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2013年4月 5日 (金)

エビリファイへの考察・終

ここにおいて、前章までで可能なことは、医師と患者との関係(もう少し具体性をもたせれば、医師の匙加減との関係)をかんがえる思考方法としては、現象学や弁証法、さらには数学物理学化学など応用(形式論理はそれ自体が独立しているのではなく、どの思考法においても用いられる)が考えられるが、いつものごとく数学的応用をいうならば、精神科医と患者、演出者と演技者という関係を関数として考えればイイというのが、最も理解しやすいのではないかということだ。何故なら関数には主従(支配と服従)がナイ。主体が常に患者にあり、演技者にあるのとすれば、微分方程式の微分係数の値の比の変化はそのまま患者、演技者の表現の変容であって、精神科医は「対象」になる。これはふつう考えられている主従の立場があたかも逆転したかにみえる。みえるだけではなく、本来、ほんとうはそうしなければこの疾病に対する真っ当な対峙は出来ないように私には思える。つまり、精神科医、演出者に対する患者、演技者からの異和は、そこから導いていけるのではないか。と、いうことだ。
私たちは、ここまで概ね双極性障害に対して、私固有の具体例と、演劇現場に対応させる方法論を以て、その情況をエビリファイという媒介を借りながら展開してきた。今後はそれを発展したカタチで、私固有の問題としてまた普遍的なこの疾病に対する治療の異議申し立てと考察を、素人ではあるが、私自身の演劇論を武器にして、悪戦苦闘、粉骨砕身で続けていくつもりだ。目の黒いうちは、ネ。

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