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2013年7月

2013年7月31日 (水)

老中閑ナシ

いったいぜんたいワカラナイ熟語に「老後」というのがある。江戸時代には、役職に「若年寄」「老中」「大老」というのがあったが、「老後」というのはナイ。江戸時代においては「老」というのは、偉いひとの冠だったようだ。もちろん、武家のコトバで、ヤクザもん、渡世のものは、博徒集団の場合では、貸元、代貸、本出方、助出方、三下。三下はさらに中番、梯子番、下足番、木戸番、客引、客送、見張等となるそうな
私どものようなテキ屋の場合は、張元、帳脇、若衆頭、世話人、若衆等に分かれる。
博徒の組には「若頭」なんてのがあるが、「老頭」なんてのはナイ。「若頭」は、次期組長候補ということになっていて、かつての東映任侠映画路線では、このあたりが抗争する。
いきなり横道に逸れてしまって申し訳ナイが、ともかく「老後」というのが、ナンであるのか、未だに私には不明だといことだけがいいたいワケだ。
私も六十一歳だし、実母は八十三歳だ。老齢年金が支給される六十五歳からを老人とするならば、それはあくまで「老中」で、「老後」つまり老いた後というのは、不老不死の妙薬でも飲まぬ限り、死んでしまうだけだ。ここは世間的に「老いて後」を六十五歳になってから後とするならば、母親はかなり後のほうなのだが、私はべつに母親の老後の世話をしているというワケでもナイ。どう考えても、母親というのは老後ではなく、私の中では老中、老いている最中、なのだ。
この夏は、気象変動のあおりか、酷い夏で、おそろしく長く感じる。こういうのが来年も夏ってくるなら、私はもう夏れずに、くたばるやも知れない。ともかく、初夏になると微熱を出す私は、この夏は、その微熱がなかなか引かず、おまけに胃腸をやられて、水下痢し、ストレスで気管支をやられて、咳き込みが止まらず、しこたま麻黄のお世話になり、台湾旅行の感想など書いている余裕もなく、貧乏閑ナシで、(貧乏閑ナシというのは、いくら仕事をしても銭になることが少なく、それでもカツカツ働かねばならないことをいうらしい)、ブログも、ライトノベルで帳尻を合わせている始末だ。
還暦を一年過ぎて、ふつうなら定年退職、老後、初老、前期高齢者、と称される年齢なのだが、二度の離婚を経て、私財は殆ど霧散して、悠々自適な生活などはほど遠く、現役で働いても、嫁を養うことすら出来ず、実家で居候の身というのが現状だ。
とはいえ、食うために働くのは厭き厭きしたので、やりたい仕事と、やるべき仕事しかしていないので、ますます世間のいう「老後」などワカランままで考えているヒマもナイ。蛇足なのかどうか、そういえば、最近、優雅な老人というのに出会ったことがナイ。日本は老人が増えて、私の故郷も老人だらけで、嫁の住んでいる大阪に行ってもやはりその風景は変わらないが、杖をついているひとも、手押し車に掴まっているひとも、いわゆるイイ顔つきはしていない。たまに元気な老人に出くわすと、酒に酔っぱらっているだけで、車椅子に座って介護されながら安穏としている老人には、「歩けないくらいなら、早く逝け」とでもいいたくなる。敬老の精神など私には針小もナイ。べつに、何も信仰しておらず、無宗教者だが、死ぬことには恐れはナイ。人生に対しての後悔というものもナイ。不完全なものが生きてきたのだから、不完全に生きたに決まっている。何かを成さんとしての結果がおしなべて失敗というカタチで訪れるのも、不条理の条理なんだろう。毎日腹が減ることと、たまに朝勃ちすることを僥倖とすべし。かつ、貧乏閑ナク働くことも。

マスク・THE・忍法帳-31

太極拳が地面を蹴った。一間跳んで、小刀を足で蹴った。足の指に挟んで飛ばしたのかも知れない。ともかく、小刀は平吉のほうに飛んだ。と同時に男も平吉に向けて拳を打ち込んだ。おそらく、小刀をかわせば、太極拳の一撃が平吉を襲う。逆ならば、小刀が。ところが、
 平吉は唇を尖らして、フッと何かを吹いただけだ。小刀は平吉の脇の下をすり抜け、太極拳の一撃は、平吉の顔面寸止めで止まった。太極拳の男は顔面を押さえた。その両眼からは血が滴っている。
「眼が・・」
 と、男は、そういって後退った。
 平吉は自分の斬られた頭髪を二本、吹き針のように飛ばして男の眼を射ったのだ。もはや、神業としかいいようがナイ。
「ちょうど、病院だから、手当てをしてもらえ、といっても、そうはすまいの」
 男の口から血がドロリと流れ出た。もはやこれまでという覚悟で舌を噛み切ったのだ。そのまま、座り込むように地面に伏すと、男は息絶えた。
 平吉は雪の上の血糊を足で蹴散らした。覚悟の上とはいえ、大嫌いな血が流れ過ぎる。そのまま、麓の弥勒教団へ駆け込んで、黒菩薩へ殴り込みでもしたい心境であった。しかし、あの真空風閂に対抗する手段が思いつかない。

 図々しいのは子供の頃からの性癖である。平吉は思い切って愛染院長に、沖縄で自分が目にした真空風閂の技を話してみた。医師という立場からでも、何でもよかった。瞬時に五十余人の人間を斬り裂くことなど出来ようか。
 院長は相変わらず髭の間にパイプをくわえて、時折紫煙を吐き、思案しているようだった。真面目に考えてくれるだけでも平吉にはありがたかった。
「ひとの技ではナイ」
 と、沈黙を破って、ひとこと院長が口にした。
「と、いうと」
 と、平吉が身を乗り出す。
 ぎっしりと洋書の詰まった本棚に囲まれた東屋である。
「どう、考えても、何か殺戮の道具が要る。外科医とて、メスがなければ腹は裂けぬ。しかし、そんな殺戮の兵器、そう、もはやそれは兵器と称してもいいんじゃないかね。そういうものが存在するだろうか。はて」
「外科医のメスですか」
「貴君は、その切断死体の断面は観たのかね」
「ええ、鋭利な刃物で斬られたようなふうでした」
「そうか。わしは〔真空〕などというからカマイタチ現象の利用かと思うたが、あれは切断というよりも、破砕、破裂だから、違うな」
 それは平吉も同様に考えたことだった。しかし、ひょっとして〔真空〕などという呼称に攪乱されているのかも知れない。そんな疑念が平吉に沸いた。あの肉塊の切断面は斬られたものだった。ひとり、一カ所から三カ所、思い出すだけで吐き気を催す地獄絵の惨状であった。
「みな、同じところを斬られていたのかね」
 老院長が訊ねた。
「いや、それは別々でしたね。適当というか、狙いを定めてという感じではなかった。コトバを換えていうなら無茶苦茶です」
「そのような武器が、存在するのか。古今東西の戦争や惨殺の記録にはなかったと思うがねえ」
 と、院長は立ち上がり、洋書の棚を眺めながら、何やら物色しているようであったが、「たしか、平吉さんよ。貴君の話では黒菩薩というのは暗殺集団だったね」
「そうです」
「刺客の集まりなんだな。そうすると、たいていがひとりでせいぜい数人を相手にするくらいじゃないのかね。五十余人を一度に暗殺などするというのは、不思議ではないかな。もはや、それは武器を兵器と称したように戦闘の類、集団による白兵戦のレベルだよ」
 たしかに、いわれてみればそうであった。暗殺は字のごとく、暗に殺すことである。五十数名の命を一度に奪うのは、とても暗殺とはいえない。
「おそらく」
 と、髭の院長は、そのあご髭を撫でた。
「人的能力が成す技ではナイ。何か特殊な殺戮の兵器を開発したに違いない。例えば、瞬時に五十余人の身体を切断する鋭利な複数の刃物だ。しかも、痕跡を残さないという類のものだ」
 医者というのは、そういうふうに思索していくものかと平吉は少々、この老院長の思考の進め方に感心していた。
「医学の分野では、いまはまだ開発途上だと聞いているが、手術のアトの抜糸をせずに済むように、自然と身体に溶けて融合されてしまう成分の手術後の縫い糸があるらしい。これだと、傷跡も目立たなくて済む」
 それは初耳だったが、
「そんなもので、肉が切断出来ますかね」
「さあ、要するに、その物質の硬度と、鋭利さということだろう」
 平吉は先程から流れているモーツァルトのレコードをじっとみつめた。
「先生、もし、その物質をレコードのようにして、ある回転を与えたらどうでしょう。切断機能は増加されるんじゃないでしょうか」
「おう、そうだ。その通りだ」
 ようやっと、朧げながら、平吉には真空風閂の実体がイメージ出来てきた。真空風閂などという名称は、めくらましに過ぎない。表象の誤誘導だ。
 と、ドアがノックされた。
「愛染院長」
 という婦長の声だ。
「どうした」
「壺中舞さんが」
 春日井婦長のコトバを聞き終わらぬうちに、平吉も愛染院長も部屋を飛び出した。
 病棟へとつながる廊下を歩きながら、婦長の話を聞くと、容体に変化があったワケではナイ。また意味不明のうわ言を語り出したというのだ。
 ベッドに辿り着くと、たしかに、舞は聞き取れぬような小声でボソボソと何かを語っていた。
「日本語ではナイだろう」
 と、いう院長の声を聞き流して、平吉は舞のコトバに集中する。そうしてしばらくすると、
「メモの用意をお願いします」
 咄嗟に、春日井婦長はエンピツと大学ノートをベッドの傍らの棚から取り出した。
 平吉が、いま聞いて暗記している舞のコトバを次々と述べていく。それを婦長がメモしていく。およそ10分、作業は終わった。平吉は大学ノートに記された意味不明のコトバの羅列を観て、
「暗号ですね。暗号なら、解けなくもナイ」
 院長が平吉のコトバを引き取る。
「すると、おそらく、睡眠時に何かの薬を投与されて、潜在意識に覚え込ませたのだな。ひょっとすると、平吉くん」
「ええ、たぶん、これが『デモクレスの剣』ノートそのものか、あるいはそれへの道案内だと思われます」
 平吉はそういいながら、あの真空風邪閂との決着の時が近づいたことを暗黙のうちに覚っていた。

2013年7月30日 (火)

マスク・THE・忍法帳-30

春日井看護婦長が処置してくれているあいだ、老院長は意外なことを語った。
「わしは、戸沢啓太郎の叔父でな、ひょんな因縁というところだな。まあ、人間なんぞというものは、数が多いといっても、世界にゃ百億といるワケでもナイ。この、おつむの中の細胞に比すればたかが知れている。どこかで、誰と関係しているのはアタリマエのことなのだよ」
 世間は狭いということだな、と、べつに取り立てて感心している場合でもナイ。
「舞さんのことですが」
「いま、動かすのは、あまり得策とはいえんな。ここ二、三週間から一ヶ月、そこがヤマだろう。そこで、結核菌に打ち克てば、アトは半年ばかりで娑婆に戻れる。それまではここに置いておいたほうがいい」
 と、事も無げに老院長はいうが、黒菩薩からの第二波、三波が襲い来るのは目にみえている。
「しかし・・」
 と、平吉かいいよどむと、
「平吉さん、あんたが、ここで、刺客をくい止めるしか手立てはなかろう」
「そうすると、また、中庭あたりを血で汚すことにナリマスガ」
「わしたち医者には、血というものは単なる液体にしか過ぎん。後始末は引き受ける。ケガですんだら、手当てもしよう。屍になったら、裏の釜で焼いてしまえばいい」
 その大胆な申し出に、平吉は喉を鳴らしたが、
「一ヶ月、ここが修羅場になってもかまわんのですか」
「平吉さん、世の中、避けえぬものは避けられん。医者というのはひとの死にイチバン近いところに在る。警察沙汰にするワケにはいかないので、箝口令を敷くが、当人はあんただからな。平吉さん、あんたが倒された時点で、私たちはあの患者を護ることは出来ないゆえ、そこまでとなる。要するに、それだけのことだ」
 パイプの煙がふんわりと漂った。しかし、この老人、おそらくはさまざまな修羅場をくぐってきたに違いない。単なる療養所病院の老院長ではなるまい。平吉は殆ど動物的な勘というヤツでそれを覚った。

 第二波は、三日後にやって来た。おそらく黒菩薩の斥候が、先の三人の屠られたことを報告したのだろう。
 静かな高山の中腹のサナトリウム。静謐な空気の中に鎮座する、結核菌患者の治療建築物をバックにして、その中庭で、平吉はただひとり、騎士とならねばならない。
 周囲は、雪だ。その年は積雪が少ないとみえて、中庭は黒い土がところどころにみえてはいるが、その雪化粧をまた赤い血が染める。
 平吉は、作務衣の男と対峙していた。ただ独りで来たらしい。ということは、この男も同様に余程腕に自信があるということだ。
 作務衣の男は例によって名乗りもせずに、バッと、両手を広げた。
「素手ゴロか」
 と、平吉が吐いた。
「陳家(ちんか)太極拳の影技をおみせする」
 と、男がしゃがれ声でいった。年齢は五十を過ぎているだろう。太極拳なら平吉にも知識は多少あるが、陳家はその本家ともいわれている。しかし、影技とはなんだろう。
 作務衣との距離があっという間に縮まり、いつでもどちらからも攻撃出来る射程に入った。ともかく、その技がどんなものであるのか、まず受けてみなければならない。これが平吉のハンディである。もし、一撃で決まるようなものであれば、平吉にも防ぎようがナイのはいうまでもない。
 男が、というよりも、作務衣の衣だけが、風に流れるようにして平吉の懐に飛び込んできた。その速さに平吉は退くことを許されなかった。突きか、蹴りか、手撃か、投げか。平吉が一瞬の思案をしているスキに、作務衣は、平吉の真裏、つまり背中に貼りつくようにして位置をとった。
「俺を後ろをとるとは、さすが、チンチン太極拳だの」
「フザケテいられるのもいまのうちだぞ、二十面相。これが〔影衣〕という技だ。いったんまとわりつくと、離れはせぬ。試しに跳んだりハネたりしてみるといい」
 試しに平吉はそうしてみたが、男はピタリと平吉の背中に一尺ばかりの距離を保ってくっついている。つまり、いつでも背後から平吉に攻撃が出来るということになる。
 その攻撃に相手は移った。手刀の突きが平吉の背中を貫いた。そう、貫いたのである。もちろん、平吉の肉体を貫き通したのではナイ。
「ヌッ・・」っと、太極拳の男は、その驚きの表情を隠せなかった。貫いたのは平吉の纏っていた二重回しだけだ。中身の身体、本体が消え失せている。
「サーカスには手妻というものもあっての」
 と、そういう平吉の声が、今度は太極拳の男の背後から聞こえた。
「まさか。いつのまに」
「手妻のタネはいうワケにはいかんのじゃ」
 つまり、平吉は男の後ろを、逆に、とったのである。というか、男は、いつの間にか平吉の中身のナイ二重回しの後ろに貼りついていたことになる。
 その背後の声に向かって、身を翻し、太極拳の後ろの蹴りが飛んできた。かかとが弧を描いて跳ね上がった。が、男が振り向くと、平吉の姿はナイ。
「何処へ消えた」
 上下左右、平吉の影すらナイ。                          ・・・面白いサーカスだねえ。・・・そう呟いたのは、二人の闘技を高見の見物と洒落こんでいた愛染院長。どうやら彼には、太極拳の男が、中身のナイ平吉の衣服と一緒に飛び回っているのがみえていたらしい。
 と、パティオ中央の噴水、冬場ゆえ水のはっていないカラの円形噴水から、平吉が今度は飛び出すのを院長は目にした。
 その気配に、咄嗟に太極拳も飛び上がる。空中で、両者が交差した。太極拳の男には、太極拳らしくナイ武器、小刀が握られている。それが、平吉の髪の毛を斬った。
「それも、太極拳の影技というやつかい」
 平吉の手には、太極拳の男の腰帯が握られている。つまり、着地した太極拳の男の着衣の下の部分が、ずり落ちた。笑ったのは髭の院長である。太極拳のほうは、思わず下腹部を押さえて歯ぎしりした。
「な、何を」
 平吉は、帯の臭いを嗅いで、それを棄てた。
「決闘の前には風呂くらい入っておくべきだの。もっとも、宮本武蔵は生涯、風呂には入らなかったらしいが」
 太極拳は、上着を脱いでそれを下腹部に巻いた。
・・・勝負はみえたな・・・と、また院長が呟いた。
「そのヒカリもので、まだやるってか」
「おうよ。こういう武器を使う技も、あるからな」
 と、太極拳は、小刀を握り直す。両刃の中国剣だ。その長さは五寸ばかり。
 それを男は垂直に地面に突きたてた。それから、その小刀から一間ばかり離れた。たぶん、男のいう小刀を用いる影技だろう。平吉は斬られた髪の毛をいじっている。

2013年7月29日 (月)

マスク・THE・忍法帳-29

 療養病棟とは離れて建てられた東屋が院長の書斎にあてられていた。窓以外の壁に設えられた本棚には洋書しか並べられていない。院長の机と椅子の前に来客面談用なのだろう応接用の長椅子とテーブルが設置されている。平吉はその長椅子の端に座った。「灰皿がナイのは、ここは結核療養所だから、一応禁煙ということになっておってね。しかし、用意は出来る」
「いえ、大丈夫です」
 院長は、そんな平吉の応答は無視するかのように、自分の机の抽斗からパイプと灰皿を取り出すと、プカプカやりだした。
「まあ、美味いものはやめられん」
 平吉は黙ってちょっと笑った。
「さてと、平吉さん、あの患者、壺中舞さんなんだがね」
「具合がまた悪くなりましたか」
「いや、具合はよくなってきている。利尿剤の効果が出てきたという報告があった。しかしながら、依然として、強い抗生剤を用いると体力の衰弱が激しいのか、不眠が現れて、ともかくはクスリで眠ってもらっておる」
 ポッと、院長はパイプの煙を吐いた。
「問題とは」
「問題というほどのことでもナイ。平吉さん、貴君のお姫さまは、ある寝言をつぶやかれるのだが」
「寝言、うなされているんでしょうか」
「いや、苦しそうなそれではナイ。静かにヒソヒソと、語るように」
「どんな」
「それが、何処の国のコトバかが、ワカラン。私は医者だから、英語と独逸語ならなんとか判読出来るが、そうではナイ。かなり古いコトバのようだが、聞きようによっては暗号のようにも聞こえる。それも、常に、語っているワケではナイ。時折、ふとした拍子におよそ三十分ばかりのあいだ、それがつづく。心当たりはおありか」
 そんなことは初耳である。こればかりは如何な平吉といえども推理出来なかった。
 と、その静寂を破るような物音が、病棟のほうで起こった。窓ガラスの割れる音だ。しかも一枚や二枚ではナイ。平吉は、即座に谷川のあの毛皮のデブを思い起こした。
「しつれい、もう一人、忘れておりました」
 急遽、立ち上がる平吉に、
「また、中庭をお使いになりますか」
 と、老院長が訊いた。それは、拒絶の意味あいをもったいい方ではなく、では見物を、とでもいいたげな口調だった。
「ニワ場の代金なら、お支払いいたしますが」
 と、平吉はいって飛び出した。ニワ場というのはテキヤのスラングで仕事場所、つまり店を出す場所のことである。ヤクザのスラングだとショバということになる。

 毛皮をまとった刺客が平吉の姿を廊下を走り抜ける風のようにみつけるのと、平吉がその者の襟首を掴んで中庭に投げつけるのとは、殆ど時間の遅延はなかった。
 さすがに殺人集団の一員である。毛皮のほうは、そのだぶついた体躯に似合わず、すぐさま立ち上がると、
「他の二人はどうした」
 平吉を睨み据えた。
「先に行って、待ってるってさ」
 と、平吉は飄々と答えた。
 毛皮の両手が胸先二尺で、合わさった。空気がゆらめいて、そのまま平吉に向って飛んできた。衝撃波である。平吉がそれを避けたので、庭にあった噴水の中央の彫像が砕けてしまった。
「弁償もんだな」
 軽口をいってはみたが、さて、この衝撃波をどうしたものか、平吉にはまだいい策略というものはナイ。
 手首から斬り落すか。と思ってみたが、さすがにそれは用心しているとみえて、手首から肘まで、帷子が巻かれている。帷子の下には、鉄鎖が編まれたものが装着されているに違いない。しかし、これ以上弁償材料を増やすワケにもいかぬ。と、すれば、あの衝撃波を避けながら、男の命を絶つしか方法はナイ。ところで、あのだぶついた体躯、それが平吉には少々気にかかっていた。
 平吉は試しに、自らのナイフを男にめがけて投げた。それは男の腹部に命中した。ところが、その腹がナイフを吐き出すようにして、ポロリとナイフは地面に落ちた。
「天然ゴムみたいなヤツだの」
 だぶついた体躯はダテではなかったのだ。どう鍛えたのか、あるいは特異体質なのか、男のカラダは、刃物を寄せつけないようになっていた。
「やっかいなヤツだの」
 その平吉のコトバを聞いて、毛皮の男は声をたてて笑った。
「俺さまの前で生き残った者はいない」
 そうして、衝撃波がまた襲ってきた。埒があかぬ。
 平吉は、何を思ったか先程の黒装束が用いていた八節棍を拾った。それをゆっくりと頭上で回転させ始めた。回転するに従って唸りが生じた。次第に回転が速くなる。すると、唸りは一定の音域まできて、急に聞こえなくなった。平吉の額に汗が滲んでいる。もう棍は目に観えない。すさまじい速度での回転であるはずだ。
 毛皮が両手を撃った。平吉が身を埋めるようにして、低い姿勢に転じた。空気のゆらぎは、平吉の頭上まで来ると、そこで消えた。
 毛皮の男の両まなこがカッと開いた。衝撃波が消されたからだ。
 平吉は、回転させている棍の角度を前方に倒すようにして変化させた。と、おどろくべきことが起こった。毛皮の男のものと同様の空気のゆらぎがそこに生じたのである。そうして、それは、毛皮の男へと向って急速に移動した。毛皮の男が後退るのと、その体躯が粉微塵にされるのとは殆ど同時のようにみえた。
 平吉の手から、棍が飛んでいって、地面に転がった。
「さすがに、腕が疲れたな。しばらくは使い物にならん」
 平吉は右手の手首を揉むようにして、そういった。
 おそらく、最初は、相手の衝撃波を、八節棍の回転の唸りの音波で干渉させ、これを打ち消したものと思える。と、そのアト、そのままの波動を相手に投げた。これだけのことを平吉はやってのけたのである。
 拍手が聞こえた。振り返ると、髭の老白衣である。
「手当てをしてしんぜよう。筋肉の緊張を緩和する注射と、湿布薬を塗布すればよろしいと、思うが如何かな」
「ええ、お願い出来ますなら」

2013年7月28日 (日)

