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2013年8月

2013年8月31日 (土)

四行詩

つらいとか 苦しいとか 鬱々としている時間はナイのだぞ
おまえは おまえの 残り時間を知っているではないか
さいわい おまえの傷は みな急所をはずれている
だから コトバを もっとコトバを おまえはコトバなのだから

思想とは 占いや予言ではナイ
その時代のことしか ワカラヌものだ
先のことをとやかくいうのではナイ
しかし その時代のことは いいあてねばならない

厭世や 虚無よりも 徒労がうんとつらいものだ
成すべきこと 成してきたことが 徒労に終わるのは 世のさだめ
おまえの仕事も そんなふうになるのかも知れない
と いわれるからこそ おまえは薄笑いしながら 仕事をつづけられるのだ

2013年8月25日 (日)

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・6)

私は一介の物書き、売文業者にしか過ぎないから、経済学については素人だ。それにかなりトンチンカンな考え方をするので、このアト述べることもその範疇にある。それを承知で持論を展開する。
私は「消費=生産」という等式を、ひとつのサイクルとして取り上げれば、そのサイクル(cycle)は、それ自体が「資本」に転化し得ると考えている。
資本というものは、この「消費=生産」を細工して、剰余価値を生み出させねばならなかった。剰余価値そのものが、商品を抽象化した商品である貨幣として蓄積出来るところに資本が生まれるというのが資本主義の考え方だ。ここにハサミという商品があるとする。このハサミの使用価値は、「よく切れるかどうか」だ。ハサミを生産する場合、まず、ハサミを生産する工場を建てて、生産機械を並べ、研磨器具を並べ、出来たハサミを問屋へ流通するためのトラックを調達し、それらはときおりメンテナンスし、そうしてさらによく切れるハサミといハサミの使用価値を上げるために研究し、といったシステムの中にそれぞれの労働者を配置して、それぞれに賃金を支払わなければならない。マルクスの時代は、この労働時間というものが、重要視された。5時間働くか、8時間働くかによって賃金がチガウ。多い時間働くものはその分、賃金も多くなった。けれども、労働というものがパラレルになった現在、こういう考え方はもう通じない。パソコンの画面を観ながら、一方で需要と生産の市場バランスを計算し、他社製品のカタログを情報収集することも出来る。と、同時に新製品のデザインのプランを吟味することも出来るからだ。そのとき、プリンターはその日の会議資料をprint outしているかも知れない。ともあれ、労働に対しての賃金は、必ず剰余価値が生ずるようにして支払われる。この剰余価値は、投資に充てられる。例のバブルの時代は、経営者がこの剰余をまったくチガウ分野の不動産の売買などに充てて、取り返しのつかぬことになって、崩壊したものが多い。
投資した貨幣より、消費されて(商品として売れて)得た貨幣のほうが少なければ剰余価値は損金になり、さらに投資するためには銀行に銭を借り入れなければならず、この利子が払えなければ、不渡り手形を連発することになってあわれ倒産という羽目になる。しかし、ここに研究(という投資)によって「絶対刃こぼれしないハサミ」という新製品が開発され、これが爆発的に売れた。会社の倒産は救われた。こんな例は実例で多くある。たとえばアース製薬の「ごきぶりほいほい」。宝焼酎の「純」。などは有名なところだろう。
もちろん、これらも剰余価値から転化された研究費(投資)によって生じた商品表現だが、これを「消費=生産」のサイクルから考えてみると、「消費=生産」には「量」と「質」という二つの面があるのではないかという気がしてくる。量としてみれば、「消費=生産」は等式通りのものだ。何かを消費するということは何かを生産していることだし、何かを生産するということは何かを消費していることだ。しかし、消費←→生産がその内部だけで生じつづけるならば、エントロピーの増大で、不可逆的にエネルギーは量だけとなって、やがては飽和状態になり、運動は止まる。「消費=生産」という等式は、額面通りなのだが、この「消費=生産」が個人のコヒーレンス(自己生成)だとすれば、他者のそれとコヒーレントを生じて、いわゆる状態ベクトル(波の重ね合わせ)が起こる。これも双方向に関係する。要するに「消費=生産」を閉じられた系とはみなさないワケだ。これは関係する両者(あるいはさらなる複数)にとって、ひとつの「資本」とみなしうる。

2013年8月16日 (金)

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・5)

これもまた私なりのコトバでいうと、商品を売買するときの交換価値というのは、商品の「表現」の度合いなのだ。二つの商品の表現をを度量衡で計測しているようなものだ。だから、表現が優れているものほど、交換価値は上がるということになる。たとえば、自動車(car)などはどうだろう。これにも「等価形態」と「相対的価値形態」がある。等価形態として観たばあい、これと何かを交換したければ、同じqualityの表現を持つ車を相対的価値形態としての自動車の中に捜せばイイ。等号で結べれば、交換OKということになる。また、その自動車がどの程度のqualityを持っているのかを調べたければ相対的価値形態としての自動車のcategoryの中で、比較してみればイイ。そこでAランクだと解れば、交換のときは、等価形態と等号で結べる自動車を捜せばイイ。
これはまったく物々交換だが、世の中には貨幣というものがある。だから、交換したい自動車を100万円だと決めれば、貨幣100万円と交換すればイイ。貨幣価値というものはそういうものだ。単なる札束(紙)なのだが、100万円だという誰にも共通の抽象性を保持している。その後、自動車はガタがきて、値打ちが下がるかも知れない。しかし、貨幣もまたインフレで、100万円が50万円に下落することもある。それは商品の表現としての宿命とでもいうものだ。
話をタイトルに副ってもどそう。おさらいをすると、「消費=生産」の等式が正しければ剰余価値は生じてこない。従って世間でいわれる資本というものも蓄積しようがナイ。だから、操作が行なわれる。100円でつくったものを300円で売る。ここに200円の剰余価値が生じる。これを資本という。のが、資本主義の考え方だ。だが、マルクスは、それは間違った考え方だと説いた。およそ資本というものはそういうものではナイといったのだ。それはこういうふうにもいえる。資本主義が間違っているのではなく、資本主義は資本というものを間違っている経済主義なのだ、と。資本主義の資本とは、貨幣だ。それがたとえ金1㎏の塊でも、レートによって換金出来るから資本になる。アメリカにはゴールド・ラッシュという時代があった。山師たちが、金の鉱脈、砂金を求めて一攫千金の夢を膨らませた時代だ。素材だけでいえば、金は単なる鉱物にしか過ぎない。しかし、交換価値の表現がチガウ。やはり貨幣は価値だ。およそどんな商品とも交換出来る。ひとの命よりも価値がある。一発の核で数十万人の命が失われようと、戦争に勝てば、占領して属国とした領土から資源やら労働力(敗戦国民)が得られる。経済的に支配が出来る。要するに銭だ。いまの世の中、銭だ。銭が仇の娑婆世界だ。それはアカンのとチガウか、というふうにマルクスはいいたかったのだ。銭が、公平に行き渡ればイイんじゃないか、という話ではナイのだ。公平にだろうが、不公平だろうが、人間が貨幣に疎外されている世界はダメだと、そういったのだ。では、どうすればイイ。資本というものにおける正しい考えを身につけなければならない。では、「ほんとうの資本」とは何だろう。マルクスが提出した答は、いたって単純なものだ。「資本とは人間そのもの」。だから、共産主義社会というのは、人間が人間をとりもどす社会だと、いっただけだ。人間があるべき人間として生きる社会。これが共産主義社会なのだが、これはかなり大雑把なスキームとしかいいようがナイ。

お詫び

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・3)が脱けて、(続・4)が掲載されていることに昨日、気が付きました。読者諸氏にはご迷惑をおかけいたしました。順序通り、並べなおしました。まったく、猛暑のせいです。

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・4)

私なりのコトバでいうと、こういうことだ。商品(の価値)は、同じもの(商品)でも、二つの顔を持っている。(マルクスはこの顔のことを商品の表現と述べている)。この顔(表現)を「価値形態」と称する。マルクスのコトバでいうと、塩一升は、「等価形態」としての顔(表現)を持ち、もう一つの顔(表現)として、「相対的価値形態」を持っているということになる。だから、塩一升を「等価形態」として扱うことも出来るし、また「相対的価値形態」として扱うことも出来る。
これは、商品を交換(売買)するときの価値の基準となる。
しかし、この顔(表現)は同時に一つになることは出来ない。人間が同時に二つの顔を持つことが出来ないのと同様に、一つの商品は同時に「等価形態」と「相対的価値形態」になることは出来ない。何故なら、塩一升の価値を塩一升では表せない(比べることが出来ない)からだ。売買が交換である限り、塩一升を塩一升と交換する者はいない。交換のさいに、塩一升と着物一反とを比べてみて、これは等価だなと思えば、交換出来るし、その塩一升は、他のもの、たとえば、鍋一個(の顔-表現)、包丁一本(の顔-表現)と比べてみて等しい価値(表現)を持っているとワカッタとき、塩一升に鍋一個を付けて、着物二反と交換出来ることになる。この商品の表現が交換価値と呼ばれるものだ。
では、これを貨幣にしてみるとどうなるだろうか。貨幣もまた商品だ。レートで売買されていることくらいは知っているはずだ。昨日1$が100円と等価だったとして、それを買っておき、今日1$が120円になったので、それを売れば、20円の儲けになる。貨幣も商品として売買の対象になるのだから、貨幣も同じように「等価形態」と「相対的価値形態」という顔(表現)を持っている。ところが、貨幣はまったく他の商品にはナイ本性たるものを持っている。着物一反にわずかのシミがあれば、これをB反と表現して、商品価値(交換価値)が下がるが、1万円札に長年使用した結果、汚れが生じても1万円だという交換価値は変わらないのだ。つまり、貨幣は商品としては極めて抽象的な存在だということだ。いくら骨董で千利休が使った碗だとしても、ヒビが入ってしまったり欠けたりすればその表現、交換価値は下落するが、ピン札だろうが、しわくちゃだろうが、1万円札は1万円の交換価値を下げない。それは、貨幣が「等価形態」であるときも「相対的価値形態」であるときも、同じだ。といって、貨幣が「等価形態」と「相対的価値形態」を同時に持っているというワケではナイ。ここのところは錯覚しやすいところだから、注意しておくべきだろう。もう一度たとえでいえば、ひとはあるレストランの客になることも、レストランのコックになることも出来るが、客とコックに同時になることは出来ないということだ。客のときは客としての比較評価があり、コックのときはコックとしての比較評価があるということだ。それはこういいかえることが出来る。「この客の味覚はこのコックの味覚に相等する」「このコックの味覚はこの客の味覚に相等する」。前者は客の味覚が等価形態に、後者は相対的価値形態に置かれている。もし、客自体として、コック自体として、比較しなければならないときは、コックとしての「相対的価値形態」か「等価形態」のcategoryの中でやらなければならないことだし、客の場合も同じことだ。「このコックの味覚はコックの味覚だ」「この客の味覚は客の味覚だ」は、表現として比較にはならない、出来ないということだ。それは「ピカソのAという絵は、ピカソのAという絵と同じ価値がある」といっているに過ぎない。しかし「ピカソのAという絵は、ゴッホのBという絵と同じ価値がある」は比較評価出来ることだ。(もちろん「ピカソはさすがにピカソだなあ」といういいまわしは出来る。その場合は、暗にピカソは別の画家と比較されているはずだ)
そうして1$が「等価形態」のときもあれば(そのときの等式の片側の日本円は「相対的価値形態」だが)「相対的価値形態」の表現をとるときもある。交換価値にはこのような二つの表現(顔)があり、その中で貨幣はさらに抽象的な共同性を本性として持っているということに留意しておけばイイと思う。

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・3)

武士たちは、俸禄米支給日に自ら浅草のお蔵に出頭し、蔵米を受取り、米問屋に売却した。ところが、いつの時代も代行業が起こってくる。それらの面倒な手続きを代行する業務を取り行ったのが札差と称されるものだ。資料によると、彼らは蔵米支給日が近づくと、得意先の旗本・御家人からそれぞれ手形を預かり、御蔵から米が渡されると、食用の米を除いて残りの米を当日の米相場で現金化し、手数料を差引いて、現金と米を各屋敷に届けていた。ところが、やがて蔵米の受け取りを代行するだけではなく、旗本や御家人に蔵米を抵当にして金を用立てるという金貸しを始めた。となると、金に困った武士は札差に次回支給される蔵米の受領・売却を依頼すると確約し借金をするようになった。これが返せればいいが、そうは、まさに問屋が卸さない。
さて、ここで、前回のあの等式にもどる。
      米一升=塩一升=着物一反
ここで、塩一升を海水から精製するのに、人件費が高騰したり、新しい製法を導入したりして、その原価が上昇したとしよう。また、絹の着物が、蚕の餌である桑の葉が不作で、一反の価格が上昇したとしよう。そうすると、
      米一升五合=塩一升=着物一反
というふうに価格は変動していく。これは市場で価格が決定されているのではナイ。あくまで、それは生産現場の情況によるという証左だ。おまけに米相場において、現金化の手数料を札差が上げたなんてことになっては、武士は困窮する。米一升で得る貨幣が次第に減少していくからだ。
この価格の変動を交換価値の変化としてマルクス経済学は考える。米も塩も一反の着物も使用価値には変化はナイ。つまり、使用価値は、市場での価格を決める価値ではなく、市場では、それぞれの交換価値によって、取り引きがなされるということだ。
この交換価値をマルクスは「等価形態」(比べることで相手の商品に等価であることを知らせられる状態)と「相対的価値形態」(何かと比べてみて価値がわかる商品の状態)とに分けた。これを等式で表してみる。左項を「等価形態」、右項を「相対的価値形態」ということにすれば、つまり、塩一升を「等価形態」と考え、着物一反を「相対的価値形態」と考えると、等式は
     塩一升=着物一反
になり、その逆に塩一升を「相対的価値形態」と考え、着物一反を「等価形態」とするならば、等式は、
     着物一反=塩一升
になる。
何故、こんな面倒なことをマルクスはやったのか。こんなのひっくり返せば同じじゃないかよ。と、誰だって思うんじゃなかろうか。この辺りで、帝京大の経済学教授などは、このような等式を一笑にふしてしまうのだ。しかし、私たちはもう少しこの等式につきあってみようじゃナイか。

2013年8月15日 (木)

