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2013年6月30日 (日)

集団・共同体・個

朝から近隣に畑を耕作している昔からの馴染みの大工さん(いまは現役を半ば引退、子息が跡を継いでいる)が、収穫されたトマトと胡瓜とピーマン、唐芥子を持って来て下さった。立派な出来の野菜をみて、母親も感心していた。母親のほうも、時折、エビフライやらなんやかんや、私も美味そうな酒があれば、大工さんに届ける。こんなふうにあちこちからナニヤラが届けられて、母親のほうもナニヤラを届けて、いわゆる贈与交換が行なわれている共同体は、おそらく母親たちの代で終わるだろう。ふつうアジア共同体と呼ばれているシステムは、日本の地方の田舎には数多く残っているが、次第に消えていくにチガイナイ。いま人々は集合として生活しているワケではなく、放射線状に生きている。この地を塒にしていても、近所づきあいはなく、京都、大阪に働きに行っては、この地に帰って来るだけという、いわゆる流入の民も多くなった。私の子供の頃は家に錠前など必要なかったのだが、夜は外に面した窓にシャッターを降ろす。新興住宅地となったこの地にもう田畑は殆どみられない。実家の土地価格も3倍ほどになった。農耕地から住宅地になったのだろう。私にしたところで、月の半分は実家にいないのだが、同居ということで、母親は独居老人の枠から外されそうになっている。そこは私の仕事の特殊な事情を説明して独居老人と変わりナイことを、認めてもらわねばならない。
アジア共同体は、戦時中の隣組というやっかいな組織も残しているが、いざ、冠婚葬祭となると、これがシステマチックに作動するのだ。何処の誰がどうしているのかは、口伝えであっというまに広まる。いい面も、プライバシーに関しての悪しき面も持つ。善悪は問えない。これがまあ、終の住処だ。

劇団・太陽族の『林檎幻燈』の感想を書こうと思ったが、まだ公演中なので、公演が終了してから、つまり、今夕に掲載することにする。ふつう齢を重ねるとひとは丸くなるらしいが、私のばあいはまったく逆に、そうこの先のナイ命、いいたいことは気兼ねなく(というより迷惑を省みず)いうようになってきた。先日も樋口ミユに苦言を呈したばかりだ。とはいえ、私は将来のあるひとにしか、キツイことはいわない。ただのアホはアホとしかいいようがナイからな。まあ、そういうことで。

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