無料ブログはココログ

« 黄昏への帰還-番外- | トップページ | 黄昏への帰還⑱-安定と平衡- »

2013年4月21日 (日)

六十歳のエッチ度

ちょっとワケあって原口統三『二十歳のエチュード』を少しばかり読みかえしてみて、そうだなぁ、オレは遺書は書くかも知れないが、遺作というのはナイなあと頭を掻いた。というのも、avecビーズに書き下ろしている次々回のレパートリーのタイトルが『トワイライト アット タイム twilight at time~この黄昏よ~』てなふうで(最初は『セピア』というタイトルを予定していたが、ヘンコー)、読みよう観ようによっては遺作みたいに思われるかも知れないなあと、苦笑まじえて、で、頭を掻いたと、そーいうことだ。
遺作が書けないというのではなく、年齢からいえば近年は書いたものみなこれ遺作のようなもので、みかけは六十歳の還暦にはみえない程度にまだ若いらしいが、心身あちこちガタがきていて、介護を要するほどの大きな病気はナイけれど、ほおーっ、これが六十歳のカラダかと、といって持て余しているワケではなくそれで妙に満足はしているのだ(ともかくもimpotenceは治ったしね)。ココロのほうもこれくらい狂っていて、まあいいじゃないか天才なんだから、とこっちはちょっと居直っている(まあ、空威張りネ)。
私が房事をともにしたのはいまの嫁さんを含めて七人だが、房事はナシのおおきな失恋が四度ある。いまなお行方知れずの一人を数えてこの四人との失恋は追憶の現在形だ。いってみれば能の四番目物・雑能・現在物という手合いになる(三島由紀夫の『近代能楽集』はみな四番目物になる。あたしゃ、あんまり好みでなく評価もしてナイけどネ)。わりかしオレも恋多いのネ、と、こんなことは六十歳になってこそ恥も外聞も気にせず語れることにチガイナイ。その点では、この六十歳というワケのワカラン、未体験の領域も心地悪いものではナイ。こういうことだけが、六十歳の特権かネ。
初夏、再々の引越しで、滋賀の実家にもどることにした。仕事の都合上、嫁さんはずっと大阪の別居婚という形態はつづくが、母親も高齢の独居老人だし、大悪党の父親だけが母親に甘えるだけ甘えておいて眠るように大往生したのには、内心「この野郎っ」という気がしてならず、こっちが先に逝く確率のほうが高いのだけれど、まあ、母親に近いところで付き添って、「ちょっと嫁んところにいってくらぁ」「今日は嫁、来るよ」でいいんじゃないかと、敷金礼金家賃ナシの実家に居候だ。
私の力量において、やれる限りのことはなんとかやれたと、矜持にこそならないけれど自負はしているし、オレ、精一杯やったんですよ、これでも、といえるから、結果の轍などどうでもイイのだ。いまの嫁さんと仲良くしていければ、それで充分。閨房においては嫁さんを討ち死にさせられれば、六十歳のエッチ度としては上出来でしょ。幸い嫁さんとは30年の年齢差があるから、彼女の成長が楽しみだワ。残す私財に銭はナイけど、蓄えた知的資本は、出来るだけ遺すつもりだ。てなこといってるけど、いやあ未熟未熟、ほんとロクデナシ。よくもまあ、これだけ無知蒙昧で、六十歳でございますなんて顔してられるヨ。でも、生涯現役、筆一本の渡世。それしか能がないからナア。「大衆のために書く、書きますよ」ああ、我が大衆よ。オレとあんたのことだヨ。
では、コルクボードのお仏壇、幾枚かの写真に線香あげて、と。『方丈記』なんかダメよ。世の中も自身も、川の流れの如しじゃなくて、センコの煙よ。

« 黄昏への帰還-番外- | トップページ | 黄昏への帰還⑱-安定と平衡- »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/57216150

この記事へのトラックバック一覧です: 六十歳のエッチ度:

« 黄昏への帰還-番外- | トップページ | 黄昏への帰還⑱-安定と平衡- »