マスク・THE・忍法帳-終

 平吉が観たものは、いまでいうならちょうどコンパクトディスクあたりの大きさと形状を持つ、何かのフィルターのように透明で、極薄い円盤状の物体が、無数に飛来する様子であった。それぞれはかなりの速度で回転しているらしく、飛び方は無軌道で、愛染医師の予想したように、次第に溶解してしまった。その間に、身体の肉をデタラメに切開、切断していくのである。透明な上に飛行速度が速く、数の多さから、これを封じることも抗することも不可能に思えた。ただ、飛距離には限度があるとみえて、殺戮の行われている間、檜垣は、その飛行圏内から出ていればいい。
 ということは、簡単にいえば、檜垣の立っている場所が最も安全ということになる。しかし、平吉はふつうの者ならそういう戦法をとるところを、さらに深読みして、これを避けた。もし、平吉がそういうふうな戦法に出たとしたら、すでに檜垣はこれを察しているはずで、それなりの対処の攻撃があると考えねばならない。
 檜垣の左の人工左腕から、風閂が発射された。
 平吉は二重回しのままズタズタになったが、本体がそこにはナイのはいうまでもない。「土遁の術かね」
 と、檜垣が、第一撃の風閂の飛来が落ち着くと、そういって笑った。
「たとえ土に潜ろうと、出て来なくば闘えまい」
 確かにそうである。そうして、出ていったが最後、再び、風閂が襲ってくる。
「攻撃は最大の防御なり、逃げ回っているだけなら、車の中の女性は頂戴して帰るが、文句はないな」
 新介にもそのコトバは聞こえた。舞が新介の手を強く握った。
「心配ありません、師匠には、必ず何か策があるはずです。それがなくてヤツの前に姿を現すワケがありません」
 そう、新介は舞に告げた。しかし、当の新介にも、その戦術の見当はついていない。戦車にでも入って対しなければ、防ぎも攻撃も出来やしない。
「風閂の旦那、攻撃は最大の防御なりとは、どの書からの引用か知ってるかい」
 と、そういう平吉の声がした。
 そういえば、このポピュラーな箴言の出典は何なのか。檜垣も知らなかった。
「さあ、ね、どうせ、孫子の兵法あたりだう」
 と、答えたが、
「残念でした。孫子はまったくその逆のことならいってるけどね。旦那のいった、おおいに流布されているその箴言は、囲碁将棋の、囲碁の格言でしかナイんだな」
「そうかね。まあ、何でもいいが、いい加減に出てきたらどうだ」
「ああ、いま、出ていってやるよ」
 たしかに、土遁の術であった。檜垣の前方の土堤の土が土砂崩れを起こすと、装甲車が一台、姿を現した。戦車とまではいかないが、装甲車である。
 檜垣が胆をつぶしたのは、いうまでもナイ。
「貴様、戦争を始める気か」
「いったろ、戦争とはこういうもんだと」
 いくら風閂でも、装甲車の鉄板は貫けない。その装甲車が、檜垣めがけて突進して来たのである。
「なんというヤツだ」
 唾棄するように叫んで、檜垣は、横に飛んだ。
 この様子を観ていた新介は笑いが込み上げて来るのを感じた。
「やっぱり師匠、やることが違う」
 舞も苦笑いのような表情でその様子を観ている。
 と、座席シートの下から声がした。
「どうじゃ、なかなかオモシロイ趣向じゃろ」
 新介も舞も足下を観た。すると、前部シートの後ろ側がパカッと口を開けて、二十面相平吉が顔を出した。
「師匠」
「あの装甲車はハリボテのラジコン操縦だ。俺の手下が、草むらの影から操縦している」「いつから、そこに」
「出発のときからさ。装甲車は、あの風閂が出そうな場所数カ所に仕込んでおいたが、いくらハリボテでも、ちと、銭がかさんだな。張旦那と戸沢機関の連中には、車から離れるなといっておいたんだが、油断したな。可哀相なことをした」
 いうと、平吉はすっかりカラダを現した。それから運転席に座って、イグニションを回した。
「この張旦那のセダンは装甲車なみの防弾だ。さて、これから、敵のボスを引っ捕らえにいくとするか」
 セダンが発進する。
 檜垣が、そのセダンに向って駈けて来る。舞を何がなんでも拉致する気でいるらしい。 檜垣との距離、三間。セダンは急停車して、ドアが開けられ、二十面相が降り立った。今度はほんとうに二人のライバルは対峙して屹立したのである。
「お送りしようか、風閂の旦那」
「地獄の土産に教えておく、我が名は檜垣源信」
「あっそ」
 と、いうが早いか、平吉は檜垣めがけて飛んだ。その頭上を飛び越えて、檜垣の向こう側に降りた。檜垣が振り向く。
「接近戦では、風閂は使えないとでも思ったか」
 不敵な口調で、自身の左腕に手をかけた。
「そんなことは思っとりゃせんが、風閂はもう使えん」
 一瞬、眉を顰めて、檜垣は人工腕のスイッチに触れた。だが、超薄型の小型円盤を吐き出す口からは何も出て来ない。それもそのはず、発射口が、ゴム状のもので塞がれてしまっている。いつの間に。
 この事態に怯みもせず、咄嗟に檜垣は次の行動に出る。S& Wが胸元から抜かれて、平吉に狙いをつけた。が、それよりほんのコンマ1秒ばかり速く、平吉のデリンジャーが火を吹いて、檜垣の小型拳銃を弾き飛ばした。
「お互い、飛び道具はナシでいこうか」
 といわれる声を聞いた途端、樋口の捨て身のごとき飛び蹴りが宙を飛んだ。その足の爪先あたりを掴んで捻り、檜垣のカラダが中空で裏返ったそのとき、掴んだ足を中心にして平吉のカラダは円弧を描いて回転すると、踵は正確に檜垣の後頭部にめりこんでいた。
 檜垣のカラダが地面に落ちたさい、平吉の膝は今度は檜垣の脊髄の急所らしきところに一撃をくれた。
「技におぼれるものは、技に没す。これは誰がいったか知らんだろう」
 という、平吉のコトバに、樋口は地べたしたまま、答えない。
「いま、俺の作ったおコトバだ」
 ようよう、檜垣は両手を支えにして起き上がった。
「風閂が敗れたとき、すでに私の負けは決していたというのだな」
「原爆とて、打ち落とされる日が来る。その次は打ち落とされない原爆が発明されるだろうがな。要するに武器や兵器にゃキリがないんだよ、おっさん」
「なるほど、しかし、私もただでは死にたくナイ。道ズレ、あの世までご同行願おう」
 と、檜垣はベルトあたりに何かを捜した。おそらく、おのれのカラダに仕掛けた自爆装置の端末でもあったのだろう。そう、あったのだ。それは、いま平吉が手にして、檜垣にみせている。
「これだろ。いいかね、檜垣さん。二十面相というのは、泥棒なんだ。盗みの天才なんだよ。こんな物騒なものは困るな。まあ、こういうものを常備しているとは思ったが」
 遠くに自動車の迫って来る音が聞こえ始めた。
「あれは、おそらく新介、俺の弟子だか、そいつの無線連絡で、張と戸沢機関の連中が駆けつけてきたんだろ」
 檜垣は、観念したらしい様子をみせながらも、落ち着いた声でいった。
「お前は『デモクレスの剣』ノートの全貌を知りたくないのか」
「知りたくないね。おそらく舞さんが語り終えたとき、彼女には永遠の眠りが訪れるような仕掛けがしてあるんだろう。彼女の命とは引き換えられないな」
「この先、この日本がどうなってもかまわんというのだな」
「ああ、かまわんな。二十面相は、日本の未来なんざに興味はナイんじゃ」
「日本の未来、ふふ、世界だぞ。世界が手に入れられるというのに」
 それを聞いて、二十面相平吉は高らかに笑った。
「ハッハッハ、世界なら、いつでもこの俺が二十面相が盗んでくれよう」
 檜垣を取り囲むように、張の部下と戸沢機関の連中が、銃器を構えている。
「おいおい、平吉くんよ、こんな安手の簡単安直なラストシーンでいいのかい」
 檜垣は、まだ逃げる秘策でもあのか、嘲笑うようにそういった。
「ああ、いいんじゃ。二十面相シリーズのおしまいは、たいていこういうふうだからな」 チッといったかどうか、檜垣が渋面をつくった、と、そのとき、誰が発砲したのか、一発の銃声が聞こえ、檜垣の側頭から血が吹いた。みなが、銃声のほうをみると、舞が拳銃から紫煙をあげて、立っている。銃口は、まだ檜垣のほうを向いたままだ。
「お父様の仇、そうして、多くの人々の仇、お許しください。私、やってしまいました」
 こうして、血で始まったエピソードは血で終わったのである。
 例の『デモクレスの剣』ノートに何が記されていたか、それを知るひとは、この事件の時点から五十年後のひとたちだけとなる。つまり、現在を生きる日本人の・・・。

                              終幕

2013年8月14日 (水)

マスク・THE・忍法帳-45

「いよいよ、来たか。ともかく、ボスに無線連絡だ」
 チーフの指令で、一人が車内にもどって、現状を報告した。新介も舞もこれを聞いた。「何が起こっているんですか」
 と、舞は新介に訊ねた。
「大丈夫です。張のボスの想定どおりです。張のボスは、舞さんの浅草詣でをそのまま信用したワケじゃありません。こういう事態を頭に入れてのことだったのです」
 無線連絡を終えた部下が、後部座席を振り向くと、こう伝えた。
「このセダンは、特注ですから、ライフルの弾は貫通しません。ともかくここにいて下さい。それが最も安全です」
 ライフルによる狙撃はナイと新介は情況を分析した。しかし、車の中のほうがさしあたっては安全に違いない。ともかく自分は舞の傍を離れないことだ。と、新介は決めた。後方の戸沢機関の車からも数名の機関員が外に出てきた。双眼鏡などを用いて、周囲を索敵している。と、ガス状の薄い霧のようなものが、沸き上がり、それは次第に濃くなってセダンのまわりは真っ白になってしまった。もう、張の部下も戸沢機関の者の姿も霧の中である。
 舞は、強く新介の手を握りしめた。もちろん、この霧は異変である。その異変に恐怖しているのである。
 やがて、新介の耳に唸りや叫びが聞こえ、5分ばかりで、霧は晴れていった。
「窓から外を観てはいけません」
 と、新介は舞にいったが、少々その忠告は遅きにすぎた。
 舞は、車窓から外の様子を観て、我が眼を疑った。周辺の雑草は朱に染まり、ズタズタに切断された手足や首が転がっていたのである。これが、師匠から聞いた真空風閂というヤツか、新介は咄嗟にそう合点した。
 それにしてもなんという残酷非道な術なのか。生きている者はひとりもいない。およそ六体の屍が、何処が誰のものかワカラナイほどに寸断されて飛び散っているのである。いったいこんな凄まじい術から、舞をどうやって守ればいいのだろうか。ともかくは車から出ないことしか、策はナイ。
 霧が完全に晴れてしまうと、フロントガラスを通して30メートルほど先に、二つの影が互いに向かい合いながら屹立、対峙しているのを新介は観た。片方はまぎれもなく師匠の二十面相平吉であり、おそらくもう片方は敵の首魁であろう。
「もう動けるのかい、二十面相」
「おかげさまでね、傷の治りが早いのも取り柄さ」
「今度は、傷では済まないよ」
「そりゃ、そうだろう。あんなものをマトモに喰らったら、一瞬にして肉屋に売り飛ばされても仕方なくなる」
「私は、お前を殺したくないんだ。出来れば一緒にこれからの日本のために闘ってもらいたいのだが、どうだろう」
 冗談でいっているような気配ではなかった。
「いったい、それはどういう意味かな」
 平吉も真面目に相手に問うた。
「『デモクレスの剣』ノートには、日本再軍備、原水爆配備への道程がフローしてある。いったいどういう手順なのかは、もちろん、私も知らない。すべてはあの舞という女性の深層意識に眠っている。そうして、それが独立国家日本としての再建の道でナイことも私には見当がついている」
「独立国家ではナイ、とは」
「講和条約を結ぼうとも、これからの日本はアメリカ合衆国の従属国にしか過ぎない。米国のための亜細亜の砦として、この列島は、ソビエト連邦、中華人民共和国、に対する万里の長城として、太平洋の片隅に位置させられるのだ。しかし、『デモクレスの剣』ノートにおける日本の重工業と軍備の再建の計画は、うまく活用すれば、まさにデモクレスの剣同様、両刃の剣となって、米国にもその切っ先を向けることが可能となるだろう。先の大戦で、日本の神道は米国のプロティスタンティズムに敗れた。日本の天皇制に終止符を打つために、弥勒教団が立ち上げられたといったら、二十面相、貴君はどう思う」
 なるほど、そういう野望があったのか、と平吉は了解した。
「あいにく、俺は無神論、無宗教でね」
「そんな与太ないい分の通用しないことは、貴君が承知だろう。ヒロシマ、長崎に原爆を落すとき、トルーマンは自国民になんといったか、アメリカは神の造りたまえし最強の国だと演説したのだ。いいかい平吉くん。アメリカ合衆国というのは世界一巨大な宗教国家なのだ。それがこれから、ソ連と中国というマルクス主義国家を相手に鍔迫り合いをするのさ。勝ち目がどっちにあるか、おそらくそれは『デモクレスの剣』ノートに記されてあるはずだ。私はそこまで察しをつけているんだ」
「すると、あんさんの目的は」
「日本の、真の独立だ。世界戦略のキャスティングボードを日本が握るのだ」
 そのとき、平吉は如何なる理由でか、鬼のような形相になった。それまでの口元の不敵な笑みも消えて、燃えさかる地獄の炎に、亡者を突き落とすかのような羅刹の瞳を風閂檜垣源信に向けて、睨み据えた。
「おのれは、先の戦争で、人間がどんなふうに死んでいったのか、もう忘れたか。生き残った人間がどんなふうに這い上がったか、観てこなかったか。俺は幾十人の幼い子供たちが、地と肉を土に染めてのたうち回ったのを、この眼を観た時、ひとであるのをやめた。いまはその名残すら留めぬようになった帝都の瓦礫に、黒く灰となった屍を観た時、この世界というものが、取るに足らぬと厭世した。しかし、その俺に、すがるように救いを求めて、俺を抱きしめた者のあった時、真に憎むべきものに辿り着いたのだ」
 その言を聞いて檜垣はせせら笑った。
「甘いわ、二十面相、遠藤平吉。その地獄とやらに、貴様を送り届けてやるわ」
 檜垣は、着ていたジゃンパーを脱ぎ捨てた。上半身は裸体であった。しかもふつうの裸ではナイ。左腕の肩あたりから肘あたりまでが、鋼鉄の造作物になっていた。隆々とみえた腕の一本は、根元から作り物であったのだ。
「そうか、風閂はそこに仕込んであったか」
 平吉も身構えた。
 檜垣の鋼鉄の左腕が唸って振動し始めた。
「檜垣源信というらしいな。真空風閂なるけったいな術、さっき拝見させてもらった。沖縄では、霧の中での突然の出来事に唖然とするばかりだったが、今度は二度目だ。張旦那の部下と戸沢機関の連中には不幸だったが、ありゃあ、抵抗のしようも救いようもナイ。殺戮圏内から離れて観察するのがやっとだっぜ」
「霧の中をよく、観ることが出来たな」
「霧といっても、所詮は霧煙、何処か一部を吹き飛ばして覗ければいい。モーターばかりは威力のある扇風機で、風閂の殺戮の様子は一部だが覗いて観ることが出来た。愛染博士からのヒントどおりだったよ」
「仕組みがワカッテも、このワザに立ち向かう術はナイぞ」
「そういうことは、ナイんじゃ。いまに原水爆に立ち向かう新兵器ですら登場するに決まっている。戦争とはそういうもんだ」

