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2013年8月 8日 (木)

剰余価値と「消費=生産」、資本 について

マルクス経済学においては、消費と生産は等しい(同じ)ものだとされる。同じものだということは、何かを生産すればその分だけ何かを消費し、何かを消費することはその分だけを生産するといういい方になる。いい方を変えれば、何かを生産するためには生産に必要な分だけの消費が必要になり、消費するということはそれ自体何かを生産しているということになる。具体的にいえば、生物体である人間は、生きるために食べるという消費を行なわなければならず、その場合の生きるというのは自分自身の生産に該る。
「剰余価値」とは、たとえば、100円で売る目的で生産したものの費用が30円であった場合、単純に70円の剰余が生まれるということで、商売の儲けはこれによって成り立っている。ところで、生産労働者は消費者でもあるから、本来ならば30円のものをつくっておきながら、これを購入するときに70円の余剰な金銭を支払わなければならず、この70円が何処へいくのかというと、資本家という者の懐に入り、生産労働者は資本家に70円の搾取を受けている。この70円が資本家の資本となるというのが、俗流のマルクス経済学の考え方だ。
ここで「消費=生産」式を当てはめれば、「30円=30円」だから剰余価値は生じないということになる。生産労働者は30円でつくられたもの(生産されたもの)を30円で買えば(消費すれば)イイ。というのも俗流マルクス経済学なのだ。
このような経済学は近代経済学、現代経済学からの批判を待たずとも、破綻をきたすことは、どんな素人がみてもワカリきったことで、いうなれば、生産労働者は、この「消費=生産」式をつづける以上、30円以上の商品をつくることは出来ないということになる。いつまでたっても、ダイヤル電話があるだけで、人類は永久にスマートホンを手に出来ないということだ。そこで、近代、現代経済学は資本は投資として必要なものだという詭弁を弄して、剰余価値が搾取ではナイという、これまた俗説をまことしやかにふりまく。つまり生産基盤を新しいものにしていくには投資が必要で、剰余価値はそのために使用され、その残余を資本家が懐に入れると、それが商売というものだと、開き直るワケだ。
マルクスの『資本論』は、このサイクルに関して、資本家と労働者の対立をいい、私腹を肥やす資本家を倒して、労働者はその剰余価値を還元される権利があると主張する。と、また俗流マルクス経済学(者)はいうのだ。
『資本論』において、マルクスがそのようなことを述べたところはどこにもナイ。マルクスが『資本論』で述べたことは、もちろん「資本」というものについてだが、人間はこの「資本」というものを間違って解していると、それだけだとするのがほんとうのところだ。それゆえに、まず『資本論』では、第一部として「資本の生産過程」を扱い、第一編として「商品と貨幣」を扱い、第一章として「商品」を扱い、第一節として、その価値形態を扱うという用意周到な順序を経て、貨幣というものが如何にして資本に転化するかを、第二偏で扱っているのだ。
おおまかにいってしまえば、『資本論』というのは、人間が「資本」というものを貨幣の蓄積であるかのように間違って解したために、逆に貨幣に人間が支配されてしまうことになったという「疎外」を述べているといって殆ど間違ってはいない。
単純に考えてみよう。もし「消費=生産」という等式を認めるならば、剰余価値というものが発生するというのは矛盾していることになる。剰余価値を発生させるには、前述したように30円のものを100円で売るという操作が成されなければならない。つまり、剰余価値とは、それを貨幣と考える以上自然の産物ではナイということだ。「消費=生産」という等式が間違っているワケではナイのだ。ここをいまの(『資本論』を読んでいないか誤読している)経済学者たちは、まったく理解していない。使用価値の大きいものが交換価値も大きいなどと、平気でいう経済学教授もいるご時世だから仕方ないかともため息するが、真理を見誤ってはいけない。
むしろマチガイは「資本=貨幣」という等式にある。マルクスは、資本が貨幣と等価になり、貨幣が価値を持つようになり、資本(貨幣)が資本(貨幣)を産むというサイクルが、資本主義となり、貨幣資本が価値を持つ、そのサイクルが人間を究極に「疎外」する、のが、資本主義社会というものだとだけ、『資本論』では述べているのだ。-続く-

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