無料ブログはココログ

« 剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・3) | トップページ | お詫び »

2013年8月16日 (金)

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・4)

私なりのコトバでいうと、こういうことだ。商品(の価値)は、同じもの(商品)でも、二つの顔を持っている。(マルクスはこの顔のことを商品の表現と述べている)。この顔(表現)を「価値形態」と称する。マルクスのコトバでいうと、塩一升は、「等価形態」としての顔(表現)を持ち、もう一つの顔(表現)として、「相対的価値形態」を持っているということになる。だから、塩一升を「等価形態」として扱うことも出来るし、また「相対的価値形態」として扱うことも出来る。
これは、商品を交換(売買)するときの価値の基準となる。
しかし、この顔(表現)は同時に一つになることは出来ない。人間が同時に二つの顔を持つことが出来ないのと同様に、一つの商品は同時に「等価形態」と「相対的価値形態」になることは出来ない。何故なら、塩一升の価値を塩一升では表せない(比べることが出来ない)からだ。売買が交換である限り、塩一升を塩一升と交換する者はいない。交換のさいに、塩一升と着物一反とを比べてみて、これは等価だなと思えば、交換出来るし、その塩一升は、他のもの、たとえば、鍋一個(の顔-表現)、包丁一本(の顔-表現)と比べてみて等しい価値(表現)を持っているとワカッタとき、塩一升に鍋一個を付けて、着物二反と交換出来ることになる。この商品の表現が交換価値と呼ばれるものだ。
では、これを貨幣にしてみるとどうなるだろうか。貨幣もまた商品だ。レートで売買されていることくらいは知っているはずだ。昨日1$が100円と等価だったとして、それを買っておき、今日1$が120円になったので、それを売れば、20円の儲けになる。貨幣も商品として売買の対象になるのだから、貨幣も同じように「等価形態」と「相対的価値形態」という顔(表現)を持っている。ところが、貨幣はまったく他の商品にはナイ本性たるものを持っている。着物一反にわずかのシミがあれば、これをB反と表現して、商品価値(交換価値)が下がるが、1万円札に長年使用した結果、汚れが生じても1万円だという交換価値は変わらないのだ。つまり、貨幣は商品としては極めて抽象的な存在だということだ。いくら骨董で千利休が使った碗だとしても、ヒビが入ってしまったり欠けたりすればその表現、交換価値は下落するが、ピン札だろうが、しわくちゃだろうが、1万円札は1万円の交換価値を下げない。それは、貨幣が「等価形態」であるときも「相対的価値形態」であるときも、同じだ。といって、貨幣が「等価形態」と「相対的価値形態」を同時に持っているというワケではナイ。ここのところは錯覚しやすいところだから、注意しておくべきだろう。もう一度たとえでいえば、ひとはあるレストランの客になることも、レストランのコックになることも出来るが、客とコックに同時になることは出来ないということだ。客のときは客としての比較評価があり、コックのときはコックとしての比較評価があるということだ。それはこういいかえることが出来る。「この客の味覚はこのコックの味覚に相等する」「このコックの味覚はこの客の味覚に相等する」。前者は客の味覚が等価形態に、後者は相対的価値形態に置かれている。もし、客自体として、コック自体として、比較しなければならないときは、コックとしての「相対的価値形態」か「等価形態」のcategoryの中でやらなければならないことだし、客の場合も同じことだ。「このコックの味覚はコックの味覚だ」「この客の味覚は客の味覚だ」は、表現として比較にはならない、出来ないということだ。それは「ピカソのAという絵は、ピカソのAという絵と同じ価値がある」といっているに過ぎない。しかし「ピカソのAという絵は、ゴッホのBという絵と同じ価値がある」は比較評価出来ることだ。(もちろん「ピカソはさすがにピカソだなあ」といういいまわしは出来る。その場合は、暗にピカソは別の画家と比較されているはずだ)
そうして1$が「等価形態」のときもあれば(そのときの等式の片側の日本円は「相対的価値形態」だが)「相対的価値形態」の表現をとるときもある。交換価値にはこのような二つの表現(顔)があり、その中で貨幣はさらに抽象的な共同性を本性として持っているということに留意しておけばイイと思う。

« 剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・3) | トップページ | お詫び »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/58002850

この記事へのトラックバック一覧です: 剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・4):

« 剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・3) | トップページ | お詫び »