2013年8月13日 (火)

マスク・THE・忍法帳-44

 幸いなことに檜垣よりも先に新介のほうが現れた。新介は師匠を背中に担ぐと、脱兎のごとく葉子の病院に運んだ。態勢が整えられていたらしく、すぐに手術室に入れられると傷口を縫われて、包帯を巻かれ、個室のベッドに寝かされた。
 薬で眠らされたとみえて、深い眠りから醒めると、葉子の顔があった。
「新介はどうした」
 と、平吉は葉子に訊いた。
「舞さんの警護にまわるって、飛び出していったわ」
 さすがだなと、平吉は感心した。情勢判断が正しいのである。
「傷の具合はどうだ。どれくらいで動ける」
「三日は寝てないとダメよ」
 そうか、じゃあ、明日から大丈夫だなと、平吉は自分なりの算盤を弾く。

 シーンはあの洋館の応接間に移る。この前と同じように、檜垣とコードネームをシャークと称する青い眼の男がソファに身を沈めている。表情ひとつ変えない樋口に対して、シャークは苦り切ったとでもいえばいいのか、それが皮肉な口元の歪んだ笑みにみえる。
「惜しいことをしましたね」
 と、シャークが切り出した。
「それは、私の組織の者の死に対してですか」
「もちろん、そうです。と同時に、今後の戦略がお訊ねしたいですな」
「もう、送り込む刺客は、組織には存在しません。といって、どんな助っ人を要請したとて、二十面相に勝てる見込みはありません。先の三名の刺客は、そんじょそこいらの殺し屋とは格が違ったのです。それをもってして、やっと二十面相を手負いにしたのみ、ということは、正面攻撃も全て失敗に終わったということです。とはいえ、ここで表立って攻勢をかけて、舞を拉致すれば警察が動きます。それはあまり上手い策とはいえません。戸沢機関と張大元の組織の守りは鉄壁でしょう」
「では、ミスター檜垣、この勝負、負けですか。それは困りますね」
「あいにく黒菩薩は、刺客組織でね。女性を拉致する訓練はされていません。ただ奪い取ればいいという安易な作戦が失敗したとみるべきです」
 シャークは、それまでの皮肉な笑みを棄てて、テーブルを拳で叩いた。
「他人事のようにいうのはよせ」
「まあ、そんなにヒステリックにならないでもらいましょう。こちらから近づけないとするならば、向こうから出てきてもらえばいい」
「それは、どういうことだ」
「壺中舞のほうから、こちらに出向いてもらうのです」

 舞は突然届いた、み知らぬ差出人からの封書の封を切って、中の手紙らしきものを読んだ。父親の死と、貴女の狙われている理由が知りたくば、浅草寺仲見世『さより』まで出向かれたし。と記されてあった。これはうまい場所を指定してきたものだ。浅草寺にお参りにといえば、外出の理由は簡単である。しかも、敵の刺客は全て二十面相が屠ったと聞いている。張はそれでも、身近な護衛数名、さらに姿を隠しての護衛も数名を用意して、この浅草寺詣でを許可した。おりしも、三月三日、雛祭り。
 この護衛の中には新介の姿もあった。また付き添いの看護婦として葉子も同行した。
 しからば平吉は・・・。とりあえず長屋にその姿をみることは出来なかった。

 舞は浅草寺の参詣をすますと、仲見世をゆっくりと、『さより』という名の店を捜しながら歩いた。土産物屋なのか、菓子屋なのか、それとも。
 ところが、仲見世の途切れるところまで来ても、『さより』などという小料理屋風情の名前の店をみつけることは出来なかった。み落としたか、それとも、何かの悪戯か。
 アタリマエのような話であるが、檜垣にとって、『さより』という店があろうがなかろうが、そんなことはどうでも良かった。この風閂の男にしてみれば、舞を誘い出すことが出来ればそれで良かったからである。
 しかし、復興の進んだ浅草で、その人だかりの中から舞を略奪するのは、いくらなんでも無謀なことだ。さすれば、その帰途、何処かで、ということになる。そういうことを新介は推察していたが、張もまた腹心の護衛にそのことを伝えおいた。張が此度の舞の浅草寺詣でを許したのは、おそらく敵は最後の闘いを仕掛けてくるであろうという目算の上でのことである。
 場所の特定は難しかったから、新介の闘争本能という神経系統は、常に働いていた。ノガミで少年たちを束ねていたときと同じである。無論、その敵と闘うことは彼の作戦にはなかった。話に聞いた敵のワザから、舞を護る、カラダを張って護る。ただそれだけが新介の作戦といえた。
 中心市街を少し離れると、この頃はまだ砂利道を囲うようにして蒼茫たる荒れ地が、夏は草いきれを放つのだが、いまこの季節、やっと芽吹いた幼草が、大地を覆っていた。やがては、そこも浅草やジュクと同様の賑わいをみせる街になるに違いない。東京の復興は急ピッチで進んでいた。当時の日本は、目刺しに豆腐の味噌汁の昼飯で、夜は大根と豆の煮つけ、焼き魚、といった、現在からは考えられないほどの粗食であったが、そのせいでか、およそメタボリックなどという幻影に悩まされる労働者などはいなかった。
 舞を乗せた張の組織の高級セダンは、小刻みに揺れながら、何事もなく岐路についていた。舞は拍子抜けした顔つきで、後部座席に座っていた。しかし、新介の神経はここでいっぱいに張りつめた。動物的な予感がしたのである。案の定、セダンの前輪が突然パンクした。他の護衛のチーフが、新介と舞に、外には出ないように指示すると、拳銃を片手に部下二人と外に出た。つかず離れず、セダンのアトを走っていた戸沢機関の乗用車からも数名の者が身構えるようにして、飛び出した。
 張の部下の一人はパンクを点検して、チーフに伝えた。
「撃たれましたね。消音の狙撃ライフルでしょう。飛距離から考えると、近くじゃありませんが、そのままライフルで攻撃されたら、危険です」

2013年8月12日 (月)

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続・2)

「価値」を語るにおいて、マルクスの次のコトバ(説)はタイセツだ。
①労働に価値はナイ
②価格は市場で決まるものではナイ。
どちらも、「そんなことはナイだろう」という感じがするだろ。感じがするだけではナイ。帝京大学の経済学の教授による新書には「価格というものは市場で決まるのです」と書かれてある。この教授は世間知に疎いから、同書では「消費者はより安いものを買うべく努力するのです」とノータレている。どっちもウソだ。
とりあえず、①から解説する。労働は尊いものだ、働かざるもの食うべからずだ。というようなことは殆ど常識として語られている。まるで道徳のように。しかし、たいていの庶民大衆は「働かないで食えればなあ」と思っている。でなければ、宝くじは売れない。労働が刑罰だということは、聖書にちゃんと書いてある。(旧約-創世記)。また、「働かざるもの食うべからず」というのも聖書のコトバだ。(テサロニケ後3-10)。①は、こう書き直すとワカリヤスイ。「労働そのものには価値はナイ」。ワカリヤスクなったか。さらにいうならば、価値があるのは労働することによって得ることの出来る賃金であり、その賃金で買える(交換出来る)ものであり、買った(交換した)ものによって創られる自らの生産。これがほんとうの価値なのだ。これを「労働の対象化」という。いまのところ、賃金は貨幣で支払われるから、何か欲しいものと交換するには貨幣だ。ここで、価値は貨幣にあるように私たちは錯覚してしまう。つまり、働かなくても貨幣が手に入るなら、それほど楽なことはナイ。「これだけあれば、一生遊んで暮らせるぞ」と、たいていの二流ドラマに出てくる悪人はいうだろ。「お金では買えないものもあります」と、善人はいうかも知れないが、そんなことを本気でいうのは充分に金のある者だけだ。たしかに銭では買えないものはある。「寿命」、まあ、これはそうかも知れない。とはいえ、癌患者にとっては、自らの余命を伸ばすのは、保険外高額治療(だいたい、月に300万円くらいかなあ)なのだ。「持ってて邪魔になるものではナイ」のが銭だ。「遠くの親戚より近くの友人より、手持ちの銭」のほうが頼りになる。「貧すれば鈍す」だ。だから剰余価値はあればあるだけイイ。ように思ってしまう。しかし「消費=生産」というこのサイクルそれ自体の中に「価値」があるとしたらどうだろう。これは、のちほど考える。
②、価格、つまりものの値段が市場で決まるということは、ナイ。あるとすればテキ屋の商法くらいなものだ。さて、ここに米が一升あるとする。その価格は、その時点で塩一升と同じだとする。また着物一反と同じだとしよう。簡単に記すと
   米一升=塩一升=着物一反
ということになる。と、ここで余談になるが、江戸時代に武士は貨幣で賃金を得ていたのではナイことは、時代劇を観ていればワカル。武士の収入源を俸禄という。俸禄は家禄と職禄の合計で、家禄は先祖の功績によって決められている。これはいわずと知れた「米」で支払われていた。それを「切米」と「知行米」という。切米は、下級武士、御家人の俸給で、現物支給。知行米というのは、旗本など中・上級武士の俸禄で石高であらわす。いわゆる二百石とか、三百石とかだが、これはそれだけの年貢が受け取れる領国の領主になるのと同じことだ。さらに「役高」という職務手当てが付く。たとえば、「知行三百石、役高千二百石」なら、合計の千五百石が俸禄になる。よく時代劇に出てくる三十俵二人扶持とかいうコトバは、切米で、1年間に基本給として米30俵と、追加分の職務手当て二人扶持分が支払われるということだ。
ところで、江戸時代は物々交換をしていたワケではナイ。武士は、頂戴した米を現金化しなければならない。ここに札差と呼ばれる両替商が登場する。(続く)

マスク・THE・忍法帳-43

平吉は泥棒道具の鉄線を取り出した。それを鎖鎌の鎖のように回転させ始めた。これで匕首の攻撃距離に敵が迫ってくることは防げるはずだ。と、その鉄線の動きが止まった。鉄線の先、おりんがそれを握って立っていた。平吉は左手しか使えない。鉄線と同時に匕首を使うことは不可能だ。平吉は鉄線をぐいっと引き寄せた。しかし、手応えがナイ。おりんの姿は消えた。と同時にそれは平吉のすぐ横に現れて、平吉の右脇腹を匕首で刺したのである。
 平吉は、すぐさま飛びのいた。匕首というものは刺されただけで死ぬことはナイ。逆刃をそのまま引き上げられるとき、まるで切腹させられているのと同じ、腸を抉られることになる。それを未然に防いだのだ。
「見事じゃの、平吉。されど、この勝負はもうみえておる。冥土の土産によろしきものをみせてしんぜよう」
 おりんはどてらをストンと落すように脱ぎ捨てた。全裸の肢体がある。それは老女のものではナイ。若いともいえないが、まだ脂ののった年増の裸体だ。
「不老の術というのがあっての」
 と、顔だけは老婆のおりんが、今度は声を出して笑った。
「果心居士より伝わりし、秘術よ」
 果心居士、かの伝説の仙術使い。空を飛び、屏風に描かれた船に乗り、信長の時代から江戸末期まで生きたと伝えられる、山岳行者の始祖である。
 おりんは匕首を、ぶるんと一振りした。あっという間に匕首が、長ドスに変容した。
 なるほど、全ては目眩ましか。平吉は逆に相手の術を悟った。
「上級の手妻というやつかいの。自分からそれを告げるとは、世話ないわい」
 平吉は匕首を棄てた。
「どうなさった。負けを認めるのかえ」
 と、勝ち誇ったおりんの高笑い。
「いんや、素手で充分」
 平吉は、左手一本、拝むようなカタチで差し出した。
 如何に幻術の類とはいえ、足と脇腹の傷はほんものだ。闘いが長引くと平吉の不利になるのは目にみえている。
 ポタリ、ポタリと、右腕から血が滴る。平吉はその滴る血の音を聞いている。現実はその音だけだ、という平吉の判断である。そうしてまた、その血の滴る音を聞くことによって、自己催眠を行っているのだ。相手のあの連鈴と御詠歌のような念仏唱和は、催眠術の一種らしい。そこで、平吉は逆におのれに催眠術をかけることによって、相手の催眠術から抜け出ることにしたのである。
 相手の声は聞こえない。自身の血の滴りだけが、自らの耳に聞こえる。
 おりんも、そのことに気づいたとみえ、容易には近寄らない。平吉の衰弱を待つつもりらしい。
 平吉が仕掛けた。平吉の二重回しが、その俗称のトンビのごとく翻った。しかし、本体の平吉はそこにはナイ。平吉はおりんめがけて走ると、その二間ばかり手前で、殆ど直角にスライドした。眼前にはおりんが驚愕の眼をして立っている。
「追いついたようだの」
 これは、おりんの強がりともいえた。平吉の左手が、おりんの右胸を突いた。突いてそのまま引き戻すと、肋骨が一本、その左手に握られている。
 殆ど同時におりんの長ドスが空を斬ったが、平吉は握った肋骨をおりんの額に突き立てた。
「すまんな婆さん、年寄りにやるべき残虐なことではなかったが、あんさんの催眠術から逃れるためには、自分の闘争本能を最大値にせにゃならんかったのよ」
「なんともはや、恐ろしいヤツ」
 倒れ伏したおりんのカラダから、紫色の煙が吹き出て空に昇った。どうやら敗北の報せらしい。その全裸のおりんにどてらをかけると、平吉は脇腹を押さえて膝をついた。傷は深くはナイ。しかし、右手に左太股、そうして脇腹。それ以前に陳の毒で右手が不能になっている。まさに手負いである。平吉は土管に背中を預けた。

2013年8月11日 (日)

