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2013年7月20日 (土)

マスク・THE・忍法帳-20

 平吉は壕に使われたガマ(洞窟)の中に座していた。戦争の傷跡はまだまだ残っている。靴、空き缶、茣蓙、毛布、薬瓶、焦げついてあるいは血痕を付着させたまま、戦跡とはいえ、無残であった。ここで、多くの傷病者、いわゆる足手まといが、毒殺され、また銃殺されたのである。
 それが、いま、平吉の前に正座をして座っている、まだ、平吉より若い男の口から語られた。その男は、あの小柄な老人の率いる教団一派の生き残りだと自称、平吉を追ってきたのだという。
「沖縄戦というのは、牛島中将最高指揮官の割腹で、六月二十三日に終わったことになっていますが、ありゃあ、アメリカさんのニミッツが、二十二日に勝手にそう宣言しただけで、終戦後も二ヶ月余りに渡って継続していたんです。なんでそんなことになったかといいますと、二十三日には、勅令が公布されたんです。『国民義勇兵法』というやつです。大本営の命令は、組織的反撃はこれを終了して、解散する。しかし一億臣民は玉砕せよ、というもんだったんです。つまり、軍はもうナイんですが、ゲリラ的に最後の一人まで戦えという命令です。この沖縄戦で、軍人が何人、島民が何人、死んだのかワカリマセン。たぶんずっとワカランと思います。帝国の軍人が島民をかなり虐殺してますから、そんなものは勘定に入れないでしょう。しかし、ここの戦いは地獄でした。そういったのはアメリカ兵なんです。ヒトラーはユダヤ人を大量に殺戮しました。しかし、それは彼の狂信的な、人格的な問題で、戦争そのものではありません。しかし、沖縄戦は違う。ここは戦争でした。戦争がつくった地獄でした。ヒロシマ、ナガサキや東京大空襲は、敵のアメリカさんがやったことです。敵が敵を殺しただけです。しかし、ここは、味方の兵隊が非戦闘員を足手まといだという理由で、そうでなければスパイだといわれて。・・・終戦時、私はまだ十六です。まだ戦っていました。私は、私は、ほんとうをいうと、日本兵も殺しました。殺されそうになったからです」
 目を赤くしながら語る若者のコトバを、平吉はそれでも冷静に聞いた。沖縄戦と『デモクレスの剣』ノートは、何か何処かで関係がある。そういう確信めいた考えに、次第に平吉は傾斜していった。
「『弥勒教団』にはすぐに入信したのか」
 と、平吉は訊ねた。
「はい。戦闘中に命を救われていますから、彼らが島に来たときは、もうすぐに」
「戦時中に、教団は日本兵から島民を護ったというのはほんとうなんだな」
「ほんとうです。私たちが怖かったのはアメリカ兵なんかじゃなかったんです。スパイの汚名をきせて、次々に島民を虐殺していく日本兵のほうでした」
「そうして、終戦後、島に教会をおっ建てて布教活動か。なんやら出来過ぎたシナリオやの。しかし、ゲリラ戦まで展開して、大本営は沖縄をどうしたかったんかの」
「たぶん、私も戦後それを知ったのですが、というのも教団の者から耳にしたのですが、沖縄戦はモデル・ケースだったんだということです。もちろん、本土決戦の」
 平吉は、不服そうに頷いた。
「それは、俺も聞いたことはある。しかし、それにしても終戦の三ヶ月めに至ってまで戦闘がつづくというのは妙じゃないかい。指揮系統が壊滅していたにしても、やっぱりおかしいな」
 平吉は思いに沈んだ。何かワケがある。指揮系統、いったいそれが何もなくなった情況で、誰が、沖縄の守備隊や民間の志願戦闘員を、さらには民間人を動かしていたのか。
「ところで」
 と、いつまでたっても埒のあかない自問を棄てて、平吉は目の前の男に質した。
「あの老人顧問一派のおよそ五十人から六十人の人間を、ほんの数分で殺戮した、あの方法というか、武器に心当たりはあるかの」
 男は首を斜めにして考えている様子だった。それから、その恰好のままで、いった。
「教団の裏組織『黒菩薩』の局長と称されている男の殺人術は、実際に観たことはナイのですが、最強の術だとは噂で聞いています。たしか、真空風閂とかというたいそうな名前がついてました」
「真空風閂。なんだかワカッタようでワカランな」
「はあ。・・・」
 男も心許ない返事をした。

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