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2013年8月 9日 (金)

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続)

マルクスを経済学者だと思ったり、共産主義国家を名乗る国々の思想的バックボーンだと考えているひとは多いと思う。でも、それは、じぇーんじぇん勘違いだ。また、マルクスはヘーゲルの観念論弁証法を否定して唯物論弁証法を提唱したひとだと解説している入門書めいたものもあるけど、これも的外れだ。マルクスには自然哲学もあるし、社会民俗学的な考察もある。芸術論もある。それに、現在の社会主義国家、ロシア、中国、等々のマルクス主義というのは、前者はレーニンがマルクスを解釈して自身の学説とした、マルクス≡レーニン主義だし、後者はマルクス≡毛沢東主義だ。(≡は物理学にもちいる「○○を定義とする」の記号)後者は毛沢東という中国共産党の指導者がマルクスを自分なりに解釈したのに過ぎない。日本共産党の場合は、マルクス≡スターリン主義と称して差し支えない。(スターリン主義とは、一国社会主義のことで、社会主義国を建国、強化、繁栄させ、他国へもその影響が及んで社会主義国が増えるという理屈)。だから、いちがいにマルクス主義と名乗ってはいても、解釈の仕方がまるで違う。私にいわせれば、どれもがマルクスの思想とは関係ナイ。だいたい、共産主義国家というものは存在するワケがナイ(ので、社会主義とはいってるけど)。何故ならマルクスの述べた共産主義というのは、国家を過渡期の存在としてしか認めない。もっというならば、国家を消滅させるための機能的手段として国家を必要としているだけだからだ。
演劇について書くのに、ちょっと飽きてきたところなので、私の理解している限りのマルクス思想をやってみることにする。
マルクスが主張したことは、一言につきる。それは「価値」というものだ。この場合の価値とは「生きる価値」の価値でもあり、「家族の価値」でもあり「恋人の価値」や「牛丼一杯280円」とも同じ意味だ。マルクスは要するに「価値」とは何かということについて、『資本論』を書いたといっても過言ではナイ。
もちろん、いま『資本論』を読むと、首肯出来ないところは在る。その部分は、すでに現代の科学が追い抜いてしまった部分で、マルクスもまた「時代の子」だったのだ。ミシェル・フーコーなどは、マルクス思想をある時代のエピステーメとして、積み重なる年代史の一地層として片づけてしまっている。
マルクスはヘーゲルの観念的弁証法を否定して、唯物論弁証法を打ち立てたのだろうか。そんなに粗雑なことをマルクスはヘーゲル思想に対してはやってはいないことは、たとえば『経済学批判要綱』が如何にヘーゲルの弁証法の影響の下に書かれているかだけで充分ワカル。むしろヘーゲルの弁証法には畏敬の念をもって、これをサンプリングして、リミックスしているのだ。その途上において、あまりに精神主義な部分は退けたと考えるほうがイイ。唯物論というと、まるで人間の観念や意識や精神を認めない理論のように喧伝されているが、それはまったく逆で、物質と人間との関係において、非科学的な部分を捨象していく過程において、人間の観念とは何かについて多くを考えている。唯物論弁証法を学ぶと、殆どが人間の観念(精神)作用について説かれていることに驚くはずだ。いってみれば、それは実存主義を科学的に解析していったようなものだ。人類が誕生するより先に宇宙には物質があったのだから、物質が優先される、てなことをレーニンは述べているが(どういう経緯があったのかはよくワカラナイが)そのレーニンですら、図書館にこもりきりで、ヘーゲルの著作は読破している。ついでにいうなら、現代の脳科学では、脳の機能や作用を説明できるのは哲学でいうとカントまでで、ヘーゲル的な脳機能(作用)は未だ説明出来ないでいる。
ここで、弁証法そのものについて言及しておくと、もっとも簡単にそれを述べるとするならば、いま、私の前にコップがあるとする。私はそれをコップだと判断する。(ここまではカントの対象認識)。ところが、人間の脳はそこで思考をストップさせない。次に、私はそれをコップと判断した、と、いう私を認識する。私-コップが、(私-コップ)-私になる。これは延々と続く。私はそれをコップと判断したという私を認識した私を認識している。というふうに。従ってこの精神現象をヘーゲルは「運動」だと定義した。弁証法とは精神現象が運動だということを主張する。
余談だが、シェリングの弁証法解釈はヘーゲルのそれを消極的と呼んだ。何故ならヘーゲルの対象認識(例におけるコップ)は「あるものがなんであるか」にのみかかわっており、「あるとはどのような事態であるか」について答えていないからだ。(続く)

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