、その原価が上昇したとしよう。また、絹の着物が、蚕の餌である桑の葉が不作で、一反の価格が上昇したとしよう。そうすると、
      米一升五合=塩一升=着物一反
というふうに価格は変動していく。これは市場で価格が決定されているのではナイ。あくまで、それは生産現場の情況によるという証左だ。おまけに米相場において、現金化の手数料を札差が上げたなんてことになっては、武士は困窮する。米一升で得る貨幣が次第に減少していくからだ。
この価格の変動を交換価値の変化としてマルクス経済学は考える。米も塩も一反の着物も使用価値には変化はナイ。つまり、使用価値は、市場での価格を決める価値ではなく、市場では、それぞれの交換価値によって、取り引きがなされるということだ。
この交換価値をマルクスは「等価形態」(比べることで相手の商品に等価であることを知らせられる状態)と「相対的価値形態」(何かと比べてみて価値がわかる商品の状態)とに分けた。これを等式で表してみる。左項を「等価形態」、右項を「相対的価値形態」ということにすれば、つまり、塩一升を「等価形態」と考え、着物一反を「相対的価値形態」と考えると、等式は
     塩一升=着物一反
になり、その逆に塩一升を「相対的価値形態」と考え、着物一反を「等価形態」とするならば、等式は、
     着物一反=塩一升
になる。
何故、こんな面倒なことをマルクスはやったのか。こんなのひっくり返せば同じじゃないかよ。と、誰だって思うんじゃなかろうか。この辺りで、帝京大の経済学教授などは、このような等式を一笑にふしてしまうのだ。しかし、私たちはもう少しこの等式につきあってみようじゃナイか。

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