マスク・THE・忍法帳-28

 筒からは投網のようなものが、空間に広がった。ふつうの者ならその網にからめ捕られていただろう。しかし、平吉は、六間ばかりを後方に飛翔した。
 男は、苦笑いのようなものを頬に浮かべると、投網を棄てた。
「なるほど、四方鞭がこうもたやすく屠られたのもワカルな」
 男は、先の刺客の死体と、投げ出されている武器、四方鞭に一瞬視線をくれたが、次に黒装束の懐から銀色の棒状の道具を取り出した。
「いっぱい、出てくるんだの」
「これでオワリだよ。これはな、わしの開発した武器で、八節棍というものだ」
 どういう仕掛けなのか、一本の棒が、パラパラと、繋がったまま短い八つの棒に分かれた。最先端の棒は先が鋭利に尖っている。おそらく、ある時は鞭のごとく、ある時は槍のごとく、ある時は鎖鎌の鎖のように、攻撃してくるものらしい。対する平吉には、武器らしいものは何もナイ。
「お主の武器は、終了したのかね」
 鎖鎌の鎖分銅のように、頭上で、棍が回転する。音をたてて唸りながら。
 平吉は、先程の男が使っていた鞭のうち、二本を拾って手にした。
「拝借というところだ」
「舐めたことをするヤツだな。その鞭が簡単に使えるとでも思うのか」
「使い方なら、さっき観た。四本は無理だが、二本なら、いけそうだ」
「しゃらくさい」
 鎖状の棍は、一本の棒になって、平吉の胸元に飛んで来た。投げられたワケではナイ。そんなふうにみえたのだ。
 平吉の鞭は、一本は黒装束の足下を薙ぎ払い、一本は袈裟懸けに振り降ろされた。黒装束は一間ばかりを跳躍して、棍を平吉の頭部に突き出した。今度は槍術だ。
 着地して、黒装束は眉間に皺を寄せた。先程の突き、いまの突き、当っていなければならぬ。避けた気配もナイ。どうしたことだ。思案の間もなく、鞭が、まるで四本あるかのように上下左右から襲ってきた。
「まさか、二本のはずが」
 平吉の早い動きは、二本の鞭を四本分に使っているのだ。
 渾身の突きを黒装束は試みた。と、その棍は一本の鞭にからめ捕られ、もう一本の鞭は予想だにせぬ速度で、黒装束の後頭部を撃った。
「何故、後ろから」
 ワカラヌといった顔つきが次第に苦悶の表情に変わった。後頭部の頭蓋骨は陥没させられている。
「なんという・・・」
 黒装束は、膝を折るようにして座り込むと、そのまま、前のめりに伏した。
 平吉は、鞭の一本を回転させながら投げたのである。そのしなりが、黒装束の後頭部を撃った。まさか鞭を投げるとは、黒装束も思ってはいなかった。
「恐るべし、二十面相・・・」
 いって、黒装束は息絶えた。
 その死に顔を観て、平吉自身は顔を背けた。
「人殺しは、イヤだの」
 唇を突き出して、小さくフッと息を吐いた。
 中庭に、人が集まって来た。
「やんごとなき事情により、私闘を致しました。庭を血で汚したことは謝ります」
 医師や看護婦、職員たちが立ち回って、患者に病室に戻るように指示し始めた。白衣の上に分厚い首巻きをした髭の老人が、年増の看護婦を従えるようにして、平吉に近づいて来た。たぶん、院長と看護婦長なんだろう。
「窓の向こうから、ガラス越しに観ておりました。みごとな闘いぶりでしたな。わしは、ここの責任者で、院長の愛染と申します。こちらは婦長の春日井です」
「春日井洋子と申します」
「ああ、どうも、私は遠藤平吉というケチなもんです」
「ここに、何方か、療養されてらっしゃるんですか」
 色白で、さぞかし二十年ばかり前は療養患者の噂にもなった、麗しき女性であったろうと、そんな名残の、凛々たる瞳の白衣の天使がそう訊ねた。
「壺中舞という女性です」
「ああ、あのめずらしい名前の方ね」
「その女性の見舞いにしてはえらく派手なご登場でしたな」
 食えないな、こやつは、と内心、平吉はその白髭の院長にそんな印象を持ったが、話のワカラヌ者でもなさそうだとも、同時に判じた。
「いやあ、お姫さまをお護りするのはタイヘンでして」
 と、誤魔化し半分の薄笑いをして、平吉、頭を掻いた。
「あの、療養者については、少々お話したいことがある。ちょっとわしの書斎にでも参られるかな」
 いうと、老院長は踵を返した。春日井は、職員に命じて、死体の処置を始めている。平吉は、有無をいう間もなく、老院長のアトに従った。

マスク・THE・忍法帳-28

このデブ男、手をポンと叩くことによって、音こそ出ないが、ある衝撃波を前方に向けて撃ち込めるらしい。それが修練のたまものか、自然に身についていたものかはワカラナイが、いまのところ、平吉にもこれを打ち破る方法は見当がつかない。
「次は、お前が粉々になる」
 と、男が手を撃とうとした刹那、極めて細い鉄線が一本、平吉の手の中から、蜘蛛の糸のように飛び出すと、男の右手にからみつき、男がその反動でよろめいている間に、平吉の手にあったワイヤーは、彼方の木の枝に結わえられた。つまり、男は手と手を撃ち合わせることの出来ない状態にさせられたワケである。
 なるほど、これなら、衝撃波をかわすまでもナイ。
「こ、このヤロウ」
 と、男のいう眼前に、もう平吉の姿は無かった。いまは、相手にしている場合ではナイという平吉の時間的理由による判断であったろう。
 無論、平吉の用いたワイヤーは、ひとを屠るための道具でも傷つけるための道具でもナイ。それは、家屋の塀をよじ登るための泥棒の手道具である。しかし、平吉にかかれば、それも一瞬にして殺傷能力を持つ武器となる。その例が次に登場する。
 二百メートル先に、二人の人影が、視えた。サナトリウムとは目と鼻の先である。ここで平吉は戸沢機関の要員を倒して出撃した黒菩薩の手の者に追いついたことになる。それは、平吉によってサナトリウムまでの近道にあたる山の間道が、調べつくされていたからに他ならない。
 しかし、敵も並々ならぬ手駒とみえて、平吉の追撃に気づいたようであった。そこで、一人が平吉を阻むために残り、もう一人がサナトリウムの方向に急いだ。しかし、平吉は自分の行く手を阻むための要員の前から忽然と消えたのである。もちろん、違う間道に入ったのだ。平吉はサナトリウムに向った黒菩薩を急追する。この辺りの駆け引きは、さながら戦場の戦術的な兵の動向に似ていた。兵は詭道なり。いや、平吉にあってはそれは常道というべきかも知れない。
 黒菩薩の先陣が、サナトリウムの鉄門を抜け、ちょうど中庭に至った頃、その男に例の耳鳴りが聞こえた。まさか、とは思ったが、振り向くと平吉が屹立している。
「きさま、こんなに早く。いったい」
 もちろん、そんなことを説明しているほど、平吉も呑気ではナイ。平吉の両手が交差するように動くと、ワイヤーが黒菩薩の男の手首と足首に巻きついた。平吉は黒菩薩の男の動きを封じたのだ。
「奇妙な武器だな」
 と、黒菩薩の男はいった。
「あんさんらが、使いなさる程のけったいなもんでもナイ。これは、泥棒の七つ道具の一つで、高所に昇るさいに用いる鉄線じゃ」
「なるほど、それで、俺を捕縛したというワケか」
 黒菩薩の男は、それでも余裕のある答え方をしている。おそらくは、手と足に巻きついた鉄線など、たやすく断ち切れるだけの術があるのだろう。
「きさまの鉄線と、俺の四方鞭と、どちらが勝つか、やってみるか」
 と、いっている間に、鉄線は断ち切られた。
「やっぱり、屋根昇りの道具じゃダメか」
 と、平吉は苦笑した。
 男は、鞭を片手に二本ずつ持って立っている。
「鞭か、アタルと痛そうだの」
 その平吉のコトバが終わらぬうちに、男の手の鞭は縦と横にしなって空気を斬って音をたて、平吉を襲った。なるほど、四方鞭。上下左右から鞭が襲ってくる。まるで生き物のように自在にしなりながら、いったい四本の鞭をどう扱っているのか、四方向からの攻撃が一撃でやってくるのだ。逃げ場はナイかのようにみえた。
 しかし、平吉は、カラダをくるくると回転させながら、その鞭の隙間を、かいくぐっているのである。
「チッ、すばしこいっヤツめ」
 鞭は、前後左右の空間を四方向から攻めている。叩きつけられたと思えば、横殴りに、また跳ね上がって、さらに斜めに振り降ろされている。しかし、その一撃も平吉にかすりもしないでいる。恐るべきは平吉の体技。
「こ、こやつ」
 と、平吉は一瞬の間隙に、右手をフェンシングの突きのように、鞭の男に向けて差し出した。
 あの、鉄線は、平吉がカラダを回転させながら鞭を避けて飛び跳ねているうちに、二本が捩じれるように寄り合わされて、一本の鋭く細い剣のようになっていたのだ。それは、いましも鞭の男の喉を突き抜いている。
「なんという、・・・」
「すまんな、こっちも必死なもんで、手加減が出来んのじゃ」
 平吉が鉄線を手元に引き寄せた。黒菩薩の男の喉から血飛沫があがって、男は中庭の地べたに倒れた。
 と、平吉待ち伏せ役の、もう一人の黒菩薩が、この時、追いついた。男は仲間の死骸に一瞥をくれたが、さほど驚いてもいないのは、こういう修羅場を幾度となく経験しているせいだと思えた。
「聞きしに勝るということか」
 と、その男はいった。黒装束に黒い鉢巻き。サングラスを装着している。
 今度は何だ。平吉は、スチール線をその場に棄てた。持っている道具と、仲間の死体の傷から、鉄線の用い方は看破されよう。二度同じ手は使えない。そう平吉は判断した。
「女をいただいていくには、どうしてもお主を倒さねばならぬらしいな」
「それが、ちょいとばかり難しい」
 と、平吉はお道化ていったが、その姿勢に隙はナイ。それは相手も同じだ。
 しかし、男は口を滑らせた。やはり舞を拉致しようとしているのは間違いない。
 男は、腰に下げている筒のようなものを手に取った。おそらくはそれが殺しの道具であるはずだが、予測は不可能に近い。
「まさか、火吹き竹ではあるまいね」
「戯れ言は、そこまでだ」
 男は筒を頭上に構え、そのまま振り下ろした。

2013年7月27日 (土)

マスク・THE・忍法帳-27

「十六です」
 という声に、平吉はふっと思考を中断させると、自分が無意識のうちに、娘に年齢を訊ねていたのだと、思い当たった。
 平吉は、娘をしばらくみつめていたが、なるほど、痩身であるのは、女性としては年齢的に未発達な肉体のせいなのかも知れぬ。
 平吉は、娘の仕込みを寄越すように促した。娘は、盲目の師匠をみたが、師匠はこれに頷いた。娘は平吉に、自分の武器である仕込み杖の剣を手渡した。
 平吉は、その重さと長さを計るかのように、刀身を抜かずに、眼を閉じたままそれを手にしていたが、突然、抜いて、何かを斬った。居合がワザの二人にも、そうとだけしか思えなかった。抜いたようであったし、何か斬ったようでもあった。
 やがて、囲炉裏の鉄製の長火箸が、中程で鋭く斬られて、灰の上にポトリと落ちた。娘のほうは息を飲んだが、祖父のほうは、耳でそれを察知したらしい。その理由を訊ねようとした。その刹那、平吉は、灰の上の二つに斬れた長火箸の一方を、人差し指と中指で挟むようにすると、手首だけを使って後方に投げた。長火箸はその鋭利な斬れ先を土間の柱に突き立てて、金属の振動する音をたてた。
「何のようだ。急ぎの用事なのは血の臭いでワカルが」
 そのコトバに老剣士も仕込みを手にしたが、平吉がそれを制した。
「敵じゃ、ない。そうだな」
 平吉が、土間に向ってそういうと、土間の柱の向こうから、ようやく苦しそうな気配がして、声が聞こえた。
「戸沢機関の者だ。松代に動きアリ。幾人かの刺客らしき者、アルプスに向う。我々はこれを阻止せんとしたが、おそらく」
 と、ここで、気配の者は姿も現した。というより、ずるっと横たわったといったほうが当っている。
「アルプス。じゃあ、サナトリウムへ動いたと、そういうんだな」
「おそらく、そうだ。敵の狙いは何か、ワカラヌ」
 狙いはワカッテいる。舞だ。しかし、何故。理由がワカラナイ。
「突然の動きは、何の理由でだ」
「ワカラヌ。我々は、戸沢所長に命ぜられて、偵察をしていただけだ」
 松代の『黒菩薩』が動いた。しかも、標的は舞らしい。とりあえずは、これだけで充分とばかりに、土間の男が息絶えるより先に、二十面相の姿は消えていた。

 何故、舞が狙われているのか、目下のところ何もワカラヌ。復讐ならば標的は自分のはずである。平吉は千曲川を上流へと、渓谷からアルプスの中腹へ向って駈けていた。
 と、突然、後方の岩が二つばかり鈍い音とともに破砕された。自然現象ではナイ。それが証拠に、前方に獣のなめし皮らしいチョッキを着ただけ、ズボンといえばニッカーボッカーの、季節ハズレの薄着の男がひとり、だぶついた肉をゆらして、チョビ髭にお釜帽という、ピエロでもいま少しはマシなコスチュームを選ぶだろうと思われる出で立ちで、にやにや笑って岩に座っている
「俺の行く手を阻むということか」
 と、平吉は、その男に問うようにいった。
「ここから先には行けないよ、お前は」
 男はニヤニヤだか、ニタニタだか、痴呆のように笑っている。
「おんしが、通せんぼをするということは、まだ悪人たちは、お姫さまを拉致してはいないということだな」
 間にあった。と平吉はちょっと安堵の息をついた。敵を目の前にして、これである。
「俺の右手と左手をポンと合わせて、さて、音が出るのはどちらの手からか、ワカルか」 お釜帽は、両手を自分の胸元に差し出した。
「そんなことは、どうでもええんじゃ。舞さんを拉致しようとしている理由はナンだ」
 チョビ髭は、自分のコトバを無視されたことに、腹を立てたか、今度はさらに強い調子で同じことをいおうとした。
「俺の右手と左手を叩いて、」
「音は出ない」
 平吉は相手のコトバを遮るように即答した。
 それが、ズバリ正解であったのか、あるいは、また自分のコトバを遮られたのに、自尊心でも傷つけられたか、男のニタニタ笑いは、引き攣るような表情へと変化して、太いカラダを震わしながら立ち上がった。
「お前、殺してやる」
 男は池の鯉でも呼ぶように、両手をポンと打ったが、果たして、平吉のいったとおり、音はしなかった。ただ、男の前の空気が陽炎のようにゆらいで、それはそのまま、平吉に向って飛んできた。河面に水しぶきがあがって、その傍らの岩がビシっという音とともに割れた。さらにもう一波。それは、平吉の足下の岩を砕いた。
「衝撃波か」
 と、平吉は、独り言のように呟いた。

2013年7月26日 (金)

マスク・THE・忍法帳-26

信越本線が篠ノ井線に分かれる辺り、千曲川の向こう岸には、本土決戦のために、かつて掘られた塹壕、大本営、政府、NHK、食料庫、印刷局、仮皇居がある。そこは現在のところ『弥勒教団』の松代分院となっていて、各地の分院の中でも格段に大きい。つまりは『黒菩薩』のほんとうの首魁はそこにいるとみて間違いはナイ。それが、あの風閂の局長なのか、どうかはワカラナイ。
 舞は眠っている。かの女性は病に伏してから、ふつうのものなら老醜が現れるはずを、次第に若がえっていくようで、まるで少女のような顔で眠っている。
 ともかくも、不幸中の幸いとでもいうべきか、『黒菩薩』の手が、葉子や平吉の関係者に伸びなかったことは、理由は知れぬが、ありがたいことだ。もっとも、あちらのほうでも、長屋を焼き払ったさいの二十面相の報復に懲りているのかも知れない。
 さて、思案ばかりしていてもしょうがない。次の一手を何処に打つか。敵の大本営に踏み込むのはたやすいが、千切っては投げ掴んでは倒し、というワケにもいくまい。今度は向こうにも、二十面相対策のシフトがなされているだろう。とはいえ、待っていて襲い来る刺客を倒していくのは面倒だ。何かを何処からか切り崩さねば、活路は開かない。
「というワケで、要するに、ツテというのが、あんたらしかおらんかったんじゃ」
 という平吉に、開いた口がふさがらないでいるのは、囲炉裏を挟んで向こうに座しているあの白虎の羽織りと、突っ立ったままの、娘剣客である。
「こんな近いところにお住みになってるとは存じなかったし、の」
 何処から調べたのか、あるいは、そんなことは二十面相の情報網をもってすれば簡単なことだったのか、何れにせよ、平吉二十面相は、先刻まで闘った敵である、盲目の老剣士の住処に在った。
「あんさんが、組織を離れて風来の身というたんでの、ここはひとつ聞きたいことをもっと聞いてみようと、そう思うたんじゃ」
 羽織りの代わりに、綿入れを羽織っていた居合の師匠は、弟子に、囲炉裏の傍に座れと命じた。先の闘いに敗れたアト、弟子、いや孫娘にはいい聞かせてあるようで、娘のほうに殺気は感じられない。殺意は消えている。それは、対面している祖父のほうも同じだ。殺人稼業、暗殺仕事であっても、家の中では家のひとなのだ。
「ワカッタよ。風閂の隊長さんが、そんなふうにわしらのことを値踏みしていたのなら、まあ、それもよかろうて。いま局長と呼ばれているあの男は、もともとは中野学校の者ではナイ。何処から派遣されたのか、沖縄作戦のときに隊長として司令塔になった男だが、年齢は、おそらく、あんたよりも若いんじゃなかろうか。いや、そうみえるだけかも知れん。ともかく、黒菩薩の連中が、唯一恐れていたのが、あの男だ」
 と、もはや初老から老人へと齢が向っているであろう、かの男は、囲炉裏の火に煽られて、顔面の皺の陰影を濃くしながら、そういった。
「あんさんらの沖縄作戦とは、何だったんだ」
 と、平吉が訊いた。
「察しはついとるだろうが、沖縄戦の際に、帝国軍隊の兵士から非戦闘員、つまり民間人を護るというのが大義で、そのアトで、沖縄に教団の支部を置くというものだった」
「何故、沖縄だったのかね」
「いま、大義名文といったのは、それなんだが、沖縄作戦は、アメリカとの共同作戦というか、戦略であったらしい」
「アメリカさんとかい」
「当時、アメリカは二つの選択肢を持って本土上陸に臨んでいたと、我々の機関は分析していた。ひとつは11個の原爆による焦土作戦。米軍が所有するすべての原爆を、東京を始め、日本の主要都市に投下して日本を殆ど焼き払い、完全占領するか、いまひとつは、日本の地理的条件を生かして、のちに極東にアメリカが台頭出来る根拠をつくるか。この第二案は、日本の協力がナイと不可能だ」
「原爆を11個も。鬼畜とはよくもいったもんだな。で、その、第二案を」
「選択したことになる。大本営にとっても、沖縄戦は半ば捨て石で、本土決戦のモデルでしかなかった。本土でどれだけ戦えるか。アメリカ軍に厭戦気分が出てくるまで戦いを引き延ばして、何とか降伏条件を良くしなければならないからな。沖縄戦は大本営の予想以上の戦果だった。実際、大本営は昭和19年の秋から本土決戦の準備に入った。国民義勇隊法を成立させ、六十五歳以下の男子、四十五歳以下の女子すべてを本土決戦要員として働かせることだった。これは六月八日の御前会議で正式に決定した。軍の統帥権は天皇にある。いわゆるトップダウンだ。『全軍特攻』『一億玉砕』これが戦法だよ。鉄砲もその弾もナイという情況で、およその死者を二千万人として、そこまでやれば、アメリカも折れると踏んでいたんだから、呆れる」
「そこで、きみたちの首魁は、アメリカに寝返った、というか、本土決戦を避けさせるために沖縄で、何らかの決着を模索、これを実行したと、そういう絵なのかい」
「察しがいいな。何をどうしたのか、私のような単なる殺し屋にはワカラン。ただ、本部首脳とアメリカ軍とのあいだで、何らかの密約がなされたことは確かだ。お前さんのいうその、何とかノートというのと、関係があるとすれば、その密約だろうて」
 いうと、老剣士は火箸で、囲炉裏の焼けた炭をつかみ、煙草に火をつけた。
「この娘の父親、わしの長男は、お前さんが、江ノ島で倒した誰かさんだ。おそらく意外に弱い敵だと思うたろうが、風閂のいうたとおり、江ノ島辺りの黒菩薩は名もないわしのような雑兵でな。たぶん、それは本部がお前さんの腕をみ誤った結果だが、侮るのは、これまでだと思うておいたほうがいいぞ。お前さんが、本部とアメリカとの密約を探って行動していることが知れたいま、命が幾つあっても足らんようになる」
 終戦間際、いや、日本の劣勢が確実になった頃から、陸軍中野学校は独自な動きをし始めたということ。おそらく幹部クラスは、裏の組織『黒菩薩』の上層部に取って代わられたのだろう。そこで、独自の終戦処理が検討される。その実行は沖縄戦だ。そのときすでに『デモクレスの剣』ノートは、密約の上にあった。ここで、陸軍所轄の間諜機関であった中野学校の裏組織は、中野学校と袂を分かつ、とみたほうがいい。裏組織『黒菩薩』は表向きを宗教法人『弥勒教団』として、戦後を生きているが、実際は日本の先行きを左右出来るほどの力を秘めている。そこに内紛が生じて、さらに偶然か神々の深謀遠慮か、二十面相平吉が介入してきた。辿ってみれば、そういうことだ。
 してみると、『デモクレスの剣』ノートを盗むように依頼してきた、元中野学校の教官と称する戸沢という男は、内紛、つまり『弥勒教団』からの脱団を先導した男とも考えられる。この先半世紀をかけて、日本を軍事大国に変貌させる計画とかいっていたが、いったい、それは。

2013年7月25日 (木)