マスク・THE・忍法帳-42

この老婆が、この齢で、自分と匕首で勝負をつけようとするのか。平吉は少々憐れな気がした。が、それが杞憂であることは数秒後にワカッタ。
 おりんは、なんと、匕首を振り上げるようにして、そのまま平吉に向って投げたのである。匕首は平吉の心臓に向って飛んできた。平吉は左手に握った匕首でこれを撥ね退けようとした。と、その瞬間である。飛んできたはずの匕首を、握っている老婆おりんが眼前に立っていた。
 ヒュッと風を斬る音とともに、平吉の二重回しが右手もろとも斬られた。右手に感覚があったら、どれだけの傷かワカッタろうが、それすらワカラヌ。ただ、確かに右手に老婆の匕首は深く斬り込んだのである。
 おりんの口から漏れる御詠歌が、平吉にただならぬ恐怖心を抱かせた。こんな経験は初めてである。平吉の右手からは血が流れて雑草に散らばった。
 眼を開けているのか閉じているのか、おりんはただ念仏を歌うように唱和している。次いで第二撃がきた。今度は左太股に痛みが走った。まさか、と平吉はうろたえた。身切れぬハズはナイのに、どうしたことか。傷は浅かったが、確実に斬られてはいた。
 相手の動きが恐ろしく早いのか。だが、相手は還暦をとおにこえているらしい老婆だ。そんなはずはナイ。すると、やはり毒のせいで、自分の身体能力がかなり低下しているのか。ともかく、そんなことをいちいち判じてられない。平吉は、今度は攻撃に転じた。地ずりから、逆さ上方に匕首を撥ね上げた。しかし、おりんの影はナイ。おりんは土管の上に胡座をかいていた。
 動体視力が追いつかない。やはり毒のせいなのだろうか。と、平吉は思った。しかし、なんのせいにせよ、このままでは劣勢を立て直せない。おりんの御詠歌だか念仏だかが、渦巻くように聞こえてくる。もはや、土管の上のおりんすら幻影に思える。してやられたか。術中にはまったか二十面相、平吉。

2013年8月10日 (土)

マスク・THE・忍法帳-41

陳竜の骸がすぐ傍らの弥勒教団専有墓地に埋葬されている。両手を腰の後ろに回して軽く握り、その様子を薄く目を開いてみつめながら微動だにせず立っている檜垣に、黒菩薩の平組織員から伝達が走り込んだ。いまならさしづめ携帯電話が鳴ったことだろう。伝達者に対して、檜垣は、小さく「うむ」といっただけだ。
 最後の刺客であるおりんの姿がみえないと、伝達者は告げたのだ。
 最早、檜垣はおりんに期待など寄せてはいなかった。おりんの技が如何なるものかも檜垣も心得ている。二十面相に勝てないこともナイだろう。しかし、相も変わらずそれは五分五分といったところである。やはりあの男は己が風閂で血祭りにしなければ終わらないのかも知れない。しかし惜しい。あれだけの手練、そしてそのバックにどれだけの者が彼と組みつるんでいるか。それを考えると、これからの組織には是非とも必要な人物だ。
 と、チリンと小さな鈴の音が聞こえた。振り向くと、おりんが養女にしている娘の千絵である。まだ十六のあどけない顔がそこにあった。
「千絵女か、何か」
「婆さまが出ていかれました」
「いま部下から聞いた」
「もうもどることはナイと、私に申されました」
「そうか」
「ただ、相手も、檜垣さまの望みどおりにと申されました」
 何処にそんな自信があるのだろう。
「生死のほどは保証しかねるが、と」
「そうか」
「もし、檜垣さまが、このコトをお聞きになって、訝しげな顔をされたら、こう申せとお聞きしました」
「何だ」
「陳は未だ敗れたことのナイ刺客。もし、倒されるようなことがあっても、相手にそれなりの報復は仕掛けてあると」
「報復・・・」
 初めて檜垣は、その訝しげな顔というものをみせた。
 陳の毒殺の技は門外不出のものばかりで、配下に毒の教育をしていても、自身が闘う時にそのような毒を用いた試しはナイ。ひょっとすると、何か死に際に、二十面相に対して悟られぬような一撃を仕組んだのかも知れない。何れにせよ、おりんとの最後の闘いに吉報を待つまでだ。

 長屋にもどって平吉は、いつもより激しい疲労をおぼえた。それは看護婦の葉子にうったえねばならないほどのものであった。葉子はとりあえず、ビタミン注射だけをして、診察を勧めたが、平吉は、しばらく横になると蒲団に入った。
 一時間ばかり、寝汗をひどくかいて、起き上がったが右肩から右腕、さらに指の先までの感覚が失われている。これはどうしたことだろう。思い当たるのは、陳との闘いの際に何かヤラレタということだけだが、記憶はナイ。平吉は葉子の勤める病院まで出向いて診察を受けたが、原因がワカラナイ。ただ感覚のナイ部分の神経がマヒしていることには間違いはない。次いで毒物の検査を受けたが、それらしき痕跡はあるが特定が出来ないという結果であった。やはり、陳が死に際に何か仕掛けたに違いない。とりあえず、幾種類かの解毒剤を静脈注射すると、病院を出た。
 昭和二十七年の東京は、いまだあちこちに戦争の爪痕である空き地がごろごろと、その姿を残している。空襲の際に直撃弾を受けて、地面に大穴が開いたのを更地にしたのがそのまま放ってあるのだ。片隅にはやがて下水工事に使用されるのであろう、コンクリート製の土管が積まれていたりする。その寂しい道を歩きながら、平吉は考えていることが一つあった。たしかに右腕の感覚を喪失させたのは陳の毒に違いない。しかし、何故、彼は右腕だけに毒の効果を留めたのだろうか。そんな隙があったのなら、死に至らしめる毒も用いることが出来たはずだ。これはけぶなことであった。
 
 冬の終わりの冷たい夕陽が長い影法師をつくる刻、平吉は空き地に積まれた土管の上に老婆がチョコンと座っているのを観て、足を止めた。殺気を感じたからではナイ。その光景が異様といえば異様であったからだ。老婆は分厚いどてらを身に纏っていた。そうして紫の風呂敷包みを抱いていた。異様というのは、それ以外、身につけているものがなかっからだ。つまり、どてら一枚の下は襦袢でも他の肌着でもなく、裸体だった。老婆は平吉を観ると、歯のない口を開けて笑った。もちろん、声には出さない。破顔をみせたというのが正しい。
 老婆は、一瞬にして土管から消え、一瞬にして空き地の瓦礫に腰掛ける姿で現れた。飛んだらしい。おそらく常人にはワカラナカッタろう。しかし、平吉の動体視力は群を抜いている。
「婆さん、おんしで、終わりくらいかの」
 と、平吉は、もう殺し合いは厭きたというニュアンスをいっぱいにして、老婆に問うようにいった。
「風閂の檜垣を勘定に入れなければ、わしで終わりじゃ。檜垣はおまいを生け捕りにせよというておったが、わしの腕では無理じゃ。おそらく朱色も陳もそう思うたに違いない。しかし、よほど運のいいヤツよのう、遠藤平吉。陳が最後に用いた毒はおまいの命をば、奪うはずじゃったが、おまいが武器に使ったのが唐辛子だったのが、おまいの運の良さというべきじゃろ。唐辛子の主成分はカプシサイシン。これは、脳内物質のアドレナリンの分泌を促す。これには強心作用がある。それが毒の効果を少々打ち消したようじゃわ。知らんかったじゃろうが、よくぞまあ生き残った」
 なるほど、そういうことだったのか。平吉は納得がいった。亀の甲タイプ、三環系化学式はワカラヌが、泥棒道具の唐辛子がここに至るまで自分を助けるとは、思っていなかった。しかしながら、その平吉の右手は風邪に吹かれる柳の枝のようにただぶら下がっているだけだ。
「さて、わしにも術やら技はある。じゃが、おまいには到底、かなわぬじゃろ。ここはこのおりん婆、最期の闘いじゃ。それらしゅう、闘おうて」
 おりんは、紫色の風呂敷包みをほどいた。中から匕首が二本。
「好きなほうをとりなされ。ちょうど右手が使えんのがハンデというもんじゃ」
 そういうと、今度は袖から連鈴とでもいえばいいのか、連なった鈴を一房取り出した。そうして、それを軽く振りながら念仏のようなものを唱和し始めた。鈴の音は硬い。唱えているのは歌のようでもあるから御詠歌かも知れぬ。
 平吉は老婆に近づくと、匕首を一本、取って抜いてみた。どこにも細工はナイ。
 おりんも匕首を抜いた。片手には連鈴、そのままだらりと構える。御詠歌らしきものは続いている。

2013年8月 9日 (金)

剰余価値と「消費=生産」、資本 について(続)

マルクスを経済学者だと思ったり、共産主義国家を名乗る国々の思想的バックボーンだと考えているひとは多いと思う。でも、それは、じぇーんじぇん勘違いだ。また、マルクスはヘーゲルの観念論弁証法を否定して唯物論弁証法を提唱したひとだと解説している入門書めいたものもあるけど、これも的外れだ。マルクスには自然哲学もあるし、社会民俗学的な考察もある。芸術論もある。それに、現在の社会主義国家、ロシア、中国、等々のマルクス主義というのは、前者はレーニンがマルクスを解釈して自身の学説とした、マルクス≡レーニン主義だし、後者はマルクス≡毛沢東主義だ。(≡は物理学にもちいる「○○を定義とする」の記号)後者は毛沢東という中国共産党の指導者がマルクスを自分なりに解釈したのに過ぎない。日本共産党の場合は、マルクス≡スターリン主義と称して差し支えない。(スターリン主義とは、一国社会主義のことで、社会主義国を建国、強化、繁栄させ、他国へもその影響が及んで社会主義国が増えるという理屈)。だから、いちがいにマルクス主義と名乗ってはいても、解釈の仕方がまるで違う。私にいわせれば、どれもがマルクスの思想とは関係ナイ。だいたい、共産主義国家というものは存在するワケがナイ(ので、社会主義とはいってるけど)。何故ならマルクスの述べた共産主義というのは、国家を過渡期の存在としてしか認めない。もっというならば、国家を消滅させるための機能的手段として国家を必要としているだけだからだ。
演劇について書くのに、ちょっと飽きてきたところなので、私の理解している限りのマルクス思想をやってみることにする。
マルクスが主張したことは、一言につきる。それは「価値」というものだ。この場合の価値とは「生きる価値」の価値でもあり、「家族の価値」でもあり「恋人の価値」や「牛丼一杯280円」とも同じ意味だ。マルクスは要するに「価値」とは何かということについて、『資本論』を書いたといっても過言ではナイ。
もちろん、いま『資本論』を読むと、首肯出来ないところは在る。その部分は、すでに現代の科学が追い抜いてしまった部分で、マルクスもまた「時代の子」だったのだ。ミシェル・フーコーなどは、マルクス思想をある時代のエピステーメとして、積み重なる年代史の一地層として片づけてしまっている。
マルクスはヘーゲルの観念的弁証法を否定して、唯物論弁証法を打ち立てたのだろうか。そんなに粗雑なことをマルクスはヘーゲル思想に対してはやってはいないことは、たとえば『経済学批判要綱』が如何にヘーゲルの弁証法の影響の下に書かれているかだけで充分ワカル。むしろヘーゲルの弁証法には畏敬の念をもって、これをサンプリングして、リミックスしているのだ。その途上において、あまりに精神主義な部分は退けたと考えるほうがイイ。唯物論というと、まるで人間の観念や意識や精神を認めない理論のように喧伝されているが、それはまったく逆で、物質と人間との関係において、非科学的な部分を捨象していく過程において、人間の観念とは何かについて多くを考えている。唯物論弁証法を学ぶと、殆どが人間の観念(精神)作用について説かれていることに驚くはずだ。いってみれば、それは実存主義を科学的に解析していったようなものだ。人類が誕生するより先に宇宙には物質があったのだから、物質が優先される、てなことをレーニンは述べているが(どういう経緯があったのかはよくワカラナイが)そのレーニンですら、図書館にこもりきりで、ヘーゲルの著作は読破している。ついでにいうなら、現代の脳科学では、脳の機能や作用を説明できるのは哲学でいうとカントまでで、ヘーゲル的な脳機能(作用)は未だ説明出来ないでいる。
ここで、弁証法そのものについて言及しておくと、もっとも簡単にそれを述べるとするならば、いま、私の前にコップがあるとする。私はそれをコップだと判断する。(ここまではカントの対象認識)。ところが、人間の脳はそこで思考をストップさせない。次に、私はそれをコップと判断した、と、いう私を認識する。私-コップが、(私-コップ)-私になる。これは延々と続く。私はそれをコップと判断したという私を認識した私を認識している。というふうに。従ってこの精神現象をヘーゲルは「運動」だと定義した。弁証法とは精神現象が運動だということを主張する。
余談だが、シェリングの弁証法解釈はヘーゲルのそれを消極的と呼んだ。何故ならヘーゲルの対象認識(例におけるコップ)は「あるものがなんであるか」にのみかかわっており、「あるとはどのような事態であるか」について答えていないからだ。(続く)

