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2013年8月 7日 (水)

『隻眼の少女』読後感

ご注意]本格ミステリの感想ゆえに、完全にネタバレとやらになっている。未読の読者には、以下の文言を読むことはお勧めしない。

『隻眼の少女』(文春文庫・麻耶雄高)を書店で選んで手にしたのは帯に「日本推理作家協会賞&本格ミステリ大賞 ダブル受賞」とあったからだ。私自身のミステリ狩猟は島田荘司氏で殆ど終わっていて、その後の「新本格派」「第三の波」だったっけ、そういうふうに称される作家の作品はあまり知らない。ということもあって、綾辻行人氏、北村薫氏、京極夏彦氏の作品は幾つかしか読んでいず、その後の新人作家(作品)は、まったくという程知らない。よって、要するに、いまの若い作家のお手並み拝見という気分で手にしたのと、もちろん、私だってミステリは戯曲も小説も書いていたので、どの程度のqualityがあんのかなと、自分の作品と比較するために、いっちょ読んでみるかという気まぐれが大きい。
この作品は、いわゆる「ノックスの十戒」第7項の[変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない]をミステリのルールとするならば、あきらかにルール違反だし、「ヴァン・ダインの二十則」の第2項[作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない]と第9項[探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである]に抵触している。
とはいえ、これらは古典ミステリの上での話でしかなく、というか、古典中の古典、本格ミステリのpioneerの『黄色い部屋の秘密』(ガストン・ルルー)においても、すでに破られているといってもイイ。つまり、新しいミステリは、大袈裟にいえばこの「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」の裏を極めて論理的に描くことによって、そのエンターティンメント性を打ち出すかにかかっているというても過言やナイ。
そういう点においては、この作品の果敢ともいえる挑戦は成功している。
けれども、私はこの作品を読んだが、正確にいうと、読んだのは殆ど話体部分(「」の中にある会話、対話、語り)だけで、文章体を読むのは、あまりにも下手(というかprototype)に過ぎて面倒だった。話体だけでも情報は得られるし(というのは、話体があまりに説明的だということなのだが)、文章体で書かれていることが話体で繰り返されたりというふうで、好みではなかったからだ。
で、最初の事件が起こったところまでを読んだ時点で、嫁に「この探偵の少女が犯人なんてことはないよな。そんな感じなんだけど、それならオモシロイかも知れないけど」と漏らしている。さらに三分の一あたりで、犯人は探偵の隻眼の少女か、その父親との共犯(この父親は途中で殺されるので、ミス・ディレクションされてしまったが)、つまり、これは隻眼の少女が母(これも隻眼の探偵だった)を継ぐためのテストなんじゃないかと指摘はした。これは勘でいったのではナイ。探偵の事件へのスタンスが、フィールド・ワークをこえて、フィールドに入り込み過ぎていること。最初の事件の推理以降の探偵の推理が極端に遅い理由が、事件の勃発を防ぐというよりも、事件を待機しているに過ぎること。大口を叩くわりには、推理が素人っぽくて、不自然な感じがすること。脇役の種田静馬がワトスン役としては、どうしても不適当で、彼が何か重要なファクターを持っていると思われるのに、作者も探偵も、そこに深く言及しないこと。などが挙げられる。
しかし、犯人の真の目的が父親殺しで、その動機が最も後半に語られるのは、これはいくらなんでもフェアではナイ。
正直なところ、私はちょっと安堵している。もちろん、私の書いたミステリ『ぶらい、舞子』(小峰書店)やミステリ劇『踊子』のほうがオモシロイからというのがその理由だ。よく出来ているとはいえ、『隻眼の少女』はヒマなぼんぼんの趣味程度だと思う。

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