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2013年3月22日 (金)

エビリファイへの考察⑥改訂

「異常」というコトバは、きわめて通俗的に用いられているはずだ。放送コードなどでは「おまえキチガイか」と笑い話にでもいえないが、「おまえ、ちょっと異常やで」は頻繁に使われる。かつて『明日のジョー』という人気ボクシング漫画があったが(私は小山ゆうさんの『がんばれ元気』のほうが好きやねんけど)、昨今は「明日のイジョー」という時代になってしまった。(そういえば「ほとんど病気」てなコトバもむかし、あったけど、あれもコードにひっかかるのかな)。「病気」は医療用語では「疾病」といわれる。ただ、「病的」というのは「病態」や「容態」とはややチガッタnuanceで、日常的にも使われる。
これもまた、通俗的に無限定に使われている。このようなものと似たような使われ方をしているものに演劇における「身体」がある。もちろん、演技もそうだし、演技力というものもそうだ。演ずることと演技とはチガウものだし、演技力は演技の実力をいうのではナイ。「精神的」と「心的」もチガウ。簡単にチガイをいうなら、「心的」とは、身体から観た自然と、自然から観た自然の「疎外」をいっている。何のこっちゃでイイのだが、つまりはココロの身体性をいっていると大概思ってて、そう遠くナイ。
だから、私たちは、「分泌物やらレセプターや、フロイトの無意識領域の双方にもけして還元出来ないものが、ひとの身体性だということだ。そうして、前述の二種の精神病理は、その身体性が背負ったものだ」と、こういいたいのだが、それにおいて演劇の身体性を付加しながら考えていくことは、けしてマイナスにはならないような気がする。
このアトは、私のエビリファイ副作用の実体験などを通して、「病的」と「異常」が如何にチガウかを少々述べてみたい。

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