マスク・THE・忍法帳-25

血が流れ過ぎている。そんなことに怯む平吉ではナイが、望んでいることでもナイのはもちろんのことだ。『デモクレスの剣』ノートの在り処は、依然として謎だ。次々と刺客がおくられてくるだろう。ともかくロール・プレイン・ゲームのように、あの真空風閂の使い手まで辿り着かねばならない。おそらくは、沖縄には彼はもういないだろう。組織の異分子を手なづけて、あの山の麓の闘いのようなことを仕掛けさせるか、粛清するか。何れにせよ、ノートについては、風閂まで行かねばならぬ。といって、勝算のある相手でもナイ。あの不思議なワザをどう防いで、どう闘うか。
 そんなことを腕組みして考えているワケではナイ。場所は千曲川の支流である犀川の岸辺。いま当て身を喰らわせて寝かせつけた、例の居合の女性が足下に転がっている。その師匠であるらしい、白い着流しの男が、同様に白い羽織りを脱いで地面に置いた。裏に縫われた白虎の刺繍が垣間みえた。
 眼も白濁しているからには、白内障で眼はみえぬようだ。そういう族を相手にしながらも、平吉は、先程のような思案をしていたのだ。
「二十面相、わしの剣は身斬れんぞ」
 盲目の着流しが兵児帯に仕込みを差した。右手が柄にかかる。
「いい、ヒントじゃ」
 と、一言、平吉。
「なにぃ」
 着流しの剣士は跳ねて雪駄を脱いだ。
 無謀にも程があると、思えたが、平吉はズンと剣客に近づいた。いつでも斬れる距離に入ったのだ。これには、相手のほうが少々動揺した。
 と、そのスキに、平吉はさらに踏み込んで、左手は相手の兵児帯を掴み、右手は、相手の柄にかかった手を握っている。もし、盲目の男が眼にハンディがなかったら、コマ送りのような速さで平吉が自分に密着するのがみえただろう。
 刀を抜いたのは、平吉である。抜きながら、兵児帯を掴んだ左手で、男を投げた。たぶん柔術のワザに違いない。
 男は、なんとか、反転して着地した。
「海軍仕込みの大東流合気柔術でな。明治時代から伝わる古武術らしい。たしかにその師匠にかかると、大の男が数人いっぺんに吹っ飛んでいった。ところで華麗なぶん、修業が難しいようで、けっきょく体得したのは俺だけじゃったが」
 平吉の手には相手の刀が握られている。それを鑑定でもするかのように眺めると、平吉はこういった。
「仕込みの上に仕込みだな。柄の部分で刀身が二寸ばかり変化させられるように、仕掛けがしてあるんだの。なるほど、これでは、斬られたら、身斬りは出来んかったじゃろ」
 大胆不敵もここまでくると、放埒である。
「き、キサマッ」
 憤ってみても仕方がないが、まるで子供扱いされたことに、盲目の剣客は、女弟子の師匠としても、恥辱。真っ赤になって湯気を出した。
「この女剣士が、俺を仇というておったが、いまは、おぬしらの団体さんと俺は戦をしている最中だ。戦争に仇もカエシ(復讐)もないと思わにゃな。ところで、おぬしは、黒菩薩のどちらについている」
「何の話だっ」
 負けたくせに、威勢のいい声だ。
「沖縄で、俺と和解を申し込んだ、弥勒教団の連中があった。ことごとく俺の目の前で、真空風閂というワザで殺された。五十余名がほとんど一瞬で、肉塊になった。あれは殺人術の域を超えている。知ってるかな、そやつを」
 盲目の剣士は、しばらく黙したが、
「真空風閂、その者は黒菩薩が沖縄戦作戦においての、隊長、あるいは現在の弥勒教団沖縄分院情報局の局長。おそらくその男だと思うが」
「あんさんは、その男の敵か味方か」
「もともと、黒菩薩は暗殺集団だが仕事でしか集団は組まぬ。ただ、沖縄の場合は戦線におくられた者は戦時戦闘員として集団で行動したようだ。わしは、いまはこの娘と風来の身で、何れとも敵でも味方でもナイ」
 そういうと、男は、女剣士を担ぎ上げた。
「おい、帰るなら、刀を返すぞ」
「このような負け方をしたのは初めてだ。信じられないとしかいいようがナイ。お前は天狗の血でも引いているのか」
「天狗ねえ。さあ、どうかな。俺の親父は天才といわれた泥棒だからな。ああ、それはそうと、俺の気配というのは、耳鳴りがしてワカルらしいが、それを誰かに仕込まれたとしたのなら、その女性(にょしょう)と一戦交えたさいだと思うが、その女、俺に何をしたんだ。それだけは気づかなかったぞ」
 盲目の剣士は、初めて頬をほころばせた。
「それは、術というものではナイからな。この者、未熟にして黒菩薩に在るは、お前のいうその耳鳴りがこさえられるからだ。何故かは、誰にも、わしにもこの者にもワカラヌ。この者の持つ波動が相手に移るのだ。僅かに10decibel の音波がな。ふふふ」
 盲剣士は平吉に背中を向けた。その背中に、平吉は、羽織りを投げかけた。
「いい羽織りだ。残しておくにはもったいない」
 盲目の剣士と弟子の女剣客が消えても、平吉はその岸辺に立っていた。とはいえ今度は考え事ではナイ。
「あの師匠に近づいた刹那、仕込みの秘密を俺に教えたのは、何故だ。我が輩が斬られるとでも思ったか」
 独り言ではナイ。ちゃんと答えが返ってきた。
「いや、あれでも、あの二人は祖父と孫でね、ひょっとしてどちらかが命を落すのは忍びないと、私でもそういうふうに思うときがあるんだよ」
 声の主は沖縄の例の局長だ。ただし、奈辺から聞こえて来るのか、本体の気配はナイ。平吉にもその居場所はワカラナイ。
「つまり、あの爺と娘の殺し屋は、それほどの腕ではナイ。ただ、娘の特殊な能力を利用したかっただけでね。それは、祖父の口から、いま聞いたろ。さて、二十面相。きみの捜し物は、私を倒さない限り手に入らぬ。しかし、私にまで至るには、少々、茨の路を歩いてもらわねばならない。我が黒菩薩の精鋭は、いまやきみを倒すことのみに、持てるワザのすべてを賭けている。二十面相、きみの歩む路は、血の絨毯が敷いてある。そうしてきみのくぐる門は、地獄の門だと知れ」
 気配が一瞬、感じられ、それは即座に消えた。
「俺に墓はまだ要らぬ」
 と、吐き捨てるように平吉は気配が消えた方向にいい放った。
 まるで、何かの決意でもあるかのように。

2013年7月24日 (水)

マスク・THE・忍法帳-24

 この能力ですら、疎ましい。
 潜んでいる者は多くはナイ。だから逆に油断してはならない。数を頼みの攻撃ではナイということだ。つまり、敵は腕に自信があると、そういうことになる。
 あるいは、飛び道具。弾丸の類が飛んでくるのかも知れない。火縄銃でもナイ限り、火薬の臭いを嗅いでというふうにはいかない。平吉は地面の木の葉を一枚、指先に挟むと、ふいにそれを宙に投げた。もちろん木の葉のことだ、鋭く飛んでいくワケはナイ。ただ、空気の中にフッと飛んで、クルクルと舞い落ちる。その間に、平吉の姿は消えた。
 静寂と、張りつめた空気が、まるでそぐわぬ白樺の木々を捉える。あと一合登れば、山林は雪に埋もれてしまう。ここが、銀嶺との境目だ。白無垢と朱染とのワカレ目だ。誰だまだ、死ぬ気でいやがるのは。
 と、雨。ではナイ。液体が雨のように降ってきて、その液滴が落ちたところが白い煙を上げている。降り注いだのは強酸らしい。平吉の居場所を突きとめようと、塩酸だか、硫酸の雨を降らしているのだ。宙空を鳶らしい鳥が旋回して飛んでいる。その鳶に仕込みを施してあるらしい。
 平吉は、立った。何処からでもみえるように。潜んでいるのが面倒臭くなったといってもいいが、おそらく平吉なりに、敵に身斬りをつけたのだろう。
 適当な方向に平吉は叫んだ。
「沖縄分院の局長とかの配下か、それとも別口か」
 数秒、山の自然の音だけがしていた。で、応答があった。
「沖縄では、キサマに同胞が五十四名惨殺された。俺はその仇が討ちたいだけだ」
 違う。そうではナイ。あれは、自分の仕事ではナイ。しかし、そんなことをいっても始まらない。
「いつでも、どうぞ」と、仕方なさそうに平吉は応えた。
 手裏剣が飛んできた。特種な手裏剣だ。刃の部分が金属ではナイ。それは、平吉が避けたさいに、木々に突き刺さって炸裂し、白い煙を上げた。刃の部分がガラスの容器になっているらしい。そのガラスの中には強酸が仕込んであるという寸法だ。
「あのな、ちと、聞きたいんじゃが、俺が近づくとワカル仕掛けというのは、どういうヤツかね」
 不敵というか、不意にというか、そんなことを平吉は口にした。
 また手裏剣が平吉の首もとをかすめた。後ろのほうで、炸裂音が聞こえる。
「最初は、何か臭いでもつけてあるのかと思うたが、そうでもナイ。人間の五感でワカルなら、視覚ということでもナイことは調べてみた。すると、聴覚ということになるが、違うかな」
 続けて数本、手裏剣が飛んだ。そのことごとくを平吉は受け止めて、三方向に投げ返した。敵がじっとしているハズがない。動く気配の方向に投げ分けたのだ。これには、敵も驚いたろう。
「恐るべし二十面相。なるほど、聞きしに勝るとは、このことだな。まあ、そのワザに敬意を評して教えてやる。聞いたところで、逃れられる術はナイが」
 平吉は肉の焦げる臭いを嗅いだ。運良くなのか、一本が敵さんに命中したらしい。
「二十面相という標的が半径10メートルの領域に入ると、我々には右側だけ耳鳴りが聞こえることになっている。その方法は教えるワケにはいかぬ。耳鳴りというのは、たかだか10decibel でしかない。その音の大きさは、このような森に枯れ葉が舞い落ちる、その程度の音でしかない。それが耳鳴りになると、かくもうるさい」
「なるほど、耳鳴りがねえ。考えたな」
 共鳴という原理を応用しているのだろう。平吉は闘いの最中に、そんなことを悠長に考えていた。というのも、こちらはもう敵を捕捉してあるからだ。
「肉の焦げる臭いは、耳鳴りより確かだぞ。誰だか知らんが、名無しのナイフ屋、あんさんの居所は手に取るようにワカル。というか、あんさん、三本のうちの一本が偶然に命中したと、バカなことを思ってるんじゃなかろうな」
 敵は怯んだ。まさか、あの出鱈目に投げられた三本のナイフの一本が、自身を狙って投げられていたとは。神業としかいいようがナイ。
 と、平吉はポケットからナイフを出した。
「で、こっちもナイフを投げる。てな、もったいないことはしない」
 平吉は、地面に落ちている木切れを一本拾うと、ナイフでそれを削りだした。
 その間にも、硫酸だか、塩酸だかを封じたガラス・ナイフが飛んできたが、まるで平吉のほうに興味がナイといった寸法で、一本も命中しない。
「そろそろ、強酸ナイフも尽きる頃かな」
 いうなり、平吉は、尖らせた木切れを、槍投げの槍のように構えて、これを前方、上向きに投げた。
 木から落ちてきたのは猿ではナイ。木切れに腹中を貫かれて、黒づくめの男がひとり、やっとの思いで、身を起こして膝をついた。
「何故、俺の居場所が、ワカッた」
 コトバは血とともに吐かれた。
「ナイフを投げに地上に降りては、舞い上がって、木々の枝から、俺を観下ろしていたんだろう。まさか頭上にいるとは気づくまいと、それが、あんさんの油断じゃったの」
「なんというヤツだ」
「地獄の土産に、教えてやるが、あんさんのカエシ(復讐)は相手が違うぜ。俺は、沖縄では、あんな残酷な人殺しはしておらん。黒菩薩も、ちょいと内部で揉め事がありそうだの」
 その平吉の声は、すでに息絶えた男の耳には届いていない。
 平吉、振り仰げば、銀色の峯が眩しく、目を細めた。

2013年7月23日 (火)

マスク・THE・忍法帳-23

三・激闘二十面相
         

 突然の報せだった。『リュパン』の舞の容体が思わしくないというのだ。平吉は沖縄を離陸して、信州に降り立った。長野県松代(現長野市)、ふつうなら信越本線に乗車しての長野駅下車であるが、平吉はそのすぐ傍の長野飛行場に、張から借りた自家用航空機を着陸させた。その辺りは江ノ島と同様、大本営が本土決戦の司令部と天皇を迎える基地を地下に建設したところだ。途中から皇族方は江ノ島ということになり、松代に作られた居室は食料庫になったが、これはほぼ完成、全体も七割が出来上がっていた。いうまでもなく、ここに例の『弥勒教団』の分院がある。
 平吉と、平吉が使っている特殊な情報網の調査では、この他に教団の分院のあるところは、すべて皇族関係の私有地であったものを買い上げたものだ。人数も少ない支部院と称するところですら、そうであった。また、この教団には本部、つまり本院という名称のものは存在しない。分院という名のついた何れかが本部を担っているのだろうが、中枢を隠蔽することによって、戦前の大本教弾圧のような事態に対処出来るようにしてあるのだろう。何れにせよ、巨悪というに相応しい権力が上空に暗雲の渦を巻いている。いったいそのことと、沖縄戦と、『デモクレスの剣』ノートとが、何処でどうつながるのか、この時点では平吉の頭の中に、そんな絵はナイ。 
 
 結核の国立療養所、いわゆるサナトリウムというやつに駆けつけた平吉は、医師に舞の容体を訊いた。
 結核というのは、やっかいな病気で、療養治療の期間中に別の疾病を併発することも多くあり得る。尾籠なところではサナトリウムで梅毒が発生したこともある。保菌患者のひとりが、他の患者と交わっての結果である。
 舞の場合は、結核菌に依る尿路への感染からの腎臓機能不全ということであった。人工透析がまだ未発達な時代である。カテーテルと利尿剤の効果に頼るしかナイ。
 病室で舞は眠っていた。医師によると、安定剤の投与で眠らせているらしい。特にやつれたという様子もなく、頬には赤みさへさして、閉じた瞼の睫毛が黒く、自身の眠りの心配のなさを主張しているかのようであった。
「眠れる森のお姫さんか」と、平吉は呟いた。
 とはいえ、安心していられるような容体でもナイらしい。利尿剤の効果がなくなると、水分は身体に湿潤する。腎臓による体内の毒素の排泄が出来なくなるということは、やがて他の臓器へと影響を与える。特に、血液の循環に関わる心臓に負担がかかって、今度は心不全に陥る。
 幸いというか、パス以降、通称ヒドラジッド(薬名イソニコチン酸ヒドラジット)が日本でも認可発売されていて、ストマイだけに頼っていた抗生剤治療も進歩してきた。ただし、抗生剤というのは腎不全には用いにくいのである。まず、腎機能の改善を図ってから、混合抗生剤を投与するとの治療方針だと平吉は聞いた。
「薬はいろいろと開発されますが、いずれは、病気とそのひとの心身との勝負です」
 と、医師は平吉に告げた。
 戦争は終わったが、こういった闘いは終わらない。
 信州の森深く山脈を登れば、山頂付近には舞の眠るサナトリウム。そうして、下れば裾野に『弥勒教団』の分院、いわば『黒菩薩』のアジトだ。別に手配をしてそうしたワケではナイが、これは奇妙な因縁としかいいようがナイ。奇縁というやつだろう。
 平吉は麓の教団分院も調べてみたが、特に不穏な動きはナイ。戦後は天皇の現人神撤回の御言葉を頂戴してから、あちこちに新興宗教の団体が雨後の筍であった。戦中に弾圧されていた反天皇派(といっても、神道とは縁遠いということだけなのだが)の宗教団体も息を吹き返し、巷は貧乏人を如何に信者に取り込むかという争奪戦の様相を示している。とはいえ、前述したごとく、進駐軍司令部はタガを外したことによる日本の共産化を危惧していたし、新興宗教の団体が天皇崇拝のような権力に成長することも用心していた。
 ほんとうに『デモクレスの剣』などというものが存在するのだろうか。信州山中のロッジの粗末な部屋に宿をとった平吉は、自分だけが、幻妖をみせられているような焦燥すら浮かべながら、細巻きの葉巻煙草を燻らしていた。
 山の天気はたしかに変わりやすく、朝霧の中で目覚めると、空は一瞬に晴れ渡り、ひょいと散歩に出かけると、急に時雨れてくる。先代と母のサヨは、この空を何処で眺めているのだろうか。郷愁というものがナイ流れ者渡世の平吉に、それと似たような心境があるとすれば、両親、とりわけ母親のことだけだった。
 雉か山鳩か、何かはわからぬが山鳥が頭上を飛んだ。
 何のことはない自然の風情なのだが、それだけでもう、平吉は、何者かが白樺の林に潜んでいることを察知していた。

2013年7月22日 (月)

マスク・THE・忍法帳-22

「なんにも、いうことはナイか」
 トラックが加速した。と、同時に佐吉が口を開いた。
「あのガマでは、重症の兵卒はもちろん、多くの非戦闘員、つまり民間人の負傷者で、連れていけぬ者が射殺、毒殺された。もちろん、それを行ったのは、日本軍の兵卒だ。残虐極まりないと、のちにいわれるだろうことは、それを行った兵士にも重々わかっていたことだ。しかし、実際、誰かがやらねばならない。戦争では、強いもの、まだ力のある者から残していく。これが常道だ。重傷者を拳銃で撃った兵士は、号泣している者もあった。誰もが鬼なのではなかったのだ。その罪業に恐れおののいている者も多かったのだ」
 もちろん、その声、語り方には覚えがある。
「そこで、その兄ちゃんたちをも救済するために弥勒さまのお出ましとなるのか。そいつは詭弁というやつやの。そんなものは白旗ひとつ揚げればそこで、解決したんじゃ」
 と、平吉は両腕を頭の後ろに組んでいう。
「そんなことが、当時の帝国日本軍に出来るワケがナイ」
「さあ、それはどうかな。俺も、軍隊の飯は食ってきた。死して虜囚の辱めを受けず、とはいうたが、けっこう、白旗揚げて、投降する連中は多かったぜ」
 トラックはさらにスピードを上げた。タイヤが軋んでいるのか、アスファルトが悲鳴をあげているのか。しかし運転席では、まるでそんなことには関心のナイように対話が続いている。
「平吉さん、いや二十面相くん。貴君にとっては実にイヤな話を聞かせてあげよう」
 佐吉の唇が歪んだ。
「沖縄戦の始まる前に、日本が敗戦することを知っていたのは、陸軍中野学校の裏組織である『黒菩薩』を中心とした、遊撃部隊だ。ここで、我々は指揮官から、意外なというより驚愕すべき計画を聞いた。日本の降伏は100%決まっている。これから南方の本土、沖縄で戦われる戦闘は、特殊な戦闘になる、と、その指揮官でもあり、中野学校の教官は我々に告げた。それを暗号名で『デモクレスの剣』という」
「なん、・・」
 平吉がカラダを起こした。トラックが大きく跳ねた。
「日本の勝敗などには無関係だったんだよ。沖縄戦は、あるモデル戦。シミュレーションの実戦に過ぎなかったのさ」
「『デモクレスの剣』とは、何だ」
 いうと、平吉は佐吉にもたれかかるようにして屈み込み、佐吉の右足首をアクセルペダルに括りつけた。佐吉の足は何かに固定されたことになる。そうされることによって、佐吉の右足はアクセルを踏み続けることとなり、ブレーキを踏むことを不可能にされたようだ。
 ふつうはこんなことは悪玉が、正義の味方に行使して、正義の味方を窮地に追い込むというのがアクション・ドラマの定番だが、平吉はその逆をやったのである。
「答えてもらおうか」
 平吉は佐吉の握るハンドルに手をかけて、今度はハンドルを揺さぶった。トラックは小刻みに蛇行しながら、猛スピードで走っていく。
「おぬしの二十三歳は変相ではナイな。その若さで、『弥勒教団』の黒幕とは、恐ろしいヤツだな。局長とはおぬしのこと、あの真空風閂もおぬしの術だな」
 しかし、このような窮地に追い込まれて、自称佐吉か恐れおののいたかというと、そうでもナイ。
「平吉、この世界に天才は自分ひとりだと自惚れるのではないぞ」
 そういうと、急ハンドルをきって、トラックの進行を直角近くに曲げた。トラックは片方の車輪を浮かして、横転しそうになりながらも、持ち直して着地すると、雑木林の木々をなぎ倒して、砂浜に出た。アメリカ人専用のビーチであるが、さすがに沖縄とはいえ、この季節はひとの姿はナイ。
 トラックは、そのまま海の中に突っ込んで停止した。
 助手席に平吉の姿はナイ。
 自称佐吉は、悠然と、足の括りを解き、半分ほど海に沈んだトラックの窓から、ひょいと抜け出ると、そのままトラックの天蓋に立った。
 平吉は、ビーチに立ってその鮮やかともいえる、彼の行動を観ていた。
「イヤな話の続きを聞かせてやろう。大本営は昭和十九年秋から本土決戦の準備に入ったが、決戦とは名ばかりで、つまりは全軍特攻玉砕ということだ。これを主張したのは軍令部の大西瀧次郎次長だ。あの特攻隊の立案者だ。彼のいいぶんはこうだ、米兵が四~五十万人ほど本土で死ねば、アメリカのいいなりでの降伏は避けられるだろう、というものだ。米軍はオリンピック作戦とコロネット作戦という名称で、九州宮崎と、関東地区に上陸する作戦をたてていた。これに投入される予定だった兵は七十六万人。しかし、三十万近くの死傷者が出る覚悟が必要だった。そこで、上陸侵攻は原爆を落として日本兵や日本国民に厭戦の情を蔓延させてからということに作戦は変更された。この時点で、沖縄戦も見送りになるはずだったのだ。いいかね、二十面相、アメリカが用意した原爆は、広島リトルボーイ型や、長崎ファットマン型の二発ではナイ。合計十一発の原爆の投下が決まっていたのだ。十一発の原爆によって、日本を壊滅させる作戦だったのだ。想像してみたまえ、灰塵に帰した日本の国土を。しかし、たった二発で日本は降伏した。これはアメリカ軍にも意外なことだった。何故、一億玉砕が吹っ飛んでしまったのか。参謀本部と軍令部、つまり大本営における本土決戦主張士官が、続々と謎の死を遂げたからだ。そういえばワカルね。賢明な貴君には」
 ひょんなことからとはいえ、エライものを敵にまわしたようだ。さすがに平吉も目尻に皺を寄せた。
 エライ敵は目の前にいる。真空風閂とは、如何なるワザであるのか。あの酸鼻極まる爪痕を現出させる非道の術。これをどうかわせばいいのか。平吉には何のアイデアもナイ。
 そのとき、雑木林のほうから、ジープが走り込んできた。MPである。
 何やら、フリーズとか、スタンダップとかいいながら、ミリタリー・ポリスがジープから降りてきたときには、砂浜には、風にでもなったのか平吉の姿はなく、海中のトラックの天蓋にも、ひとの気配は消えていた。
 きょろきょろと辺りをみ廻すアメリカ兵の目に、雑木林の木々が数本、炸裂するようにして裁断されて倒れるのがみてとれた。

2013年7月21日 (日)

マスク・THE・忍法帳-21

 翌日、平吉は食料搬入関係の職員に変装すると、米軍基地に堂々と忍び込み、無線を拝借して、東京、新宿の張大元と通信した。張くらいになると、沖縄を無線で結ぶ通信機器は装備しているのだ。
 平吉は沖縄戦のことをいま少し、詳しく張に訊ねた。
「沖縄人の口は堅いのです。まるで貝です。何故ならば、未だに警戒心を解いていないからというのがひとつ。つまり何か都合の悪いことでも喋ってしまうと、スパイ容疑を着せられないかと不安なのです。それから、彼らは日本本土の政治家など信用してはいないのです。従って、その関連の調査には非協力的です。沖縄戦の報告は、生還した兵卒など軍属によってなされています。それは嘘か美談でしかありません。如何によく沖縄で帝国軍隊は果敢に戦ったかという物語です。また民間義勇軍が聞くも涙の活躍をしたかという、お話です」
「じゃあ、沖縄戦の全貌、いや、一部でもええんじゃが、それがどんなものだったかは、いまなお知られざることだと、そうおっしゃるんですね」
「そうです。文目(あやめ)もつかぬ闇の中です」
「いったい、終戦後の三ヶ月近くを、沖縄の守備隊や民間戦闘員は、誰の指揮で動いていたんですかね。あるいはまったくのゲリラ戦だったんですかね」
 ゲリラ戦かも知れない。しかし、と平吉はそこで、一歩踏み込む。ゲリラ戦にしても、そのゲリラ戦を動かしたヤツがいるのではないか。何のために。戦争が終わっていることを知りながら、何のためにアメリカ兵と戦わなければならなかったのか。何のために、何のために、誰がいったい。
 無線の無断使用のところへ、正月のお屠蘇気分(米国ではお屠蘇はナイだろうけど)つまり酔っぱらった兵隊が、フーアーユーと入って来た。ちょうど張との通信も終了したところだったので、平吉は、その酔漢に、アイアム ザ マスクと、ひとこというと、肩を叩くようにしてすれ違った。何をどうしたのか、酔漢はその場で気を失って倒れてしまった。グッドバイ。運が悪かったのだからグッドではないだろうが。

