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2013年4月 1日 (月)

エビリファイへの考察⑬

フッサール現象学とハイデッガーの実存主義哲学から現存在分析という精神医学を拓いたビンスワンガーは、著作『うつ病と躁病』において、うつ病の根底にある「不安」とは、「倫理性」なのか「自然性」なのかと問い、それは「倫理」ではなく「自然過程」であり、自然としての人間的過程が崩壊(解体)するときの解体の仕方のひとつだと結論している。もちろん、演劇を志向してきたものにとっては、この結論はにわかに信じられるものではナイ。
ビンスワンガーがいわんとしている現存在とは、[私は-身体として-いま-ここに-ある]というふうに端的にだが述べることが出来る。これは演劇もんにとってはかっこうの餌として飛びつきたくなるシロモノだ。この「私」を演技者としてもいいし、「身体として」を演技者の身体として取り上げることも出来るからだ。「いま」は身体の持っている(置かれている)時間的なsituationだし、「ここに」は空間的なsituation、すなわち、「舞台」だ。
ビンスワンガーの診たてでいうと、うつ病者は自身の存在(現存在)を「たしかに在るのに在るという感覚、感触、そういう気がしない」と感じる。これは、私自身が経験したエビリファイの副作用による主観のすっ飛びと酷似している。これについての矛盾は、既に、私自身指摘してある。繰り返して簡単にいえば「ここにナイものが[たしかに在るのに在るという感覚、感触、そういう気がしない]」というのは矛盾でしかナイ。
観点を演劇に滑らす。いうまでもなく、演技者は創られたという意味においては「不[自然]」な時間と空間の場(舞台)に置かれている。そうすると、それは現実ではなく虚構の時空なのだから、同義的には取り扱えないのではないかという反問にさらされる。これは一見真っ当そうにみえて、実はそうではナイ。この反問を根拠づけるのには、現実とは何か、虚構とは何かという問いに答えなければならない。それについては、『恋愛的演劇論』(今秋発刊)の中で述べてあるので、詳しくは書かないが、「現実それ自体」や「虚構それ自体」は表現においては存在しない。
ともあれ、[私は-身体として-いま-ここに-ある]という現存在の在り方を演技者の舞台においてのそれと比較してみても、べつだん齟齬は生じないと私は考えている。何故なら、演技者はその次元(舞台)を自己の身体に対する関係と了解としているし、、自己と環境に対する関係と了解の位相に置いている。つまり、人間は自然であれ、舞台の演技者としての「不[自然]」であれ、[私は-身体として-いま-ここに-ある]という識知には達することが出来るし、そこにおいて⑫で述べたような、「異常」と「病的」な類似体験をしてしまうからだ。
演技者にとっては、まず、[身体(役)として-いま-ここに-ある]ことがタイセツなことで、これが出来ない様相を「足が地についていない」「舞台における立ち方が悪い」という。たとえ演技者の存在する場が江戸時代というsituationであっても、演技者は劇場の非常口の場所や、客の入り具合はちゃんと観ているものだ。また、観客に観られているという意識は所持している。それら織りまぜてが演技者の在りようだ。そのとき、演技者が演技表現の上で異和感を持つのは、表現自体が疎外に該るからに他ならない。このときの疎外は、ただ舞台にあるというだけでやって来るものと、舞台において表現する際にやって来るものの二種類がある。いうまでもなく、前者は生命体(生物)が所有している原生的疎外(ただ、その存在自体において受ける疎外)に対応し(フロイトのいう無意識がそれに該る)。後者は純粋疎外(身体と現実的環境世界の双方から受ける疎外)に対応する。演技者は常に[身体(役)として-いま-ここに-ある]ことを主観と客観で識知するため、演技者の陥る不安を記せば「[身体(役)として-いま-ここに-ある]-ではナイ」となって、客観的に観ているはずの自身が主観でしか取り出せないという、日常とは逆の不安になる。それは舞台という「いま」「ここ」が「不[自然]」なのだから当然の逆立だ。これが表現における不安(疎外)ならば、[私は-身体として-いま-ここに-ある]に対する不安は「自然」への「自然に対する表現」への不安と称して差し支えない。「自然に対する表現」は、もちろん「自然現象」ではナイ。それは心的な働きかけであり、その作用としての「関係づけ」と「了解づけ」において心的現象といえる。

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