マスク・THE・忍法帳-40

「簡単にいえば、そうじゃが、そんなことは信じられんじゃろ」
 陳は、嘲笑を浮かべて、平吉にいい返した。
「わしには毒は効かぬ」
「そうそう、それじゃ。そういうことも書いてあったな」
 陳は眉を顰めた。
「書いてあったというのは、何か毒のことについて、調べてきたのか」
 平吉は陳を観ようともしないで話しつづける。
「だから、ゆうたやないか。俺は泥棒だと。ゆんべ、残らず調べさせてもらったと。もちっと具体的にいうと、いままで俺の喋ったことは、あんさんの日記だか日誌だか、分厚いノートに書いてあったのを読ませてもろうたんよ」
 再び指の関節をポキッと鳴らしたのは、もちろん陳のほうである。
「きさま、ほんとうにわしの住居に忍び込んだというのか」
「そんなことは、不可能だ、と、たいていアトが続くんじゃろが、泥棒にかけては、二十面相に不可能はナイのよ」
「まさか、あの金庫を開けたと」
「~毒など存在しない~これはあんさんのノートに朱書してあった文句よ。それと、腐毒という毒についても、俺にはそれを使ってみると書いてあった」
 ここで、平吉は半身を起こした。
「あんさんは、今朝、いつもの時刻に目覚めると、新聞受けの中に俺が残した封筒を開けた。~ウメバヤシ デ マツ。二十~、そこでさっそく、準備にとりかかる。ところが俺のほうの準備はもう整っていてね」
「つまり、きさまは、昨晩、わしの家屋に忍び込み、隠し金庫を開け、わしの重要書類を読んで、いま、腐毒に対する処方を施しているというのだな」
「ああ、お察しの通りじゃ。それくらいは難なくやるのが、怪人二十面相だからな」
 陳はまだ半信半疑ではあったが、腐毒というのは、あまり知られていない毒である。それをこの男が知っているということは、と、まさかの文字が脳裏に過った。
「もし、それがほんとうのことだとして、たとえ、腐毒が通用せぬとしても、わしが用いる毒はそれだけではナイ」
 半ば、鎌をかけるつもりで陳はいってみた。
 平吉は、立ち上がった。それからポケットから何やら小箱を取り出すと、四間ばかり離れた陳の足下に、それを投げた。小箱は地面に落ちた勢いで蓋が開いて、中からチューブ絵の具が転がり出した。
「手妻のタネ、その二かな。あんさんの毒の貯蔵室に並べてあった瓶の中身は全部、ただの色水にすり替えた」
「きさま、そんなことが」
「そんなことをするのが、二十面相やと、いうたじゃろ」
 陳は今朝も毒を調合したばかりである。
「馬鹿な。だからといって、まさかこのわしが、単純な色水と毒とを間違えるほど耄碌していると思っているのか」
「そうは思うとらんよ。確かに、毒は色をとってみても、無色透明なものから、まさにこれが毒だといわんばかりの毒々しいものまでいろいろだからな。おまけにその臭いまで俺のような素人には判別出来んじゃろ。としたら、どうすればいい。あんさんを俺なみの素人にしてしまえばいい。まあ、あんさんほどの手練になれば、いちいち色を観たり、臭いを嗅いだりしなくても、どれが何の毒かは、ワカルんじゃろうが、熟練者ほど用意周到なものだということは、よおく、知っている。ところで、毒なら俺も使うことがある。刺客という仕事柄、あんさんも知ってるだろうが、番犬などの犬どもの嗅覚をマヒさせてしまう毒だ。とはいえ、そういう難しい毒を使うとそれを使ったことがあんさんにバレてしまう。だから、イチバン簡単便利な毒でない毒を使わせてもろうた。なんだと思う。唐辛子さ。唐辛子は犬にも効くんでね」
「唐辛子、だと」
 いったい唐辛子などというものを何に用いたのか。陳は、そのときおのれの脳の中で、まるでコンピュータのごとく、唐辛子なるものを用いて、手中の毒役を無効にするか、自分の毒に対する五感をマヒさせる手立てがあるかないか、演算した。
「なんなら、あんさんの仕込みの毒の小針でも、俺に投げてみるかい。素手で受け止めてみせるが」
 平吉は両の掌を広げて、全面に突き出した。
 こやつの自信は、まさか。と、陳はおのれの鈍色の疑心に、いささかひるんだ。と、このとき、陳の周囲に桃色の煙が炸裂音とともに噴出した。
「毒ガスっ」
 と、陳は声にするでもなく胸の内で叫んだが、それが唐辛子弾であることを判別するのにコンマ、1秒とかからなかった。
 たしかに陳の身体に毒は効かない。だが、唐辛子は毒ではナイ。しかも、いままさに、平吉の口から唐辛子に対しての講釈がなされた直後だ。
 何か意味があるのか、いったい昨夜、唐辛子で毒をどうしたというのだ。と、思う間、唐辛子の煙幕は、陳の粘膜を襲った。陳は、涙腺と咽喉に打撃を被った。涙と咳と嚔がアレルギー患者のそれのように襲ってきた。
 遮二無二、陳は、毒の小針を乱射した。周囲は煙で何もみえなかったが、平吉の気配のする辺りに向けて、小針を飛ばした。このうちただの一本でも掠れば、命はナイはずだ。もし、昨夜、毒をただの水に詰め替えられたのでナイとすれば。
 もう、おわかりだろうが、すでに陳は平吉の心理戦術に翻弄されていたのだ。平吉の話は金魚鉢から人魚を釣ったとでもいえばいいのだろうか、あり得るワケがナイ、が、あり得るかも知れないと考える人種にとってはあり得る話しだ。で、その釣り糸が唐辛子だといわれたとき、陳の脳髄の毒における公理系が、飛車を斜めに動かされるような、攻めにあったというべきか。
 毒のような正確無比に扱わねばならないシロモノは、1㎎の100分の1の単位までを考えなければならない。そういう緻密な薬物を扱う者の精神、もしくはそれで殺人を常に思惟する者の脳髄に対して、意味ありげで不可解な、不条理な禅問答のような講釈をふっかける。
 ここにおいて、二十面相平吉が、昨夜、陳の家屋に浸入したのかどうか、それすらも、陳にはもう判別が不能になっている。
 唐辛子弾の煙幕が薄れて、二つの影が対峙して立っているのがみえた。
 片方の男の喉に、鋭利に折られた梅の枝が突き刺さっているのが判明するのに、さほどの時間はかからなかった。男は、声を出すことも出来ず、ただ、片方の黒ずくめの若者を睨みながら、その場に膝をついた。
 平吉は簡便な風邪用のマスクをしていた。それから水中眼鏡(ゴーグル)をかけて。
「俺の話の何処からどこまでがほんとで、ウソか、あんさん、考えなすったろ。その答えを教えてもええが、聞いても地獄の閻魔さんに申し開きの足しにはならんよ」
 陳の喉に突きたった梅の枝の、一輪の梅が、腐毒で枯れた。と同時に前のめりに陳のカラダは倒れた。
 このとき、梅の花に舞い飛んでいた蜜蜂が一匹、平吉の首筋にとまっていたのを平吉は気づかなかった。蜜蜂は、尾針で平吉の首を刺すというほどでもなく、殆ど人体には感じない程度に引っ掻くようにして、飛び去った。まだ開いていた陳の目は、それを確かめると、微かに笑ったようにみえた。

2013年8月 8日 (木)

剰余価値と「消費=生産」、資本 について

マルクス経済学においては、消費と生産は等しい(同じ)ものだとされる。同じものだということは、何かを生産すればその分だけ何かを消費し、何かを消費することはその分だけを生産するといういい方になる。いい方を変えれば、何かを生産するためには生産に必要な分だけの消費が必要になり、消費するということはそれ自体何かを生産しているということになる。具体的にいえば、生物体である人間は、生きるために食べるという消費を行なわなければならず、その場合の生きるというのは自分自身の生産に該る。
「剰余価値」とは、たとえば、100円で売る目的で生産したものの費用が30円であった場合、単純に70円の剰余が生まれるということで、商売の儲けはこれによって成り立っている。ところで、生産労働者は消費者でもあるから、本来ならば30円のものをつくっておきながら、これを購入するときに70円の余剰な金銭を支払わなければならず、この70円が何処へいくのかというと、資本家という者の懐に入り、生産労働者は資本家に70円の搾取を受けている。この70円が資本家の資本となるというのが、俗流のマルクス経済学の考え方だ。
ここで「消費=生産」式を当てはめれば、「30円=30円」だから剰余価値は生じないということになる。生産労働者は30円でつくられたもの(生産されたもの)を30円で買えば(消費すれば)イイ。というのも俗流マルクス経済学なのだ。
このような経済学は近代経済学、現代経済学からの批判を待たずとも、破綻をきたすことは、どんな素人がみてもワカリきったことで、いうなれば、生産労働者は、この「消費=生産」式をつづける以上、30円以上の商品をつくることは出来ないということになる。いつまでたっても、ダイヤル電話があるだけで、人類は永久にスマートホンを手に出来ないということだ。そこで、近代、現代経済学は資本は投資として必要なものだという詭弁を弄して、剰余価値が搾取ではナイという、これまた俗説をまことしやかにふりまく。つまり生産基盤を新しいものにしていくには投資が必要で、剰余価値はそのために使用され、その残余を資本家が懐に入れると、それが商売というものだと、開き直るワケだ。
マルクスの『資本論』は、このサイクルに関して、資本家と労働者の対立をいい、私腹を肥やす資本家を倒して、労働者はその剰余価値を還元される権利があると主張する。と、また俗流マルクス経済学(者)はいうのだ。
『資本論』において、マルクスがそのようなことを述べたところはどこにもナイ。マルクスが『資本論』で述べたことは、もちろん「資本」というものについてだが、人間はこの「資本」というものを間違って解していると、それだけだとするのがほんとうのところだ。それゆえに、まず『資本論』では、第一部として「資本の生産過程」を扱い、第一編として「商品と貨幣」を扱い、第一章として「商品」を扱い、第一節として、その価値形態を扱うという用意周到な順序を経て、貨幣というものが如何にして資本に転化するかを、第二偏で扱っているのだ。
おおまかにいってしまえば、『資本論』というのは、人間が「資本」というものを貨幣の蓄積であるかのように間違って解したために、逆に貨幣に人間が支配されてしまうことになったという「疎外」を述べているといって殆ど間違ってはいない。
単純に考えてみよう。もし「消費=生産」という等式を認めるならば、剰余価値というものが発生するというのは矛盾していることになる。剰余価値を発生させるには、前述したように30円のものを100円で売るという操作が成されなければならない。つまり、剰余価値とは、それを貨幣と考える以上自然の産物ではナイということだ。「消費=生産」という等式が間違っているワケではナイのだ。ここをいまの(『資本論』を読んでいないか誤読している)経済学者たちは、まったく理解していない。使用価値の大きいものが交換価値も大きいなどと、平気でいう経済学教授もいるご時世だから仕方ないかともため息するが、真理を見誤ってはいけない。
むしろマチガイは「資本=貨幣」という等式にある。マルクスは、資本が貨幣と等価になり、貨幣が価値を持つようになり、資本(貨幣)が資本(貨幣)を産むというサイクルが、資本主義となり、貨幣資本が価値を持つ、そのサイクルが人間を究極に「疎外」する、のが、資本主義社会というものだとだけ、『資本論』では述べているのだ。-続く-

マスク・THE・忍法帳-39

黒菩薩、風閂の檜垣の方針が、壺中舞の拉致からはっきりと二十面相殲滅(もっとも檜垣自身は平吉を味方に引き入れたいという野心があるのだが)に変わったということは、当の平吉にも了解出来ていた。アルプスの闘争からこっち、二十面相ある限り、舞を奪取することは難しいという判断である。
 たかだか市井の泥棒と高をくくっていた油断と侮りは、黒菩薩精鋭の無残な敗北と累々たる死につながった。檜垣にしてみれば、一気にこれを解決したいところだが、頼みの元教官のひとり、朱色の剃髪、間宮幽門も呆気なく倒された。檜垣以上に事の重大さに気づいたのは刺客として命を受けた元教官の、二人である。
 陳龍は、中国名を名乗ってはいるが、中国人だかどうか正体を知っているものは組織の中にはいない。戸沢機関の義勇隊4名にとって不運であったのは、陳の得意とする術が毒殺術であったということである。
 陳は、義勇隊の放つ短針銃の針も受け止めたし、青酸ガス弾も身に包んだ。しかし、
「残念だが、諸君、私には毒は効かぬ」
 とだけ彼らに通達すると、同じ種類の毒を以て、義勇隊を屠ってしまった。
 この事実を知っている者は、平吉しかいない。何故、というと、平吉は4名の屍体の観察から、敵は彼らよりも毒に熟達した者と、そう推測して、おそらく外れてはいないだろうという確信を持っていた。
 毒ほどやっかいな武器はナイ。どんなに練達した技術を持った武芸者も、毒には勝てない。如何なる達人も毒の前には通常人と変わらない。それゆえ、日本でもおそらく西洋でも、王や将軍などの毒味役は、幼い頃から食事に少量の毒を混ぜられて、毒を中和する身体をつくり、また毒に対する敏感な舌を養ったとされる。従って日本の将軍家の毒味役は代々継がれていったもので、急にお役目が変わるといったものではなかった。もちろん、食事に盛られた少量の毒で命を落とした幼少の者も多くあった。それに生き残った者が毒味役として、将軍の台所の頂点にあったのだ。
 おそらく敵は毒を知り尽くしている。あらゆる毒の攻撃が平吉を襲うだろう。平吉は出来得る限りの中和剤を準備はしたが、それも限界がある。いったいどんな方法で敵は毒を使うのか、もっかの所計り知れない。殺された4名も、自分たちの準備した毒で葬られている。つまり、ここでも敵は用心深く、おのれの手の内を明かしていないのだ。
 しかし、逃げることは出来ぬ。
 それだけが平吉に与えられた最高綱領である。
 平吉は、初めて葉子と新介を前にして、遺言めいたことを述べた。もし、我が命、天運の守護なく消え去ることあらば、二人は契って生きていくよう、そういう望みを語ったのである。
 で、二人に大笑いされた。「私たち、契りはときどきやってるけど」と葉子にいわれて平吉はしどろもどろになった。そのアトそれを半ば誤魔化すかのように新介が「ボスは泥棒やないですか」と目からウロコのようなことをいった。
「おっと、そうじゃったな。このところ血なまぐさいことばかりにかまけていたので、それをうっかりしとったわい。なるほど、新介、さすがはノガミの大将じゃ。お前の知恵には頭が下がる」
 つまり、と、ここからアトは陳と平吉の死闘がそのワケを物語る。
        
 弥勒教団の別荘地は、教団幹部の他に、黒菩薩の功労引退者が豪勢な邸宅を建てて住んでおり、他には保養地の寮のような棟があった。野球場が幾つも入るような広大な敷地面積を持っており、まだ家屋の完成していない部分は、更地か梅林になっていた。その紅白の梅の香りの中、平吉は潜むというのではなく、ただ無防備に寝転がって、陳の登場を待っていた。空はすでに春の色をしている。
 陳龍、毒の刺客。その音もなく邪悪な影は、梅林を歩いて横切るだけで、周囲の梅を枯らした。あるいは、それが彼の術なのか、その身そのものから毒を放っているらしい。
「そっちから出向いて来るとは、どういう魂胆なのだ」
 と、陳は、遠く梅の木のあいだに寝そべっている平吉をみつけると、そういった。
「死んだ四人のおかげで、つまりあんさんに返り討ちにされた戸沢機関の四人のおかげでというか、あんさんの住まいがワカッタもんでね。いままではこっちから仕掛けるということはなかったが、・・・ああ、あったか、江ノ島で。それはもう、どうでもええわい。早い話が、俺としては、ひとが殺されるということは戦争で厭になっとるんよ。しかし、護るものは命を懸けて死守せにゃならんからな。猛毒使いだろうが、禽獣の類だろうが、倒さねばならん者は倒していかねばならん」
 陳は不敵に微笑むと、
「このわしを倒しにのこのことやってきたのかね」
「俺が来なくても、いずれ、あんさんが来るんだろ」
 陳が歩を進めると、咲き誇っていた梅が黒ずんで枯れた。
「で、そんなところで何をしている」
 すでに勝利を手中にしたかのような余裕をもって、陳は平吉に問うた。
「これが今生名残の、みおさめの青空かと、そう思ってな」
「殊勝というか、覚悟がいいというか、おかしな奴だの」
 ゆっくりと陳は平吉に近づく。
「ところで、毒というモノは存在しないらしいな」
 と、平吉は妙なことを口走った。このコトバに陳は不必要なほどに動揺したようだったが、
「どういうことだ」
 それを隠すように、陳は平吉に問い返した。
「毒にもクスリにもなる。というのがほんとうのところらしい。つまり毒は薬に、薬は毒にという、そういうもんらしいな」
 陳は、おそらく俄仕込みであろう平吉の学問に苦笑しながら、「そうだ」と応えた。
「二十面相に、あんさんが使ったような、のこのこというコトバはナイんじゃ。知ってのとおり俺の本業は泥棒でね、ゆんべは、あんさんのところに忍び込んで、いろいろと勉強させて貰ったよ」
 何のことをいっているのか、戸惑いで陳の動きが一瞬、止まった。
「あんさんは、中野学校の裏組織で、毒殺の教鞭をとっていなすったんだね。つまり、それはこういうことでいいのかな。敵を毒殺することと同時に、敵に毒殺されなく生き延びる。その両方のお勉強だと」
 確かにそういうことを陳は、教えていた。
「あんさんが俺に近づいて来ると、梅が枯れていく。その毒は、腐毒というもんやの。あんさんの息なのか、体臭なのか、とにかくあんさんの放っている毒が梅を枯らしていっとるということやの。そのまま、ここにあんさんが来ると俺も腐って死ぬ。まあ、そういう絵を描いてるワケじゃの。ところで、その逆のことが起こったとしたら、どうなさる」
 陳は、長い両袖の中国服から両手を出すと、指の関節を鳴らした。
「わしが、腐毒で死ぬとでもいうのか」