 平吉が沖縄の米軍基地に入るのはこれが初めてだった。えらく広いもんだなと感心していたが、このアトこの軍事基地施設は拡充され、ベトナム戦争のさいには前線基地になってさらに重要度を増し、本土返還という詐欺のような政治決済が済んだアトも、米軍の占領領土であることに政治的な変化はナイ。
 米軍があからさまに沖縄に核を配備しないのは、近隣に台湾があるからで、何も日本側への配慮ではナイ。一時、北海道と沖縄にサイロ型の核ミサイル発射台を建設する案もあったらしいが、サイロ型は固定タイプであるので、先制攻撃を受けた場合に役に立たないことが多く、検討されているあいだに、ソビエトは破綻して、中国に対しては原潜のミサイルの照準を合わせるだけでよくなった。
 中国が台湾を恐れるのは、台湾そのものに対する敵対心ではナイ。地勢学的、軍事的にみれば、台湾に中距離戦術核ミサイルでも配備されたら、それこそ、喉元のナイフになるからである。では、仲良く手を取り合ってでいいではないか、というのは素人の床屋談義で、政治においては仲良く手を取り合ってなどということは、地獄の釜が割れることはあっても、あり得ないことである。

 表の駐車場に停めてあるトラックまで行くと、あの男が運転席に座っていた。
「私が運転していきます。沖縄は車は右を走りますから、本土とは違って運転しにくいと思いまして」
 男の名前は佐吉といった。まだ二十三歳である。どうせ無免許に決まっているが、それは平吉とて同じことだ。
「何処まで、いきましょうか」
 と問われたが、アテなどナイ。教団に攻め入っても埒はあかない。協力をあおげそうな連中は、この佐吉を残してすべて討たれた。『デモクレスの剣』は何処に在る。まったく見当もつかない。
「佐吉くんよ、あんさんは、『デモクレスの剣』とかいうのを耳にしたことはあるか」
 直截な質問ではあったが、いまのところ、生き残りの佐吉しか伝(つて)はナイ。しかし、こういう果敢なところが二十面相、平吉の資質なのだ。
「デモ・・」
 と、いいかけて、佐吉は思案、いや、記憶を辿っているようだった。
「私のような下っ端には、そういう教団の機密事項については何を知る権利もありませんから」
「そうか。それは、教団の機密事項なのか」
 平吉の表情は微動だにしない。
「そうじゃないんですか」
「何故、そう思った」
「そりゃあ、私に、そう訊ねられたので」
「ふーん」
 トラックは舗装された道路を、何処に向っているのか、走り続けている。
 長い沈黙がつづく。
「いま、何処に向っている」
 と、やっと平吉が口をきいた。
「適当です」
 と、佐吉が答える。
「沈黙は金とは、よくいうたもんやの」
「何のことですか」
「俺がずっと黙っていたので、あんさんのペテン(テキ屋のスラングで頭のこと)は、俺がいったい何を考えているのかと一所懸命に推理しとったろう。もしや、もしやと、訝しんでおったろう」
 佐吉の眼が、道路から視線をずらして、伏せ目になった。
「あんさんは、二度、俺のアトをつけた。今日と、昨日の洞窟だ。二度とも俺はそれを見破れなかった。アトをつけられて、二度も俺に覚られないというのは、よほどの者でナイ限り、出来ないことだ。このトラックは、三途の川の渡し場に向っているんかの」
 佐吉は、まだ口を開かない。

2013年7月20日 (土)

マスク・THE・忍法帳-20

 平吉は壕に使われたガマ(洞窟)の中に座していた。戦争の傷跡はまだまだ残っている。靴、空き缶、茣蓙、毛布、薬瓶、焦げついてあるいは血痕を付着させたまま、戦跡とはいえ、無残であった。ここで、多くの傷病者、いわゆる足手まといが、毒殺され、また銃殺されたのである。
 それが、いま、平吉の前に正座をして座っている、まだ、平吉より若い男の口から語られた。その男は、あの小柄な老人の率いる教団一派の生き残りだと自称、平吉を追ってきたのだという。
「沖縄戦というのは、牛島中将最高指揮官の割腹で、六月二十三日に終わったことになっていますが、ありゃあ、アメリカさんのニミッツが、二十二日に勝手にそう宣言しただけで、終戦後も二ヶ月余りに渡って継続していたんです。なんでそんなことになったかといいますと、二十三日には、勅令が公布されたんです。『国民義勇兵法』というやつです。大本営の命令は、組織的反撃はこれを終了して、解散する。しかし一億臣民は玉砕せよ、というもんだったんです。つまり、軍はもうナイんですが、ゲリラ的に最後の一人まで戦えという命令です。この沖縄戦で、軍人が何人、島民が何人、死んだのかワカリマセン。たぶんずっとワカランと思います。帝国の軍人が島民をかなり虐殺してますから、そんなものは勘定に入れないでしょう。しかし、ここの戦いは地獄でした。そういったのはアメリカ兵なんです。ヒトラーはユダヤ人を大量に殺戮しました。しかし、それは彼の狂信的な、人格的な問題で、戦争そのものではありません。しかし、沖縄戦は違う。ここは戦争でした。戦争がつくった地獄でした。ヒロシマ、ナガサキや東京大空襲は、敵のアメリカさんがやったことです。敵が敵を殺しただけです。しかし、ここは、味方の兵隊が非戦闘員を足手まといだという理由で、そうでなければスパイだといわれて。・・・終戦時、私はまだ十六です。まだ戦っていました。私は、私は、ほんとうをいうと、日本兵も殺しました。殺されそうになったからです」
 目を赤くしながら語る若者のコトバを、平吉はそれでも冷静に聞いた。沖縄戦と『デモクレスの剣』ノートは、何か何処かで関係がある。そういう確信めいた考えに、次第に平吉は傾斜していった。
「『弥勒教団』にはすぐに入信したのか」
 と、平吉は訊ねた。
「はい。戦闘中に命を救われていますから、彼らが島に来たときは、もうすぐに」
「戦時中に、教団は日本兵から島民を護ったというのはほんとうなんだな」
「ほんとうです。私たちが怖かったのはアメリカ兵なんかじゃなかったんです。スパイの汚名をきせて、次々に島民を虐殺していく日本兵のほうでした」
「そうして、終戦後、島に教会をおっ建てて布教活動か。なんやら出来過ぎたシナリオやの。しかし、ゲリラ戦まで展開して、大本営は沖縄をどうしたかったんかの」
「たぶん、私も戦後それを知ったのですが、というのも教団の者から耳にしたのですが、沖縄戦はモデル・ケースだったんだということです。もちろん、本土決戦の」
 平吉は、不服そうに頷いた。
「それは、俺も聞いたことはある。しかし、それにしても終戦の三ヶ月めに至ってまで戦闘がつづくというのは妙じゃないかい。指揮系統が壊滅していたにしても、やっぱりおかしいな」
 平吉は思いに沈んだ。何かワケがある。指揮系統、いったいそれが何もなくなった情況で、誰が、沖縄の守備隊や民間の志願戦闘員を、さらには民間人を動かしていたのか。
「ところで」
 と、いつまでたっても埒のあかない自問を棄てて、平吉は目の前の男に質した。
「あの老人顧問一派のおよそ五十人から六十人の人間を、ほんの数分で殺戮した、あの方法というか、武器に心当たりはあるかの」
 男は首を斜めにして考えている様子だった。それから、その恰好のままで、いった。
「教団の裏組織『黒菩薩』の局長と称されている男の殺人術は、実際に観たことはナイのですが、最強の術だとは噂で聞いています。たしか、真空風閂とかというたいそうな名前がついてました」
「真空風閂。なんだかワカッタようでワカランな」
「はあ。・・・」
 男も心許ない返事をした。

2013年7月19日 (金)

マスク・THE・忍法帳-19

この老人の言を飲むとすると、どうやら、『黒菩薩』と『弥勒教団』には、組織的に亀裂が入っているらしい。それは、ハト派とタカ派のように派閥に分かれているのかも知れぬ。そうすると、この老人の率いる派閥は、教団の『黒菩薩』からの離脱を画策している。つまり『黒菩薩』がカモフラージュで始めた宗教団体活動のほうが軌道に乗るにつれ、裏組織である母体の『黒菩薩』が邪魔になってきていると推測出来る。だが、
「和解。なるほど。で、条件は」
 と、試しに平吉は顧問と名乗る老人に向っていってみた。
「おそらく、貴君の標的は、我々の教団の元の組織であった『黒菩薩』であるはずだ。確かに、始まりはそうであったと認める。だが、貴君もたったいま推測されたと思うが、我々はこの数年において、『黒菩薩』からの離脱を図ってきた。従って、条件としては貴君への協力を約束する。『黒菩薩』の情報はすべて提供する。それで、『弥勒教団』からは手を引いてもらいたい」
 平吉は苦笑した。
「ちょいちょい、爺さま。俺には何処からどこまでが菩薩さまで、何処からが弥勒さまなのか、ワカランのだがの」
 老人は表情をくずすこともなく、ひどく決心したようなように、いい放った。
「我々は、沖縄を去る。今日、いまこの時刻から、教団は沖縄から引き上げる。行き先が必要ならば、おって報せる。それで、どうだ」
 平吉はしばし老人を凝視したが、どうも嘘や罠のたぐいとは思えなかった。
「よっしゃ、わかった。俺も追いかけはせんよ。和解でも何でもええ。俺の行く手を阻まない者は立ち去ってくれればいい。俺は何も教団を壊滅させに来たワケやないからの」
「成立、じゃな」
「おう、よ」
 老人は、くるりと踵を返して背を向けた。
 と、そのときである。
 平吉も、自身の目を疑う光景が老人の身に起こった。老人の身体がまるで炸裂でもするかのように、胴体と左右の手足、首、が、バラバラになって血しぶきを上げたのだ。
 同様のことが、霧の中で起こっているのに違いない。骨と肉が切断される音と、叫び声とうめき声が周囲から狂ったノイズのように、数分、聞こえつづけ、やがて霧が晴れるとそこに、おびただしい肉塊が散らばっているのがみえた。つまり、平吉はいま、阿鼻叫喚の地獄の終焉した中央に立っているのだ。
「粛清か」
 さすがの平吉も声をつまらせて、それだけいうのがやっとだ。
 と、あの、さとうきび畑のレクチャー氏の声が降ってきた。
「察しがいいね。これで、大掃除が出来た。ありがとう、二十面相くん。わが組織を離脱する一派を掃討することへの協力、感謝するよ」
「アホなこというんじゃねえぞ。てめえ、ほんとうに人間か」
 バラバラになっている肉塊なので、勘定はしにくいが、およそ50~60人の男女が、累々たる屍となっている。
 平吉は、切断された切り口を観る。たった数分のあいだにこれだけの殺戮をやってのけた武器は何だ。
 切り口はいずれも鋭利なモノで切断されている。
 レクチャーの声はつづいている。
「我々はきみに、あの教会の牧師が黒菩薩の者であると、きみに教えた者と、その一派をここに掃討した。我々は二十面相が、何を奪いに沖縄くんだりまで出かけてきたのか、おおよその見当はつけている。それは、我々が護らねばならないモノだ。二十面相、さて、きみに奪えるかな」
 平吉は声の主が何処にいるのかを捜すのをやめた。四方八方から聞こえてくる声は、おそらくスピーカーから発せられている。ご当人はこの近辺にはもういない。
「聞こえているなら、返事をしておく。怪人二十面相は、盗むと決めたものは必ず盗み出してご覧に入れる」
 と、平吉は、何処へいうでもなく、そう応えた。

2013年7月18日 (木)

マスク・THE・忍法帳-18

 平吉はカラダの隅々まで、くまなく調べたが、例のシルシというのは、どうしても、み当たらなかった。いったい何が自分に付けられたのか。襲われるのは仕方がナイが、変装が出来ぬというのは致命的だ。
 そのうち、新手が現れた。
 明けて昭和28年、コザの正月のことだ。
 例によって浮かれているのは占領軍(進駐軍)だけだ。女たちはその相手をしている。終戦から返還までの道のりで、売春経験を持った沖縄の女性は、全女性の八割ともいわれる。それは、こののちのベトナム戦争に多くを因する。
 しかし、いま(平成)なお沖縄は沈黙する。沖縄は声高に基地反対を叫びもするが、多くの苦渋はその沈黙のうちにある。どこだかの坊ちゃん政治家が、マッチポンプでこづかれた慰安婦問題など、ガキのうんこちびりのようなものだ。「汝、花を武器とせよ」とは竹中労親方の名文句だ。このコトバにこめられたパラドキシーな情念をなんとする。 
 コザ十字路と俗称される花街。そこを裏手に逸れると、もう原っぱである。
 平吉は周囲をふいの霧に包まれた。自然のものではナイ。あきらかに霧状のガスが平吉の周囲を、外界から遮断している。その霧の中から、
 新手の敵は三人。武器は真っ当に日本刀だ。
 三人は、肩車で一体となった。これぞ、裏柳生流三位一体。頭上からの唐竹割り一撃、中央は突きの一撃、イチバン下は足を払う。この攻撃が同時になされる。当時、如何なる剣豪もこれを防ぎきった例なし。剣法の中において考え得る最強の戦術であった。
 しかし、如何に同時攻撃とはいえ、多少の時間的誤差は生じる。といってもコンマ数秒だから一秒に満たない。平吉はその0,5 秒の間に、足を払う剣を片足で踏み、中央の突きをかわしつつ、その襟首を掴むとこれをぐいっと引き寄せた。突きの速度に引き寄せられた力が加わる。頭上の一撃は、この中央の男の頭蓋骨にめり込んだ。
 三位一体は、一度失敗すると二度はナイ。下の男は逃げ去ったが、頭上の男の腕を後ろ手にとると、平吉は男の口に手袋を放り込んだ。舌を噛ませないためだ。
「ひとつ聞きたいことがある。俺に付けられたシルシとは何だ」
 男は微動だにしない。
「そうか、それでは喋れんか。喋らんでもいい。唇の動きだけで充分だ」
 平吉は、男の腕を掴んでいる手に力を入れる。
「可哀相だが、仕方がナイ。こうすると、筋肉は伸びる。恐ろしく痛い。むかし、ゴルゴタで磔刑にあったイエス・キリストが、十字架にはりつけられるときに、こういうことをやられたらしい」
 男から脂汗がしたたり落ちた。
 知らん、といっている。つまり、命令を受けて襲撃しただけらしい。それならそれでよし。平吉の素性を見破ることの出来る、つまりシルシを判別することの出来る能力を持った者が存在するということだ。
 平吉は、周囲に視線を走らす。誰かが何処からか、この闘いを見物しているはずだ。
 と、こちらに近づいてくる者がいる。背丈は六尺をこえている。隆々たる筋肉。上半身は裸だ。その肌の色は黒く艶ばんでいる。黒人兵なのだ。彼はテーピングをした両手を構えた。ボクシング・スタイルというやつだ。
「まだ、やるってか」
 平吉は、掴んでいた男を放り出すと、ヒザを軽く曲げ、両手を自然に前に突き出したカタチで相手の目だけを観る。重心は爪先に置かれる。戦場では武道の格闘技は役にたたない。兵士は重装備を強いられる。柔道着や空手着のようなラフな恰好ではナイのだ。
 しかし、いまは徒手空拳。平吉のとったファイティングポーズは、傭兵の基本とされている。
 黒人兵が接近してくる。平吉が素手でやる気をみせたからだ。
 ジャブが飛んでくる。平吉はすっと沈むように身を縮めると、相手の足を両手で取り押さえるた。それからそのまま金的に肘撃ちをくらわした。ウオっと黒人兵のカラダが前に屈む。平吉は素早く道端の瓦礫を拾うと、相手のコメカミに横殴りを一発入れた。鈍い音がした。次の瞬間には、黒人兵は地べたに突っ伏していた。戦時の闘いは格闘技ではナイのだ。およそ格闘技のルールでは反則とされることの応酬となる。使えるものは何でも使う。黒人兵のボクシングは平吉のカラダをかすめることもなく、終わった。
「つまらん遊びはやめにせんか。そっちの戦力が少のうなっていくだけだぞ。ケリをつけるのなら、早いほうがええんやないかの」
 何処へということはなく、平吉はそう叫んだ。
 霧の中から、というよりも、その霧を左右に分けるようにして、礼服を着込んだ老人がひとり、ステッキをついて現れた。老人はうんと小柄であったが、矍鑠として眼光鋭く、平吉からの距離は約六間。殺気はナイ。
「わしは、この沖縄で『弥勒教団』の顧問をしておる者だ。貴君は我が組織の調査によると二十面相という泥棒だそうな。本土鎌倉江ノ島での活躍は聞いている。我々としては、貴君が沖縄まで足を運んだのは、教団を壊滅せんとする行為であると了解しておる。それが何の理由でかまではわからぬ。いま、私にいえることは次の一言のみだ。・・・和解というワケにはいかぬのか」
 平吉は我が耳を疑った。

2013年7月17日 (水)

マスク・THE・忍法帳-17

その声の方向とは別に、殺気が数方向から平吉へ飛んできているのはワカッテいた。いま闘えば勝てるかどうか、それは平吉も判断に苦しんでいたところであった。その殺気も姿なきレクチャー氏とともに消えた。どうやら、沖縄は『黒菩薩』あるいは『弥勒教団』の死守せねばならぬ聖地らしい。ここを突破せねば、『デモクレスの剣』ノートにも迫ることは不可能だろう。
 しかし、自分に付けられたというシルシとは何だろうか。それをみつけぬ限り、二十面相の変装はことごとく、奴らに対して無効になる。
「香りか、色か、それとも」
 それは、平吉にはおよそ考えつくことの出来ぬシルシであった。

 沖縄に出向く気になったのは、理由のあることだった。平吉自身の考えではナイ。懸案の『デモクレスの剣』の話を新宿の黒幕に話してみると、張大元は、これは自分の勘なのだがと断わったうえで、次のようなことを平吉に話して聞かせた。
「実はね平吉さん。先の戦争で、唯一の地上戦、つまり日本の植民地ではナイところでの戦闘が行われた沖縄戦なのですが、ある軍関係者、といっても私の知り合いですから諜報機関の関係なんですが、これは暗号解読の通信員のほうをやっていた男です。その彼がいうには、あの沖縄戦を大本営のほうでは勝ち戦であると考えていたらしいのです。大本営というのはご存知のように、陸軍参謀本部と海軍軍令部の共同司令部です。ですから、これは陸海軍の共通の見解だったようです。それは、どういう根拠かというと、硫黄島は陥落するのに一ヶ月でした。しかし、沖縄戦は三ヶ月以上を持ち堪えたからです。ここに軍部は玉砕戦の雛型をみたんです。ともかく本土決戦までの時間稼ぎ、これが沖縄戦でしたが、正規軍の6万5000人に島民の防衛隊がおよそ3万、戦闘に協力したものが5万5000人、一般島民が3万8000人、これだけの人間がここで、戦死しているんです。つまり、大本営は玉砕戦を本土で充分に闘えると、沖縄戦で自信を持ったんです。そういう意味で、沖縄戦は勝ち戦だったという評価がされていたそうです。平吉さん、私はこの闘い方のモデルは、今後も戦争指導者や協力者、その残党にひとつの信念のように残ると思いますね。今後、沖縄戦は二通りに語られるでしょう。残虐な殺戮を経験した島民の声と、軍部の軍略の正しさと、です。まず、島民の声は抹殺されるでしょう。都合が悪いですからね。おそらく島民は口を閉ざすに違いありません。都合のいいことだけしか語らないでしょう。ヒロシマやナガサキは声高に語れます。あれは隠蔽しよのナイ事実ですからね。しかし、沖縄はねえ。・・・」
「あれが、勝ち戦ですか」
 平吉はとうにも納得のいかぬ顔をする。
「軍部においては、牛島司令官自決までの三ヶ月が沖縄戦となっていますが、ほんとうは戦闘はまだ続いています。要するに、非戦闘員であるはずの一般人が戦争協力をした。それによって、硫黄島の数倍、持ち堪えた。これが、勝ち戦といわれる根拠です。大本営はこの結果から本土決戦のシフトを考えていたといいます。如何にして民間人を戦闘員に仕立て上げるかです。これは、実に簡単なことだった。反対する者は殺せばいいのです。しかし、それでは、一般人は立ち上がらない。そこで、戦時美談が多く作成されました。終戦後も、沖縄は慰霊塔が盛んに建てられています」
「なるほど、一億玉砕、総力戦の手本というワケですか」
「そうですね」
「沖縄まで、何日かかります」
「船なら4日。私の持っている航空機なら三時間」
 平吉は頭をかきながら、
「俺は、飛行機乗りだったもんで」
「お貸ししましょう」

 平吉はカラダの隅々まで、くまなく調べたが、例のシルシというのは、どうしても、み当たらなかった。いったい何が自分に付けられたのか。襲われるのは仕方がナイが、変装が出来ぬというのは致命的だ。
 そのうち、新手が現れた。

2013年7月16日 (火)

