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2013年4月15日 (月)

黄昏への帰還⑫-私は私のカラダを知らない-

鬱病の症例を例にとってかんがえてみる。もちろん、これは精神科医のデータというよりも、患者(彼)からの訴状だ。フロイトは『精神分析入門』で、夢の供述について、Krankeがたとえ実際にみた夢でナイことを口にしてもそれは構わないとしている。そういうところがフロイトの卓見だし、夢分析の夢占いとはチガウところだ。つまり夢の記憶と(いうことに)して残っている部分を患者が口にすれば、それは彼の精神作用だと規定できるということだ。
患者(彼)の述べる症状を幾つか(私のそれも含めて)羅列してみる。
・イライラする・陰々滅々・仕事する気がしない・気力がわかない・何をやるのも鬱陶しい・他人に逢いたくナイ・落ち着かない・じっとしていられない・厭世・だるい・めまい感がある・地球の重力や磁場が変化したのを感じている気がする・乗り物酔いがつづいているような感じだ・頭が重い・寝つきが悪い・ぐっすり寝た気がしない・疲労感が強い・aggressiveになる・過去のことを後悔する・どこにいても、自分ではナイ・楽しくない・涙もろくなる・気が重い・興味がわかない・罪悪感がある・加害者妄想がある・意味なく不安になる・集中力が失せる・すべてが徒労に思える・なにか不治の病なのではナイかと思う・仕事を(職種を)変えたい・
と、ざっと思いつくままに書いてみたが、このどれをとっても、ほぼ共通することがある。まず、それくらいで「死ぬ」ことはナイだろう。重篤な感染症に罹患しているのでもあるまいし、致死率に至るものはこの中のどこにもナイ。もちろん、それくらいで自殺を考えることもあるまいに、と思える。たいてい生きていれば、それくらいのことはあるからだ。もちろん、症状の中には希死念慮(自殺したくなる)もあるのだが、それは、これらの症状の帰納されたものとして在るものと、もうひとつ、「理由もナイのに自殺したくなる」というというのがある。何れにせよ、「自殺したくなる」に変わりはナイ。それくらいで死ぬことはナイだろうに「死にたくなる」のだ。
もうひとつの共通項は、その症状(症例)の殆どが<身体的>なものを付加されているということだ。数々の症状はともかく「憂鬱」につきるのだが、それらは「身体的憂鬱」といってもいい過ぎではナイ。とすれば、「自殺したい」というのは、単純にいってしまえば、「そういう身体を消してしまいたい」という欲求、切望ということになる。
演技者にとって、もっとも邪魔になるのはその<身体>だ、ということについては、さまざまな演技論(学)の書籍を繰ってみても、明確に指摘されてはいない。演技者は役によって身体を取り替えたいとおもうだろうか。おそらくそうは思わない。演技者は逆のことをかんがえる。「自らのこの<身体>=カラダで、役を演じてみせよう」。これを「演技=演じる技術」という。演じるということと、演技するということはチガウのだ。演技とは何かと問われれば、最も単純明快な答は「演ずる技(わざ)のことだ」だと思っておけばイイ。
演技者はその<身体>を消し去ることが出来る。演技者にとってはそれは可能なのだ。もちろん、カラダのカタチが変貌するワケではナイ。体重くらいならかなり増減が可能だろうが、身長はそういうワケにはいかない。それが可能だというのは、観念として、もっとコトバを選べばイメージとして、だ。ロミオもジュリエットもハムレットもオフェーリアも実在の人間ではナイ。だから、原則的にはどんなカラダをしていても構わない。そのイメージなら演技者は創ることが出来る。すると、演技とはそのimageを如何にして実際の舞台に具現させるかという技のことをいうことになる。ここでは、よく演技力というコトバも用いられるが、「演技力」には、演技の実力を端的にいう場合とそうでナイ場合がある。そうでナイ場合については、ここではcategory overになるので述べない。
私たちは私のことをワカッテいないが、ココロはなかなかわかりにくいとしても、私たちは私のカラダ(<身体>)=外界を実はワカッテいない。しかし、このカラダというものはワカルようにすることが出来る。演技者の鍛練はそこから始まる。演劇における肉体訓練というのは筋肉の増強を図るものではナイ。自身(自己)のカラダ(<身体>)に常に目覚めさせてていることをいう。
ところで、彼(患者)は、自分の身体を消去したいと考える。しかし、精神だけを消去したいとはまず考えない。気力が蘇れば、と願いはするが、それはその気力によってカラダが正常に動くことを意味している。どこにいても自分ではナイという感覚は、もちろん、自分のカラダそのものに向けられたものだ。彼はほんとうはこう考えている。「この憂鬱な<身体>をなんとか出来ないものか」。だが、そのカラダのことを実は何もワカッテいないのだ。彼(患者)はカラダのことを考えているようで、実は、カラダのimageだけをバクゼンと輪郭づくっているに過ぎない。

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