2013年8月 7日 (水)

『隻眼の少女』読後感

ご注意]本格ミステリの感想ゆえに、完全にネタバレとやらになっている。未読の読者には、以下の文言を読むことはお勧めしない。

『隻眼の少女』(文春文庫・麻耶雄高)を書店で選んで手にしたのは帯に「日本推理作家協会賞&本格ミステリ大賞 ダブル受賞」とあったからだ。私自身のミステリ狩猟は島田荘司氏で殆ど終わっていて、その後の「新本格派」「第三の波」だったっけ、そういうふうに称される作家の作品はあまり知らない。ということもあって、綾辻行人氏、北村薫氏、京極夏彦氏の作品は幾つかしか読んでいず、その後の新人作家(作品)は、まったくという程知らない。よって、要するに、いまの若い作家のお手並み拝見という気分で手にしたのと、もちろん、私だってミステリは戯曲も小説も書いていたので、どの程度のqualityがあんのかなと、自分の作品と比較するために、いっちょ読んでみるかという気まぐれが大きい。
この作品は、いわゆる「ノックスの十戒」第7項の[変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない]をミステリのルールとするならば、あきらかにルール違反だし、「ヴァン・ダインの二十則」の第2項[作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない]と第9項[探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである]に抵触している。
とはいえ、これらは古典ミステリの上での話でしかなく、というか、古典中の古典、本格ミステリのpioneerの『黄色い部屋の秘密』(ガストン・ルルー)においても、すでに破られているといってもイイ。つまり、新しいミステリは、大袈裟にいえばこの「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」の裏を極めて論理的に描くことによって、そのエンターティンメント性を打ち出すかにかかっているというても過言やナイ。
そういう点においては、この作品の果敢ともいえる挑戦は成功している。
けれども、私はこの作品を読んだが、正確にいうと、読んだのは殆ど話体部分(「」の中にある会話、対話、語り)だけで、文章体を読むのは、あまりにも下手(というかprototype)に過ぎて面倒だった。話体だけでも情報は得られるし(というのは、話体があまりに説明的だということなのだが)、文章体で書かれていることが話体で繰り返されたりというふうで、好みではなかったからだ。
で、最初の事件が起こったところまでを読んだ時点で、嫁に「この探偵の少女が犯人なんてことはないよな。そんな感じなんだけど、それならオモシロイかも知れないけど」と漏らしている。さらに三分の一あたりで、犯人は探偵の隻眼の少女か、その父親との共犯(この父親は途中で殺されるので、ミス・ディレクションされてしまったが)、つまり、これは隻眼の少女が母(これも隻眼の探偵だった)を継ぐためのテストなんじゃないかと指摘はした。これは勘でいったのではナイ。探偵の事件へのスタンスが、フィールド・ワークをこえて、フィールドに入り込み過ぎていること。最初の事件の推理以降の探偵の推理が極端に遅い理由が、事件の勃発を防ぐというよりも、事件を待機しているに過ぎること。大口を叩くわりには、推理が素人っぽくて、不自然な感じがすること。脇役の種田静馬がワトスン役としては、どうしても不適当で、彼が何か重要なファクターを持っていると思われるのに、作者も探偵も、そこに深く言及しないこと。などが挙げられる。
しかし、犯人の真の目的が父親殺しで、その動機が最も後半に語られるのは、これはいくらなんでもフェアではナイ。
正直なところ、私はちょっと安堵している。もちろん、私の書いたミステリ『ぶらい、舞子』(小峰書店)やミステリ劇『踊子』のほうがオモシロイからというのがその理由だ。よく出来ているとはいえ、『隻眼の少女』はヒマなぼんぼんの趣味程度だと思う。

夏の日

ラジオから死んだひとの歌が聞こえてくる
ああ そうですか まだ生きねばなりませんか
焼夷弾の絨毯爆撃で 燃えている夏の日
やけに暑いのは そのためだったか

わたし 自転車で風をきって走っていたつもりが
気がつくと 煮え立った湯の中で
車輪が空回りしている

をみて 目が覚めた
消し忘れたラジオは『懐かしの歌謡曲』という番組を
ゆんべの夜を引きずったまま 流していて
母親が いつもの鍼治療から帰ってきた

ナガサキの原爆で死んだ少女は
幼く美しく 土に敷かれた薄い布切れの上に座っていたが
止まらない水下痢のせいで 数日後に死ぬ
寝坊した看護婦があわててラジオのスイッチを切ると
少女は少し 笑ったそうな
「お寝坊さんね」といったそうな

この水を 少女に飲ませてあげたかった

今度こそ ほんとうに
私は自転車を走らせて補水液はかごの中で揺れる 

夏の日 
いつまでも少年であるために
燃え落ちる得体の知れぬものと 灼熱の瓦礫の中を
もうちょっとだぞ、と
微熱の炎に焦げながら ああそうですか

夏の日
こえねばならない ある風景の 夏の日

マスク・THE・忍法帳-38

翌日、平吉は戸沢とともに保養所の舞を訪れた。ちょうど、愛染医師の立合いのもとにその日の朝の診察が終わったところであった。
「もう1~2ヶ月もすれば、通常の健康体で町の生活にもどれますよ」
 と、愛染がにこやかに伝えたが、当の舞は、平吉と戸沢には実にすまなさそうな眼差しで、唇を噛むのだった。
「この度は、命を助けてもらったくせに、平吉さんを危険な闘いの中に巻き込み、戸沢さんには部下を多く失わせるという、私は、いったいこれからどう生きていけばいいのか、ほんとうは、ワカラナイでいるのです」
「舞さん、人間の運命の連鎖などというものは、まったく想定がつかないものですよ。貴女のお父上が、弥勒教団と関わりを持ち、『デモクレスの剣』ノートの作成に関与していたことなど、貴女は知らないことだったんですからね。しかし、こんないい方は不遜であるかも知れないが、この平吉さんを巻き込んでもらって、当方としてはヒジョウに幸運であったと思っているのです。確かに、部下は多く失いましたが、それはこちらの落ち度であり、こちらの未熟が招いた結果です。私たちは偶然にも二十面相という天才を味方につけることが出来、黒菩薩の超人的な刺客たちをことごとく連破することが出来ました。もし平吉さんがいなければ、私たちは貴女もろとも壊滅していたかも知れません」
 そんな慰めのコトバにも、舞は苦渋の表情をくずさなかった。
「もうそろそろ、あっちも弾切れですよ。この闘いはそう長引かないと、俺は思うてますから。まあ、あんさんは、一日も早く普通の生活にもどれるように養生なさい」
 平吉がいった刹那、病室のドアが開いて、戸沢機関の者らしい男がいそいそと入って来ると、戸沢に耳打ちした。戸沢の顔色から血の気が引くのを平吉は見逃さなかった。
「ちょっと、失礼します」
 戸沢は、機関の男とともに部屋をあとにした。

 小野、前田、三谷、中橋の屍体が並べられた本部のモルグで、鎮痛な面持ちで立ち竦む戸沢の背後から、いつの間について来て入り込んだのか、平吉の声がした。
「少し、このホトケさんたちのカラダを調べていいですかね」
 いうなり、平吉は、それぞれの屍体の皮膚の色、臭い、感触、瞼の裏、などを調べているようだった。監察医らしい白衣の男が、当方の検視では毒殺であると告げた。平吉もそれに頷いた。
 報せに来た男が、拳銃らしき武器を戸沢に二丁、差し出した。
「新式の銃のようです。研究班のいうのには、中橋が試作した短針銃と呼ばれる毒針の拳銃と、もう一種は毒ガスの銃弾を発射する拳銃のようです」
「それじゃあ、まるで、同士撃ちをしたみたいじゃないか」
 憤懣やるかたなし、に、戸沢は吐き捨てた。
「もちろん、彼らをこんなふうにしてしまったのは、黒菩薩の刺客ですね」
 と、平吉は自分自身にいうようにそういって、
「しかし、毒を以て毒を制すになったと、そういうことですか。この戸沢さんの部下たちは、こいつで闘うつもりだったんですね。いや、闘ったはずなんだ」
 平吉は二種類の拳銃を手にした。それから、短針の臭いを嗅いで、
「動物性の毒だな。サソリかハブか」
 そうして、もう一丁の拳銃の弾丸を観ながら、
「炸裂してガスが噴出するのか。青酸ガスというところか」
 と、吟味した。
「で、彼らはその毒で命を断たれているんですかね」
 平吉、今度は監察医にそう訊ねた。
「そうです」
 と、監察医が機械のように答えた。
「自分たちの武器を敵に奪われた可能性があるな」
 いったのは戸沢だ。
「いえ、たぶん、拳銃は全部で4丁だと推測されます。残りの2丁も現場で発見されています」
 その場にいた、助手らしい白衣が今度は答えた。
「現場とは」
 戸沢が質問する。
「弥勒教団東京本部から東に5㎞、教団の別荘地です。ただし、すべて家屋が建築されているワケではありません。更地がまだ多く残っています」
「敵をそこに捕捉したのか」
 戸沢が、傍らの部下に訊ねた。
「おそらくそうだと思われます」
 戸沢は額に拳をあてて、目を閉じると、絞り出すように呟いた。
「馬鹿な真似を」
 平吉は考え事でもするように、しばらく四人の屍体に見入っていたが、黙ったまま、踵を返した。
「平吉さん、何処へ」
「へい、東のほうへ。何れにしても、俺が標的なんですから」
 アタリマエのことだが、誰にも止める権利はナイ。戸沢は、先程、舞に述べたコトバを苦々しく思い出した。

2013年8月 6日 (火)

マスク・THE・忍法帳-37

 この様子を、歯の抜けた老婆と、中国服の痩せた男が、河川に懸かる橋の欄干にもたれるようにしながら眺めていた。
「間宮幽門が、子供扱いされたのう」
 と老いた猫のような老婆が呟いた。中国服は、黙っていた。
「陳さん、あんた、倒せるかね」
 と、また老婆が口を開いた。
「檜垣のヤツが、あの男を欲しがる理由はよくワカル。あの男は一種の奇蹟だ。臨機応変な判断、千変万化の技、羽衣のごとく軽く燕のごとく速い。なあ、おりんさん。私は初めて巌流島に向う武蔵の心境がよくワカッタ」
 中国服は答えた。
「巌流島かえ。小次郎になりなさんなよ」
 老婆のコトバの終わらぬうちに、陳と呼ばれた中国服の男の姿は消えていた。
「梅は散った。桜にはまだ速いが、咲かぬかも知れんな」
 老婆も、橋から去った。

 その夜のことであった。
 戸沢機関の本部、会長室にいる戸沢に向って跪いている者が四名あった。
「戸沢機関は、そのような任務を遂行する組織ではナイ」
 戸沢は、やや不機嫌そうに、いましも、何やらいい分を語り終えたひとりの機関員に対してそう答えた。どうやら、何かを直訴したらしい。
「しかし、同士の死はすでに二桁になっております。ここで、ただ辛酸を舐めて臥薪せよというのは、私どもの気がすみません。諜報機関とはいえ、私どもも、多少の心得はございます」
「だから、多少の心得では、どうにもならぬと、いっているのだ」
「かの二十面相の手並み、尋常でナイことは承知です。それと同等にみてもらいたいなどと不遜なことを申しておるのではありません。ただ、私どもにも、仲間の仇を討つ機会を与えて頂きたいのです」
「その気持ちはよく了解したと、答えた。しかし、みすみす自分の部下を死地にやることなどこの戸沢には出来ない相談だ。そういう旧態依然とした、古い主義は棄てるがいい」 と、眉間の皺を濃くしていたひとりが膝をついたまま進み出た。
「先の戦争でも、多くの戦友を失いました。そうしていま、この日本の窮状にあって、またも同じ釜の飯を食った仲間を失った、この血の涙をいったい何で拭けばよいのです。我々とて無策で、無謀に挑むワケではありません。それなりの策を以て、闘う所存なのであります。どうか会長、一度、一度きりでよろしいのです。何卒、我々に命を賭けさせて下さい」
 戸沢は、暫し無言を貫いたが、
「出来ん」
 と、一喝するかのようにいうとその場を立ち去った。
 悶々とした澱んだ空気があったが、ゆっくりと立ち上がった男がいった。
「俺は、今日でこの機関を抜ける。それなら文句はあるまい」
 次々に男たちは立ち上がった。それは同意の合図だった。
「手筈は、如何に」
「今日の、二十面相と朱色の僧侶との闘いを、下流に懸かる橋から観ていた者を、組織の監視班が捕捉している。おそらくは黒菩薩の刺客に違いない。すでに、この二人の行き先は調べ上げた。しかし、いちどきに二人は無理だろう。だが、4対1なら勝ち目がナイとはいえない。まず、チャイナ・スタイルのほうから、ということにしたい。如何」
 四人、声を合わせて「よかろう」と頷いた。
「さて」と、中で最も華奢ではあるが、眼鏡がそうみせるのか知性的な顔だちの男が、多少の微笑みを浮かべて他の三人を順に観た。
「ここはひとつ、理屈で語ることをゆるしてくれ」
 その男の肩を、先程戸沢会長に向けて直訴に及んだ、おそらくこの連中の中心人物であろう、体格のよい、強面するタイプの男が強く叩いた。
「もったいぶるな、中橋。研究班としては、何か成果があったのだろう」
「いやいや、慌てるな。ともかくも二十面相と黒菩薩との闘いにおいて、集められるだけのデータは集めて分析した。まず、両者の身体能力を差っ引くという解析方法を試してみたのだ」
「おいおい、それじゃあ、分析になりはしないんじゃないのか」
 最初に立ち上がった男がそう、いった。
「いや、これは俺の考え出した最新の解析学だ。理論を述べると面倒なので、結果だけをいってしまう。小野、前田、三谷、いいか、日米の大戦の教えたことでもあったが、要するに勝敗を決するのは、身体能力に差がある場合において、その差を埋めて余りある力、即ち、兵器であり、武器だ」
 興味深く三人が、中橋と呼ばれた男に頷いた。
「ここに、我々研究班の開発した二種類の武器がある。ひとつは短針銃。やや銃身の太めの拳銃にみえるが、先端からは、長さ八㍉、髪の毛ほどの厚さの毒針を、一分間に三千本30度の放射状に発射出来るようになっている。カートリッジを取り替えると、もちろん一分以上闘える。それぞれの短針には毒が塗布されてあるので、致命傷にならずとも、掠っただけで戦闘能力は奪える。しかも、この小さな針は鎖帷子をも貫通する、極めて硬度の高いものだ。もう一種のほうも、拳銃のようにみえるが、銃弾が特殊な青酸ガス弾になっている。射程20メートルの位置で炸裂して、青酸ガスを噴出し、半径1、5 mの標的を100%致死せしめる。つまり、命中しなくても、近似的に殺戮可能なのだ」
「どちらも毒だな」
 と、三谷と呼ばれた男が二つの拳銃を手にした。
「そうだ。かつて中国の古武術、拳法の達人はすべて毒殺されているという。いくら身体能力に優れた者、練達の名人も毒にはかなわないという、歴史的な事実が、闘うことの真実を物語っているのだ。ただ、勝てば良いとするならば、これほど強力な武器はナイ。ただ、気をつけなければならないのは、けして、味方に向けて撃つなということだ」
「貰ったな、この勝負」
 強面の小野が卑屈ともみえる笑みに唇を歪めた。
「拳銃は二種、四丁。どちらか好むものを選べ」
 四人の男たちは、それぞれの銃を手にすると、それを懐に入れて、部屋を出た。