マスク・THE・忍法帳-16

それらは平吉の肩をかすめて、土にめり込んだ。
 大きさはパチンコ玉の半分程度。形状は楕円形、素材は鉱石か、金属。礫である。飛来速度は200㎞・second。それを捉えて分析したのは、平吉の動体視力だ。
「面白い武器やの。かわされても三回、連続で投撃するということは、まだ別の飛ばし方があるということなんやろうが、どうなんじゃ、牧師さんよ」
 牧師さん、と平吉はハッキリいった。
 ゆらりと影が、さとうきび畑から現われた。
「よく、ワカリマシタね。何故です」
「なあに、ハッタリよ」
 おそらく、そうではあるまい。何か平吉には確信があったのだろうが、現われたのは、さっきの教会の牧師であった。黒いハイネックセーターにゆるいストレート幅のズボン。これも黒い。両腕を組んで、さっきの低姿勢とは正反対だ。
「あんたが二十面相とかいう使い手かね。本土のほうでえらく暴れたそうじゃないか。何れこっちに飛び火するかもと、そういう報告を受けたが、こんなに早くとはなあ。いったい何の目的かは知らんが、逢ったら殺せという命令だ」
「俺のほうからも一つ聞きたいんじゃが、俺が二十面相と、何処で見破ったんかの」
 これは、平吉にも不思議なことであった。
 礫の牧師はクククっと笑うと、
「冥土の土産に聞かせておいてやろう。我々『黒菩薩』にあっては、し損じた相手にはある目印をつけておく。つけられた本人は、その目印には決して気づくことはない」
 というや、礫が飛んできた。礫は必ず三つ投げられる。それにはワケがあると平吉は察したが、なるほど、今度はひとつは直球、他の二つのうちひとつは落ちるカーブ、もうひとつはスライダーである。これは、如何なる平吉も避けられぬ。避けられぬなら叩き落とすしかナイ。平吉は、その三つの礫をことごとく叩き落とした。平吉の手にだらんと風呂敷だか、手拭いだかのようなものが握られている。
「惜しかったなあ。狙いは見事じゃったが」
 地面に片膝をつく恰好で、平吉はいった。
「それは、鎖帷子か」
 と、牧師が、平吉の手の武器をそう名指した。
「ビンテージもんでな。江戸末期の職人さんが編んだものらしい。実に細かな鎖で編まれた腹巻のようなもんよ。これを腹に巻いておくと、ちょいとは冷えるが、刃物で腹を刺されても、貫通はせん。それに、いまのような使い方も出来るんよ」
 まだ投撃してくる気かね、と、そんな意味を含んだ平吉のコトバだった。
「なるほど、本土の仲間が倒されたのもワカルな。その俊敏なカラダの使い方は、鍛練だけで出来るもんじゃない。きさま、天性の素質を持って生まれたな」
 いうと、暗闇の中、牧師のカラダがぐらっと、崩れた。そのまま両膝を地面に着いた。「いつのまに、投げた」
 と、牧師がいった。
「さあてなあ。こっちも反射的にカラダが動くもんでのう」
 牧師の額を割るように、鋭いナイフが突っ立っていた。もちろん、平吉が投げたのである。牧師のほうは攻撃に専念していて、まさか、そんなに早く相手の反撃をくらうとは予想だにしなかったろう。
「噂でだけだが、沖縄戦では、戦闘員ではナイ民間人が多く殺戮されたと聞いた。ひょっとすると、それはお前ら『黒菩薩』の関係していることじゃないんか」
「二十面相、きさま、何をしにこの島に来たのだ。まさか、民衆の敵討ちでもあるまい。何が目的だ」
「それはな、ナイショ」
 牧師のカラダは前のめりに突っ伏した。
 平吉は牧師の黒づくめの屍体に歩み寄ると、額からナイフを抜き取って、血を拭った。「血はイヤなもんやの」
 と、いうや否や、咄嗟にそのナイフを後方に向って、平吉は投げた。ナイフは数秒を待たずに平吉のところに投げ返されてきた。平吉は、これを受け止める。
「まだ、誰かいるわけか」
 平吉は全速力で、路を駈けた。追いて来る。間隔を保ったままで、平吉を追ってくる者がある。平吉は、そきまま横に飛んで、さとうきび畑に潜った。同様に追尾する影もそうしたようだ。
「さっきの牧師さんよりは腕のたつお方らしいの」
 しばらく応答はなかったが、やがて、沈黙を低い声が破り裂いた。
「遠藤平吉くん。帝国日本が、大東亜戦争を始めた理由を知っているかね」
 奇妙な質問といえばそうであった。第一、この場にそぐわない。
「貴君にしても、まさか大東亜共栄圏、八紘一宇などというスローガンを信じていたワケじゃあ、あるまい。帝国日本が欲しかったのは、蘭印の資源だ。石油だけでも、年間八百万t。当時の日本の需要量が六百万tだからねえ」
 蘭印というのは、オランダ領であったインドネシア、ボルネオ、フィリピンのことである。確かに、ほんとうの大東亜戦争の目的は資源調達であった。ここに資源を求めなければ、日本は枯渇する運命にあった。大日本帝国は、満州、朝鮮、台湾と樺太の一部を領内に占めていた。そこから中華民国を南下して、領土を広げ、さらに太平洋においては南はソロモン諸島、北はカムチャッカまでを支配する計画であった。
 何故、太平洋を領海にしなければならないかというと、もちろん、資源輸送の安全を計るためである。しかし、姿なき敵のレクチャーは何を意味するのか。平吉の頭脳は忙しく考えた。
「何処にも正義などというものはナイ。日本は神国、天皇陛下という現人神の国だが、アメリカもプロテスタントのキリスト教国だ。もし、神に正義があるとすれば、今回の敗戦は、八百万の神々が、一神教であるキリスト教の神に敗れたということになる。トルーマンはヒロシマに原爆を落すときに、演説したそうだよ。アメリカ合衆国は神が造られた最強の国だと。なんのことはナイ。あの大陸には、英国人が移民したとき、すでにインディオが原住民として生活を営んでいたのだ。それを殲滅して、国を建てた。キリスト教のプロパガンダである愛とやらも、一文の価値もナイ。平吉くん、貴君は、我々『黒菩薩』や『弥勒教団』が、陸軍中野学校の単なる裏部隊であるかのように錯覚しているようだが、我々はそんなチンケな組織ではナイ。江ノ島の活躍は私の耳にも入っているが、江ノ島の本部は、世の中をあざむくための仮の姿だ。こんな沖縄くんだりまでご苦労なことだと思って、それだけのことは教えておいてあげるよ。貴君とはいずれ、相まみえるだろう。それを楽しみにしている」
 気配は消えた。そうして、牧師の屍体もまた消失していた。

2013年7月15日 (月)

ギターアライブ

突然ですが、明日、私、ギターの弾き語りやります。ライブというか、道楽というか。 ★公演詳細★ 2013年7月16日 19:15開場※併設BARもOPEN 20:00開演 @ギャラリー+カフェ ジャン・トゥト ゥクー (地下鉄四ツ橋線 花園町より徒歩3分) ■MAPは http://cantutku.sensyuuraku.com/Welcome.html 料金:1,500円 ※1drinkチケット付き 出演:北村想/岩崎正裕 内容:ギターと唄と、トークライブの60 分。 ※開場中、及び終演後に併設barにてドリンクの販 売をしております。 1ドリンクサービスになりますので、是非ご利用下 さい。 ★要予約 お席に限りがございます。ご予約いただきますようお願い致します。 メール:konbu385_miyako@yhoo.co.jp てな、感じですけどねと。

マスク・THE・忍法帳-15

 沖縄。1952年12月24日。
 米軍基地はクリスマス・イヴの催しに浮かれていたが、そこからうんと離れたさとうきび畑の中に建つプロテスタント系の教会では、しめやかに静かなイヴの夜のセレモニーが行われていた。
 セレモニーも終り、米軍からの慰問品であるジュースとチョコレートを食してのち、子供たちも帰途についた。残ったのは、牧師と、もうひとり、本土からやってきたという新聞記者の男であった。
 もちろん、その記者は平吉の変装であることは、説明を要しないが、本土から遠く離れた沖縄であるゆえに、牧師は二十面相なる者が存在することすら知らないはずである。
「それで、いよいよアメリカ兵が上陸して来たんですね」
 と、記者が牧師に訊ねた。とりあえず、手帳を開いてペンを握っている。
「実際に上陸部隊の兵隊をこの目で観るには、まだ時間がありましたが、島ではもう殺戮が始まっておりました」
 初老の牧師は、苦渋に満ちた声音を、しかし精一杯に軽々しい口調に変えて、そう語りはじめた。その牧師の姿勢のほうが、平吉にはむしろ悲惨に感じられた。
「殺戮とは」
 と、記者は訊ねた。
「私たち非戦闘員のところにも、帝国軍の兵隊がやってきて、自害用の手榴弾を置いていきましたが、その前に食料を全部供出するように命令されました。それでは、私たちの食い扶持が無くなると抗議しますと、きさまらはそれでも帝国臣民かと、逆らう者は軍刀で切り殺されました。別の村では容赦なく女子供にいたるまで皆殺しにあって、食料を持っていかれたと、噂には聞いていましたが、実際に目の前でそんな惨劇が起こるとは」
「そりゃあ、略奪ですな」
 平吉のコトバに、牧師は目を閉じるだけであった。
「よく、助かりましたね」
 と、記者は特に質したワケではなかったのだが、
「それが、私たちも危なかったのですが、あわやという時に、まったくみ知らぬ一団が、その陸軍兵士をあっという間に・・・」
 この話に平吉は聞き耳を立てた。
「み知らぬ一団とは」
「いや、それが沖縄のもんでナイことはわかりましたが、日本人でした。その方々が、いまに弥勒菩薩が現われて、私たちを救うとか申されて、陸軍の兵隊を・・・」
「やっつけたんですね」
 牧師は黙って頷いた。
「銃でしたか、それとも刀か何かでしたか。その一団の武器ですが」
「ええ、銃でも刀でもありませんでした。なんだったのかなあ」
「弥勒菩薩が救うと、彼らはいったんですね」
「ええ、私はキリスト者ですから、そんなことは信じませんでしたが、終戦直後、そういう教団が布教活動を始めましたから、ひょっとすると、何か関係があるのかも」
「上陸した米軍と、その一団とは接触したことはなかったんですか」
「最初に上陸してきた米兵は、いま、基地にいる米兵とは人種が違います。黒いのや茶色いのやら、ともかく移民やら貧民がまず弾除けに上陸させられたようです。私たちを助けてくれた一団は、他の村にも現われたらしいですが、米軍と戦闘したという話は聞いておりませんね」
「何のために現われたのかな」
「さあ、先の布教活動を見越しての宣伝部隊だったんじゃないでしょうか」
「ただの宗教団体の宣伝隊が、陸軍の兵士を殺傷しますかね」
「さあ」と、いったきり、牧師は話したくないことでもあるのか、黙ってしまって、次に口を開いたときは、今夜の宿をここになさいますかと、そういう類の話になった。新聞記者平吉は、丁重に宿の提供を辞退すると、夜道を、風にゆれるさとうきびの葉音を聞きながら、特にアテもなく歩いた。が、
 平吉二十面相が夜道を歩いていると、たいてい事件が始まることになっている。
 最初の一撃を避けたのは、平吉の聴力に依る。それは後頭部を狙って飛来してきた。その微かな音に平吉は、身をひるがえして、さとうきび畑に飛び込んだ。空には冷たい月が出ている。訓練を受けた者なら、それだけの明るさがあれば充分らしい。第二撃がさとうきびを数本倒した。平吉は、今度は元の路に躍り出た。相手が何処に潜んでいるのかがワカラナイ。完全に気配を消している。それなら、広い路のほうが闘いやすい。と、平吉は考えたのだ。
 第三撃が来た。

2013年7月14日 (日)

マスク・THE・忍法帳-14

ソビエト連邦がまだあったフルシチョフの時代にベルリンの壁が出来る。冷戦のクライマックスだろう。しかし、考えてみると、連合国(米、英、仏)は過去二度も大戦の糸口となったドイツに、戦後すぐ再軍備をさせたことになる。日本には平和憲法をギフトしたのにである。これが政治という奇怪な駆け引きというヤツなのだ。
 泥棒長屋。平吉と葉子の居宅。葉子は看護学校へ登校していて留守。葉子はその年の春から、看護学校に通っている。平吉は事の次第を新介に話して聞かせたアト、渋茶をすするる。
「ところで師匠、僕は帝国時代の軍隊の組織というものも、はっきり知っているワケじゃないんですが、師匠はもちろん、ご存知なんでしょ」
 と、新介の質問は最もだ。半世紀かけて日本に再軍備をもたらそうとする『デモクレスの剣』計画、いったいどんな再軍備を日本に敷こうとしているのか。
「士官と下士官の区別も知らんのじゃろ。軍隊というのは、上意下達の組織じゃから、上から下に命令が行くが、組織自体は、下のこまいのからの積み重ね、束ねになっとるんよなあ。下が分隊、これは十人くらいの編成で分隊長というと、軍曹か曹長になる。しかしこの下にも五人くらいの小粒があって、それを束ねるのが伍長。伍長の伍の字は五つということだ。分隊が集まると、小隊になる。まあ五つで五十人くらいかなあ。少尉か中尉が隊長さんじゃ。少尉さんから上が士官ということになる。将校ともいうがな。それが集まって中隊。大尉か少佐が隊長。お次は大隊、これは千人規模になる。隊長は少佐になっとる。千五百人単位で連隊というのが組織される。師団というのは一万二千人くらいの大所帯になる。あまりの大所帯で動きにくいということもあって、この下に旅団というやや小規模の兵団を作ることもある」
「師団というのは、えらくデカイんですね」
「師団というのはな、特別でな、兵器や火薬、食料にいたるまで、すべて師団内で賄えるだけの独立性がないといかんのじゃ。従って、一個師団というのは、軍事力を計る目安になるんじゃ。どの程度の軍事力を持っているかは、師団の数の所有に依る。今度の依頼人のいうところ、一人の諜報員は一個師団に値するというのが、陸軍中野学校の信条やったそうじゃが」
「ですが、そういうものをまた日本につくらせる計画じゃあ、ないですよね」
「そうよなあ、なんしろ、原水爆のある時代になったからのう。爆撃機に原爆一個積んで落せば、一つの都市が灰になる。これから先の戦争はどういうカタチになるのか、ようワカラン。しかし、アメリカという国はな、戦争のほうはプロじゃと考えたほうがいい。じゃけん、そのプロの頭脳集団がなんぞ、恐ろしいことを考えたんじゃろう」
 ズズッと渋茶をすする音と、新介が煎餅をカリッとかじる音が同時に聞こえ、いたって平和、平穏無事にのどかという添え字でも書きたい光景ではあるのだが。
「ノートは何処にあるのか、師匠はもう見当をつけとられるんでしょ」
 極めて難しいことを平気な顔で新介はいったが、平吉のほうも、
「まあな」
 と、安穏たる口ぶりで応えた。
「何処なんです」
「沖縄じゃな」
「オキナワ」
「未だに返還されていない日本の領土。どういうワケか終戦直後、ここに『弥勒教団』の分院が、目立たぬように建設されとるんじゃ。こないだ、舞さんをサナトリウムに見舞いにいってな、そんな話になったんじゃ」

 
 信州、国立結核療養所。
 そこにあの『リュパン』の女主人、舞を入院させたのは平吉であるが、それを勧めたのは看護学校の葉子であった。何でも、パスとかいう薬が開発されて、ストマイだけだった結核治療が進歩をとげたらしい。結核は治る病気になっていたのである。
「えーと、パラアミノサリチル酸、通称はパスとかいう薬が、ストマイよりも効くとかいうことです。その治療が、ここで受けられますから、安心して生きてみて下さい」
 葉子のメモから薬の名前を読んで聞かせると、ベッドの上の舞に平吉は照れくさそうな微笑みをおくった。舞はその視線を瞬時に受けて、静かに俯くと、うなずいてみせた。
 もはやトーマス・マンの『魔の山』の時代ではナイのだ。といえ、結核は現在(平成)の日本でも猛威をふるっていて、日本は要注意の国に数えられている。これは、中途半端に治療を打ち切った患者の結核菌が、抗生剤に対して耐性を持ったために、他の患者にも有効性が薄れたからである。そのため、現在はツベルクリン反応試験は廃止され、生後六ヶ月の乳児へのBCG接種が義務づけられている。
 アタリマエのこととして付け加えておけば、『リュパン』の女主人は、平吉の愁嘆場の大芝居のアト、解毒剤の注射で命はとりとめている。平吉もひとが悪い。というか、ああいうロマンスのひとつも演じてみたかったのだろう。

2013年7月13日 (土)

マスク・THE・忍法帳-13

 それを頂戴しに、二十面相は標的の屋敷に忍び込んだ。ちょうど三日後。予告状は今回はナシ。盗んだアトに「二十面相参上」とだけ記しておけばいいというのが、先代にはナイ平吉の気楽なところ。
 民家よりは高い塀であったが、そんなものは平吉にとって何の問題にもならない。西洋式の新式施錠もいともたやすく破ると、かねて調べの済んでいる十二歳の少年の書庫へ。 書庫は立派だが、並んでいる書籍の類はまだ子供のそれだ。二十面相は初版の『二十億光年の孤独』を手にすると、表紙を開けた。
 と、そのとき、平吉の視線が突然険しくなった。べつに、背後に何かを察したワケではナイ。平吉を震撼させたのは、手中の本の中にあった。しかも一枚のメモである。表紙に挟んであったそのメモには、こう記されていた。
--二十面相へ、三階第二応接室にて待つ。元陸軍中野学校教諭、戸沢。---

 三階の第二応接室は、貴賓を応対するのに使う部屋で、しかし、この屋敷の住人は欧州に旅行中、使用人には、それなりの金銭を握らせて、ここまで上がってくる者は誰もいない、と、その小柄で初老の男はいった。
 男は窓際の椅子を離れて、中央のソファに腰を降ろすと、突っ立ったままの平吉に、座るように促した。あの京大の教授とかいっていた男である。
「俺の侵入が今夜だと知っていたとすると、あんさんには、かなり優秀な情報網があるのか、あるいは、そういう組織を持ってなさるね」
 平吉は腰を降ろすと開口一番、そういった。
「ある組織をね。うん、たいした組織ではなナイ。たいした組織なら、二十面相をここまで呼び出して、頼みごとなどはしないよ」
「頼みごと、ほう、俺に依頼とは」
「まあ、そう急かすな。私は権力の者ではナイ。官とも違う。貴君とは敵対するものではナイ。少し私の世間話でも聞いてくれ」
 男は平吉に葉巻を勧めた。平吉は一本を手にすると、口にくわえた。
「しかし、陸軍中野学校で、教諭としてスパイを育てていたのはほんとうのことだ。一人の諜報員は一個師団に匹敵する。それが中野学校の最高綱領、信条だった」
 男は、平吉の葉巻に火を点けた。
「終戦、つまり日本の負けをいち早く知ったのも我々だった」
 それから、自分も葉巻をくわえて、ライターの火をそのまま、葉巻にもっていった。
「そのとき、野心あるものが、裏の組織だった暗殺専門の連中を引き抜いて、密かに作ったのが、貴君もご存知の『黒菩薩』だ。それが、『弥勒教団』とかいう宗教団体の衣を着て、いまも存在することは私の情報組織でも知っている。しかし、そんなものは怖いものではナイ。一昨年、昭和二十五年八月、警察予備隊令が公布されたが、今年の三月六日、吉田首相は自衛のための戦力は違憲ではナイと表明、準備中の保安隊は十月十五日に発足している。重要なのは四月二十八日に発効された対日平和条約と、日米安全保障条約、この二つだ」
 うがつように小柄な紳士は、椅子に身を沈めたままで、平吉をみる。
「何の話をされているのかワカランだろうが、もう少し聞け。いや、聞いて頂きたい。当初アメリカ合衆国は、日本の再軍備には反対する方針をとってきた。しかし、極東アジアの情勢を鑑みて、地勢学的にこの日本という列島が、アジアの防波堤になるのには最も適していると判断、再軍備に方針転換をしてきたのだ。そこで、今後およそ半世紀近くをかけて、この日本を軍事国家に再編する計画書を作った。『デモクレスの剣』と称される、超極秘ノートがそれだ」
「再軍備、軍事国家。そりゃあ、寝言や冗談じゃあるまいね、戸沢さん」
「日本はついこのあいだまで、戦争という惨禍に苛まれてきた国だ。これをいきなり軍事国家にまで昇格させるのは、いくらなんでも得策ではナイ。従って、半世紀、五十年をかけようという計画だ。おそらくいまから半世紀のち、ソビエト・ロシアは衰退していると考えられる。つまり、スターリンの社会主義国家はそう長続きはしないという観方だ。ただ、一国社会主義の影響で、各地で共産主義が台頭するだろう。その最も危険な国が中国だ。中国の共産化を許すと、近隣の諸国にその影響が及ぶ。そのとき、楯となるものは日本しかナイ。合衆国は今後、日本の再建に資本を惜しまないだろう。まず、沖縄に軍事基地を置き、やがては、日本人の手による帝国日本の再来を企てる。それが『デモクレスの剣』ノートだ」
「そいつは、ちょっと」
「眉唾に聞こえても無理はナイ。しかし、ここまでは、私の情報機関が総力を挙げて調査した結果だ。この日本の何処かに、『デモクレスの剣』ノートが隠されている。それをみつけ出し、盗み出すことができれば、日本再軍備は防げる」
「つまり、俺に、それを盗めと」
 小柄な紳士は、黙って眼を閉じた。それから、溜め息を交えてこう、発した。
「『デモクレスの剣』ノートをガードしているのが『黒菩薩』の連中だ」
「五十年も先の再軍備計画書。よくぞそんなものを作ったもんだ」
 呆れるというより、戦慄している。平吉の葉巻の震える灰がそんなふうに平吉の心情を語っていた。
「怪人二十面相も、政治には疎いね。いや、それはそれでもいい。ほんとうをいえば、私の専門は文学じゃあない。一応文学ということにしてあるが、それは研究の対象が自由になるからだ。実は、軍事学みたいなことが専門だ。しかし、まさかいまの日本の国立大学で軍事学を教えるワケにもいくまい。現在の保安隊は、何れ自衛隊というふうになる。それから、自衛軍になるだろう。そこまでに五十年。日本の人民の入れ換えに五十年かかるんだな。戦争を知見、体験しているものが消えていくのに五十年だ。その頃、おそらく世界的に資源の争奪があるだろう。石油、天然ガス、石炭、これらは、原始時代から地中に埋まっていたものではナイ。太古の動植物が姿を変えただけのものだ。いまの小学校の社会科を開いてみるがいい。産油国の世界一位は合衆国になっているはずだ。しかし、これは、今後の採掘調査でいくらでも入れ替わる。二十面相、貴君もご存知のように、帝国日本がアジアを南下したのは、石油その他の資源を手に入れるのが目的だった。この情勢は五十年後も同じだ。世界の先進国は、資源争奪にやっきとなる。海底油田、海底天然ガス、南極大陸の資源。さらには、中東の石油資源。つい先日までの帝国日本が妄想した大東亜共栄の夢は、五十年のちに、合衆国の描いた絵によって、再び日本に悪夢をもたらす。私たちはそれを防がねばならない」
「それがしが、その『デモクレスの剣』を盗んで、それで、どうなるんです」
「少なくとも、私の眼の黒いうちは、水戸黄門の印籠と同じように、政財界に睨みを効かす、つまり動かぬ証拠としての威力は持つ。国民がこれを知れば、日本は転覆する」
「何れにせよ、見返りはナシの仕事ですね」
「どのみち貴君は『黒菩薩』の復讐の標的だ。私の組織では奴らの戦闘力には歯が立たんが、貴君なら闘えるだろう。組織を挙げて協力は惜しまない。どうか、最も危険なノートを盗んでくれないか」
 窓の外が青白く閃いた。
「冬の稲妻か」
 サド侯爵はジュスティーヌを落雷でこの世から消し去ったが、時には姉のジュリエッタより激しく生きねばならぬ。悪徳の栄は終わったばかりではナイのだ。平吉は踵をかえすと、
「この本だけは頂いておきます」
 そういい残して、青い閃光の中に消えた。

2013年7月12日 (金)

マスク・THE・忍法帳-12

「すると、その『弥勒教団』というのには、分院があるんですか」
 不安であるはずの気持ちを屈託のない笑顔に隠して、平吉の弟子、戌江新介が天井をみながら、そういう。平吉は「ほいね」と、気のないような返事をしてから煙草に火を点ける。
「三つかな。みな『黒菩薩』の旧幹部が局長をしておるらしいな。いずれ報復はあると思うていたが、案外早かったな」
 そのままゴロリと横になった。
 簡易な文化住宅。木造平屋建て。今度は長屋ではナイ一戸建てになっている、新「ドブロク長屋」の平吉の住居である。
「昨夜の居合の女性というのも、その類ですか」
 新介は、昨夜の事件を観たワケではナイ。たったいま聞かされたところだ。
「その類にしては、腕は今ひとつだったなあ。サーカスもんの泥棒稼業に身斬られているようじゃ、ヤットーも廃るってもんだ。しかし、そのアトでヌッと出た、あの女刺客の師匠のような剣客は、そうは簡単にすまんじゃろう」
「いったい、どれだけの人数が刺客となって襲って来るんですか」
「それがわかれば苦労はナイが、当時の『黒菩薩』という中野学校の特種機関以外からも手練は集められているだろうから、人数まではワカラン」
「じゃあ、どうされる気で」
「ともかく、おんしは」
「僕のすることはワカッテますよ。葉子さんを護ればいいんでしょ。張さんが、ボディガードを二人ばかり、張り込ませると、いうてらっしゃいましたから、それは安心だと思って下さい」
 平吉は、ムクっと身体を起こすと、煙草を火鉢で揉み消して新介の姿を瞳に映した。
「これは、戦争みたいなもんじゃから、下手に攻撃すると、相手の戦意に火を点けるだけだな。攻撃は最大の防御なりというのは嘘だよ、新介。ありゃ防御でなく、暴挙だ。そういうことは、ほんものの戦争そのもので、兵隊として学んだ。敵の戦意を喪失させるには防御のほうがええ。いっくら攻撃してきても無駄だと、というか、損だと、損得勘定の算盤で知らしめること。これが最大の攻撃さ」
「すると、大将は、迎え撃つと」
「この前は事情があって、敵の本拠まで潜入したが、今度は事情はあちらさんにある。どないなことをしても、二十面相には歯が立たんとわかれば、向こうも引くじゃろ」
 大胆不敵とはこのことをいうのかも知れない。
「ともかく、俺は、いつもの通り本業に精を出す」
「次の獲物は何ですか」
 新介の膝がずずっと平吉に近づいた。
「江戸は安政の小判、鶴印亀印の二枚。これをなんとまあ、十二歳のガキが、誕生日のプレゼントで財界から贈られた」
「その小判を」
 お宝そのものがありきたりに過ぎる。やや、不満そうな声で新介が詰め寄る。
「いんや」
 と、平吉は微笑む。新介も、ほっとした表情にもどった。
「その席上でな、副賞というではないが、京大の文学部の教授とかが、一冊の本を、やはりそのガキに私的に贈呈しよった」
「本の名は」
「『二十億光年の孤独』とかいう詩集の初版。書いたのがこれまた十九歳という俊英の谷川俊太郎とかいう詩人。おそらく、この本は、末代まで高価なもんとして、安政の鶴亀小判よりも値打ちのあるもんとして残るじゃろう」
「それを」
「頂戴する」

