無料ブログはココログ

« マスク・THE・忍法帳-31 | トップページ | マスク・THE・忍法帳-32 »

2013年7月31日 (水)

老中閑ナシ

いったいぜんたいワカラナイ熟語に「老後」というのがある。江戸時代には、役職に「若年寄」「老中」「大老」というのがあったが、「老後」というのはナイ。江戸時代においては「老」というのは、偉いひとの冠だったようだ。もちろん、武家のコトバで、ヤクザもん、渡世のものは、博徒集団の場合では、貸元、代貸、本出方、助出方、三下。三下はさらに中番、梯子番、下足番、木戸番、客引、客送、見張等となるそうな
私どものようなテキ屋の場合は、張元、帳脇、若衆頭、世話人、若衆等に分かれる。
博徒の組には「若頭」なんてのがあるが、「老頭」なんてのはナイ。「若頭」は、次期組長候補ということになっていて、かつての東映任侠映画路線では、このあたりが抗争する。
いきなり横道に逸れてしまって申し訳ナイが、ともかく「老後」というのが、ナンであるのか、未だに私には不明だといことだけがいいたいワケだ。
私も六十一歳だし、実母は八十三歳だ。老齢年金が支給される六十五歳からを老人とするならば、それはあくまで「老中」で、「老後」つまり老いた後というのは、不老不死の妙薬でも飲まぬ限り、死んでしまうだけだ。ここは世間的に「老いて後」を六十五歳になってから後とするならば、母親はかなり後のほうなのだが、私はべつに母親の老後の世話をしているというワケでもナイ。どう考えても、母親というのは老後ではなく、私の中では老中、老いている最中、なのだ。
この夏は、気象変動のあおりか、酷い夏で、おそろしく長く感じる。こういうのが来年も夏ってくるなら、私はもう夏れずに、くたばるやも知れない。ともかく、初夏になると微熱を出す私は、この夏は、その微熱がなかなか引かず、おまけに胃腸をやられて、水下痢し、ストレスで気管支をやられて、咳き込みが止まらず、しこたま麻黄のお世話になり、台湾旅行の感想など書いている余裕もなく、貧乏閑ナシで、(貧乏閑ナシというのは、いくら仕事をしても銭になることが少なく、それでもカツカツ働かねばならないことをいうらしい)、ブログも、ライトノベルで帳尻を合わせている始末だ。
還暦を一年過ぎて、ふつうなら定年退職、老後、初老、前期高齢者、と称される年齢なのだが、二度の離婚を経て、私財は殆ど霧散して、悠々自適な生活などはほど遠く、現役で働いても、嫁を養うことすら出来ず、実家で居候の身というのが現状だ。
とはいえ、食うために働くのは厭き厭きしたので、やりたい仕事と、やるべき仕事しかしていないので、ますます世間のいう「老後」などワカランままで考えているヒマもナイ。蛇足なのかどうか、そういえば、最近、優雅な老人というのに出会ったことがナイ。日本は老人が増えて、私の故郷も老人だらけで、嫁の住んでいる大阪に行ってもやはりその風景は変わらないが、杖をついているひとも、手押し車に掴まっているひとも、いわゆるイイ顔つきはしていない。たまに元気な老人に出くわすと、酒に酔っぱらっているだけで、車椅子に座って介護されながら安穏としている老人には、「歩けないくらいなら、早く逝け」とでもいいたくなる。敬老の精神など私には針小もナイ。べつに、何も信仰しておらず、無宗教者だが、死ぬことには恐れはナイ。人生に対しての後悔というものもナイ。不完全なものが生きてきたのだから、不完全に生きたに決まっている。何かを成さんとしての結果がおしなべて失敗というカタチで訪れるのも、不条理の条理なんだろう。毎日腹が減ることと、たまに朝勃ちすることを僥倖とすべし。かつ、貧乏閑ナク働くことも。

« マスク・THE・忍法帳-31 | トップページ | マスク・THE・忍法帳-32 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/57900599

この記事へのトラックバック一覧です: 老中閑ナシ:

« マスク・THE・忍法帳-31 | トップページ | マスク・THE・忍法帳-32 »