ココロに遺るコトバ『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)

さそりは一生けん命遁げて遁げたけどとうとういたちに押おさえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、
 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸いのために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。

2013年8月 5日 (月)

マスク・THE・忍法帳-36

しかし、間宮幽門の左手は血が滴り落ちてきている。平吉から飛んできたのは布だけではなかったのだ。いわば、布はダミーであった。小柄も同時に喉元を撃ったのである。間宮幽門は、これを左の掌で止めたことになる。よって、左手の中央には、平吉の小柄ナイフが突っ立っている。
「速いな」
 と、間宮幽門は呟いた。
 その口元に、額から血がしたたり落ちてきた。驚くべきことに、さらに平吉は河原の小石の礫をも、間宮幽門の頭部へと投げつけていたのである。
「一度に三つとは、恐れ入った」
 間宮幽門は左手に刺さった小柄を振り棄てると、後頭部をトンと叩いた。額にめりこんだ礫がぽろっと抜けて落ちた。
「いやあ、さすがに化け物だなあ」
 平吉は頭を掻いた。
 間宮幽門は、右手の棒状の布をも河原に投げ棄てた。
「肉弾戦にするか」
 双方、武器らしいものを使う技はもうないと、敵もなかなかの勇将たる判断で、間宮幽門は、下帯ひとつの裸身の鍛え上げられた筋肉に気を入れると、合掌した。
「少林寺かい。さすが坊さんだな」
 平吉は、いうと、特に構えをみせずに、軽く両手を臍の辺りで交差させた。
「それは、」
 と、間宮幽門が平吉の姿態を観て口にした。
「大東流合気柔術とかいうらしいんだ。海軍に派遣されたえらく高齢の爺さまから、兵隊挙って習ったんだが、習得したのは俺だけらしい」
「きさま、海軍には何年務めた」
「俺は航空隊でな、四国の兵学校で一年ばかり飯を食ったかな」
 間宮幽門は黙した。もちろん、大東流合気柔術のことは知らぬワケではナイ。また、それを習得するのに五年や十年では無理であることも。ひょっとすると、騙りの者が師範を装って海軍航空隊の訓練所にやってきたのかも知れない。ともかくも、闘えばワカルことだ。
 少林拳は、拳、蹴り、投げ技のミックスで成り立っている。その特徴は攻撃の直後に守備の態勢に即座にもどれることだ。ふつうの空手はこれが出来ないために、蹴りなどの大技を出したアトは、逆にスキが出来て攻撃を受け易い。攻めと守り、この何れにも展開出来るような基本姿勢を少林拳は構えとする。
 大東流合気柔術には、基本の構えというものはナイ。この流派の力学は現在の科学でも解明されていない。力学的には不可能なのだが、実際に行使出来るので認めざるを得ないというのが現状だ。まるで、蜂鳥が航空力学的に飛べないのに飛んでいるのと同じようなものである。
 間宮幽門のカラダがふわりと浮くと、そのまま蹴りが平吉の喉元に入ってきた。平吉はそれを避けたようにみえた。しかし、間宮幽門は、おそらくおのれが飛ぶべく距離の数倍を飛ばされて、すんでのところで着地した。まさしく大東流合気柔術。平吉がいつ、何をしたのかはワカラナイ。間宮幽門はおのれの蹴りの力を逆に利用されて、飛ばされたのである。
 しかし、間宮幽門は着地するや否や、即座に反転して再び平吉に襲いかかった。今度は正面の突きから相手の腕をとっての投げである。平吉は投げられはしたが、それ以上に高く突き上げられるように宙に飛んだのは間宮幽門のほうであった。
 これをまるで猫のように回転しながら、間宮幽門は着地して、防御の構えをとった。ところが、彼の前方に平吉の姿はなかった。彼は振り向くことをせずに、そのまま後方に逆さ蹴りを入れた。その足をどうされたのか、間宮幽門はそのままその足を中心に数回転させられ河原の砂利に頭部を叩きつけられた。
 さすがに、これもすっくと立ち上がったが、腕組みをして立つ平吉をみて、そこで戦意を消失させた。
「みごとだな。もはや黒菩薩の命運は尽きたか。相手に選んだ敵が悪過ぎたというべきだろう。わしの負けだ」
 いうと、左手の指を口元に持っていった。指輪の青酸カリを含んだものとみえる。

2013年8月 4日 (日)

ささやかな焦燥

あれから二年半の東電フクシマ原発。事故それ事態の処理が終わっていないばかりか、汚染水垂れ流しという、素人の私でも当初から懸念していたことが起こっている。フクシマの被災地、被災者(と、便宜上使うが、この呼び方は間違っていることは何度も書いた)に対するオトシマエは、未だ終わっていない。まだ、だ。電力各社は原発の再稼働をしきりに申請する。政府はアジアに日本の原発技術を売ろうと、している。
私は反原発派でも、脱原発派でもナイ。もちろん山本太郎氏のように熱血漢でもナイ。ごくごく単純に「科学」というものに信頼をよせているものに過ぎない。科学者や技術者というものの地道な歩みとその足跡に畏敬しているものだ。
アホラシイ、時代後れのいい方かも知れぬが、フクシマが完全にかたづくまで、オトシマエがつけられるまで、日本は原発を再稼働すべきではナイ。日本の原発技術を他国で商売すべきではナイ。それでは仁義にもとる。どこに仁義がある。
燃料輸入で、電気代が幾ら上がろうとも、私たちは黙って支払うべきだ。被災地は日本であり、被災者は日本国民全てなのだから。まず、ささやかながら私たちに出来ることは、それくらいだ。
政府の成すべきことは、フクシマを完全に復興させること。東電の成すべきこと、あるいは全ての日本の原発電力会社の成すべきことは、いま一度、日本の原発の安全性を100%にまで、研鑽しなおすこと。科学は失敗を伴う。だからダメだというのではナイ。日本の科学者、技術者は、命を懸けて、日本の原発失墜に対しての回復に取り組むこと。さらには代替発電の成果と、リスクを国民に示すこと。
安易にエコに逃げるな。エコエコエコって、悪魔くんの呪文じゃあるまいし。
慰安婦の像くらいで政府もマスコミもガタガタ騒ぐんじゃねえぞ。何処の国でも、戦時中に慰安婦を従軍させたのは、その国民がイチバンよく知っている。日本を嘲る、貶めることなど出来ないことは、国民が知っているのだ。口を閉ざすのは無理もナイが、戦後からベトナム戦争戦中における、沖縄の、全女性の8割は慰安婦と同等の経験者だということは、竹中労氏の調査であきらかになっている。氏の著書『汝、花を武器とせよ』というタイトルの悲しさは、どうだ。
消費税を上げるなら、私は、それも、一つの方策だと思う。ナンなら20%くらいになっても構わない。要するに、消費税によって、さまざまな国家経済、経営の帳尻を合わせようなどという根性が汚らしい。70才からの医療費の負担を増やすなどと、国民皆保健の精神が泣くぜ。無料でイイじゃナイか。独居老人の場合は、消費税0%で、いいじゃナイか。そこまで生きたら、墓場まで、政府にお任せ下さいといえるような政治というのをやってみせてもらおうじゃないか、自民党、公明党。
やんぬるかな、いまの日本の政治、政治家は三下奴でしかナイ。

マスク・THE・忍法帳-35

「目的は俺だな」
 と、平吉は訊ねた。というより確認したといったほうがいい。
「もし、お前が二十面相という若造なら、そうだ」
 と敵は答えた。
「理由なんてのは、ないよな」
「ナイ。ただ、キサマを拿捕すればいいということだったので、やってきたまでだ」
「俺を生きたまま連れ去るつもりなのか」
「いや、趣向によっては、殺すのもよし、だ」
「趣向ねえ」
 朱色の僧は無表情のまま、また何の構えもとらず、枯れて久しい一本の木のように立っていた。
「あんたの趣向としては、殺すほうが面白い、と、そう考えてるワケだ」
 と、平吉は転がっている死体に目を落として、そういった。
「死ぬも生きるも同じところで生じて滅する。自然(じねん)の摂理とは、そういうことをいうのだ。死は生より始まり、生は死より始まる」
 平吉は、二重回しの上着を脱いで、静かに地面に置いた。
「俺は世の中でキライなものが二つある。ひとつは戦争。ひとつは、坊さんだ」
 と、口に出した刹那であった。どちらが先に仕掛けたのか、朱色の僧はカラダを包んだ布を孔雀の羽根のようにいっぱいに広げ、平吉は地面に置いたはずのトンビを朱色の中心に向けて投げた。
 朱色の布は、千切れ飛んだかのようになって飛散し、舞い上がってそのまま中空に棚引いて浮いた。平吉の投げたトンビも攻撃の武器というより相手の虚を突く意味合いの戦術であったらしいが、姿を消したのは、間宮幽門のほうであった。
 いま、十数枚の長さ一間ばかりの朱色の布が、散らばって吹き流しのように中空の風になびいている。ただ不思議なことに、布は、何かに固定されているのか、風を受けてその身をくねらせてはいるが、その位置から動く気配がナイ。その前方、地上には布を見上げて平吉が手を腰に、苦い顔をしている。
 果たして、その中空の布は虚仮威しや、目眩ましに過ぎないのか、それとも、その布が武器であるのか。たしかに戸沢機関の先兵は布の餌食となった。とはいえ、相手が同じ方法で、平吉を攻撃してくるとは限らない。平吉は、その辺りまでを読んでいた。
 平吉はみえない相手、間宮幽門に対していい放った。
「二十面相に、先手ナシ」
 来るなら来いという挑発である。
「よかろう」
 という、地鳴りのような声が聞こえた。と同時に、中空の布の一枚は、きりきりと絞られて一本の槍状の様相と化し、平吉にめがけて飛んだ。通常であれば、この布の槍を避けて平吉は飛翔するか、受け止めるかしたはずだ。しかし、このような単調な攻撃には何か裏がある。それを瞬時に判断すると、平吉は機敏に前方に向けて駈け出した。
 案の定、槍状の布は、地上に突き刺さるのではなく、いま一度平坦な布状に広がって、さらに回転しつつ、河原の小石を撥ね上げた。まともに対応していたら、撥ね飛ばされるか、身の動きを封じるようにからみついてきただろう。
 平吉は、十数枚の中空の布を下を猛然と走り抜けた。
 と、どういうワケか、それまで留まっていた布は、急に風に巻かれて飛散していった。「さすがだな、二十面相」
 という間宮幽門の声が聞こえた。
 平吉の手には小さなペンチのような工具が握られていた。
「おうよ、あの朱色の布が念力の類で宙に浮いているなどとは、思うてなんだわ」
 どうやら、朱色の布は何処からか凧のように操られていたようだ。その凧糸に該るものを平吉は、すべて切断したのである。
「簡単に切れるものではないが、特殊な道具を持っているのだな」
 と、間宮幽門。
「このペンチの刃はダイヤモンド加工してあるのよ」
 金剛密教の殺人術が、金剛石によって阻止されたのは皮肉であった。とはいえ、所詮泥棒の七つ道具にしか過ぎない。それで敵を攻撃することは不可能だ。
「お前の武器は、泥棒の道具か」
 と、嘲笑うような間宮の声がした。
「いんや、俺の武器なら、そこいら中に転がっているんでね」
 平吉は、河原の小石を一握り掴むと、礫にして河の中に連打して投げ込んだ。礫の飛沫のアト、大きな水しぶきをあげ、間宮幽門が水中からそのまま水面を破って、水鳥の飛翔のように姿を現した。水鳥のようにみえたのは、両手に一枚ずつ朱色の布を持っていたからだ
「潜んでいるなら、そこだと思ったぜ」
 いうなり、平吉は、蘆の群生する川面の傍らに飛び込んだ。ポケットから小柄のようなナイフを取り出すと、蘆を次々に伐採して、さらにその先端を斜めに鋭利に切る。弓矢の矢に似たものが一束出来た。
 間宮幽門は、右手の布を手首の捻りできりきりと絞り、一本の棒状にし、左手の布は広げたまま、ヘリコプターの羽根のようにそれを頭上で回転させ始めた。それが、彼の手を離れて竹蜻蛉のように飛んだ。いったい布にどんな加工が施してあるのか、それは蘆を草刈機のように薙ぎ倒して、平吉を襲った。
 平吉はすでに蘆の林にはいない。河原を駈けると、一束の蘆の矢を間宮幽門に投げた。それぞれが弓から放たれたような鋭い速さで標的に向う。
 間宮幽門は、特に動揺もなく、この矢をことごとく叩き落とした。と、平吉は今度は最初に自分を攻撃してきた布を拾い上げて、これを間宮幽門同様に、きりきりと絞り、槍状にして、構えた。
「小癪な。わしと同じ武器で闘うつもりか」
「なにぶん、貧乏性でね」
 いうが早いか、布の槍は、平吉の手を離れて間宮幽門に投げられた。