2013年7月11日 (木)

マスク・THE・忍法帳-11

二・颯爽二十面相

 その夜、次の仕事の下調べのために、とある富豪の子息の誕生パーティー、といってもホームパーティという地味なものではナイ、そんな祝賀会。もちろん貿易商という肩書と変装で出席した平吉は、たかが十二歳の子供の誕生祝いに、大の大人が五十名を越えて集まるという、嘘とお世辞の宴席に辟易しながら、ともかく視察をすまして、わざわざ人通りの少ない裏通りを歩いていた。
 昭和二十七年、東京の復興は早い。毎日何処かで工事の音がする。新しいビルが瓦礫の上に建てられるのだ。戦争が終わっても貧乏人が幸せになる時代がきたワケでもナイ。ただ、命の重さだけはおそらくずいぶん重いものに変わったろう。
 満月の光の放射で冷たく凍るような冬の青い空は、そのままの光を地上に落として、平吉にとっては懐中電灯など使わなくても障害物のナイ一本路、かなりの遠くまで視線は届いている。その視野に入ってきたのはスラリとした背の高い痩身の女だ。
 十間ほど先に縦縞のつむぎ姿で女は黙って立っていた。提灯ひとつ持っているワケではナイが狐狸の類でナイことは平吉にはわかっていた。何故なら殺気が平吉に向けて発せられていたからだ。女は手にしていた長ものを腰の帯にに差し入れた。仕込みの刀らしい。 平吉が女の前を通りすぎようとした刹那、抜刀された刃は平吉の胴を払った。
 しかし、平吉の身体はほぼ一寸五分ばかりの間隔をとって刃をかわした。普通ならば二間くらいを飛んでこれを避けたかも知れない。しかし、この一寸五分には理由がある。女は刀を素早く鞘におさめると再び平吉ににじり寄って仕込みの柄に手をかけようとした。これを平吉、静止するかのように、片手の掌を女に向けて差し出した。
「居合というヤツじゃの。しかし、いまの一振りでワカッテもらえたと思うが、俺はあんさんの抜刀術はもう身斬っている」
 この「身斬る」というのは普通は「見切る」というふうに用いられる。しかし、本来は身を斬るが正しい。文字通り、身体を斬らせるカタチで、相手の武器(主には刀)の攻撃範囲(距離)を計測してしまうのだ。もちろん、ほんとうに斬らせたら死んでしまう。斬られるということをシミュレーションしたカタチで瞬時に判断し、これをかわす。これが宮本武蔵が編み出し、のちに柳生新陰流が研鑽して、戦わずして勝つ活人剣の完成となった「身斬り」である。
 平吉はつづけていう。
「二間ばかり飛び退くことも出来たが、面倒なんでな。なんならもう一回斬りかかってみるか。それが無駄だということは、おんしのほうがよく知っとるじゃろうが。それとも他になんぞ、俺が斬れるワザでもあるのか」
 女はもう一度仕込みで平吉を袈裟懸けに斬った。今度も刃はとどかない。
 女の眉間が曇る。斬っているはずなのだ。
 刀というものは、刀身が幾らあっても、相手を斬るのは切っ先三寸から五寸。舌先三寸の三寸はこの長さからきたコトバだ。その切っ先が平吉の着ている黒いスーツにかすりもしない。
「このスーツは一張羅でな、破かれるとマズイんじゃ」
 女はさらに踏み込んで今一度平吉の足を払う。今度は平吉は二間の距離を後ろの闇へと跳ね飛んだ。そうして、そのままみえなくなった。
 女は気配をうかがう。猫のように身をすくめながらだが。
 と、しばらくして、
「面倒なお方じゃな」
 平吉の声が、女の後ろから聞こえた。女の表情が驚嘆から恐怖のそれに変わった。
「誰に頼まれた。『黒菩薩』の残党か。あの教祖の弥勒とかいうのは、悪運が強くて生きておるのかい」
 平吉の声が今度は右手方向に変わる。
「俺に対する復讐か。そんなら、そんなもんはヤメたほうがええ。俺は血を好む者ではナイが、行く手を阻むもんは倒す主義での。弥勒だろうが菩薩だろうが、容赦はせん」
 そういったきり、平吉の声は二度と聞こえなくなった。
 仕込みをだらんと下げたまま放心する女に、白い着流しに羽織りを着た男が近づいてきた。差し詰め、女が猫なら男は巨きな虎だ。
「未熟者め」
 女は、ハッと目が覚めたかに、男をみる。
 白いのは羽織った着物だけではナイ。男の眼も白く濁っている。
「しかし、あれが二十面相よ。黒菩薩の精鋭四人、蟻の子を踏み殺すようにして蹴散らした天才よ。お前に斬れねば、わしが斬る」
「いえ、きっと私が」
 初めて発する女の声は、痩身華奢な身体から想像つかぬほど、凛とした強さを持って聞こえた。男は白い羽織りを脱ぐと、女の背中にかけた。このとき、羽裏に白虎の刺繍がみてとれた。
「父の仇は、必ず私が」
 そのコトバを平吉が聞いていたかどうか、はて、それはワカラナイ。

2013年7月10日 (水)

マスク・THE・忍法帳-10

東京、銀座、新春。
さすがに正月早々、銀座に繰り出す客もいないのか、東京の連中は、浅草観音や明治神宮あたりに初詣だろう。
『リュパン』、その一室。
平吉は、椅子に腰を降ろして、頬杖をついている。
やがて、あの若い女の声が聞こえた。
「子細は、舞からすべて聞きました。ありがとうございました。もちろん、真相を看破ってらしたことも、聞き及んでおります」
「舞さんとやらには、出番がなくて残念だったねと、伝えてやってくれ、ふつうの活劇チャンバラなら、窮地に立たされた俺を助けて、そのうち恋心が芽生えてと、そんなふうになるんじゃろうが、あいにく、二十面相には、そういうロマンスはないんでね」
相手は沈黙している。どうコトバをつないでいけばいいのか、思案というところだろう。その沈黙を平吉が鋭利に裂いた。
「ここに来るまでに時間がかかったのは、ワカラナイことを調査していたからだ。あんさんの口からはいいにくいことじゃろうと思うて、俺の情報網のすべてを使って調べた。あの三つの宝は、あんさんの父親、初代の『弥勒教団』の教祖が宗教的理由で、考えて製造させたもんなんじゃな。それを真に受けたいまの『博愛弥勒教団』の教主、ほんとうの顔は暗殺集団『黒菩薩』の首魁が、あんたの父親を抹殺して、手に入れたんじゃな。その仇討ちに、俺は使われたと。しかし、」
「長屋のことは、私も迂闊でした」
悲痛な声であった。おそらく泣いている。震えている。
「いや、あんな宣伝広告で、煽動した俺の作戦の失敗じゃ。責めはせんよ」
「いいえ、すべての責任は私にあります」
何やら決意したような口調が壁の向こうから返ってきた。
平吉は、反射的に立ち上がると、四方の壁のうち、ひとつを選んで蹴破った。
壁を隔てての、部屋が現われた。
そこで、女がひとり、いましも、倒れ伏したところであった。
もちろん、読者諸氏の予想通り、それは、あの舞そのひとである。
「あんた自身が、南部師匠と縁があったというのは、ほんとうじゃな。何処かのサーカスか何かにいなさったのか」
女は無言で頷いた。
その唇からは、もう血が一筋、頬を伝って流れている。
「どうせ、長くは生きられぬ身でした。ありがとうございます、平吉さん。感謝しております。でも」
「でも、なんじゃ」
平吉は、舞を抱き抱えながら、カラダを揺さぶった。
「ロマンスも欲しかったわ」
「阿呆、贅沢いってんじゃネエぞ。死ぬなよ。死んではいかん。もう、誰も死んではいかん。あまりにも多く戦争でひとが死にすぎた。この先、五十年は、日本人はそのことを記憶しているかも知れん。しかし、どうせまた、同じことをやりおるじゃろう。だが、今度こそは死んではいかん。生きるために闘わねばならんのじゃ。病院で療養せいや。俺の調べでは、西洋医学では、何やら抗生物質とかいう新しい医薬品で、胸の病も癒えると訊いた。死んではイカン」
無論、彼女が毒を飲んだことは承知の、平吉の悲しい叫びであった。
「阿呆やのう。二十面相には、ロマンスはナイんじゃ」
しかし、平吉の腕の中で次第に冷たくなっていく若き美女は、死ぬ間際にいっときのロマンスを甘受していたのかも知れない。その顔は満足げに、苦しみの影ひとつなかった。

(次章につづく)

作者からひと言:えーと、どうですかね、right novel なんですけど。ここからですね、この物語はアッと驚く展開をみせます。お楽しみに。  

2013年7月 9日 (火)

マスク・THE・忍法帳-9

拝殿の入り口に、屠り火と称される女が立っていた。

「おそらく、長屋に火を放ったのは、あんたじゃな」
「よく、わかるね」
「むかしから、火付けは女と相場が決まっとるんじゃ。しかし、火付けは寝小便の元だというぞ」
女の顔が曇ったのは、おそらくトラウマがあったのだろう。寝小便。何故知っている。
平吉は、あらぬ方向をみて、そこにいるもうひとりの女に、こういった。
「もうひとり、ここで俺の手にかかるのを見届けるかい、舞さんとやら」
平吉の視線の方向から、あの、舞と名乗った女が姿を現した。
「どうやら、私の出番はなさそうですね」
「いんや、その火付けの寝小便と手合わせすることくらいかまわんぜ」
今度は、舞という女の顔が歪む。
「そうはいかんのじゃろ。あんさんの力では、あの火付けの寝小便を倒すのは無理なんじゃな。まあ、ええわい。それが出来るくらいなら、俺を雇ったりしなかったろうからな。お宝はここにあるが」
と、平吉は、布袋を取り出すと、舞に投げた。舞はそれを受け取る。
「雇い主に、それを届けて、すべて終わりましたと、そう伝えればええ」
そのコトバに、舞の眉間がふたたび、険しくなった。
「やっぱり、最後のひとりを見届けんと、いかんのか。どっちでもええが、雇い主にいうておけ。そんなお宝に値打ちなぞないのは、一目みたときにわかったと。つまりは、おんしのボスの、俺の雇い主のほんとうの目的は、この最後のひとりを含んでの、殺し屋四人を俺に倒させることだったんじゃの。その理由は、俺にもワカラン。しかし、この最後の女が長屋に火を放つことを、リュパンのあのお嬢さんは、先刻予想はしていたようだの。仕事が終わったら、聞きたいことを聞きに、この二十面相、挨拶にいくとな」
この長いせりふを、屠り火は、堪えるように聞いていた。まるで、すでに自分を倒したかのような平吉の口ぶりに、憎しみが彼女の火術(かじゅつ)よりも強く燃えていた。
平吉は、なんでもなかったかのような顔で、怒りをあらわに佇む、屠り火に向き直った。「さあ、火でも油でも使うがええ。あんさんには、飛び道具は使わん」
そのコトバを待っていたかのように、相手の女は飛んだ。火ではなく、剣を手にしているのがわかった。
「先刻承知」と、妙なことをいって、平吉もその剣の切っ先から逃れて、飛んだ。
いや、四方八方に両者が飛びまくる。
やがて、舞踏が一段落したかのように、屠り火は、ピタリと動くのをやめると、片手を手のひらを上にして、眼前に差し出した。
と、そこに、ボウッと炎が立った。
紅い唇が、ニタリと笑う。
平吉も、これにつきあうかのように、口元に微笑みを浮かべる。
「屠り火、炎走りの術、みせてやるわ」
と、女がいう。
平吉は、微動だにせず、女をみつめる。
女の手から、炎が零れるようにして、落ちていくと、まるで獣のように床を走り始めた。「あちこち飛んで、火薬をまいたワケだな」
「先刻承知」とは、このことだったのか、平吉、涼しい顔をした。
炎は、平吉を取り巻いて、円形になった。その円が次第に縮まっていく。つまり、そのままでは平吉は焼き殺されることになる。
しかし平吉は、静かに、女の足下を指さした。
女は、中央の弥勒菩薩の彫像の傍らに立っている。
その女の足に、眼を凝らさねばみえぬような針金が巻きついている。その先端は、よくみると弥勒菩薩の彫像に結びつけられている。
女が初めて、驚愕の表情をみせた。
「俺も黙って跳ねていたワケではないんじゃ」
女は、平吉を睨む。
「ここは、江ノ島の地下にあたる。ということは、上は海よのう」
平吉の足下の炎が、一本だけ、今度は平吉の側から走り出した。それは、拝殿を横切って回廊へと走り去っていった。それは平吉がまいた火薬だ。
「あの火の先には、TNT爆薬が仕込んであるんじゃ。つまり、天井に穴が開いて、ここには、江ノ島の海岸の海水が流れ込んでくるという寸法じゃ」
女は、足下の針金をとろうともがきだした。
「その結び方は特種なもんでの。動けば動くほど、食い込んで、解(ほど)けはでけん。やがてこの火は、流れ込んできた水で消えるじゃろ。もっといろんな火術をみせたかったろうが、そういうもんにつきあう趣味はのうてな。すまんの。溺れ死んでもらう」
そう告げると、燃え盛る炎と煙の中に、平吉の姿は消えた。
その数秒のち、爆裂音が聞こえ、海水の流れ込む音が聞こえた。
屠り火という異名の女は、恐怖と絶望で、有らん限りに叫び声を発したが、時、すでに、遅し。・・・

2013年7月 8日 (月)

マスク・THE・忍法帳-8

「話は聞かせてもらった。なるほど、それがお宝か。ほんとうなら、それを手に入れるだけで良かったんだが、長屋の者の恨みもはらさにゃいけんのでの」
「きさまは、」
瞠目というのは、ちょいと違うが、似たような心情に違いない。弥勒の仮面が小刻みに震えている。
「お待ちかね、怪人二十面相さ」
と、いうなり、平吉は、机の上の三つの宝をかっさらい、さらに、仮面の教祖に向けてヒュンッ、何やら投げたものがある。
それは、仮面の教祖の肘に巻きついた。というか、弥勒の仮面がとっさにかばった腕にとりついたといっていい。
たしか、それはそう、さきほどの殺し屋が武器として使ったあのラバーの一片の切れ端である。
「こ、これは」
と、教祖さまは片手でそのラバーを引きちぎろうとするが、
「それは、一度食い込むと締めつけて、肉を破り、骨を砕く。ふふふっ、ゴム使いのおっさんがいうておったよ」
「な、ナニ」
瞬間、バキッという音をたてて、弥勒の仮面の肘の骨が粉砕された。
「いやあ、恐ろしい武器だな」
平吉は、平気な顔で笑っているが、腕を折られた教祖は、その場にうずくまった。気絶したらしい。
「じゃあ、このお宝は頂戴しておく」
大胆不敵、あの二人の殺人鬼に気づかれることもなく、教団地下の『黒菩薩』中枢に忍び込み、まんまと、宝を手にしているのは、平吉二十面相なのである。しかも、教祖には仕置きを施しての挨拶だ。

「捜さんでもええよ」
と、そんな声がしたのは、教団の地下の拝殿。おそらくは何らかの秘密めいた儀式が執り行われる場所だろう、弥勒菩薩の彫像を中心に、百人ばかり収容出来る広さがある。
振り向いたのは、あの野太い声の男。
そうして、声の主は、
「誰だ」
という、野太い声の男に答えるまでもなく、平吉二十面相である。
「お訊ねの、ひと呼んで、怪人二十面相」
ひるむことなく、野太い声の男は、口元に薄笑いを浮かべた。
「ほう、そっちから現われたか」
「現われたかも、クソもない。こうして、わざわざ、おんしらのアジトに出向いてきとるんじゃからな」
「ふてぶてしいヤツよな」
野太い声の男は、左拳(ひだりこぶし)を下段に、右拳を頭上に構える。
「わしは、小細工の武器など殺しには使わん。中国八極拳、沖縄空手、日本拳法、これらを取り入れたのが、わしの殺人拳法、牙竜真拳だ」
「ガリュウシンケン。教養がナイのでどういう字を書くのかしらんが、すると、あんたのことはケンポウさんと呼んでいいんかの」
「しゃらくさい。どうとでも、かってに呼べ」
「まあ、いわゆる素手で殴って人殺しをなさるというんじゃな」
平吉二十面相は右手を拝むように前方に差し出し、左手は腰の裏側にまわして直立不動の姿勢で立った。
「その構えは、中国の清王朝にあったという流派のひとつ、古山八卦掌の構えだな。お主は拳法もやるのか」
と、ケンポウの声は、拝殿にこだまする。
「友達に、中国人の大人(たいじん)がいてな、ちょっと教わったんじゃ」
「手合わせしたことはナイが、いい機会だ。俄仕込みの拳法が、わしに通ずるかどうか、とくと味わってみるがいい」
男の拳の上下が入れ替わる。
それから、それは弧を描いていく。
「あのな、おっさん。勝負は一撃でつく。恨むなよ」
いったのはもちろん平吉だ。今度はケンポウさんではなくおっさんだ。こういう時の平吉はほんとうは、フザケテいるのではなく、心底怒っているのだ。
「なかなかいうな、小僧。よし、一撃でケリをつけてやる」
男の足が、大理石の床を蹴って、ふっと、その身体が飛んだ。
と、その瞬間、平吉の腰の後ろの左手が前に出る。
ズバーンッという檄音と、火花がして、平吉の左手から硝煙が立ちのぼる。
その手に握られているのはデリンジャー。小型拳銃だ。
弾は、男の額に命中して、はたして、男の拳法が如何なるものか、わからぬままに、男は床に叩きつけられるように落ちた。
確かに、勝負は一撃で決まったのである。
「卑怯だと思うか、おっさん。しかしのう、殺し合いには、卑怯もへったくれもありゃしねえのよ。戦争で、俺が勉強したのは、そのことだけじゃな」
男の額から血が流れて、大理石の床を染めた。
もはや、男に息はナイ。たぶん、何で自分が死んだのかもワカラヌままに、死んだのであろう。男の眼は、疑問とも懐疑とも、驚愕ともつかぬ様相で開かれたままだ。
平吉は、デリンジャーをポケットにしまうと、いまの発砲音で駆けつけた、最後のひとりの顔を睨むようにみた。

2013年7月 7日 (日)

march『ふりかえれば 死屍累々』

六十一年来た道を ことのついでにふりかえってみれば
死屍累々の街道で
よおく よおくみてみれば なんだみんなオレの屍(おろく)じゃないか
よくもまあこれだけ死んで 六十一年歩いたもんだ
よくもまあこれだけ死んで なおなお歩いているもんだ
今日も明日も明後日も オレは自分の屍を踏みこえて歩いていくんだ


覚悟はとおに出来てるつもり
だが
なんのアテにも なりゃしねえ

閻魔叩けやナサリンの太鼓
地獄の鬼の 行進曲だが
すまんがオレには みえもきこえも しやしねぇ

旅路の果てのあるものは それだけでも幸せだよと
嘯(うそぶ)き 歩いていくしかないさ
いいかね オレは前に向かってだけ歩いているんじゃナイんだ
後ろ向きにも 横向きにさへ 歩いているんだ
そのためのmarchはあるか

ナイからオレが 創ってきたんだ

       (生誕 六十一年)

マスク・THE・忍法帳-7

ところが、あまりの簡単な展開に、小男のほうが、妙な顔をした。
アタリマエだ。平吉は、投網の攻撃を寸分も避けようとしなかったのだから。
その妙な顔が青ざめた。
平吉の声が背後から聞こえてきたのだ。
「まだ、終りやないんじゃ」
小男は身構えながら振り向いたが、誰もいる気配はナイ。
と、今度は平吉の声が頭上から聞こえた。
「俺も、ちっとは手妻の勉強をしたことがあっての。先代ゆずりなんじゃが」
小男は、からめ捕って、くしゃくしゃに潰した平吉を、大慌てで確かめた。そこに在るのはただの衣服と、帽子がひとつ。
「どうじゃ、忍法『空蝉(うつせみ)』とでも名付けようか。カッコええじゃろ」
たしかに、蝉の脱け殻のように、そこには、平吉の着衣の脱け殻しかなかったのである。では、本体は何処に。
と、シューッというなにやら空気の漏れるような音が一瞬聞こえ、微かに白い煙が立ちのぼった。先程、平吉の棄てた煙草の吸殻からである。
小男は、その事態にうろたえて、反射的に逃げ道を求めたが、息が出来ないことに気づいた。そういった状況が何であるのか小男にもワカッタらしく、両眼を血走らせて口を開けた。そんな努力はなんの足しにもならない。小男は、まず、宙を掴み、膝から崩れ、苦悶のうちに喉を掻きむしり、その場にうっ伏した。
「指輪に仕込んだ自害の青酸カリを飲むまでもナイ。お前さんの吸った煙は、盗みのさいに、お屋敷に放たれた番犬を悶絶させる、青酸ガスじゃ。運が良ければ命はとりとめるかも知れんが、期待せんほうがええの。先に地獄の閻魔さんのところに行ってな」
小男は、また宙を爪で引っ掻くようにして悶えていたが、床に動かなくなった。
「残りは二人」
その平吉のコトバは、もう小男には聞こえてはいなかった。

その残り二人は、アジトの異変の知らせを聞いて、突貫で東京から戻っていた。
彼らはいま、『博愛弥勒教団』の教祖の部屋から教祖を安全な地下壕に連れ出し、その教祖とともに在った。
二人から「弥勒さま」と呼ばれている教祖は、黄金のマントを羽織り、その顔は弥勒菩薩の仮面の下に隠れている。仰々しいが、講談だからこれくらいは仕方ない。
「たったいま、ラバーさまの死体を確認いたしました」
と、部下らしい者がドアを開け飛び込むように入ってくると、慌てて居住まいを正して、報告した。
「まさか、ここに侵入するとは」
と、野太い声の男がいう。
声は心なしか落ち着きを失くしている。
「二十面相が狙っている秘宝とは、どんなものなのです」
女の刺客が、教祖に訊ねた。
教祖は、壁につくられた隠し金庫を開けると、三つの違ったカタチの造形物をテーブルに置いた。
「『エデンの果実』、『ソロモンの魔笛』、『メビウスの懐剣』という。我が教団の初代教主にあたる者が、あるところから盗み出したものだ。宝物庫に置かずに、この金庫に仕舞ってあるのは、この三つの秘宝が、ふつうの宝物とは違うからだ」
仮面の下から、くぐもった声で、教祖は二人にいった。
「何が違うのです」
野太い男の質問は妥当なものだ。
「この三つの宝物のうち、ほんものは一つしかナイ」
「ほんもの、とは」
屠り火が問う。
「それはワカラナイ。それらは、それ自体が秘宝なのではナイ。その秘密を解きあかしたとき、世界支配も可能になるという、ある道筋を手に入れられると聞いている」
「先代は、それをやりとげずに、他界なさったんですね」
野太い声の男は、秘宝の一つを手にした。
「我々の組織がまだ『黒菩薩』とだけ名乗っていたときだ。いまの教団を立ち上げてからも、世界の名だたる学者、研究家に鑑定を依頼したが、けっきょく、ナニもわかっていないのが現状だ」
「二十面相は、何故、この秘宝を狙っているんでしょう」
屠り火も、宝をひとつ手にすると、そう訊ねた。
「いきなりの予告状だった。この秘宝の存在自体を知っている人間は、この日本にも数人しかいないはずだが」
「長屋に火をかけたのは不味かったな」
と、野太い声の主が舌をうつ。
「たいていの者は、あれで降参するんだけどね」
と、その長屋に火を放った張本人が笑いながら応える。
「しかし、二十面相さへ、倒せば済むことだ」
と、そういう野太い声の男に、
「逆に二人も仲間を倒されていて、よくもいえるな」
弥勒の仮面が、叱責するコトバを吐いた。
「油断があったからですよ。まさか、たかが泥棒に、あんな」
その屠り火のコトバを遮るように、教祖は強くいい放った。
「では、その二十面相の素っ首をいますぐここに持ってこい」
二人の殺し屋は互いの顔を瞬時み合わせると、スッといなくなった。
弥勒の仮面は、ドカっと椅子に身を沈めると、溜め息をついた。
が、まるで、バネ仕掛けのようにそこから飛び退いた。
「誰だっ」
いましも、殺人者たちの出ていったドアの影に、男がひとり、黒いコートを羽織って立っている。
こともあろうに、もっかのお尋ね者、その、二十面相、平吉である。

