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2013年3月22日 (金)

エビリファイへの考察②改訂

私は薬学にも、精神病理学にも、脳科学にも専門的ではなく、殆ど無知だが、幸か不幸か演劇という特殊な領域から、この世界の事象、現象をすべて演繹することが出来るということを学んだ(つもりにはなっている)。統合失調症にせよ、双極性障害にせよ、たいていのことは演劇にカテゴライズして考察することも可能なはずだ。
たとえば、統合失調症も双極性障害も、「ひとがひと」と「関係」して「了解」していく道程の中にみいだされる病態に他ならない。これらは演劇にとっては演劇とはなんぞヤというときの常識的な設問だし、演劇が包摂しているものだ。何故ならば、演劇とは、まさにそういうひととひととの関係と了解を「劇」にしたものに過ぎないからだ。ここで、演劇は虚構であり、病態は現実だという命題は意味をなさない。(この「現実と虚構」とについては、今秋上梓予定の『恋愛的演劇論』で章一つとりあげてあるので、ここでは詳細を述べないが、この世界には虚構があったり現実があったりするということはナイとだけ記しておく)。
私たちはいま、方便として、統合失調症と双極性障害を関数として考え、その両者を微分していくことにする。図を考えれば、縦軸yに統合失調症を、横軸xに双極性障害をとり、その成分をdy/dxとすれば、ここに係数が求められることになる。係数、つまり比率だ。ひょいとコトバをもどせば、エビリファイの統合失調症に対する効用と双極性障害に対する効用の比率を図で観ることが出来る。そうしていくと、この比率によって、統合失調症に多く効果のある部分は、双極性障害には副作用として生じていることがワカル。コトバを換えていえば、エビリファイの双極性障害に現れる副作用というのは、統合失調症にとっては本作用だということになる。もっと率直、端的にいってしまえば、双極性障害の治療効果は、統合失調症における副作用の活用なのだ。従って、問題はその係数の値が、固有の患者に対してどのように作用(副作用)するかということになる。
この係数を「コトバ」であらわすと、副作用においては「イライラ感・そわそわ感」などが軽症で、重篤になると「意識がはっきりしない」「こわばり」というコトバが出現して来るが、この他に私自身が重要なkey wordと考えるのは「じっとしていられない」「かたまってしまう」という相反する副作用だ。副作用に紡ぎだされたコトバたちを検証していくと、「イライラ感・そわそわ感」というのは、極めてよく似ている発現で、演出者が役者に「そこはイライラじゃなくそわそわして、」と演技の指示を与えた場合に、役者は何をするかというと、「落ち着かない」という演技をしてみせるしかナイ。そうして、この「落ち着きがなくなる」というのも副作用に含まれる。
ハッキリいってしまえば、副作用として書かれたものは概ね「述語」でしかナイ。主語はどこにあるのだ、と、副作用の欄を読んでるこっちがイライラする。これはこのようにも半畳入れられる。たとえば重篤である副作用のうち「意識がはっきりしない」のは誰かということだ。もちろん自分の意識だから自分に決まっているのだが、では「意識がはっきりしない」という「意識」がはっきりしていなければ、この識知は不可能になり、もしそういう意識が働いているのが可能であれば、そこには当初の意識状態に対しての矛盾が生じていることになる。
このようなことが何故、起きるのかというと、おそらく主観と客観の問題が、エビリファイの主効果と副作用において、病態である統合失調症と双極性障害におけるベクトルが逆に変容していることを示しているとしかいいようがナイ。

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