2013年8月 3日 (土)

マスク・THE・忍法帳-34

間宮幽門は、仏教に帰依していた。黒菩薩から殺戮者の育成という仕事を要請されたときは、陀羅尼金剛経の修行僧としてチベットに在った。
 帝国日本が世界の大国を相手に開戦を余儀なくされる事態を迎えた時、通常の戦闘では勝ち目がナイと考えたのは山本五十六だけではなかった。彼の信奉者でもあったが、歴史にはその名を残してはいない(というのも思想的に過激であったからなのだが)斎賀勘三海軍特務士官は、陸軍が諜報機関としての中野学校を設立したさい、海軍においても何かそういう機関の必要性を考えていた。しかし、正統派軍人を自認する海軍ではそれが難しいと知ると、中野学校の組織の一部として、影の組織を密かに開設することを企てた。それが後に『黒菩薩』と称される一団であり、彼らは暗殺者組織であった。間諜業務の汚れた部分を一手に引き受けようというのである。もちろん、中野学校自体でも、敵に対する攻撃パターンとしての刺殺は教程に含まれていたが、それはあくまで手段であって目的ではなかった。
 影の組織『黒菩薩』が招集されると、教官として、日本本土はいうに及ばず、世界各地に在った殺戮を生業とする者、あるいは闘技を糧とする者、また歴史の暗部に蠢いていた者などが十名ばかり集められ、組織の指導にあたった。そのうち幾人かは戦死し、あるいは高齢で死亡したり、心身不随になってはいたが、未だ現役のままの者も在った。間宮幽門もそのひとりである。
 チベット仏教においても陀羅尼金剛経は秘経典に入る。秘経典は密教の奥義を扱う。そこでは何事も宇宙の輪廻のうちに、その業(カルマ)は必然として消却される。殺人も然り。無論、殺人とはいわずに「無にもどす」という意味で「還無(げんむ)の法」と称される。もし、輪廻転生、生れ変わりの必然もまた認めるならば、良くない生まれ方をしてきたものは、再度生まれ変わればよいという論理の帰結がある。「還無」はその処方なのだ。ただし、そのものが何から転生し、次にどう輪廻するかを見極める能力を持った僧侶の下においてのみ、それは許容される法力であって、その法力を手中にするのが、陀羅尼金剛教の奥義ということになっている。
 若き日から仏僧であった間宮幽門は、早くにチベットに渡り、その半ば狂気のような経典の実践を会得せんと修行を積んだ。その修行成りて、瞑想の日々を過ごしていたときに亜細亜がキナ臭くなってくる。間宮幽門は、チベット修行のスポンサーとも呼べるフィクサーに日本に呼び戻され、陸軍中野学校の裏組織、黒菩薩で刺客を養成する任務につくことになった。ただ、それだけの経歴によって、いま、還暦を迎えんとしている我が身を捧げるべく最後の仕事、それがずいぶんの若造に対する刺客であるということに、その朱色の布着は多少の不満を感じていることに間違いはなかった。
 倒そうと思えば、一国の将来を担う人物を標的として、これを倒すこともたやすいことであった。自身の力は一個師団以上にも値すると間宮幽門は自尊していた。彼の理想、いや究極の目的は、人類すべての「還無」にあったといっても過言ではナイ。この世はもう一度、創りなおさねばならぬ。それには世直しなどという法華経程度の教義では間に合わぬ。それが彼の思想だったからである。
 まるで仕立てる前の一反の布でカラダを無造作にくるんだかのような出で立ちで間宮幽門は、平吉の前に位置していた。その中間の地面には死体が二つばかり転がっていた。彼らは戸沢機関の精鋭であった。機関員は間宮幽門に銃撃を試みたが、南部式拳銃から放たれた銃弾は、ことごとく間宮幽門の一振りの朱い布によって叩き落され、次いでその布はひとりの首に巻きついてこれを縊死せしめ、またもうひとりの胸に突き刺さって、同様にこれを屠ってしまった。
 その様子を平吉はのんびり観ていたワケではナイ。それは僅か数秒の出来事であった。奇妙な男が、本部近所の河川敷に在るという情報を受けた戸沢機関の二人が偵察、あるいは場合によっては迎撃の命令を受けて、出ていったアトを、平吉は追ったのだが、これほど威風堂々というべき刺客の登場の仕方に、平吉自身も、多少呆気にとられていたというべきであったろう。
 これまでの敵とは相場が違う。平吉の口からはいつもの軽口も飛び出さなかった。

2013年8月 2日 (金)

マスク・THE・忍法帳-33

この会談より三日前。弥勒教団の裏組織である黒菩薩本部特別室には、三名の手練が集められた。手練といってもその三名は共通して高齢であった。
「作戦部長どの、いや檜垣さんよ、今更この我々のような老いぼれに何をしろという。我々は全て黒菩薩の教官であった者だ。齢は還暦を迎えている。それを承知の招集ということになるワケだの」
 朱色の布で全身を包むように纏った、剃髪の男がそう、三人に最大の敬意を示すがごとく微動だにせず正座している檜垣に問いかけた。
「たわけたことを申されては困ります。黒菩薩に引退なんぞはありません。もちろん、使い物にならなくなった方々には、戦線離脱の通告命令はいたしますが、ここにお集まりの御三人のことは私は現役と見做しております。いわば開店休業。これまでは、御三方が出張らなくてもカタのつくことばかりだったということです。しかし、今度の相手は少々、違いましてね」
 そう、檜垣は答えた。
「標的は、刺客をことごとく討ち果たしたというのですかの」
 いった口には歯が一本もなかった。中央にどてらのような着物で鎮座している老婆であった。
「おそらく、いくら送り込んでも無駄だという気がしましてね。私としても一気に勝負がつけたい。しかし、その標的を殺したくはないのです。出来れば我々の手駒にしたい」
「それは欲張りな。では、生け捕りに」
 イチバンの小男が粗末な中国服の袖から細い指をみせて、その指を鳴らした。
「そう、願いたいのですが、やむを得ない場合は、殺しても構いません。ただ、その者が守っている女性だけには危害を加えてもらっては困る」
「その女が、デモクレスとかいうノートの所有者なのかね」
 最初に檜垣に問いかけた男がまた訊いた。
「ノートの所有者というより、ノートそのものなんです。ノートの全容は彼女の潜在意識に書き込まれています。これは彼女自身も気付いていない」
 と、歯のナイ老婆が突然笑った。
「ほっほっほ、檜垣源信ともあろう者が、その手下の刺客をもってしても、おなごひとり奪還出来ずにいるとはのう。黒菩薩は堕したかの。それとも、標的が恐ろしい使い手ということかの」
「もちろん、後者のほうですよ」
 と、檜垣も苦笑いをしてみせた。
 それから、すぐに真顔にもどって、
「ともかく、人間を相手にしていると思ってもらっては、失敗しますぞ。かといって猿の類でもありませんがね」
 三人はそのコトバに互いに顔を見合わせた。                   「で、いつまでに」
 朱色の男が檜垣に向き直ると、そう訊ねた。
「一ヶ月以内ということにしておきましょう」
「それはまた、えらく猶予のあることじゃの、ほほほ」
 歯のナイ口が笑う。
「闘ってみればワカリマス」
「よろしい、源信のいう、その男、どの程度の者か、老骨に鞭打ってみますかな」
 中国服が立ち上がった。
 と、檜垣源信が瞬きをしているその瞬間に、三人の老人の姿は、かき消えた。

 節分の豆まきも終わる頃、舞は戸沢機関の保養所に転地して、軽い散歩が出来る程度に回復していた。しかし、依然として、彼女のうわ言の内容は窺い知れない。
 戸沢は、平吉にこう述べた。
「愛染先生のおっしゃるように、彼女の潜在意識に何か重要なものが閉じ込められていることは確実です。とはいえ、彼女に発熱を促してそれを聞き取るワケにもいかないでしょう。何か、引き金になるものがあるはずです。クスリか、催眠術の類か、いずれにしても脳を刺激する何かです。従って実験を試みるのはキケン極まりない」
 平吉は黙してただ聞いていた。
「先だって、脳医学の権威の意見を伺ったんですがね。脳というのはまだまた未踏の分野であるとかなんとか、埒があかなかったですね。しかしながら、入力されているということは、必ず出力出来るはずだという、まあ、考えてみればアタリマエのことも仰ってましたがね」
「愛染院長は、他には」
「ええ、どういうふうに潜在に記録させたにせよ、うわ言でその部分が露呈したということは、結核治療の際に使用した薬剤と、何か類似関係のある薬品を用いた可能性はあるなと、そう」
「ほ~、さすがに愛染先生らしいご意見ですね」                   この件に関しては、平吉は門外漢である。任せておくしかナイ。
 では、さて敵は今後どう出てくる。舞を拉致するにしても、けっきょくのところは二十面相という障壁との格闘になる。何れ同じ。まず、最終的な戦闘を試みるに違いない。今度送り込まれてくる刺客は、黒菩薩の最後兵器ということになる。おそらくはあの風閂と同等の凄腕と相対することになろう。勝負は最終ラウンドに近づいている。平吉には恐れも闘志も、特に思うことは何もなかった。ただ、いち早く血をみる情況から脱したいと願っていただけだ。

2013年8月 1日 (木)

マスク・THE・忍法帳-32

四・死闘二十面相

 何処とも知れぬ洋館の一室であったが、その豪奢な結構は、天井から下がっている大ぶりで、主張の強いガラス細工のシャンデリアからも察せられた。カラダ半身が沈んでしまいそうなソファに、向かいあいながら腰を下ろしているのは、片方は米英いずれかの国の者であり、もう一方はあの風閂の使い手であった。
 外人のほうが流暢な日本語で、風閂のことを「檜垣さん」と呼んだので、風閂の本名が檜垣であることはワカッタ。また外人のほうはその檜垣から「シャーク」という呼び方をされたが、これが本名なのか、通称なのか、コードネームなのかを計ることは出来ない。 話されている内容は『デモクレスの剣』ノートの一件であった。
「あの、遠藤平吉、すなわち二十面相という男、予想以上に手強くてね、私の配下が次々といとも簡単に倒されています。しかし、ノートに関しては未だ尻尾もつかんでいないと思われます」
「それは檜垣さん、あなたの術を持ってしても、倒せないのですか」
「さあ、やってみないとワカリマセンね」
「二十面相が、舞と伴にあるということは、どんなきっかけで、ノートのことを嗅ぎ出すか、ワカッタもんじゃありません。こういうのを、日本では因縁というのですか。あるいは遠くて近き、いや、世間は狭い、ですか」
「いずれにせよ、運命の悪戯ですね」
「ノート製作に携わった者の娘が、よりによって二十面相に近づいていくとはね」
「深謀遠慮、というのはオモシロイものです」
「面白がっていられても、困るのですがね檜垣さん」
「我々の機関としては、二十面相を倒すより、舞を葬ったほうが事は簡単なのですが。コピーが他にも数人、存在するならば、ですが」
「いやいや、それはいけない。コピーはありません。ノート原本自体を損失するワケにはいきません。今後の日米五十年の未来が吹っ飛んでしまいます。何のために原爆を二発しか用いずに、この国を占領したのか意味がなくなります」
「二発、しか、ねえ」
 これにはさすがに日本人としてなのか、檜垣の声も曇った。
「戦争というのは、そういうものです。ひとの命というのは前提として勘定には入りませんからね」                                   「じゃあ、何のために戦争なんぞをするのかと、ふつうの者なら半畳入れるところでしょうねえ。おっと、おワカリですか、半畳入れるの意味は」
「ええ、江戸時代の歌舞伎ですね。まあ、私ども政治家は、ひとの命を奪わずして国を奪うことを外交と称しています。戦争はそのための手段であって、目的ではありません。闘っても勝てないということが相手にわかれば、相手は戦争などしかけてこない。そのための原子爆弾です」
「しかし、それをソ連も所有している。これからも所有する国が出てくるでしょう。けっきょくは原子爆弾も、戦争の抑止にはならない」
「そうです。原爆そのものはそのとおりです。ですから、我が国は戦勝国であるに関わらず、日本に平和国家を差し上げた。原爆どころか、戦争行為そのものを取り上げた」
「憲法9条ですか。しかし、あの条項は今後、物議をかもすでしょう。保守系右派は、独立国家として尊厳を奪われたと吠えるに違いない。日本国民の多くは、日本はもう戦争が出来ない、自国を守れないと思い込んでしまうでしょう。9条が国権の発動を抑止しているなどという高邁なことを、理解、納得する国民がどれだけいるか。おそらく9条をほんとうの意味で理解しているのは、憲法学者と、僅かの国民だけになるでしょう。戦争放棄というコトバだけが独り歩きするに違いない」
「それでいいんですよ。およそ半世紀のあいだは、合衆国が日本の楯になる。その間に日本は経済的繁栄を行き着くところまで追求して、合衆国のbankとなる。これがノートの第一段階として記されているはずです」
 シャークと呼ばれた青い眼は、牙でもみせるようにして笑った。
「そのアトにデモクレスの剣となる、これが第二段階というんですか」
「檜垣さんは、あのノートの中身を」
「読みはしません。そんな権限はナイ。ただの憶測です。しかし、当たらずとも遠からずというところでしょう」
 それには、シャークは答えなかった。その代わりに、日本人檜垣を督促した。
「それで、二十面相をいつ」
「いま、我が黒菩薩の最終最強の精鋭が三名、向っています。ここ一ヶ月というところでしょうかね」
「檜垣さんは、何故、直接、闘わないのです」
「それは、私の外交です。私は彼を生かして手に入れたい。それには、私たちに歯向かうのは無理だとワカラセル必要がある。私の術では、必ず彼を殺してしまう」
「一ヶ月、ワカリマシタ」
 青い眼は立ち上がった。燻らしていた葉巻は、そのまま、灰皿に置かれて残った。
 檜垣は、人差し指でテーブルを二度ほど叩いた。檜垣にしてみても、二十面相平吉の強さは想定外であった。しかし、今度放った刺客がし損じるということはあるまい。とはいえ殺すということも出来ないだろう。互角で、相討ち、今度こそは二十面相平吉も手負いとなる。自分が出て行くのはそれからだ。
 檜垣は、シャークの残した葉巻を指に挟むと、手首だけの動きで、それを暖炉に投げ込んだ。
「バカ野郎め、ノートを手に入れてしまえば、アメリカと我々の共存共栄だ。大東亜共栄圏に勝る、世界支配への第一歩が始まるのだ」
 と、不敵で不吉な呟きをもらして。

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