2013年7月 6日 (土)

マスク・THE・忍法帳-6

江の電、正確には江ノ島電鉄は、鎌倉から藤沢まで、二輌連結の電車を走らせている。途中、七里ヶ浜や由比ヶ浜などの名所を通るが、観光客と、通勤、通学客の乗り合わせる雑多な電車の中は、べつに東京の都電と変わりはナイ。
ただ、この電車は、鎌倉という町にむかしから住んでいる一種の生き物のように、家々のあいだの細い路地を這い回り、大通りへ出てもイチバン威張っている。
『博愛弥勒教団』とは、よくもつけやがったな、と平吉は、平穏な空気漂う街並みを車窓から覗きながら、思う。
江ノ島で下車。
滋賀県のびわ湖に浮かぶ竹生島もそうだが、こういう適度な大きさで、陸地からの地勢のいい島には、むかしから、宗教関係の建築物が数多く建てられた。神道、仏教、なんでもござれだ。死んで神となった人間だって奉られている。
終戦近く、この島には特種な防空壕が掘られた。皇族のための避難所とでもいうべきか、その防空壕をどうやって手に入れたのか、西武鉄道が皇族の土地を買いあさって、プリンスホテルを建てたのと同じような、札束で頬を撫でる手段しかあるまいが、たしかに、その防空壕を増改築した建物が存在した。『博愛弥勒教団』の本殿である。
これより、敵陣に突入する。
そうするしかあるまい。
死中に活を求める、それしか手段はナイ。
たしかに、『黒菩薩』にしても、まさか、平吉が特攻まがいに陣中に単身乗り込んでくるとは、夢にも思っていなかった。
彼らは、東京に、平吉を求めて捜索の真っ最中だったのだ。
平吉は、表向きに設けられた『博愛弥勒教団』の飾りだけの建造物から、すぐに、裏へと抜ける、つまり『黒菩薩』へと通ずる回廊をみつけ出した。
もちろん、そこには表にはいない見張りの者が立っていたが、その者がエッという声を発するよりも早く、平吉の指はその者の頸動脈を突いて彼を倒した。何か特別な経絡のツボでもあるのだろう。倒れた見張りは泡を吹いている。
「死にゃあ、せんよ。いっときばかりは苦しいだろうがの」
防空壕を改造した、薄暗い回廊がつづく。
常人なら灯(あかり)なしでは歩けぬところだが、平吉は、まるで昼日中の歩道でも歩くかのような足どりで進む。
と、突然、視野が広くなる場所に出た。何らかの会議にでも使っているのだろう。
そこに至るまで、倒した見張りは三人。
敵はおそらく、異変に気づき初めているはずだ。
平吉は、中央の円卓のまわりに並べられた椅子のひとつに腰掛ける。
さて、どんな迎えがやって来るのか。
平吉のくわえた煙草から、紫煙が静かにたちのぼった。

平吉がくわえた煙草から最初の灰が床に落ちる頃、驚愕の表情の小男が慌てたようすで、部屋に飛び込んできた。
平吉は、その男をみた。
男も平吉をみた。
小男は、平静を取り戻したか、口元でニタリと笑うと、
「大胆なヤツだな。ここまで入って来るとは」
両手をポケットに突っ込んだ。
「守りがあまいぜよ。えてして人殺しの集団というのは、自分を守るのが下手なもんじゃがの」
平吉は、小男のほうに、煙草を放り投げて棄てた。
「守る必要はナイ。ここで、お前は死ぬ」
そういって、小男は、ポケットから両手を出した。
この男、あのシシンの屍体をあらためていた三人のうちの一人だ。
ポケットから出した両手を揉むようにしている。
しかし、揉んでいるのは手ではナイ。
「今度は、どんな道具じゃ」
平吉は、小男の手に注目した。
「これは、俺の恋人、ラバーだ」
小男が嬉しそうに笑う。
「ラバー、恋人、なるほど、ゴムのラバーとかけたワケじゃな。座布団一枚、といいたいところだが、鉄針の次はゴムか。いろんなものが出ておいでだの」
小男は、揉んでいた両手を拳のままに左右に離していく。
その左右の拳のあいだに、ゲル状のものが伸びている。
指の隙間から、紐状のものが伸びはじめる。
たしかにラバー、ゴムのようだ。
それが、縄跳びのゴム縄のように小男の両手のあいだに伸びて、垂れ下がった。
小男は同じ動作を繰り返す。
小男の拳の左右をつなぐラバーの縄の本数が増えていく。
「器用じゃの。そういうのを、横浜の中華街のラーメン屋でみたことがあるが、まさかラーメンを御馳走してくれるワケじゃあるまい」
「たわけたことを。ほざいていろ、いまのうちだ」
小男はいうが早いか、まるで投網(とあみ)をうつように、そのラバーの束を平吉に向けて、一気に投げた。
伝統芸能の『土蜘蛛』の糸のように、ラバーは、空中に拡がり、椅子に座っている平吉をすっぽり包むカタチでおさまった。
「このラバーは、ただのゴムではナイ。まさにわしの恋人のように、女子(おなご)のように、きさまを抱きしめて、締めに締め抜く。きさまの肉は絶たれ、骨は砕ける」
小男は、そういうと、締めよという合図でも送るかのように、手元でラバーの端を、グイッと引いた。
平吉を包んでいたラバーは、一瞬にして、平吉をからめ捕ったまま縮んだ。
平吉のカラダは、握りつぶされるように、くしゃくしゃになったワケである。

2013年7月 5日 (金)

マスク・THE・忍法帳-5

しばらく姿を消す。とだけ、新宿の張大元のところに、平吉から連絡が入った。
「どうしたんでしょうか」
と、新介は心配した顔を張に向けた。
張は、いつものように水煙草をくゆらすと、
「今度の仕事は、二十面相の裏の仕事です。つまり、血をともなう仕事でしょう。しかもよほど危険なことに思えます。表の泥棒稼業ならまだしも、今度ばかりは、新介さんや葉子さんを巻き込んではマズイと考えたに違いありません」
大丈夫なんですかい、と、秘書がその眼で張に伺った。
応えずに、張は、煙草の煙を吐いた。
それから、
「二十面相は、この煙ですら盗む男です。もし、それが、盗むに値する悪の命なら、彼は全身全霊でこれを盗むでしょう。吉凶は風のごとく水の如し、さだまるところを知らず。よってこれを風水というのです」                         
平吉二十面相は、シシンを例のブーメラン殺法で倒しただけではない。シシンの身体を探って、手がかりになるものを盗み出していた。このあたりにも、さすがに手抜かりというものがナイ。
といってもカタチある物は「仏」と印字された指輪であり、他はモノ、つまり物質ではなかった。着衣、靴、これらは物質であるが、持っていったワケではナイ。調べただけだ。平吉は、シシンから嗅ぎ取ることの出来る臭いを嗅いだ。手足の様子、爪の色やカタチ、その手入れの仕方を観た。
あたかもそれはメスを用いない監察医のような仕業であった。
西洋の名探偵、シャーロック・ホームズが、初対面の相手を一目みて、その職業から家柄までを当てたことは、ドイルの小説の中では有名だ。と、同様に、我が二十面相は、いま少し物証的に、その男が何処でどのような生活をしていたのかを、調べたのだ。

洋服は仕立てたものだが、リバーシブルになっている。泥棒の仕事着と同じ仕組みだ。そのようなものを創る仕立屋は、東京といえどあまりナイ。
指輪は、「仏」という印字をずらすと、白い小さな錠剤が仕込まれていた。誰かを抹殺するときか、あるいは、自らを死に至らしめるときに用いる自害用なのだろう。
指輪の裏面に、Mという文字が彫られて、四桁の番号が記されてあった。その末尾に小文字でm.uとある。小文字のほうは、名前の頭文字かも知れぬ。
カラダ全体から匂うのは、インドの香木のものだ。それは着衣からも匂った。それと潮の香りがする。海に近いところが関係している。
手足や爪はきれいに手入れされている。つまり、この男は二重生活をしていたといって間違いないだろう。単なる殺し屋が、これほど手や爪を手入れしているワケがナイ。さすれば、その表の仕事は、人前に出ることが多い職種のはずだ。
靴は舶来のシロモノだ。口臭は、麻薬の常習者特有のものであった。これで、どんなふうに人前に出ていたのだろうか。

平吉は自分のアジトへ戻った。
長屋はあくまで住居である。平吉には、二十面相としてのアジトが別にある。
そのアジト、といっても、さほど大きくはナイ、とあるビルの地下室だが、手っとり早く説明すると、いまのパソコンの機能をひとつの部屋にしたようなものだ。
平吉は、まず陸軍中野学校のファイルから、頭文字m.uを取り出す。該当者は三名、うち一人は戦死。一人は暗号解読。残る一人。
インドの香木の輸入先を今度はファイルから引き出す。さらにリバーシブルの仕立屋を。そうして、指輪細工の職人を。
こうしてさまざまな要素を引き出すと、傍らの電話に手をかけた。
その電話口に出た、おそらくは女性であろう、その女性に、
「平吉だ、つないでもらいたい」
と、コマンドする。
電話口の女が、「はい」と返事をして、それから、数秒。
男とも女とも判別のつかない声が電話の向こうから聞こえた。
その声に、平吉は、自分の調べた情報をすべて伝え、じっと、相手の返事を待つ。
一、二分して、電話からは、こう答えが返ってきた。
「博愛弥勒教団」
平吉は、静かに受話器をおろす。
敵の表の顔は、宗教団体の「博愛弥勒教団」・・・戦災孤児の救済から、大きく勢力を伸ばした新興宗教の教団だが、その内情は謎に包まれているらしい。
そも、この電話の相手はナニモノなのか。
これはいわゆる裏社会のレファレンスと考えればいい。
レファレンスというのは、図書館用語で、参考情報提供業務をいう。そのような業務を請け負っているシステムを、その時代に平吉は仲間にしていたということになる。
平吉の手が「宗教団体」の本棚、つまりパソコンでいえばフォルダになるが、その「は」のファイルを抜き出す。
ファイルを開く。
敵の本拠地は近い。鎌倉江ノ島である。

2013年7月 4日 (木)

マスク・THE・忍法帳-4

「ひとおもいに即死がよいか、それともいたぶられての死に方か、選ばせてやろう」
暗闇からの男の声はなおも続いている。
「長屋に火をかけたのは、お前らだな」
やっと、平吉が男に応えた。
「わしの仲間に火の好きなヤツがいてな。というより、ひとの燃えるさまをみるのがたまらんという、いわば、キジルシなのだが、屠り火というふうに呼ばれている。しかしお前は、その者には逢えぬ」
「屠り火、憶えておこう」
平吉は、話ながらも、まだシシンという武器を凝視している。というか、それを撫でたり握ったり、まるで、調べ物をしているふうなのだ。
「憶えておいても無意味だというただろう」
と、次の瞬間、鉄線がビィィンと震えるような音がした。
平吉は、いまだ、暗闇の中の男に背を向けたままだ。
と、そのまま一寸(いっすん)ばかり、平吉の頭が動いた。
金属音は、今度は、平吉のすぐ手前で聞こえた。
男の武器、シシンが、平吉の前の瓦礫に突き刺さったのだ。
無論、敵は、平吉の後頭部をめがけて武器を投げたに相違ない。
つまり、命中率100%であるはずの武器、シシンが的れたのである。
いや、もちろん、平吉によって避けられたというのが正しい。
「ウッ」という、息を飲む声が聞こえる。シシンが避けられたことを驚いている、相手の声である。
「びっくりしたかい」
ノンシャランとした平吉の声が、素人の目にはみえぬ、闇の中に向けられた。
「命中率が100%とかいうたの。どうもこのシシンという獲物は、ストレートに飛ぶようだの」
平吉が、そういっている間に、ビィィンという音が数回、平吉を襲った。平吉はほんの少しずつ、カラダを動かしただけだったが、平吉の急所に向けて投げられたであろう、相手の武器、シシンは、すべて外れて地に刺さった。
「あのな、おっさんよ。命中率100%ということは、マチガイナク、的に向かって飛んでくるということじゃのう。もし、一寸の狂いもなく飛んでくるなら、こちらが一寸動けば避けられる」
「バカな。そんなことは人間には出来るはずはナイ」
あきらかに動揺している声がした。
「それが出来るんじゃな。飛んで来るモノは風をきる。おまけに投げた瞬間に、僅かながら金属の震える音がする。それだけあれば、俺には充分なんだ。ともかく、真っ直ぐにしか飛ばないということがワカッタからな」
そういうが早いか、平吉は手にしているシシンをあらぬ方向に投げた。
シシンは闇に消えた。
それからすぐに、ウッといううめき声がして、何かが地に伏す音がした。
「ちょっと使い方を変えると、いまみたいになる。という、俺の声はもう聞こえないだろうけどな」
いったいナニをしたというのか。確かにシシンと名乗った男は、平吉の前方の暗闇の中で絶命していたのである。
平吉の背後の瓦礫の影がぬうっーと、立ち上がった。
「みていたのか」
と、その影に平吉がいう。
「私の手助けなど要らぬとおっしゃったワケが、よくわかりました。あなたは天才だと聞かされていましたが、いいえ、あなたは化け物です」
その声には聞き覚えがあった。声の主は、あの舞と名乗った女だ。
しかし、女の姿はナイ。ただ、影があるだけだ。
「ああいう凶器を使う人殺しが、アトどれくらい、『黒菩薩』にはいるのかねえ」
と、平吉が、影に訊ねた。
「アト、三人は、その者と同じくらいの手練(てれん)がおります」
「屠り火とかいうのもその中にいるのか」
「はい」
「俺なんかの手助けをするより、長屋のほうをくい止めてもらいたかったな」
「申し訳ありません。一部の人々を防空壕へ移すのがやっとのことでした」
「ああ、そうかい。助けはしてくれたんだ。いや、ありがとよ」
平吉の背後で影がゆれる。
「ところでねえ、お姉さん。いや、舞さん。ちょっと訊ねるが、いまのような手練がアト三人『黒菩薩』にいることを、どうして、あんたが知っている。というよりも『黒菩薩』の存在を知っているのはどうしてだ」
影が動揺するのを平吉は察知した。
「ひっぺがさないとな、いけないよな。あんたのボスのあの『リュパン』のお嬢さんは、『黒菩薩』の存在を知ってて、俺を誘い出したんだね。いや、まあ、いいんだ。いまとなっては、長屋の連中の弔い合戦だ。お宝なんざ、どうでもいい」
それを聞いたか聞かなかったか、影は消えた。

同じ場所。
一刻、つまり二時間ばかりアトに、シシンの屍体のまわりに立つ者が三人あった。
「喉仏から、後頭部をシシンの武器が貫通して、刺さったままになっている」
ひとりの小男がひきつるような声で、そういった。
「シシンが何故、自分の武器で」
と、野太い声がした。別の男だ。
「武器が、シシンの武器が、中央で曲げられている」
と、屍体を調べている小男がいって、顔をあげた。
「と、すると、ひょっとして相手はシシンに向けて、この武器を真っ直ぐには飛ばさなかったのだな」女の声がした。三人目だ。
「よくはワカランが、シシンの針の中央に曲線をつけて、回転させながら飛ばしたようだな。つまり、シシンは曲線を描いて飛び、喉仏から貫通したようだ。西洋にブーメランというものがあるらしい。曲線を描いて獲物を倒すと聞いた。ひょっとすると、そこからアイデアを思いついたのも知れん、しかし」
と、しゃがんでいる小男はいいよどんだ。
「そんな、瞬時にシシンの武器をそのように細工して、喉元から後頭部を貫通させるように投げ返すなどと」
また、女の声がした。今度はその声が驚きで震えをおびているのがワカッタ。
「いずれにしても、侮った。二十面相とやら、ただの泥棒ではナイ。シシンほどのものが、こうも簡単に屠られるとは。オロク(死体)はわしが始末する。二人は弥勒さまに、このことを知らせに走れ」
野太い声の命令で、二人は消えた。
「おのれの武器でおのれが倒されるとは」
野太い声の主は、シシンの屍体を人形でも持ち上げるように軽そうにかつぐと、これまた、闇の中に消えた。

2013年7月 3日 (水)

マスク・THE・忍法帳-3

如何なる手段で秘宝を取り戻すか、その最も近いヒントである張大元の述べた秘密組織『黒菩薩』に、どう近づくか。平吉、思案の二日が過ぎたが、何も浮かばぬ。
と、新介がひょっこりと、訪れた。
「師匠、ずいぶんとお悩みのようですね」
この若者は、いつも凛とした瞳でものをいう。
「いっそ、予告状をお出しになったら如何でしょう」
と、この件について、まるで知っていたかのように、いうのである。
「新介、お前、何処で、ナニを仕入れた」
と、いう平吉に、新介は涼しい顔で、
「師匠の悩み事がワカランようでは、弟子とはいえません。この二日、師匠のアトをつけていました。勘弁してください」
平吉は苦笑いをする。
「よくもまあ、俺に悟られずに」
そうして、けたたましく笑って、
「そうだの。予告状という手があったの。そりゃあいい」
事も無げにいってのけると、翌日、全国紙の朝刊にデカデカと、
〔『黒菩薩』に告げる。お手持ちの三つの秘宝、二十面相が頂戴する。油断めさるな〕
まるで、また戦争でも起こるかのようなぶち抜き記事が掲載されている。
驚いたのは、まず、新聞社の記者から編集長。それから警視庁だ。
しかし、これくらいのことは二十面相平吉にとっては朝飯前。
活版所、印刷所、新聞社から雑誌出版社まで、平吉の部下が忍び込ませてある。
おそらく、この記事は『黒菩薩』という組織の目にとまるに違いない。
さすれば、先方から、何かの反応があるに決まっている。
大胆不敵に、それを待つまでだ。
秘密組織、殺人集団『黒菩薩』果たして、如何なる手に打って出るや。
また、秘宝は彼らの手にあるのか否や。
                ☆
孫子の兵法に「彼を知り、おのれを知れば、百戦危うからず。彼を知らずばしておのれを知れば一勝一負す。彼を知らずおのれを知らざれば、戦う毎に必ず危うし」とあり。ましてや敵を侮れば、戦いは必敗。
血をみるのがいやで、その伝記中にも一滴の血も故意に流さなかった二十面想平吉であったが、『黒菩薩』なる殺人集団のあまりの残虐非道なる意志表示に、怒りの声もまた慟哭の涙すらいでず、その惨憺たる光景をただ、目の当たりにするだけであった。
というのも、かの『どぶろく長屋』に火の手があがったのである。
あたかも、戦争当時の空襲の風景をみるに似て、その火は単なる火付け放火にあらず、焼夷弾、いまでいうならナパーム弾のごとき様相で、あっというまに長屋は紅蓮の炎に包まれ、そこをかろうじて脱出した住人は、ことごとく、長屋の出入り口付近で、これまた何を凶器に使ったのか、ある者は首を裂かれ、ある者は頭蓋骨を砕かれて悶死していた。
そうして、『黒菩薩』の象徴であるのか、焼け残った杭に『無間地獄』と焼き印された板切れが一枚、惨状とは裏腹に、これを軽く嘲笑うかのように打ちつけられていた。
幸い、葉子は新介とともに新宿の張大元のアジトにあり、また、源治をはじめ、ほんの数人のものは、からくも防空壕に逃れて生き残ったものの、平吉のココロは、あの、戦争当時、疎開中の子供達が眼前で、敵攻撃機の乱射に倒れていく光景を、いやがおうにも映し出し、ただ、
「ここまで、やるとは」
と、重い溜め息をだけ、幾度となく吐いた。
次は俺の命を狙ってくるに違いない。
と、平吉は、それならばと、わざわざ隙だらけに、逃げも隠れもせず、狙われやすい、まだ瓦礫の残る場所を選んで、毎夜歩いた、その三日目の夜。
薄暗闇の中に、後方上部、つまり、瓦礫の塀の上あたりに殺気を感じた。
この、平吉の感じた殺気を、相手もまた感じたとみえ、最初にコトバを発したのは、その敵のほうであった。
「度胸があるというのか、単なる阿呆か、雉も鳴かずば撃たれまいというに、我々を挑発するように、こう夜毎、このようなところを歩かれては、我々としても、お前の命をもらわぬワケにはいかなくなった」
平吉はその声に歩を止めて、
「やっと、出てきんしゃったか。えろう派手に始めなさったから、次は何かと・・・待っていたワケでもないんじゃ。お宝はどうやら、あんたらが大将の手の内にあるらしいの。そこへ辿り着くには、どうしても血路というヤツを開かにゃいけんようだと、覚悟の夜歩きじゃ。で、どうなさる。まずは、名乗ってもらえるかな」
と、大胆不敵にいう。
月が雲から少し覗くと、闇も透かしてみてとれるようになった。
しかし、相手の姿はみえぬ。
ただ、野犬が一匹、傷ついた足を引きずって近づいてきた。
その犬が、突然、キャインと一声悲しく吠えると、もんどりうって、空中でカラダをくねらせ、そのまま地面に落ちて、息絶えた。
「我々に名前はナイ。ただ、仕事に使う武器の名を、通称にしている。わしの名は死針」、声のして来る気配も方向も、尋常の者にはおそらくワカラナカッタに違いない。しかし、平吉はピタリとその方向に向き直った。「シシン。何語じゃそれは」
「死の針で死針」
「武器というたの。そこの野良犬を殺ったのが、その死の針、シシンとかいう武器かいのう」
「そうだ。百発百中、つまりは命中率100%の死の武器よ。頭蓋骨、右目左目、喉仏、心臓、丹田、金的、お望みの場所で息の根を止める」
いってる敵のコトバを、まるで無視するかのように、平吉は、犬の死骸を手にして調べ、その後方、瓦礫のセメントに半ば突きたった、長細い針のようなモノを引き抜いた。長さにして30センチばかり、太さは3ミリというところか、両先端が鋭利な金属の、いわば毛糸編みの棒をうんと細くしたようなシロモノだ。
「みたとおり、犬の頭蓋骨どころか、セメントすら貫く」
そう、自慢げに男の声は呟いたが、平吉は、男の声にはまったく関心がナイといったふうに、その武器を手にしてじっとみつめている。
「ひとおもいに即死がよいか、それともいたぶられての死に方か、選ばせてやろう」
暗闇からの男の声はなおも続いている。
「長屋に火をかけたのは、お前らだな」
やっと、平吉が男に応えた。

2013年7月 2日 (火)

劇作家は何を書いているのか

現代戯曲の先駆者(pioneer)岸田國士はいう。「いいたいことがあるから書くのではナイ。書くためにいいたいことを探すのだ」。この卓見、あるいは定義は極めて深度が深くその範囲も広い。書けないと嘆いている暇があったら、書けるようなことをみつけろ、といわれているようでもあるが、このコトバはその程度のシロモノではナイ。つまり訓示や戒めの励示などではナイ。私たちにんげんは、一個の生命体として世界にある限り、それが原始生命体のアメーバーのようなものであっても、フロイトが指摘したように自己破滅の欲求という無意識を秘めている。そうして、それをさらにおしすすめた吉本さんの『心的現象論・序説』においては、「生命体である限り、生きているというそれ自体において異和を持つという」=「原生的疎外」にさらされている。
この異和は「内在的」なものだ。世界情況(外在的)がどうであろうと、飯を食い、排泄して、飲んで、酔って、寝て、ナニしてと、いかなるにんげんにもついてまわるものだ。およそ、現実と虚構のはざまにあって、表現世界を構築するということは、世界情況や日本がどうであろうと、まず、この本質的な異和を表出しようという欲求から起こり得るものだと考えてイイ。そうしてその表出は劇作家にとってコトバという表現によってなされる。
ところで、その異和が、素直にコトバに出来るなら、そんな楽なことはナイ。おおよそ、「いいたいことがコトバでいえるとは限らない」というところから、私たちのような劇作家は悶々と出発しなければならない。(この原点が、私がウィトゲンシュタイン言語学は演劇には適応出来ないとしている根本のところだ)。劇作家は、たしかにいいたいことはみつける。どういうふうに、「何かワカランもやもやとしたもの」という異和として。そうしてそれを書こうとする。異和の解決のために。つまり、いったん劇作家は内在的なおのれの内部に探査的に降りていかねばならないし、降りていって掘り出したものを、次はまったくベクトルを変えて表現するというところに出力しなければならない。この出力の変数として外在的なものが必要になるのは自明のことだ。同じく吉本さんの『言語にとって美とは何か』に倣って、前者を日記的文学軸とするならば、外在的なそれは説話的文学軸になる。そうして前者をx後者をyとして関数のグラフにしてみると、表現は常に関数座標(x,y)として表される。その両者の成分(dx)/(dy)を調べてみるのに、微分による微分係数を求める(比率を求める)と、その戯曲の日記的な成分と説話的な成分がワカル。また、それをプロットと称して、部分、部分から今度は微分方程式を用いて、全体像をみつけることが出来る。(誤解されているが、「微分」と「微分方程式」とはチガウものだ)。これを私は、「戯曲の、関数(代数)の構造」と名づけた。
それはともかく「いいたいことがコトバでいえるとは限らない」という縛りは、劇作家にとっては、最も苦しむところ、足掻くところだ。そこで、あらゆるメタファーを用いることになる。もともとが分節でナイもの(心的なもの)を分節(表現)にするのだから、打って還って来るメタファーによって、そのコトバの正しさを図るのは、仕方ないことなのだ。これは、岸田センセふうにいうならば、「いいたいことが書けるコトバを探すのだ」になる。おおよそ、劇作家の格闘はそういうものだ。そうしてそれは最初は意図的、意識的になされ、次第に「作者に作者が憑依」して書けるようになるまで続けられる。意図的、意識的に書いてるあいだは、まだまだダメなのだ。ようするに、書くのはしんどい。しかし、およそ囲碁、将棋、にせよ、ゲームとして楽しんでいるあいだはアマチュアで、プロは勝負の神が降りて来ることを僥倖としているのはマチガイない。

マスク・THE・忍法帳-2

その帰り道。
復興はしたが、東京はまだ暗い。
通り沿いに申し訳程度にたっている、街路灯だけが、にぶゆく、ざらっとした明りで、影をつくっている。
そんな陰気な路を平吉は歩いている。
おそらく常人には聞こえまい。
しかし、鍛え抜かれた平吉の耳には、自分のアトをつけてくる、足音が聞こえた。
平吉、ピタッと足をとめて、
「おい、女、何の用かは知らないが、用事があるなら、早くすましてくれ。俺はさっきから立ち小便がしたくてな」
やおら、女の顔が街灯のもとに浮かんだ。
その顔以外は、黒い装束に身を包んでいる。
「女だとどうしてわかりました。いや、私は足音すら消していたはずですが」
平吉、ふりかえりもせず、
「地べたに濡れた薄紙を置いて、これを破らぬように裸足で歩く。その次は、日本刀の刃を並べて、その上を素足で駆け抜ける。そういう修業を、かつての忍びの者はやったそうだが、足音は消せても、呼吸する音は消せぬ。吐く息、吸う息、この耳で聞けば、お前さんが、ヤロウかメッチェンかくらいはワカル」
そう、こともなく、答えた。
「さすが、世間を騒がす天下の怪盗」
「おだてても、何にも出ねえよ。それより、俺は、小便が出したいんだが」
「私が敵か味方かも、お見抜きでいらっしゃるようですね」
「いくらも油断はつくった。敵なら何度でも仕掛けてこられる時はあったろう」
「失礼をいたしました。私は、お嬢さまに頼まれて、あなたさまの手助けをするようにと仰せつかりました、舞と申します」
「ふーん、手助けねえ。まあ、どうでもいいけど、邪魔だけはしないでくれ」
「では、今宵はこれで消えまする」
女の気配はスッと消えた。
おそらくは、あの依頼主の女性の護衛にでもあたっていた配下のものだろう。
平吉は、街路灯に向ってズボンをまさぐると、ひょいとモノをつまみだし、思案半ばに尿意を満たした。

通称「どぶろく長屋」。
というのも密造酒であるどぶろくを公然と長屋の住人が造っていたからだが、長屋の住人のほんとうの姿は夜でしかみられない。
ことごとく泥棒をその生業としていたからである。
その「どぶろく長屋」に平吉は居を構えていた。
他に葉子という養女がひとり。上野の浮浪児であったのを平吉が拾ってきたのである。
斜向かいには、平吉に仕事を教えてくれたベテランの源治夫婦が住んでいる。その隣には平吉の片腕の戌江新介がひとりで暮らしている。新介は上野の浮浪児の大将をやっていたこともある若者だ。
平吉は、朝から調べものだ。例の秘宝というのが如何なるモノかを知っておかねばならない。しかし、その名前は平吉の持つ秘宝録のどの本にも姿を現さなかった。
姿形のわからぬシロモノを、何処の誰ともわからぬ悪党から取り戻さねばならぬ。しかも入道雲の出る前に。これはやっかいな仕事になってきた。
いまなら、インターネットでチョチョイのチョイというところだろうが、時は昭和の27年。おそらくベテランの源治に訊ねてもわからないだろう。といって、依頼主がウソをいっているとは思えない。とすると、論理的にいえば答えはひとつ。秘宝は意図的に秘宝録から消されている。裏の秘宝録から、お宝の存在を抹消出来るものというと、いったい誰がいる。
 
それを訊ねに、新宿は中国系勢力の総元締、張大元のアジト、表向きは中国料理の店『古琴樓』へと出向いたが、この新宿支配の裏の大物、中国大人にも見当がつかぬという。
張は、水煙草を燻らしながら、静かに眼を閉じた。
「平吉さん、私は泥棒が稼業ではありませんが、貿易なら表も裏もやっております。しかし、そのようなシロモノは耳にしたことはありません。ほんものは一つだとおっしゃいましたね。しかし、裏の秘宝録にも示されず、私ですらその名を聞いたことがナイ。とすると、そのお宝は、持ち主自身が秘密裏に創らせたモノだというしかありません。それが何故、軍部の情報網に流れたのか。唯一、考えられるのは戦争末期、帝国陸軍が敗戦を見通して、陸軍中野学校の精鋭を組織化し、強奪半ばで、各地の財閥や豪商が隠し持っていた財宝を収奪したといわれる、『乾坤1号作戦』、これに関係があるのかも」
平吉は、ビクッと震えるように顔をあげた。
「『乾坤1号作戦』、なんですかの、そりゃ」
張は、酔眼ともとれる半眼の表情をくずさない。ただ、その目がかすかに一度瞬いた。
「噂でしかありません。そういう組織がいまも存在するらしいのです」
「組織とは」
「組織の名前は『黒菩薩』、食うや食わずの人々が、やっとその日の暮らしが出来るようになってきた今日、各地から盗んだ財宝を、世界の金持ちに売りさばいているらしい」
「じゃあ、敵さんも、泥棒ですかい」
「盗むということにおいては泥棒でしょうが、盗むために使う人殺しのワザは、陸軍中野学校仕込みの殺人ワザ。最近は、それも稼業にしているとか」
「陸軍中野学校というと、スパイの学校でしたね」
平吉の眼が異様に輝き始めたのは、このせりふを吐いたアトからだ。
「そのスパイの学校においても、彼らは暗殺を専門としていた精鋭です。平吉さん、もしも、その『黒菩薩』を相手にするとなると、命懸けになりますよ」
平吉は、不敵にも微笑んで、
「俺は、いつも命懸けですよ」
張も今度ははっきり眼を開けて、同じように薄く笑った。
「そうでしたね」
平吉は、何かいいかけたが、そのコトバより早く、張が、
「葉子さんのことは、心配しなくとも、私が組織をあげて護ります」
「すんません。じゃあ、心置きなく、仕事、やらせていただきます」
平吉は、直立不動で頭を下げた。
平吉が、張の部屋を去ったアト、張の秘書でもある一の子分が、張になにやらいいかけたが、張はゆっくり、首を横に振った。
「『黒菩薩』とは相手が悪過ぎる。日本全国、どんな組織も手をつけなかった、そうして手をこまねいている恐るべき集団だ。その実体は私にもワカラナイ。しかし、」
と、いったまま、張は次のコトバを発しようとしない。
秘書が、しびれをきらしたかのように、
「しかし、何なんです、ボス」
と、問うと、
「遠藤平吉、彼は、天才です」
と、水煙草のパイプを撫でながら、何やら、これから起こるであろう凶事を、いましも活動写真が始まって心猿のようにざわめく客席の子供のような口調で祕書に告げた。
祕書は、不思議そうな顔で、しかし、ともかく頷いた。
張の視線の遠方に静けさを笑うような上弦の月が浮かんでいた。

2013年7月 1日 (月)

宵風のギフト

窓を開ければ宵風の ギフトきたらん ああ この涼しさよ
オレは精一杯仕事をしたつもりになって
けっきょく 梅雨の晴れ間の暑さにバテて
万年ふとんに 寝ころんで 窓を開ければ ああ この涼しさよ
けっきょく この宵風の 助けがなければ いまごろは
この窓から 飛び下りて しなびた 蛙になってたさ
死のうと思って ついつい開けた 窓からギフトの 宵風は
オレをころんと突き飛ばし
ほらみろ おまえの書くものなどは 
しょせんはおまえの力の分だけ しんどくて
うまく書けたあそこのところ と あそこのところ
みんな おまえの力でナイところ
かなわねえよな 宵風は
ただ吹いているだけだからな
オレを助けるためにでなく
ただ 涼しいだけだからな
いつになったら この宵風のよに
ただ吹くだけの 涼しいものが
オレに 書けるようになるのかねぇ
そういうことも どうでもイイと 
この宵風の ギフト ああ この涼しさよ

必要悪としての集団

ときおり伊丹『想流私塾』のレクチャーの日、どうしようもない徒労感に襲われることがある。要するに「我、笛吹けど汝踊らず」というあのナザレの大工の息子も感じた焦燥のようなものだ。しかし、芥川龍之介はこれに対して『侏儒の言葉』で「我、踊れども汝足りず」とironicalに応えている。確かに、そうなんだろうなあ。諦めちゃそこで終いだからナ。私も若い頃は未熟だったし、いや、いまでも未熟なのだから。けれども、この「未熟」を自覚しているあいだは、私もまだ大丈夫なんじゃナイだろうかという気がする。
演劇というものは、劇団でやろうが、ユニットでやろうが、プロデュースしようが、どうしても集団になる。この集団の力というのは恐ろしい。かつては映画の製作は、監督の名前をもって、たとえば川島監督なら川島組と、たいていが同じスタッフが集合して、阿吽の呼吸で映画を創作した。私もこれに倣って名古屋では、殆ど北村組で仕事した。照明、音響、舞台、衣装、いつも同じにすると、ふつう停滞するのではないかという懸念が生まれるだろうが、それぞれのスタッフの力量が、毎度かえって切磋琢磨して、quality は上昇する。そうさせるように、演出はあらねばならないし、劇作家はそういうホンを書かねばならない。「同じだが新しい」こと。これをそれぞれの進化といわねばならない。
『林檎幻燈』のホンはまだ未熟だ。それは作者に面と向かってキツク叱咤した。いくら幻燈でも、世界が幻そのものであってはならない。世界が「何の幻」かを書かねばならない。現実は常に幻の前に存在する。「現実」という情況・本質をしっかり掴んでいないと、metaphorでmetaphorを描くという勘違いに陥る。このあいだ樋口ミユにいった苦言、提言も同じ。キツクいったのは、作者がこれからも書けるひとだと慮っての老婆心からだ。
ところで、私はどんな芝居でも、殆ど観ない(誤解されぬように記すと、観るのではなく聞いているといったほうが正しい。時々、ちらっと舞台に目をやるだけだ)。そのせいでだと思うが、私にはこの舞台の音響は(たとえ作家が未熟だとしても)、このホンの主題、プロット、モチベーションがまるで読めていないような気がした。要するに姑息に行き当たりバッタリの雰囲気音楽を垂れ流しているだけの気がした。この音響スタッフは、私のホンで同じ演出家によるミュージカル『フロタキコ』では、かなりの力量を発揮していたと記憶しているが「騏驎(麒麟ではナイ)も老いては駑馬に劣る」ほど老いてはいまい。たかだか新人作家のホンと侮って、解するまでホンを読んでいないか(たとえば、ホンの内容が覚えられていないので、ホンをみながらオペレートしてるとか、ナ)、読んでもワカンナかったとか、そんなアホな音響スタッフを岩崎演出が使うワケがナイと思うのだが、具体的に指摘してみると、あのボレロはいくらなんでも、間に合わせたという感じしかしない。また、「林檎」というコトバ、存在、の音響(音楽)が主聴音として通底していないから、構造として重ね合わされた作品のそれぞれのセクターに、共時的にも通時的にも音楽イメージとして残る「林檎」が存在していない。(私の組の音響家なら、その程度はちゃんとやるぜ)。せめて作者が、林檎というモノを透過して、なんとか多重世界を描こうと足掻いているくらいは、作家の未熟さは笑ってもいいが、察してやってよかったのではないか。もちろん、そんなことは先刻承知ならば、音響プランはまったく失敗しているとしか評価出来ない。ともかく流れっぱなしにしか聞こえない音楽は耳障りでうんざりした。というか、もちっとせりふを聞いて音楽出せや、という気がした。(おまえ、何様のつもりだとイキリ立つなら、それでもイイが、私はもう業界に未練はナイが、業界でもちっと長生きしたいのなら、私の戯言も訊いておくべきだぜ)。べつに作家が弟子だからといって、責任転嫁して守ってやっていってるワケではナイ。単なる観客の感想だということは、ハッキリと言明しておく。

~怪人二十面相・伝・外伝~・マスク・THE・忍法帳-1

一 ・登場二十面相

昭和・・・二十七年、冬、東京。
敗戦から数えて七年の年月は、奇蹟とも思える復興を、瓦礫と灰塵の日本にもたらそうとしていた。
戦後のすさんだ面持ちと、朽ち果てた身体(からだ)が、それでもなおかつ捲土重来(けんどちょうらい)の日のくることを信じて焦土に立ち上がった結果である。
ご存知二十面相もまた然り。
母親のサヨと初代二十面相の丈吉を羽田で見送ってから、遠藤平吉二十面相の活躍が始まるが、ここに語るエピソードは、知られざる二十面相の裏の闘争、いわば外伝にあたる。

東京銀座。
この街も空襲にあったが、戦時においても、つっかけサンダルのお姉さんが往来を闊歩する姿はしょっちゅうみられたし、腐っても鯛、焼けても銀座という心意気は、街の空気の中に溢れていた。
その何丁目かは明かせないが、華やかな表通りとは隔たった小さなショット・バーが軒をならべる狭い路筋に、黒いシルクハットに白抜きで『リュパン』とかかれた店があった。いまでいえばスナックだが、ボックスはなく、カウンターのみのスタンド・バーである。この『リュパン』にその日の夕刻、夕陽の霞に影をまとって、飄々、あるいは颯爽と、トンビ姿のひとりの若い男が訪れた。
男はカウンターのいちばん奥の席に座ると右足を高くあげて踵を椅子の上に降ろし、
「バーボン」
と注文した。
カウンターの中にはバーテンダーがひとり。
「バーボンは何にいたしましょう」と訊く。
男は「ジャックダニエル」と答える。
バーテンダーはショット・グラスに琥珀色のウィスキーを注ぐと、コップにチェイサーの水を差し出しながら、ニタリと小さく笑って、
「ジャックダニエルはバーボンではございません。バーボンはケンタッキー・ウィスキーのことでございます。ダニエルはテネシー産です。もっとも原料も製法も同じですが。・・・そちらでお待ちです」
と、バーテンダーらしい蘊蓄のアトに妙なことをいった。
男はショット・グラスをくいっと一口で空にすると、そのまま席を立って「事務室」と書かれたさらに奥の部屋の扉の中へと消えた。
およそ広さは二畳ばかり。つまり、一坪。天井から壁、床まで真っ黒に塗られたその部屋はとても事務室などではない。その中央に美術品のような瀟洒な椅子がひとつ。
男はそこに腰をおろした。
と、どこかに拡声器でもついているのだろうか、女の声がする。声の音色や質から判断するにまだ若い女だ。
「お待ちしておりました」
遠慮がちな沈黙がしばしの時間を占有して、
「あなた様をどうお呼びすればいいのでしょうか」
と、女は問う。
男は口辺に愛嬌のある笑みを浮かべると、
「怪人二十面相。というのはちと、派手はでしいな。マスクとでも呼んでもらおうか」
と、そういった。
「マスク様」と女はいう。
「様は、要らない」
と、男は答える。
「マスク。では、そう呼ばせていただきます。まず、このようなところにお呼びした非礼をお謝りいたします。ゆえあって姿をみせることの出来ぬ失礼も、同じく、お謝り申し上げておきます」
「いいさ、渡世だからな、俺も同じようなもんさ」
「では、さっそく、依頼の件のお話をしてよろしいでしょうか」
「いいよ。そっちのペースでやってくれ」
数秒、また沈黙があった。これは女が躊躇っているワケではない。おそらくは自身の決意の確認をしているのに違いない。
「私の父は世間でいう大富豪でありました。戦争が終わるまでですが。戦時政府が国民に貴金属の類を国に差し出すようにと命令を下した時、半端な宝飾類は差し出しましたが、ほんとうに秘宝といえるものは、秘密につくられた父の書斎の隠し金庫にしまわれておりました。ところが、敗戦のどさくさに、どこからその情報が漏れたのか、兵隊たちが不法に侵入して、その宝物を全て持ち去ってしまったのです。父はそれが原因で失意のうちに自殺いたしました。秘宝はどこかの軍属の手に渡って、あるいはその者の所有となり、あるいは転売されたようなのです。私の依頼とは、この父の形見ともいえる秘宝を取り戻していただきたいのです」
ほとんど一気にいうと、小さな溜め息が聞こえた。
「そうか、そりゃあ、軍のすることはムチャだからの。で、俺はどんな報酬がいただけるんだ」
「取り戻していただいた秘宝を差し上げます」
二十面相、平吉の眼がわずかだが驚きの様相をみせる。
「俺がもらっていいってか」
「マスク、あなたはご自分専用の美術館を所有してらっしゃるとか。そこに父の秘宝を飾っていただければ、それで私は満足です。何処の誰とも知れぬ卑劣な族の手にあるよりはそのほうが父の魂も浮かばれます」
「極めていい条件だな」
「それ以上のものは差し上げられませぬゆえ」
「取り戻したら、ここに持参すればいいんだな」
「真贋を確かめた後に、お譲りいたします」
女の声はかすかに震えているようであったが、その声からコトバの内容に詐称があるという気配はない。
「いったい幾つ集めればいいんだ」
平吉が訊ねた。当然の質問である。
「秘宝一つです」
「一つ、たったそれだけか」
「そうです」
やや拍子抜けはしたけれど、単純にみえる仕事ほど難渋なこともある。
「アト、ひとつ二つ訊ねたいことがある」
平吉は腕を組んだ。
「何なりと。疑いあるは、こちらも不安ですゆえ」
「この仕事を俺に依頼した理由は」
「我が秘宝剥奪における、これらの奪還は二十面相と名乗る者に依頼すべし。父の遺言状にそう、記されてありました」
「酔狂な親父さんだな。泥棒にそんなことを依頼するとはな」
「おそらく、そういわれると思っておりました。遺言状には続きがございます。もし、二十面相に躊躇あらば、この名を出せ。-南部は、我が畏友なり-」
「えっ、南部。そりゃあ、丈吉先生のサーカス時代の友人じゃが、ほう、そういう因縁かい。たまげたな」
平吉にも懐かしいひとの名であった。
「で、その秘宝とは」
カサカサと紙切れの擦れる音がわずかに聞こえた。常人には聞こえなかったかも知れないが、平吉二十面相の耳はその音を聞いた。
と、何処からか、三つ折りにした上質の紙が一枚、平吉の前にあった。平吉はすぐにこれを拾って書かれていることを読んだ。
「『エデンの果実』、『ソロモンの魔笛』、『メビウスの懐剣』・・・えらくそれらしいが、とはいえ、聞いたこともみたこともない。それにこれでは三つだ。さっきはたった一つと聞いたが」
「私も、それがどのようなものであるのかは、まったく存じあげません。また、秘宝はそのうちの一つだけです。アトはまやかし、ニセモノです」
「やっかいな注文だな。では、如何にして真贋を」
「ほんものには父の刻印がうってあります」
「なるほど、その刻印が穿ったシルシに刻印をはめ込んで、合致すればいいという、まあそういうことだな」
と、平吉の差し出した手のひらに、金印がポトンと降ってきた。
「残念ながら、私にも美術品を鑑定する眼力はありません。その金印が頼りです」
「雲をつかむような話だな」
平吉は、金印をみつめながら、険しい顔をしてみせる。
「難しゅうございますか」
「いいや、俺は雲をつかむのが好きで泥棒稼業をしてるんだ。難しいことはナイ。まあ、のんびりと捜してみるか」
今度は、微笑んでみせたが、
女の声がくぐもった。
「猶予があまりありません」
「猶予がナイとは、税金の取り立てみたいだの」
「私は胸の病に侵されております。医師の見立てでは、来年の夏の海がみられるかどうかということです」
平吉、フッと小さいが息を吐いた。
「お嬢さん、いや声から判断して、まだ若い女性だと思うので、そう呼ばせてもらうが、久しぶりに身震いしたよ。武者震いというヤツだの。面白い。養生しや。お宝は入道雲が空に出るまでには、ここに持ってくる」
「お願いいたします」
それっきり、何も聞こえてこぬ部屋で、平吉、数分考え込んでいたが、何を考えていたのかは誰にもわからぬ。ただ、その瞳に燃えるような輝きがみてとれた。

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